氏作。Part31スレより。





「オノレ……一度ナラズ……二度マデモッ!」
 聖大天使アルテマの巨躯から、光が放たれる。爆散の前触れである。圧倒的な
魔力を誇る大天使も、ラムザと仲間達の猛攻にさらされ、ついに力尽きようとして
いた。しかし――
「コノママデハ終ワラヌ! 貴様ラモ、道連レダ!」
 アルテマは、残った魔力を振り絞り、爆発のエネルギーをラムザ達に向けようと
した。戦場はきわめて狭い亜空間であり、それだけのエネルギーが向けられれば、
ラムザ達も間違いなく吹っ飛ぶであろう。
 何が何でも、アルテマラムザたちを生かして返さない心算であった。
「やべぇぜ、どうすんだ!」
 ムスタディオが叫ぶ。
「一瞬でいい、奴の注意を逸らせば!」
 言ったのはアグリアスだった。
「何をする気です、アグリアスさん!」
「私が囮になる! その隙に貴公らは脱出するんだ!」
「な、何を――」
 言うが早いか、アグリアスは大天使めがけて突進した。電光石火の剣捌きで、
セイブザクイーンがアルテマの身体を貫く。
「グワァゥゥゥゥゥ!!!」
 アルテマは獣じみた声を上げた。アグリアスの一撃によって、アルテマの身の
内に溜まった魔力が拡散した。
「グゥゥ、貴様! ……ソウカ、貴様ハアノ男ノ……ククク、ラムザヨ、貴様ヲ
巻キコメヌノハ無念ダガ、最愛ノモノヲ……失ウ苦シミヲ……味ワウガイイ!」
 アルテマの身体が光り始める。
「無茶だ、アグリアスさん!」
 ラムザが絶叫する。
「これしかない! 私が……私が囮になるしか!」
 アグリアスも叫び返した。彼女は一瞬、ラムザのほうを振り向き、いつものような
落ち着いた、しかしとても優しい笑顔を向け――
「私の分も生きろ。ラムザ――……」
 アグリアスの最後の方の言葉は、轟音にかき消された。彼女はアルテマに向き直ると、
「大天使アルテマよ! これで最後だ! 仲間達を切り離す! ――デジョン!!」
 瞬間、溢れんばかりの光と轟音が、空間に満ち、全員が天地の感覚を失い――
ラムザ――愛していた……)
 ラムザにだけ聞こえた、アグリアスの言葉は、それであった。



「――ここは……?」
 ラムザが気が付くと、そこは何事もなかったように穏やかな風の吹く草原だった。
「――あれは!?」
 ラムザの目に入ったのは、無残にも崩壊した、オーボンヌ修道院だった。どうやら
脱出は出来たらしいが、修道院とそこから繋がる亜空間は、完全に消滅したようだ。
 周囲を見回すと、仲間たちもいた。まだ気を失っている者もいれば、起き上がって
何が起こったのか分からず、呆然としている者もいる。その中にはアルマもいた。
「――大丈夫かね」
 歩み寄ってきたのは、オルランドゥだった。
「伯……一体何がどうなって……」
「デジョンだよ」
 オルランドゥは冷静に、しかし険しい顔で言った。


「デジョン……?」
「そうだ。ローファルとかいう神殿騎士が使ったろう。異空間への扉を開いたり、
大量の物質を異次元に送ったりできる、禁断の『次元魔法』だ。アグリアスはそれを
使ったのだろう」
「それで……僕達は助かったわけですか」
「ああ。……しかし、アグリアスはあのような魔法をどこで体得したのだか……」
「――隊長は、卒論のテーマに、始めは次元魔法を選んでいたんです」
 口を挟んだのはそばで話を聞いていたアリシアだった。
「でも、次元魔法は、研究対象としてはタブーで――それでテーマを変えた、と
おっしゃってましたが……まさか体得していたなんて……」
「ローファルも、禁書をあさって研究していたようだったわね」 
 メリアドールも言った。
「そ、それで、アグリアスさんは!? どうなったんです!?」
「彼女が切り離したのは、おそらく我々だけだろう。……デジョンほどの魔法を
触媒なしで発動すれば身が持つまいし、それにあの爆発に巻き込まれては……」
「――そんな!――」
 ラムザは両膝をついた。ラムザアグリアスが両思いであったことは隊の誰しもが
知っている。それだけに、その姿は正視できないほど痛ましかった。
 二人は修道院に突入する前夜、初めて肌を重ねてもいた。お互い、これが最後に
なるかも知れないと感じて。しかしそれが現実になるとは――
「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!」
 ラムザは慟哭した。
(もう一度、もう一度アグリアスさんに遭いたい! 僕が生涯ただ一人愛した人に!)
 若き異端者の涙は、枯れることを知らないようだった。




「お誕生日おめでとう! 兄さん!」
「祝ってもらうのも微妙な年だけどね、いい加減……」
 ラムザは苦笑した。
「いやいや、伯父さん十分若いですよ。うちの親父なんか、前髪が、ほら」
 言ったのは、ムスタディオとアルマの息子、十五歳になるセーリュディオであった。
「何を言いやがる! そうやって親を馬鹿にしてるとな、自分も同じ悩みを抱える
ようになるんだぞ?」
 ムスタディオは憤然と色をなした。
「でも、母さんの家系、つまりラムザ伯父さんの方に似れば、そうならないよ」
 にやにやしながらセーリュディオは反論した。
「口ばかり達者になりやがって……ま、しかしラムザは確かに若いよな。俺とひとつ
違いとは思えん。所帯もたないと、苦労がないからかな?」
「あら、それは私が重荷ってこと?」 
 アルマがすごい目つきでムスタディオを睨みつけた。
笑いが広がる。
 

 オーボンヌでの最後の決戦から、十八年の月日が流れた。
 今日はラムザの三十六回目の誕生日である。ラムザは戦後、ウォージリスの郊外に
小さな小屋を見つけ、そこで自給自足の穏やかな生活に入った。公的には、彼は死亡
扱いになっていたため、教会の異端者狩りにも引っかかっていない。
 そして彼は、いまだに独り身であった。
「――しかし毎度思うが、お前いい加減嫁さんもらってもいいんじゃないか」
 ムスタディオが言う。
「アグ姐に義理立てしてんのは分かるけどよ……求婚者多いんだろ。勿体ねえ」
「そういう気にならないんだ。……なんというか、性分でね」
 ラムザは寂しそうに、透徹した笑いを浮かべた。
「メリアドールさんの求婚も、結局断っちゃったしね」
 アルマも言う。
「まあ、気持ちは分かるけど。――でもね、昔っから思ってたけど、兄さんのそういう
性格、すごく損してるんじゃないかって思うことがあるわ」
「そうかな」
「そうよ。アグリアスさんのことを想うのは分かるけど、それじゃこの先、何を楽しみに
生きていくわけ? 30台半ばにして、思い出だけの人生なんて、寂しすぎるじゃない」
「……」
 ムスタディオも言いつのる。
「所帯持つと、家庭の苦労はあるけどな、でも、子供が生まれたときゃ嬉しかったし、その
子が成長してく過程見てるってのも楽しいもんだぜ。言っちゃなんだが、セーリュディオは
けっこう優秀だしな」
「それは親父に似たかどうか怪しいけどね」
「いちいち余計なこと言うんじゃねぇ! ……ともかくな、ラムザ。歳くって始めて分かる
楽しみってのもあるんだ。そのことは知っといていいと思うぞ」
「そうだね……」
 ラムザは曖昧に答えたが、その顔にはやはり、過去に愛した女の残像を追っているような
表情が浮かんでいた。
 ムスタディオらは顔を見合わせ、これは何を言ってもだめかな、というふうに嘆息した。
それに確かにアグリアスはとても印象的な美女であったし、あれだけの苦楽を共にしてきた
ラムザにとって、容易に忘れられる女性ではないのだろう。
 そのことは、三人とも(セーリュディオは話でしか聞いていないが)分かってはいたのだ。


「――じゃ、帰るわね、兄さん」
 夕刻、アルマたちは歓談を切り上げた。
「送っていくよ」
 と、ラムザは言い出した。
「あまり街なかに出るのは危ないんじゃないのか、お前?」
「そうでもないさ。みんな死んだはずの異端者なんか忘れてるよ。このごろじゃ変装しないで
街に行ってる。それにそろそろ暗くなってくるし、大丈夫さ」
 そんなわけで、四人は連れ立って街に出た。
 ウォージリスは「貿易都市」の名を冠するだけあり、殷賑を極めている。
「にぎやかな街だな」
 思わずムスタディオは言った。
「最近好景気だしね。でも、僅か十年で経済を立て直したディリータの政治手腕は見事だな」
ディリータ王といえば、いまだに正妃を立ててないんですってね」
 セーリュディオが言い、ラムザが頷く。
「妻妾は大勢いるらしいけどね。……あいつやっぱり、オヴェリア様を愛してたんだな……」
 言ってから、ラムザは自嘲的に笑った。
 過去の女にとらわれている。自分も同じではないか。
(似た者同士か……僕とディリータは……)
「――兄さん?」
 アルマが怪訝そうにその顔を覗き込む。
「――あ? ああ、もう船着き場か」
「うん、夜行船で帰るから。明日にはもうゴーグよ。……兄さんも、たまには遊びに来てね」
「ああ、まぁ、そのうちね」
 ラムザはいい加減に答えた。


 アルマたちを見送ったあと、しばらくラムザは街をぶらついた。
(何か、うまいものでも買って帰るかな)
 十八年も住んでいるので、ウォージリスの地理は熟知している。彼は近道を選んで、裏通りを
抜けていった。不夜城をもって鳴るウォージリスの夜はこれからだ。
(――ん?)
 裏通りのさらに奥で、なにやら騒ぎ声がする。ラムザは慎重に近寄った。
(喧嘩か?)
 見ると、長い金髪が印象的な、すらりとした若い剣士が、数人の与太者と睨み合っていた。
隅のほうには、若い女性が震えてうずくまっている。与太者の一人が、下品な声を出した。
「邪魔する気か、あんちゃん! 俺たちゃそこの嬢ちゃんと遊びに行こうとしただけだぜ?」
「嫌がる女性を無理やり連れて行くのは『遊びに行く』とは言わん」
 若い剣士は涼しい声で言う。
「言ってくれるじゃねぇか。そんなイチャモンつけられちゃ、紳士的な俺達も黙ってねぇぜ?」
「痛い目に遭う覚悟はできてんだろうなぁ? コラ?」
「能書きはいいからさっさと掛かって来い。野良犬ども」
「ぁんだとぉ!? ……おい、やっちまえ!!」
 若い剣士の挑発に、与太者は一気に襲い掛かった。ラムザは加勢しようかと思ったが、その
必要はなかった。剣士は凄まじい腕前だったのである。殺さない程度に加減しながら、しかし
確実に相手の戦闘能力を奪う。与太者は一気に蹴散らされた。
 が、吹っ飛ばされた与太者の一人が、隠しから包みを取り出し、剣士の顔へ投げつけた。
「ウッ!?」
 一瞬、剣士はひるんだ。
「ひゃはははは、そいつは胡椒だ! それが目に入っちゃ戦えめぇ!」
「ぐ、ひ、卑怯な!」
「卑怯もヘチマもあるけぇ! 今だ、みんな、そいつを嬲り殺しにするぞ!!」
 与太者たちは体勢を立て直し、一気に剣士を屠ろうと……
 出来なかった。
 一瞬早くラムザが飛び出し、愛用の剣を振るって与太者を切り伏せていったのだ。自衛の
ため、ラムザは剣の修練を怠らなかった。その腕前は、18年前に比べても劣っていない。
 与太者たちは傷を負い、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。剣士が庇おうとした
少女も、ラムザと剣士に礼を言ってそそくさと退散した。
「大丈夫かい?」
 ラムザは剣士のほうを振り向いて、声をかけた。
「か、かたじけない――」
 答えて、顔を上げた剣士の顔を見て、ラムザは驚愕した。
「な!――」
 たしかに凛々しいのだが、よく見れば、いわゆる若衆顔の女性であったのだ。しかし、
ラムザが驚いたのはそのことではない。
(――あ、アグリアスさん!?)
 かつて、ラムザが愛した女性と、まったく同じ顔をしていたのだ。
(い、生きていたのか!? いや、でも――)
 姿かたちは確かにアグリアスに瓜二つであった。しかし、生きているとすれば彼女は四十に
なるはずである。目の前の女性は、どう見ても二十前後であった。
(別人か――しかし、不気味なほど似ているな……)
 ラムザはほっとしたような、落胆したような奇妙な気持ちで女剣士の顔を見つめていた。


「あの――私の顔が何か?」
 女剣士は怪訝そうな顔でラムザの顔を見返した。声もアグリアスにそっくりだった。
「――ああ、いや、ごめん。それより、怪我はない?」
「大丈夫です――その、礼を申し上げます。危地を救っていただいて」
 堅苦しい物言いまで、アグリアスを連想させた。ラムザは強烈な既視感に囚われた。
「と、とにかく、ここは危ない。さっきの連中が戻ってこないとも限らないし、表通り
まで送っていこう」
「有難うございます」
 二人は表通りに向かって歩き始めた。
「……失礼だけど、君、歳いくつなの?」
 女性には歳を聞かないのがエチケットである。ラムザはそう教育されてはいたが、
さすがに好奇心を抑えきれず、そう尋ねた。女剣士は別に気にするでもなく答えた。
「私の歳ですか? ……17ですが」
 見かけより若いらしい。17ということは、獅子戦争終結後に生まれたことになる。
やはりアグリアスでは有り得ない。
(そりゃ、そうだよな)
 ラムザは心の中で苦笑いした。
「もう一つだけ。名前を聞いても、いいかな?」
「名前……?」
 今度はさすがに彼女もいぶかしんだ。この人はなぜ私に拘るのだろう、といった顔だ。
「私は――」
「し!――」
「え?」


「まずいな。おそらくさっきの連中の仲間だ。表通りで待ち構えてる」
 ラムザは舌打ちした。女剣士は、顔を引き締めた。
「強行突破しますか?」
「――いや、君と僕がいくら腕が立つといっても、限度がある。それに、なるべくなら
騒ぎは起こしたくない。――君、目的地はどこなの?」
「とりあえず今日は、宿を探している段階ですが」
「そうか。……よし、少し遠回りになるが、裏道をつたって、郊外の僕の家まで行こう。
そこでほとぼりを冷まして、その後は君の好きにすればいい」
「え。――ですが、見ず知らずの方にそこまでご迷惑を掛ける訳には……」
 反射的にラムザは見ず知らずじゃない、と言おうとしたが、それはぐっと堪えた。
「……構わないよ、乗りかかった船だ。君のほうに不都合がなければね」
「申し訳ありません。では、ご厚意に甘えさせていただきます」
 女剣士はそう言って、深々と頭を下げた。


「さぁ、入って。男所帯だから、あまり華やかじゃないけどね」
 うまく市街を抜けることが出来たラムザは、女剣士を自らの住まいに招じ入れた。
「今、お茶でも入れるよ。その辺に座っててくれ」
「失礼します」
 やもめ暮らしではあるが、生来綺麗好きのラムザの家は、きちんと片付いている。
いささか感心した様子で、女剣士はその様子を見回した。
「……あの、ご家族は」
 彼女は好奇心も手伝ってか、そんなことを聞いた。
 手早く茶を淹れたラムザは、リビングの簡素なソファに腰掛けながら応じた。
「妹がひとり、嫁いでゴーグにいるよ。親はもう二人ともいない。ついでに、独身」
 苦笑しながらラムザは言う。


「……そういえば、話が途中だったね。宿を探してるって言ってたけど、君、旅行者?」
 ラムザが訊くと、いたって真面目に女剣士は頷いた。
「はい。――私は孤児でして、つい先日まで孤児院にいたのですが、十七になったのを
機に、自分の力で生きていこうと決意したのです。幸い、剣術には自信がありますので、
傭兵としてどこかの貴族か、公的機関にでも雇ってもらえれば、と。……それで就職状況の
良いウォージリスまで来たのですが……さきほど悪漢に絡まれまして……」
「そうか。君の剣の腕は相当なものみたいだからな。――で、就職のめどは?」
「いえ、残念ですがまだ……やはり若輩でもあり、女であるということで、なかなか……」
「なるほどね……」
「――ところで、貴殿のお名前は」
「ああ……失礼。まだ名乗ってなかったね。僕は――」
 ラムザは口をつぐんだ。ついさっき知り合ったばかりの人間に、異端者であるみずからの
名前を名乗っていいものか。
 だが、ラムザは目の前の女性には本名を名乗らねばならぬような、そんな気持ちになった。
「僕は、ラムザ。――ラムザ・ルグリア」
ラムザ……」
 その名を聞くと、女剣士は怪訝そうな顔をした。その反応はしかし、ラムザは予想していた。
「むかし、ラムザ・ベオルブって異端者がいただろう。同じ名前なんで、よく間違われるんだ」
 そんなふうに取り繕った。しかし女剣士は、そう聞いてもまだ不思議そうな顔をしている。
ラムザ……ラムザ――?」
 異端者と同名でどうこうというより、その響き自体が引っかかっているようだった。妙な
反応をする女だとラムザは思ったが、それより彼女の名前を聞いていないことに思い至った。
「で、君の名前は?」
「……あ、はい、私は――」
 女剣士は居住まいをただし、名を名乗った。
アグリアス、と申します」


「な!――」
 ラムザは絶句した。
「今、なんて――? あ、アグリ――アス?」
 アグリアス、と名乗った女は、相手の反応に驚かされた。
「は? ――はい、私、アグリアスと申します」
「な、なんで。――というか、誰が、その名を付けたの?」
 自らの名乗りが引き起こした相手の狼狽ぶりに、“アグリアス”はたいそう戸惑った。
「誰が……と言いますか……名付け親は、私の育った孤児院の院長ですが……」
「そ、そうじゃなくて――なぜ、アグリアスという名に?」
「は、はぁ――私が孤児であるということは先ほど申し上げましたが、孤児院の前に
棄てられていた私は、奇妙な形の石を握っていたのです。その石に、『アグリアス』と
刻み込まれていまして、それで……」
「奇妙な形の石――?」
「はい。――これです」
 言うと、彼女は首に掛けていたペンダントを外した。その先には、確かに妙な石が
付いていたが、それは――
(――!! 聖石!! 聖石キャンサー!?)
 それは間違いなく、十八年前にラムザたちが集めた、ゾディアックストーンのひとつ、
巨蟹の星座をつかさどる聖石キャンサーであった。しかし、十三種類あった聖石のうち、
十二種類はラムザがラーナー海峡に投棄したのである。しかしキャンサーは……
(そうだ。あれは、誕生月にちなんで、お守り代わりにアグリアスさんに渡した……)
 アグリアスは最後までキャンサーを肌身離さず持っていた。そして、彼女はそれを
身に付けたまま、異次元で爆死したはずなのである。それを、目の前の、アグリアス
瓜二つの“アグリアス”が持っているということは……
(この娘は――アグリアスさんの生まれ変わり……なのか!)
 聖石の力で、一年後に彼女が「転生体」として誕生した、ということなのか。


 何もかもをぶちまけたい気分に、ラムザは駆られた。しかし、すんでのところでそれは
思いとどまった。話したところで、当惑するだけであろう。
「あの、先程より気になっていたのですが……」
 アグリアスはそんなラムザの気持ちを知ってか知らずか、言う。
ラムザ、という名、それに貴殿の顔……どうも見覚えがあるような……貴殿はもしや……」
「――え?」
「もしや、私の――兄か、なにかでは……」
「は?」
 瞬間、ラムザは呆気にとられ、次に吹き出してしまった。アグリアスは赤面した。
「も、申し訳ありません! 不躾なことを。ただその、そんな気がしたものですから――」
「いや、いや」
 ラムザは苦笑しながら
「ごめんごめん、笑ったりして。――そうじゃなくてね、君、僕を幾つだと思ってるわけ?」
「え?」
「僕は今日36になったんだよ。君より19も上だ。……下手すりゃ親子ほど違うんだぜ」
「な、な――」
 アグリアスはますます顔を真っ赤にした。
「か、重ね重ね失礼いたしました! お若いので、てっきり二十台かと――」
「……いやいや、まぁ」
 ラムザはごく穏やかに言った。
「若く見られる分には、悪い気はしないよ。――ところで、と。だいぶ時間が経ったね。
このあとどうする? 行くあてがないなら、泊まっていくかい? ――でも、若い女の子が
独り身の男のところに泊まるってのは、まずいかな」
「そ、そのようなことは!」
 アグリアスは言下に断言した。いささか無礼な発言のあとで、むきになっているようでも
あった。
「貴殿の紳士的な言動を拝見すれば、そのようなことは! ――私は、貴殿を信じます!」


 その台詞に、またしてもラムザは強烈な既視感に見舞われた。
(――いまさら疑うものか! 私はお前を信じる!)
 かつて、そう言って彼を信じてくれた女性の面影が、頭をよぎる。
(やはり、この娘は……あの人の――)
 ラムザは眼を瞑り、そして眼を開いた。
 決心がついた。――話すだけ話してみよう、と。
「――さっきの話だけど」
 ラムザは慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「……君が、僕の顔に見覚えがある、というのは……おそらく、理由のないことじゃない」
「え……?」
「僕はさっき、君に嘘をついた。ルグリアというのは、僕の本当の姓じゃない。僕は――」
 一瞬、ラムザは僅かな躊躇を見せたが、振り切るように言葉を継いだ。
「僕の本当の名は、ラムザ・ベオルブ。――かつて、異端者と呼ばれたものだ」
「……」
 アグリアスの眼が大きく見開かれた。しかし、彼女は声は上げなかった。
「――驚かないね。そう、僕は確かに異端者だ。だが――」
「……」
「だが、聞いて欲しい。――僕が何故そう呼ばれるに至ったか。真実とは、何だったのか。
――そして、僕が、生涯ただ一人愛した女性について――」


 それからラムザは、長い物語りをした。彼が何に直面し、何に葛藤し、どのように決断し、
どのように戦ったか。そして、彼の最愛の女性についても――
「――そう、僕はアグリアスさんを愛した。彼女も僕を愛してくれた。彼女の支えがあった
からこそ、僕はあれだけの戦いを続けることが出来たんだ」
 いつしか――
 ラムザの眼から、涙があふれていた。
「しかし、最後の最後で、彼女は僕の前から永遠に去ってしまった――」


「――己の身を犠牲にして、彼女は僕達を救ってくれた。――しかし、何をどうしようが、
僕が愛した女性は戻ってこない。――十八年の間、僕は抜け殻のような状態のまま日々を
過ごしてきた……」
 涙で顔をくしゃくしゃにしつつ、しかし最後に少しだけ笑いを見せ、ラムザは言った。
「到底、信じられない話かもしれない。――でも、これが偽らざる僕の過去なんだ」
 アグリアスは、しばし沈黙していた。
 突然打ち明けられた“異端者”の過去。
 彼女はそれを反芻し、理解しようとつとめるふうだった。
「……それで、分かったような気がします」
 おもむろに、アグリアスは口を開いた。
「貴殿が……嘘をついているとは思いません。嘘にしては話が出来すぎている……私の
握っていた不思議な石が、かの名高い聖石であるとか……様々なことの平仄が合いますし
……それに、私の中で、妙に納得するものがあるのです」
「――納得?」
「さいぜん、私は『17になったのを機に』孤児院を出た、と申しました。しかし、それだけ
ではないのです。……うまく言えませんが『何か』を……いや『誰か』を求めて……己の中
からせっつかれる、そんな気持ちに突き動かされて、旅に出たというのが、もう一つの動機
なのです」
「……」
「これまで、うまくその気持ちを言い表せませんでしたが……貴殿に遭い、お話をうかがった
とき、妙に――腑に落ちた、と言うか……納得したのです。――私の求めていたのは……」
 そこまで言うと、アグリアスはふいに顔を赤らめた。
「わ、私、何を言ってるんでしょう! 初めて会ったばかりの方に!」
 言うと、彼女はそのまま顔を伏せる。
 長く、重い沈黙が辺りを包んだ。


「僕は――」
 ややあって、口を開いたのはラムザだった。
「僕は、このことを言おうかどうか、ずいぶん悩んだ。君は確かに、僕の愛した人の生まれ
変わり……なのだろう。だが、言ったところでにわかに信じられる話でもないし、よしんば
信じてくれたところで……」
「……」
「信じてくれたところで、君には君の人格があり、人生がある。僕が君に、かつての恋人の
面影を重ね……なんというか、君という人格を無視して接そうとするなら、僕は限りなく
身勝手な男と言うことになる。しかし――」
 ラムザはゆっくりと、言葉を選びながら続けた。
「しかし自分の中の感情も無視は出来ない。……確かに君はアグリアスさんに瓜二つだが、
同時に……『君自身』に惹かれている、という部分もあるんだ。うまく言えないが……」
「……」
「何を勝手なことを言ってるんだ、と思うかもしれない。でも――」
 ラムザの言葉に熱がこもる。
「僕は――いや僕も、君を求めている……らしい」
 ぱちん――
 と、暖炉の火が爆ぜる。
 アグリアスは顔を上げた。その視線の先には、彼女が17年の生涯で見てきた、どんな男の
それよりも真摯な双眸があった。
「私は……」
 アグリアスの声が擦れる。
「私は、貴方の愛した女性ではありません――ひとつだけ言うことがあるとすれば……」
 二人の視線がぴたりと合う。
 18年前と同じ、それでいて違う、互いに想いあうものだけが感じる確信。


「ひとつだけ、言うことがあるとすれば……私を――」
 暖炉の炎があかあかとアグリアスの横顔を照らす。アグリアスの端正な顔に浮かぶ真剣な
表情が、それによって余計に映えるようだった。
「私を――貴方のかつて愛した女性ではなく、私として愛して欲しい、と言うことです」
 それは、誇らかな宣言であった。
 あまりにも堂々とされたがため、かえってラムザの方がたじろぐほどの――
「君は……」
 ラムザが言う。声が震えていた。
「君は、それでいいのか? 君はまだ若い。人生はこれからなんだ。――だのに、それを
棒に振って、僕なんかと……まして小昏い過去を持つ、19も年上の――」
「そのようなこと」
 アグリアスは笑った。
「年の差など、愛の前には……。それに、ひとの一生でもっとも大切なものを見つけるのに、
早いも遅いもありません。私は、今見つけたのです。――それではいけませんか?」
 そこにいたのは――
 孤独なる異端者が、かつて愛した女性の生まれ変わりであり、同時にもう一度、生涯を
かけて愛することが出来る、おそらく唯一の存在であった。
(ああ!)
 知らず―― 
 ふたたび、ラムザの目から白いものが頬をつたい―― 
アグリアスさん――いや、アグリアス!」
 彼は感極まって、アグリアスを抱きしめた。
「お帰り――とは言わない。ここから始まるんだ……僕達の新しい人生は」
 アグリアスは暖かいラムザの胸に顔をうずめ、
「はい」
 と一言だけ口にした。




「――兄さんに驚かされるのは、今に始まったことじゃないけどね」
 アルマは、見ようによっては不機嫌であるかのように口を尖らせた。
「半月よ、たった半月! こないだ、生ける屍みたいな顔で別れたかと思ったら、いきなり
手紙よこして『結婚しますから、来てください』――最初はたちの悪い冗談かと思ったわ」
 ラムザの結婚が嬉しくないわけではないのだろうが、なりゆきがなりゆきだけに、彼女の
生来の毒舌はとどまることを知らないようだった。
「おまけに来てみたら、18年前に死んだはずの人が出迎えるんだもの。――心臓止まるかと
思ったわ、まったく」
「僕にだって急展開だったんだ」
 ラムザは苦笑した。
「悪いとは思ったけど、知らせないわけにいかないし、どうせなら祝ってほしいしさ」
「そりゃ、おめでとうは何度でも言うけどね、それにしても!」
 アルマは笑顔で給仕をするアグリアス――いや、ルグリア新夫人の顔を改めてまじまじと
眺めた。
「すっごい美人。ほんとにアグリアスさんに生き写しね。それに態度や礼儀作法もしっかり
してるし、30過ぎたおっさんの嫁にはもったいないくらいだわ。いい、セーリュディオ?」
 アルマは横で紅茶を啜る愛息に声をかけた。
「嫁さん貰うなら、こういう子にしなさい。――ていうか、結婚するのが兄さんじゃなきゃ、
ぜひともセーリュディオの嫁に貰うんだけどなぁ〜」
「母さん、ぶっちゃけすぎ。伯父さんに悪いよ」
 セーリュディオが大人びた笑いを見せる。
 ささやかながらも暖かい、ラムザのとアグリアスのための宴。
 突然の連絡に面食らったムスタディオ一家であったが、ラムザの新しい門出を祝福すべく、
一家総出で祝宴に駆けつけたのである。


「どうでもいいけど親父、さっきから暗いな」
 セーリュディオが、リビングの隅で浮かない顔をしているムスタディオに目を向けた。
「あら、本当。――あなた、何黙ってるの? せっかくの兄さんの結婚祝いなんだから、
不景気な顔しないでほしいわね。何かご不満でも?」
「いや、めでたい、めでたいよ。めでたいさ――けどな」
 ムスタディオはすでに相当酔いが廻っているようだった。
「俺がラムザに唯一勝てるものっつったらな、可愛い嫁さん貰って、餓鬼に恵まれたって
ことだったんだぜ。それだのに――」
 彼はワインをぐいと飲み干すと情けなさそうに、
「ここにきて、19も年下の、それもアグ姐そっくりの美人を嫁さんに貰うだなんて……
そりゃねえじゃねぇか。こっちゃこれから老いさらばえて、ただでさえ前髪が寂しくなって、
若い美人なんかにゃ縁がなくなるてぇのに――とほほほ」
「なんですってェ――?」
 酒の勢いもあってか、ムスタディオは虎の尾を踏んでしまった。
 見る見るアルマの顔が夜叉の形相に変わる。彼女は亭主のそれでなくても薄い前髪を
引っつかんだ。ムスタディオが悲鳴を上げる。
「いでででで、な、何すんだ!」
「ごめんなさいねぇ、もう若くなくて――そんなに若い子がいいなら、いつでも別れて
さしあげてよ? ええ、いいですとも!」
「いでで、失言、失言――許し――いでででで!!」
「まぁた、始まった」
 セーリュディオは苦笑してラムザに、
「あれで結構仲は良いんですよ。やらせときましょう」
「……ま、僕らの結婚にふさわしいっちゃふさわしい騒ぎかもしれないな」
 ラムザは笑い、用を済ませて傍に来た新妻に微笑みかけた。


「――なぁ、アルマ」
「ん?」
 宴は終わった。
 ムスタディオは飲みすぎたうえアルマにどつき回され、セーリュディオとアグリアス
介抱を受けている。窓際で酔いを醒ますラムザが、傍に来たアルマに声をかけた。
「……これで、良かったんだよな」
「何が?」
アグリアスさん……許してくれるよな」
「――当然じゃない!」
 アルマは力を込めて言った。
アグリアスさんが兄さんを助けたのは、兄さんにだけでも生きて、幸せになってほしい
から、だからあの人は自らを犠牲にしたのよ」
「……」
「だのにいつまでも――いくらアグリアスさんのことを想ってとはいえ、魂の抜けた
ような生活してるんじゃ、浮かばれないわ。それにあの娘なら……すごくいい子だし、
アグリアスさんも安心するんじゃないかな」
「そうか……」
 ラムザは天窓から夜空を見渡した。星の降るような、という形容が少しも陳腐でない、
美しい夜だった。
「僕は……」
 問わず語りに、ラムザは言う。
アグリアスさんが死んだ時、もう立ち直れないと思っていたんだ。現に、ついこの間
まで結婚なんて考えもしなかったし――今でも、彼女に対する想いは変わらない。けれど、
時が、僕を癒してくれた……そして、新たに愛すべき人をもたらしてくれた。――時間と
いうのは、尊いものだね」
「……そう、ね」



「ゾマーラ――」
「――え?」
「そう。ゾマーラと言った……あの時、死都でローファルが呼び出した“時の神”――」
「ああ……」
「そんなものがいることさえ僕は知らなかった……。でも、ちゃんと時の神はいて、我々
無力なる人間を見守っているんだな……」
 二人はまた黙り、夜空を見上げる。
「――ゾマーラに感謝を」
 どちらからともなく、まだ見ぬ神への謝辞を口にした。
「……ゾマーラに感謝を」
 どちらかも、また。
 時に非情なる神々も、この夜の異端者のみは慈悲を垂れたであろう。
「――母さん、来てくれよ! 親父がぐずり始めた!」
 敬虔な雰囲気を、セーリュディオの叫びがつんざいた。アルマは肩を竦め、
「――ったく、ムードを解さない連中ねぇ。はいはい、今行くわよ」
 毒づきながらアルマはリビングに向かった。入れ替わりにアグリアスがやってきた。
「どうなさったんですか、こんなところで?」
「いや――」
 ラムザは美しい妻を優しく抱き寄せ、もう一度星空に目を向けた。
 アグリアスはなされるがままに、夫の腕に身体を預ける。
(忘れません、アグリアスさん。――そして貴女がくれたこの幸せ、大切にします)
 ラムザは限りなく美しい夜空に思いを向けた。
 その夜。
 それは、孤高の異端者が、長く虚ろな寂寥のすえ、ようやく迎えることが出来た、
未来への希望を抱くことの出来る最初の夜であった。
                       


                         〜Fin〜