氏作。Part25スレより。


「アグ姐、ラムザ起こしてきてくれないか」
 アグリアスはそう言われて、不機嫌そうに声の主―――ムスタディオのほうを向いた。
「……なぜ、私が?」
「なんでって……あんたが起こせば、一番寝覚めがいいだろうし」
 ムスタディオは意地の悪そうな笑いを浮かべながら、そんな答えをした。
 ラムザ一行は、現在貿易都市ザーギドスにいる。ランベリーでルカヴィと化したエルムドアを
倒し、次なる目的地、イグーロス城へ向かう途上である。ランベリーからは、べスラ要塞方面へ
イヴァリース街道を通ったほうがイグーロスへは近いのだが、べスラ要塞周辺が、先の戦闘で
水浸しになってしまったため、一行は北側のルートから西進することにした。そして最初の大都市
であるザーギドスで投宿していた。ランベリーでの激戦からまだ二日である。
「……意味が分からんな。なんで私が起こせばラムザの寝覚めがいいのだ?」
 平静を装ってアグリアスは答えたつもりであったが、彼女の顔は紅潮していた。アグリアス
ラムザが相思相愛であるのはパーティの誰もが気付いていたのだが、当の二人は互いへの恋情を
仲間には隠しおおせていると思い込んでいる。ムスタディオは(バレバレだよ)と苦笑したが、
それ以上は突っ込まず、笑いを引っ込めて言葉を継いだ。
「とにかく、もう9時半だぜ。ランベリーであれだけ戦って疲れてんのは分かるが、そろそろ起き
てもらわんと。曲がりなりにも奴ぁ隊長さんなんだし」
「だから、何で私なのだ」
「みんな仕事があるんだよ。ここまで一番体力的にきつかったあんたとラムザだけ、今朝は仕事を
割り振ってないんだからさ。……それくらいやってくれても罰はあたらねぇだろ?」
「まったく―――分かった分かった」
 さも面倒そうに、しかし口の端に微かに嬉しそうな笑いを浮かべて、アグリアスは朝食のトレー
を片付け、徐に立ち上がった。ムスタディオは、いそいそとラムザの寝室に向かうアグリアス
(まったく、おめでたいこった)と肩を竦めながら、見送った。


ランベリーでの戦いで、ラムザがもっとも消耗したのは事実である。エルムドアとその配下の
アサシンは、凄まじい戦闘能力を持っていた。犠牲者を出さずに勝てたのは僥倖といっていい。
当然、先頭に立って戦ったラムザの消耗は、相当なものであった。
 もっとも、アグリアスは別のことを思い出していた。
「セリア、とかいったか……あの不埒なアサシンは」
 エルムドアの従えた妖艶な二人の美女―――セリアとレディと名乗るアサシンは、いずれも闇の
眷属であった。どういうわけかセリアのほうはラムザに異様な執着を見せ、戦いの最中にその唇を
奪うような真似までしたのである。アグリアスはその光景に、猛然と腹を立てた。早い話が嫉妬で
あるが、間違っても彼女はそんなことは認めない。
「まったく、ラムザも満更でもなさそうな顔をしおって……いっそ引っ叩いて起こしてやるか」
 そうこう言っているうちに、ラムザの部屋の前まで来る。小さく二つノックをし、声をかけた。
ラムザ、私だ。起きているのか?」
 返事はない。
「仕方がないな。まだ寝てるのか。―――入るぞ」
 ラムザの部屋はこじんまりした一人部屋であった。隅のほうにベッドがあり、その周りには脱ぎ
散らかした鎧や上着が散らばっていた。おそらく疲労のあまり、片付けもせずに眠ったのだろう。
 妙なことがあった。ラムザが寝ているにしては、布団の膨らみがいやに小さいのである。アグリ
アスは、一昨日の事もあるので荒っぽく布団を剥いでやろうとかとも思ったが、ラムザの寝顔を
見たいような誘惑にかられ、優しく布団を捲った。
 瞬間、彼女は凍りついた。
 そこにはラムザの姿はなく、三、四歳の少年が、寝息を立てていたのである。


 たっぷり30秒くらい、アグリアスは固まっていた。
「な、な、ななな、何で―――というか、誰だ、この子は!?」
 やっと口をついて出た言葉は、それである。その時、幼児は布団を捲られた感触と、アグリアス
の声とで目を覚ました。寝ぼけまなこを擦り、怪訝そうにアグリアスを見上げる。
「あ、あ……あ、あの…」
 アグリアスはまともにしゃべれない。状況に戸惑ったというだけではない。少年は、とてつもな
い美少年だったのである。豊かな金髪、輝くような肌、大きくつぶらな瞳と、人形のように綺麗な
子供であった。その子が可愛いらしく小首をかしげ、アグリアスを見つめているのだ。
 本人は気付いていなかったが、アグリアスにはかなりのショタ志向があった。彼女がラムザ
好意を抱いたのは、ラムザになんとなく子供子供した青い面があったことも一因である。その彼女
にとって、このような愛らしい少年はまさに夢に描いたような存在だった。
「……ここ、どこ?……お姉さん、誰?」
 外見を裏切らぬ可憐な声で、少年はそう言った。アグリアスはくらくらとなったが、何とか答え
なければと懸命に自分に言い聞かせ、おっかなびっくり口を開いた。
「こ、こ、こここここは、ざ、ザーギドスの……宿……」
「ざーぎどす……?」
 少年はますます首をかしげた。地名に心当たりがないらしい。
「あ、あの、坊やは一体……な、名前は、なんと言うの……?」
 普段の彼女らしくもない口調で、アグリアスは少年にそう聞いた。
「僕? 僕は、ラムザ。―――ラムザ、ベオルブ」
 少年の返答に、アグリアスは再び凍りついた。



「間違いない、ラムザだ。小さい頃そのままだよ」
 言ったのはオルランドゥ伯であった。オルランドゥは今は亡きラムザの父、バルバネスとは肝胆
相照らす仲であり、幼少時のラムザとも面識があった。その彼が、ベッドの上にちょこんと腰掛け、
面白そうに周囲の人間を見回す少年を、ラムザと断じたのである。
「これがラムザぁ? マジかよ!」
「うっわー、ちっちゃいラムザ、かわいいー!」
「よく見れば、面影はあるわね……」
「可愛いわねえ。ね、ベイオ、私達もこんな子供がほしいわね?」
「何を言うんだい、レーゼ。俺達の子供ならもっと可愛いに決まってるじゃないか」
 周りの連中がてんでに勝手なことを言う。アグリアスが小さなラムザをどう扱っていいのか分か
らず、食堂にいたオルランドゥに相談しようとしたところ、物見高い野次馬まで押し寄せたのだ。
「―――ええい、貴公ら、ちょっと黙れ! ……伯、ラムザはどうしてこんな姿に?」
 アグリアスはもどかしげに黄色い声を抑えると、オルランドゥにそう尋ねた。彼はしばらく考え
ていたが、やがてぽつりと言った。
「呪詛……だろうな」
「呪詛?」
「さよう。古代の文献で読んだ事がある。時魔法の原型ともいえる強力な呪詛、『遡生否存の法』
だろう」
「そせ……なんですか、それは?」
「対象の過去にさかのぼり、存在そのものを否定して消し去ってしまうという禁忌の術だよ。おそ
らく術が不完全だったのだろうな。ラムザが生まれる時点まで時を戻しえず、結果、幼いラムザ
残る、ということになったのだろう。そのような例が、古書に伝えられている」
「し、しかし、そんな呪詛なぞ、どこでラムザは……?」
「おそらく、ランベリーで、あのアサシンの片割れに接吻された、あの時だろうな」
「あ!――――」
「現世に、とっくに封印されたこの術が使えるものがいるとは考えにくい。あのアサシンは魔界の
住人だった。してみれば、呪いをかけたのはあやつだろう」
「そ、それで、ラムザは元に戻るのですか!」
「この手の術は、術者が死んでしまえば、たとえ発動しても効果が長続きすることはない。対象が
完全に消滅してしまえば別だがね。あのアサシンは、ラムザに術をかけてからまもなく死んだ。
してみればラムザも、そう長い時間をかけずに元に戻るはずだが」
「それは、どれくらいの期間です?」
「さぁ、それはわしにも分からんよ」
「なーんだ、すぐ元に戻るのか。つまらねぇ」
 軽口をたたいたのはムスタディオだった。アグリアスはそれへものすごい剣幕でまくし立てた。
「つまらないとはなんだ貴様! ラムザは我々の長だぞ!」
「すぐ戻るってんだからいいじゃん。軍資も底を付いてきたし、この機会に儲け話でも―――」
「貴様はそれでもラムザの友か! 友の危難を目にしてそのような―――」
「彼の言うことは合理的だと思うけど?」
 横から口を挟んだのはレーゼだった。
「な、な―――?」
ラムザがこの様子じゃしばらく動きようがないわ。その間に休息をとるなり、軍資金を稼ぐなり、
すべきことは幾らでもあるわ。現実的にならなくてはね」
「そ、それはそうだが―――ん?」
 何かの感触を感じてアグリアスが下を向くと、幼いラムザが彼女のズボンを引っ張っていた。
「あ、あの、―――何か?」
「お姉さん、一緒にあそぼ?」
 小さなラムザは、アグリアスにそんな提案をしたのだった。



 結局、アグリアスが小さくなったラムザの面倒を見ることになった。さいぜんムスタディオが言った
ように、他のものはそれぞれ仕事がある。手の空いているのはアグリアスくらいなものだった。
 しかしそれ以上に、幼いラムザアグリアスになついてしまったのである。とりあえずムスタディ
が近くの商店から子供用の衣服と玩具を数点取り寄せ、それをラムザに宛がった。
 そんなわけで、いま、部屋にはアグリアスと小さなラムザの二人きりである。
(それにしても、可愛い……)
 アグリアスは目尻を下げて無邪気に積み木で遊ぶラムザを眺めていた。誰も見ていないからいいよう
なものだが、普段の凛々しい彼女からは想像も付かないような緩んだ表情である。
 そのうち、積み木に飽きたのか、ラムザはちょこちょことアグリアスのいるテーブルのほうにやって
きた。
「お姉さん―――ええと、お名前、なんだっけ?」
「え? あ、ああ、アグリアスよ」
アグリアスは普段使わない女言葉を使った。いつものような男言葉ではラムザが怖がるかと考えたのだ。
あぐりあす―――」
 いささか舌の足らないラムザには、その名前は発音しにくそうであった。
アグリアス、綺麗な名前だね」
「あ、ありがとう」
アグリアスお姉さんて、美人だね」
「え? えええ? えーと、あのう、美人……そ、そうかしら?」
「うん、僕の母様も綺麗だったけど、母様より綺麗」
「そ、そ、そう? あ、ありがとうね」
 耳まで真っ赤になって、アグリアスはそう答えるのがやっとだった。
アグリアスさんは、恋人とかいるの?」
 実に屈託のない表情と声で、ラムザはいきなりそんなことを聞いた。
「な、な、な――――」
 アグリアスは絶句した。
アグリアスさんくらい綺麗なら、きっと素敵な男の人が恋人なんだろうね」
 一瞬、アグリアスは誘導尋問でも受けているかのような錯覚にとらわれた。しかし、目の前の
ラムザのあどけない顔を見れば、別に他意があろうとも思われない。彼は純粋に疑問をぶつけて
いるだけなのだろう。
「い、いや、私は、その、こ、恋人とか、そういう人は―――」
 言いかけて、彼女は口をつぐんだ。彼女の意中の男は目の前の少年なのである。
 なんとももどかしい。向こうから水を向けてくれているのに、それに答えることも出来ず、
答えたところで相手は本来の相手ではないのだ。
「恋人、いないの?」
 ラムザはさらに切り込んできた。アグリアスはどう答えようかしばらく迷ったが、
「―――今は、いないわ」
 と曖昧に答えた。それをどう取ったのか、ラムザの顔に喜色が浮かぶ。
「そうなんだ。それじゃ、僕が大きくなるまで、待ってくれる?」
「あなたが、大きくなるまで? それって、どういうことかしら……?」
「僕、大きくなったら、アグリアスさんと結婚する!」
 少年はまるで勝ちほこったようにそんな宣言をしたのである。
「――――!!」
 アグリアスは、またもや固まった。
(お、おお、大きくなったら、わ、私と、け、けけ結婚? ラムザが? 私と?)
 アグリアスの思考は混乱していた。
(こ、告白……されたのか? わ、私は? ―――いやいや、相手は年端も行かない子供……いや
しかし確かにラムザ……いやいやでも―――)
 幼児化したとはいえ、確かにラムザから告白されたという嬉しさと、その告白を元のラムザから
聞きたかったという歯痒さが、アグリアスの中で鬩ぎ合う。
(―――まったく、この男は、幼くなってまで私の心を掻き乱す……)
 そう思うと、少しばかり意地悪をしてやりたくなった。
「ありがとう……でも、ね、ラムザが大きくなる頃には―――私、お、おばさんよ?」
 困らせてやろうとそんなことを言ったのだが、ラムザはひどく真面目な顔で考え、そして答えた。
アグリアスさんがおばさんなっても、僕結婚する。―――受けてくれる?」
 アグリアスは再び、自爆寸前のボムのように真っ赤になった。が、
 (―――受け入れてしまえば良いではないか。自分が正直になることに何の遠慮がいるのか!)
 相手が普段のラムザでないせいか、アグリアスの中にそのような妙な開き直りが生じた。
 彼女は居住まいをただし、ラムザに答えた。
「―――ありがとう。貴方が大きくなって、まだ私を受け入れてくれるのであれば、貴方の……」
 そこまで言って、アグリアスはちょっと躊躇ったが、意を決して言葉を継いだ。
「あ、貴方の、お嫁さんにして、ね」
「うん!!」
 ラムザはたいへん素直に即答した。
 二人は見つめあい、心底幸せそうに微笑み合った。


 そのとき、アグリアスの心にさらに大胆な考えが浮かんだ。
「……それじゃ、ねえ、ラムザ
「なぁに?」
「結婚の誓いを―――しない?」
「ちかい―――?」
「そう。誓いの―――キスを」
 ささやくようにアグリアスは言った。
 今度はラムザが真っ赤になる番だった。恍惚の霞がかかったような表情である。
 アグリアスはその可愛らしさに、めまいを起こしそうになった。
「……うん、しよう。誓いの―――キス」
 夢見るような口調で、ラムザは答えた。
「じゃぁ、目を閉じて―――」
 ラムザは言われるがままに目を瞑り、こころもち顎を上げた。
 アグリアスはその唇に、ゆっくりと唇を重ねる。
 優しく、甘い、少年の唇の感触が伝わってくる。
(ああ―――!)
 夢にまで見たラムザとのキス。
 本来の彼ではないとはいえ、ラムザとキスをしていることに変わりはない。
 アグリアスは小さなラムザの唇の感触を味わいながら、
(相手が普段のラムザでないというだけで、私もずいぶん大胆になれるのだな……)
 などと考えていた。




 ここ数日の激闘が嘘のような、穏やかな一日が暮れようとしていた。
 夕刻、ラヴィアンが、宿の風呂が沸いたことを知らせに来た。皆にとっても久々の入浴である。
 アグリアスはまず先にラムザを風呂に入れてしまおうと考えた。
ラムザラムザ、お風呂に入りなさい」
「お風呂―――?」
 ラムザはちょっと考えてから、言った。
「じゃぁ、アグリアスさん、一緒に入ろ?」
「―――え、えええ!?」
 ラムザの生家ベオルブ家は極めて格の高い貴族である。身の回りの世話をする召使などは大勢いる。
当然、風呂専用の小姓などというのもいるのだ。特に幼少時などは、一人で風呂に入るようなことは
あり得ない。ラムザが誰かと入ろうと言い出すのは、その意味では不思議でもないのだが……
「―――だ、駄目よ。男と女が、ふ、ふふ二人で、お風呂になんて!」
 ラムザはきょとんとしている。
「どうして?」
「ど、どうしてって、それは―――」
「構わないんじゃないですか、別に。今のラムザ隊長となら」
 面白そうに二人のやりとりを見ていたラヴィアンが、ニヤニヤ笑いながらそんなことを言う。
「か、構わないってお前……そうだ、ムスタディオとか、マラークとかに―――」
「男連中はみんな手が塞がってます。……あ、メリアドールさんとラファちゃんなら空いてますけど、
どちらかにお願いしますか?」
「ば、馬鹿を言うな! あの二人に任せたらどんなことになるか―――じゃなくて! 大体ラムザも、
いかに幼いとはいえ女と風呂に入るというのはその、倫理上問題というか―――」
「―――僕、妹のアルマとよく一緒に入るよ?」
 ラムザは、不思議そうにそんなことを言った。
「な―――!」
 その言葉を聞いた瞬間、アグリアスの動きが止まった。
(―――アルマ殿と、よく、風呂に入るだと………?)
 アグリアスの中に、ふつふつと穏やかならぬ感情がわきあがってきた。それが何なのか、彼女には
よく分からなかったが、なぜか(このままでは負ける―――)というような思いにとらわれた。
「―――アグリアスさん、どうしたの?」
 怪訝そうに、ラムザが訊く。
 アグリアスは見ようによっては恐ろしい表情で、ラムザのほうへ目をやった。
「……分かったわ。ラムザ、一緒に入りましょう」
 絞り出すような声で、彼女はそう言った。
  


「わぁ、アグリアスさん、胸、大きいんだね」 
 ザーギドスの宿「銀の女神亭」のなかなか広い浴場に入って発したラムザの第一声が、それだった。
「あ、あんまり見ないの!」
 アグリアスは真っ赤になって胸を両腕で覆ったが、彼女の引き締まった細い腕では到底その豊かな
双丘は隠しきれるものではい。ラムザはそれをしげしげと見つめている。別に性的な興味ではなく、
純粋に大きいことに感心しているのだけなのだろうが、それでも気恥ずかしいことに変わりはない。
(まったく、何でこんな羽目になったものか……)
 アルマへのつまらぬ対抗意識のお陰で、幼児化したとはいえ、ラムザと風呂に入ることになって
しまった。そのことに多少の後悔はあっても、ものすごく嫌というわけではないのだが、今頃噂好きの
ラヴィアンが、仲間にこのことを告げまくっているだろうと考えると、消え入りたくなる。
(まったく、お前のせいだからな!)
 楽しそうに風呂に浮かべたおもちゃの船で遊ぶラムザを見ながら、アグリアスはそんな心の声を彼に
浴びせかけた。


「じゃ、体を洗ってあげるから、こっちにいらっしゃい」
 アグリアスがそう言うと、ラムザは前も隠さずに彼女のそばにやってきた。アグリアスは悲鳴を
上げそうになったが、別に悪意のある行動ではないのだと言い聞かせ、懸命に自分を抑えた。
「あはは、くすぐったぁい!」
 体を洗ってやると、ラムザははしゃいだ声を上げる。そんなラムザの無邪気さにほだされたわけ
でもなかろうが、アグリアスも恥ずかしくはあったが、なんとなく幸福感を感じ始めた。



(―――なんだか、いいな……)
 ラムザとともに風呂を使うという、昨日まで考えもしなかったひと時。アグリアスは自分がこの
状況に、妙に癒されていることを感じて驚いた。
「じゃ、こんどは僕がアグリアスさんの背中を流してあげる!」
 ラムザは元気にそんなことを言った。
「え、い、いいわよ、私は―――」
「僕だけ洗ってもらって悪いから。僕もアグリアスさんを洗ってあげる」
 ラムザは真面目な顔で言う。こんな際ではあるが、アグリアスラムザに甘えてみたくなった。
「そう、じゃ―――お願いしようかしら……」
「うん!」
 ラムザアグリアスの背中を流し始めた。白く艶やかなその背中は、成人男子であれば劣情を抑え
きれないであろう色っぽさであったが、幼いラムザは一心不乱に洗っている。
 アグリアスは心地よさに酔いそうだった。幼いとはいえ、相手はラムザ、しかもお互いに一糸纏わ
ぬ裸体である。しだいにその美しい顔に、恍惚とした表情が浮かび始め―――
「わ!!」
 その時、急にラムザが声をあげ、アグリアスの背中にのしかかってきた。
「―――ひッ!!」
 アグリアスの背中にぴたりと、ラムザの小さいが滑らかな体が重なる。
「ちょ、ら、ラムザ! ―――なに!? ど、どうし―――あぁ!!」
 背中に、ラムザの肌の暖かさが伝わる。心臓が、ばくばくと凄い音を立てて鼓動する。
(あああ、ラムザの肌が―――わた、私の、私の背中に―――あああッ!!)
 ラムザが、やはり幼いとはいえ欲情を爆発させたのか。そうであれば抵抗しなければ、とアグリアス
は考えたが、体に力が入らない。心なしか、背中越しに伝わってくるラムザの体温も熱さを増したよう
に感じられる。
 このままここで、幼いラムザと一線を越えてしまうのか、という淡い危機感と、期待感―――
 だが。
「ごめんなさい、滑っちゃって……」
 ラムザがよろよろと起き上がった。どうやらただ滑っただけであるらしい。
(おどかすな!)
 アグリアスは一瞬猛烈に腹を立てかけたが、子供相手に怒っても仕方ない、と思い直した。
「―――そう、大丈夫?」
 しゅんとしているラムザに、アグリアスは優しく声をかけた。
「もう十分洗ってもらったわ。貴方はお湯に入って、十分に暖まって出なさいね」
「……はい」
 ラムザは笑顔を取り戻し、言われるたとおり湯に浸かった。
(まったく、―――でも、もしラムザがその……本気だったら、私は……どうしたろう?)
 アグリアスは不謹慎にもそんなことを考え、一人で赤くなった。
 いつのまにか、閉め切りである浴場は、浴槽が見えないほど湯気が立ちこめていた。


ラムザ、そろそろ上がりなさい」
 ラムザが浴槽へ向かってから、ずいぶん時間が経った。あまり長く湯に浸かるのも体に毒なので
アグリアスは声をかけたのだが、返事がない。もうもうと湯気が立ちこめ、浴槽がよく見えない。
(いかん、のぼせたか?)
 アグリアスは慌てて浴槽に駆け寄った。
ラムザ!」
「……え?」
 返事があった。だが、子供の声にしては妙にしわがれている。
「大丈夫―――え?」 
 湯気の向こうには、確かにラムザがいた。
 だが、それは昨日までの18歳のラムザの姿だったのだ。
「ら、ららら、ラムザ、元に、戻ったのか!?」
「―――ここ、どこ? え? アグリアスさん? ―――て、な、何で裸なんです!!?」
「―――ッッ!!」
 アグリアスは、改めて自分が全裸であることに思い至った。その生まれたままの姿を、ラムザ
目を見開いて見つめているのだ。
「ひッ―――!!」
 アグリアスは悲鳴を上げようとした。が、それより一瞬早く、
「―――メリアドールさぁん、こっちよ」
「待ってよ、ラファちゃん。―――わぁ、結構大きいお風呂ね」
 メリアドールとラファが湯殿に入ってきたのだ。入り口の引き戸が開かれた途端、それまで立ち
込めていた湯気がさっと晴れる。
「―――え?」
 そこには、つごう四人の全裸の若い男女がいたのだ。
「きゃああぁあああーーーーーー!!!」
「いやああぁぁぁぁーーーーーー!!!」 
「うわあああぁぁぁーーーーーー!!!」
 絶叫。




「すみません、僕のせいで、いろいろご迷惑をかけて―――」
 てんやわんやの騒動の後、アグリアスラムザがようやく一息ついたのは、夕食の後であった。
 オルランドゥが考えたとおり、ラムザにかけられた呪いは不完全だった。わずか半日で、彼は元の姿
に戻ることが出来たのである。が、その際の騒動はとんでもないことになった。
 素っ裸を見られた4人のうち、ラファは泣き出し、メリアドールは気絶し、ラムザは茫然自失だった。
なんとかその場を取り静め、収拾したのは、アグリアスだったのである。
「……まぁ、幼児化したのはある意味不可抗力だ。お前がそれほど気に病むことではないさ」
 アグリアスラムザの陳謝にそんなふうに応じた。
「ですけど、湯殿でのことは―――」
 ラムザはその時の様子を思い出して、赤面しながら言った。
「あ、あれもまあ、ふ、不可抗力といえばそうなんだし―――」
 アグリアスも、うなじまで真っ赤にして答えた。
「でも、ラファとメリアドールさんには悪いことしました。―――おまけにムスタディオやラッドが、
あの後から冷たいんですよ。……お前だけ目の保養しやがって、とか言って」
「困った連中だな」
「マラークも怒ってましたし。妹の裸を見やがって、って……」
「まぁ、兄としてはそうだろうな。……ところで、一つ聞きたいのだが……」
 アグリアスは急に声を低めた。
「え? ―――なんです?」
「貴公、幼い頃、アルマ殿と一緒に……入浴していた……のか?」
「な―――なんでそれを!」
「幼くなった貴公が言ったのだ。本当なのか?」
「で、でもあれは―――アルマが、アルマが聞かなかったんですよ! 幾つになっても兄様と入るって
だだこねて。ぼ、僕はもう、五歳くらいからは嫌だったんです、本当ですよ!」
「……そうか。じゃ、今でもアルマ殿と入ろう、なんてことは―――」
「あ、ありませんよ! 実の兄妹なんだし―――アブナイじゃないですか。そんなの」
「そうか―――」
 しかしその発言を覚えていないということは、当然あの「誓いのキス」も覚えていないのだろう。
 アグリアスは少々落胆したが、もともと責任能力のない子供としたことなのだし、と割り切った。
「じゃ、そのことはいい。だが、湯殿で私の、は、裸を見たのは―――あれは、貸しだからな!」
「え、だってさっきあれは―――」
「馬鹿! 男に裸を見られるとはどういうことなのか、貴公はちっとも分かっとらん! わ、私だって
―――その、お、女、なんだぞ……」
 アグリアスは少し俯き、上目遣いでラムザの顔を覗き込んだ。本人は意識していなかったが、その
仕草はラムザがぞっとするほど色っぽかった。
「女心というものを……少しは理解しろ―――馬鹿」
「う……わ、分かりました。この埋め合わせはきっと、しますから―――」
「ホントか?」
「ええ」
「―――期待してるぞ」
 ようやく溜飲を下げたらしい様子で、アグリアスは笑った。
「……しかし、小さいラムザは可愛かったな。元に戻ったのはちょっと惜しいかも―――」
「勘弁してくださいよ……」



 この一件で、アグリアスラムザとの距離がより縮まったように感じ、しばらくは上機嫌だったが、
彼女は肝心なことを忘れていた。全裸を見られたのは彼女だけではないのだ。後日、メリアドールと
ラファが同様にラムザに借りを返すように迫った。ラファなどは人目も憚らずデートの要請をした。
 結局ラムザはメリアドール、ラファとも「埋め合わせ」の約束をする羽目になった。
 アグリアスラムザ。二人の仲が成就するまでには、まだまだ障害が多そうである。