氏作。Part37スレより。






 金牛の25日。


 皮肉なまでに蒼い晴天。流れる雲は心なしか早足だった。
 戦争は終わったのだ。このイヴァリースの地に深いつめあとを残した、長きに渡る獅子戦争の終結は、
多くの人々に笑顔を取り戻させ、安寧の平和の日々へと歩ませている。
 教皇フューネラル、神殿騎士団長ヴォルマルフをはじめ、数多くの人間を殺害した異端者の死の報も
重なり、イヴァリースはようやくその身の火を消して行っている。

 
 平民の出でありながら、ラーグ、ゴルターナ両獅子の戦争を終わらせた救国の英雄、
畏国王ディリータの即位は、貴賎の苦しみに喘ぐものたちはその背と輝きに魅せられ、
イヴァリース中は彼を英雄王と祀り上げた。
 そして今、この青空の下で涙を流している者達の多くは、真に心を痛めているに違いない。
ディリータの妻、女王オヴェリアが崩御された――聞けば、北天騎士団の残党の凶刃に倒れたという。
 その報はたちまちイヴァリース中に、この鎮魂の鐘のように物悲しく響き渡っていった。
 その身を削り、屍の山の上に平和を誓った男が、何故このような悲しみを、
平和の象徴でもあった女性がどうして死ななければならないのかと、そんな勝手な悲しみを、
人々は涙として、虚ろとして零しながら、運ばれていく棺の葬列へ加わっていた。


 守った?
 救った、だと?
 ……彼は守ってはいない、守れなかった。
 そして、私も。
 この頬を伝う涙は、悔恨の念。
 消して癒えることのない傷から溢れ出た黒血が、憎悪の鬼火となりこの身を焼く。


 アグリアスオークス。オヴェリア様にお仕えしたが、騎士としての責務を果たせなかった、
この私の名も、初夏の風とともに、どこかへ消え失せようとしていた。




 地図と風向きを頼りに荒野を歩いて、五日になる。
 使い物にならないほどひしゃげた鎧を捨て、平服と外套という頼りない装備の中に、腰にさがった剣の
確かな重みだけを頼りに、私は風に流されまいと必死になりながら進んでいた。
 我が主の待つ、王都ルザリアへと。



 ―――。
 死都ミュロンドにてラムザの剣がアジョラを討った後、我等は眩い光に包まれ、私はそのまま意識を失った。
 気付けば、辺境の地の海岸へと打ち上げられていたという。戦火の及んでいない平和な小さな村で、
私はぼろぼろになった身体の回復を待った。


 他に私のような境遇の者はいなかったらしい。仲間とは散り散りになった、否、安否すらも知れない。
 死ぬところが想像できない者達ばかりと言えど、現実として死は隣り合わせだ。
 戦火は消えようとしているとは言え、まだ危険に溢れている――しかしだからこそ、私は、
あの方のもとへと向かわねばならない。…仲間達は不義理と笑うだろうか…。


 ――ここは、私のことも、異端者ラムザのことも知らない、静かな村だった。
 そして、私の身なりと剣を見ても、何も、名すらも聞かないでいてくれた、優しい場所だった。
 だからこそ私はすぐに発つことを選んだ。礼として一週ほどチョコボの世話をして、全く足りぬであろうにも
関わらず、笑顔で送り出してくれた老夫婦に、暖かな場所に、胸を疼痛に苛まれながら。
 聞けば息子殿は、どこかで騎士をやっていると聞いた。私によくしてくれたのも、もしかしたら――。
「情けない……」
 表情の緩みを自覚してか、私は独りごちて、笑みを消した。
 思わず顔に触れようとした指先が汚れていることに気付いて、手を引っ込める。
 秋の風が頬を通り過ぎていく。あまり肥沃な大地ではないだろうが、枯れ草や枯れ木の群れはきっと
季節だけのせいではないのだろう。しかし、貧しいながらも強く優しく生きる者たちに、
砕けかけた私の心も癒された。


 しかし、私の眼も、剣も衰えることは許さない。
「何者だ」
 岩陰に潜む影へ一喝。少しだけ声はかすれてしまっていたが、自らの体力は万全に程近い状態にある。
 剣を確かめて、明らかな殺気を放つ気配から意識を逸らさないよう努める。気配はひとり、仕留めるだけの
輝きを持つ剣身を鞘から解き放ちながら、動向を待った。
 一瞬だった。かなりの距離があったにも関わらず、獣のように躍り出た影は陽光の所為で影となり、
着地の音、粉塵に紛れた風切る音から斬撃と判断すると、音を受け止めるように私は剣を構える。
 剣同士の甲高い絶叫、火花の向こうに居たのは男だった。
「貴様……」
 言葉など通じていないようだった。元は穏やかであったであろう、比較的整った風貌と見て取れるが、
くすんだ栗色の髪は伸び、無精ひげに囲まれた唇は牙のような歯を露に引き締められている。
 骨格はそこそこに逞しく、今の一閃も間違いなく練られた剣技。
 そしてその目は獣性に満ち、私への殺意に満ちているようだった。
アグリアス……アグリアスオークスだな?」
 獣じみた男が口を開けば、そこから出たのは意外にも落ち着いた、明瞭な発音の音だった。
 しかし、明確な理性の証拠のそれには怒気が同居している。
「異端者ラムザと共に居たところを見ているぞ」
 私が目を見開いたと同時に、男の剣が更に力を増した。半身を逸らしそれを受け流し、
間髪入れぬ追撃を弾き、間合いを取る。そこで男の全容が知れた。
「いかにも。ルザリア聖近衛騎士団のアグリアスオークス
「俺は北天、いや、もうその名は意味をなすまいが、北天騎士団のエルムと言う。
 礼を失した剣は詫びよう。だが、その首は頂く。たとえ拒もうとも」
 そう、その男の纏うぼろきれとも見える外套の隙間から見える胸元のエンブレム、そして、
刃こぼれが目立つその剣にも、確かに北天騎士団の紋章が見て取れた。
 聞けば、ラーグ公の暗殺により総崩れとなった北天騎士団には、こういった賊と為るものも少なくはないだろう。
 だがしかし、このエルムと名乗った男は女を、騎士を、弱者を殺そうとする者ではなかった。
 確固とした意思で、私を憎んでいるのだ。


「私は貴殿を存じない、だが、我が盟友の名を連ねたということは、ラムザを…」
「異端者ラムザは、アルマ=ベオルブ共々にオーボンヌ修道院で亡骸が発見された」
 その言葉に、私の時が制止した。
 死んだ?ラムザと、アルマが?
「異端審問官か居合わせた神殿騎士が相討ったのかは知らないが、南天騎士団の調査の後、
 団長のディリータの奴から正式にお触れが出たよ、これであの野郎はまたお株を上げたな…
 いや、今はどうでもいい。ラムザが死んだのなら、お仲間の貴女の首を頂きたい」
 今の私には明確な隙が出来ていただろう。だがエルムはそこを討たなかった。
 この男は、確固とした騎士の誇りが残っている。獣性に任せた一撃は、私への怒りの重みを物語っている。
 心臓が早鐘のように打つ、今にも崩折れてしまいたい。だが、私をつなぎとめるのは胸中の主君の笑顔。
それがある限り、私は剣を握る手を緩めることをせず、エルムを真っ直ぐに睥睨した。
「恨みか」
「ああ」
 賞金目当てか、忠誠と信仰か、それらすべてはラムザの死により異端者認定が解除されれば動機にはならない。
たとえ卑怯であっても、ラムザの名しか知られていなければ、ただ一仲間である私を狙う理由はない。
「同じ騎士、で、あった。貴様には告げておこう。本当は、ラムザに対して言ってやりたかった言葉だが」
 私は身構えた。その男の剣は、侮れない。
 手の痺れはようやく抜けたが、強い意志は剣に繋がる。我等が、ラムザがそうであったように、
この男もまた、強い心とともに私に剣を向けているのだ。
「戦火の中、殺された妻の仇だ。 ――覚悟ッ!」
 誰、と問うまでもない。殺した人間の数と顔と名を全て記憶することなど出来ない。
憎しみの連鎖に囚われた剣を重圧から解き放ち、打ち下ろしの斬撃を受け止めた。


「戦争が終われば共に故郷へ帰ると、そう約束していた」
 物語を読み解くように、私の剣を押し返しながらエルムは紡ぐ。
「騎士でも戦士でもない妻が危険にさらされるような、そんな戦争を終わらせる」
 瀑布のようなうち下ろしを横へ避け、私は突きを放った。顔を逸らし寸でのところで避けるエルム。
「ラーグ公を信じ、俺は戦った。だが……」
 苦悶に似た表情。だが、隙をついた斬撃は今まで以上の冴えを見せた。肩に灼熱が走り、
頬に鮮血の飛沫が弾ける。心臓を狙った反撃の刺突を避けられず、私は痛みに僅かに顔を歪めた。
 しかし手から力が抜けるほどではない。近づいた体を身体のひねりとともに胸へ肘を放つ。
鈍い衝撃が肘に伝わる。エンブレム越しにだが、十分だ。僅かな動きとともによろめいたエルムに、
私は構え直す。しかしほぼ同時に、咳き込みながらもエルムの構えから隙が消えている。
「俺はすべて失った。ただ、この胸を灼く憎しみを、そして妻の恨みを鎮めんがため。
 帰郷の折だが、貴女に出会えたのは僥倖。この血を以って、憎しみを埋めよう」
 凄絶な表情だった。
 だがしかし、もう肩を並べることなど出来ようはずもない、例え目の前に失った者が居たとて、
私が諦め、奪われることを認可することは出来ない。私もまた脆弱な人間に過ぎないのだ。
 そこで、私は胸中のひっかかりに気付いた。
 彼は何と言ったのだ?"帰郷の折に"と?
「待て、エルム殿ッ!」
「俺は、あのディリータの奴のようにはなれないッ!身分を押しのけて騎士になったかと思えば、
 俺の手の中には何も残らなかったッ! ならば、ならばせめてッ!」
 必殺の斬撃。今までにない踏み込みは、私の反応速度の限界に近い速さだった。
 胸の中に、記憶が疾った。それは一瞬の出来事だが、だからこそ私は動けた。
 動いてしまったのだ。


 荒野に静寂。そして、むせ返る血の匂いが訪れた。
 エルムの斬撃は上段で構えられたまま時間が止まったように制止している。その切っ先に触れそうな
位置にもうひとつの剣の切っ先があった。エルムの背中から刃が生えている。
 私の剣がエルムの心臓を貫いたのだ。
「…………」
 私には、エルムの顔を見ることが出来なかった。砕けかけた心を癒してくれた者たちの愛する子を、
私はその手にかけてしまったのだ。
 仕方がない、知らなかった、が、いいわけとして成立しても、死と略奪の事実は決して消えはしないのだ。
 多くの仲間の死も。
 多くの敵の死も。
「何故だ……?」
 かすれた吐息とともに、エルムの声が響いた。私は思わず顔をあげ、息を呑んだ。
 瞳からは獣性が消えうせ、優しい色を悲しみの輝きで満たしている。
その目からは涙が次々と頬を伝い流れて行き、血を吐き出した唇は震えながらも、怨恨を告げていく。
「ラーグ、公に、お仕えした、俺が、どうして、貴女に…?
 妻は、何もして、いない、のに。 なぜ、異端者に、組した、賊、風情に」
 もう言わないでくれ、と心が軋む。しかし、既にこの世を見ていないエルムの瞳は、
今までの全ての死者の言葉を代弁するように、私を見下ろしていた。
「俺、も、生きて、愛する人を、仕えるべき者を、守りた、かった…
 貴女の、ように、薄汚れても、まだ、主君が居れば…俺は、何を、信じれば、よかっ…」
 エルムの剣が、そのまま背へと落ちた。
 私は一度も瞬きすることが出来なかった。肩の痛みももう忘れていた。倒れ伏したエルムの亡骸に、
何処かに潜んでいた鴉の群れがたかっていくのを、呆然と見ているしかなかった。
 ともに大事な人を失った悲しみを抱え、ともに主君を護りたいと願う心を持っていた。
 なのに――。

479 :夢の痕:2007/06/28(木) 09:18:04 id:c6I60tVW0
 地図と風向きを頼りに荒野を歩いて、七日になる。
 遠くに村が見えた。確かに一週も歩けば見えてくるという言葉は正しかったようだ。
 肩の傷は、ケアルで癒したが、今もまだそこにあるように痛みを訴えてくる。それはエルムの、
死に際の静かな叫びが残響するかのようなものだった。


 だが私はまだ死ねない。私の仕えるべき主君はまだ生きていらっしゃるのだ。
 信じるものがまだそこにあるかぎり、私の信じるべき誇りはその存在を維持出来る。
 アグリアスオークスとして、生きることが出来る。
 賑やかな人通りの中、私は空を見上げた。真白な、冬を控えた秋空だった。


 共に笑いあった仲間に、どうしようもなく会いたいと思った。
 皆、きっと生きている。ラムザとアルマもきっと、どこかで。
 それは人の夢のように頼りないものであっても、確信に届かぬ妄執であったとしても。
 どうしようもない寂しさを抱えながらも、記憶の中の笑顔とともに折れそうになる膝を支え、
私は人ごみに紛れていった。