氏作。Part26スレより。



巨蟹の月は謀で始まる


「アグ姐、今日は御者当番だろ。手綱頼むよ。よろぴく」
「……ああ」
 ムスタディオの軽い口調にもすっかり慣らされてしまったなと思いながら、
アグリアスは宿を出立するチョコボ車の御者台に座った。
 ラムザ隊も人数が増え、ひとり一頭のチョコボに乗って移動すれば良い
というわけにもいかなくなって来た。そこで、チョコボ車を買い、その日の
アタックチーム以外の人間はまとめて移動するようになったのである。
 正直なところ、御者は得意ではない。チョコボに騎乗しているのであれば、
走らせる早さも方向転換も手綱と自分の脚で指示できる。特に、騎士の家に
育ったアグリアスは、子供の頃からチョコボ乗りの訓練を受けており、手綱無しに
チョコボを操る事にも長けているのである。チョコボに乗りながら戦場で戦うには
手綱に気持ちを奪われていては邪魔になるからだ。
 ところが、チョコボ車では手綱しか使えない。鞭を使うこともできるが、それは
よほどの時に取っておきたいし、脚で指示できないことには変わりないのだ。自分の
意思をチョコボにうまく伝えようと、御者役になった時のアグリアスはいつも以上に
神経質になるのが常だった。隣に座る人間の世間話につきあえる余裕のないほどに。


「よっしゃ、アグ姐は精神集中モードに入ったぜー」
 チョコボ車の中には、ムスタディオを中心に車座が出来ていた。アリシア、ラッド、
ラヴィアンというラムザ隊の中でも古参組が揃っている。しかも、御者の補佐は
ラムザが務めていた。故に、今日のアタックチームは、ラファ兄妹を中心に
かなり個性的な面々で構成されていたが、そこに隠された意図について、アグリアス
気づかないでいてくれたようだった。
「ゆうべの準備は完璧だったよな?」
「もちろんよ。何も気づかれてないわよー。隊長、っと、アグリアス様の気をそらす
事にかけては、私たちは完璧よ」
ねーと言いあいながら、アリシアとラヴィアンが浮かべた笑顔に、ラッドの背筋を走り
抜けた悪寒については、ここでは何も語るまい。
「じゃ、とっととやろう。急いだ方が良いことに変わりないだろ」
ラッドの言葉に頷いた面々は、事前に割り振りを決めてあった仕事にとりかかった。
音を出さぬように、細心の注意を払いつつ。



 さて、一方こちらは御者台である。アリシアたちから、なるべくアグリアスが車内の
企みに気づかないようにいろいろ話しかけて欲しいと頼まれているラムザは、少々困っていた。
 御者をしている時のアグリアスに何を話しかけても上の空の返事しか返って来ない事は、
隊の誰もが知っている。といって、アグリアスが周囲の状況を把握していないわけではないのだ。
チョコボと、道の様子を見ることに神経を使い、要するにいっぱいいっぱいになっている
だけだから、何かの拍子にその注意が車内に向かないとは言い切れない。
 すでに馬車に乗り込んでからかなりの時間が経っており、無言でいる限界を感じ始めて
いたのだが……。
「今日は良い天気ですね」 「そうだな」
「昨日も良い天気でしたね」 「そうだな」
「明日はどうでしょう」  「さあ」
……。ラムザは内心、自分の話術の未熟さにがっかりしていた。天気の話など、初対面の
他人と交わす第一話題ではないか。長い旅を共にしてきた女性に対して、自分は何も話す
ことが無いというのか。夕べ一読した話術士入門の効果もないらしい。
 しばし考えたのち、ラムザは少々危険な話題を口にすることにしてみた。
「ところでアグリアスさん、明日のアタックチームなのですが。出られますか」
「そうだ……なんだって?」
 さすがは、隊の副長である。戦術的なことには耳を貸してくれるらしいと思いつつ、
ラムザは話し続けた。
「明日のアタックチームに出るのはどうですか、と」
スタスタと進むボコの様子を見ながら、アグリアスは思案顔になった。
「今日は少々奇抜なチーム編成だったな、そういえば。何か思惑があってのことだろう?」
関心を持ってくれたのは良いが、どうやら怪しい雲行きのようだと思いながら、ラムザは頷いた。
「ええ、まあ。新しく仲間になった方の連携を見ようと思いまして」
 チョコボ車の車内では、自分の担当分の仕事を終えたラヴィアンが、御者台の様子に
聞き耳をたてていた。
ラムザ隊長、がんばれ」
小さな声で応援を送る。話の流れにはひやひやさせられるが、なんとかアグリアス
車内を覗き込むような事態にはならずに済んでいるらしい。
 アグリアスと長話をする役は、本来アリシアやラヴィアンの方が適役なのだが、
ふたりで共謀して、ラムザにその役を押し付けたのである。その方が楽しそうだという、
ただそれだけの、しかし、絶対にアグリアスにばれてはならない理由をもって。
「アグ姐たちは、どんな具合よ?」
 小声で尋ねて来たムスタディオに、ラヴィアンは右手で小さな丸を作ってみせた。
ほうほうと言いながら、ムスタディオは最後の仕上げに戻ってゆく。あと少し時間が
もらえれば、完成するのだ。
ラムザ隊長、いろいろがんばれ」
ラヴィアンはもう一度小さな声で応援し、手間取っているアリシアを手伝うために
後方へと移動していった。
「ふうむ。確かに、新しい仲間同士の連携を考えるには、机上よりも実戦が何よりだろう。
しかし、ラムザ、隊長たるお前自身がその戦いぶりを確認しなくて良いのか。何なら
今からでもアタックチームに合流して、車に居る誰かとそこを交代してもらえば良いの
ではないか? ラヴィアンもアリシアも」
「あっ、アグリアスさん、前! 森がっ」
「な?」
 ラムザとの会話に夢中になりかけたアグリアスは、もう少しでチョコボ車を森の中へと
突き進ませるところだったのだ。慌てて手綱で指示を出すと、ボコが「クエ」と一声鳴いて
再び街道へと戻る。まるで「ちょっといたずらしてやろうと思ったのになー」と言っている
かのようなのんきな声に、アグリアスラムザも、顔を見合わせて笑ってしまった。
 そもそも野生の状態でラムザ隊に捕まったボコは、チョコボ車を引くようになってからも
森を歩きたがる癖があって、森のそばを行く時には注意しなくてはならないのを、
アグリアスはすっかり失念していたのである。
 今は何よりも御者役に専念しなくてはならないと気を引き締め直したアグリアスは、
ラムザチョコボ車の中を振り向いて、中の人間の無事を確かめたことを確認すると、
もう一度しっかりと手綱を握り直し、まっすぐに前を向いた。
「すまない。何の話だっただろうか」
「話はやめましょう。ボコの気持ちも落ち着いていないようですから」
「うむ……。すまない」
心無しか、横顔が沈んでいる。アグリアスは感情が顔に出やすい方ではないと自己分析
しているらしいが、ラムザから見ると、かなり表情を読みやすい人間だと思う。
今も、先ほどの失敗をかなり反省しているらしいのが見て取れる。
 こうでなければ、この人は美しすぎて敬遠され、部下たちにも慕われぬままになって
いただろうなとラムザは思いながら、どこでひと休みするように提案しようかと考え
始めていた。ボコのいたずら心のおかげで、ちょうど良く話題も逸れたし、中の様子も
確認できたのだから、ラムザとしては分担された仕事を完璧にこなせた事になる。
 覗き見た車内の様子を思うと、自然に笑みがこぼれそうになる自分を抑えながら、
ラムザは適当な空き地を探し始めていた。
「そろそろ昼食にしましょう。ラファ、食事にすると伝えてくれ」
「はーい」
チョコボ車の前をガードしながら歩いていたアタックチームの最後尾、ラファに
声をかけたラムザは、同時に車の中にも声をかけた。
「ムスタ、昼食の準備にかかってくれよ」
「了解!」
 にやっと笑ったムスタディオの視線は、ボコを安全に、確実に停める為に緊張している
アグリアスの後ろ姿を確認していた。途中で急激に方向転換された時には焦ったが、
なんとかなったのだから、結果オーライなのだ。
 車内の仲間たちの様子を確認する。全員、笑いを隠しきれない様子なのが、おかしい。
何しろ、先ほどから互いの顔を見ては声を上げて笑いたくてたまらないのだ。
「んじゃ行こうぜ」
 アグリアスがボコを制止するのと同時に、ラヴィアンとアリシアチョコボ車の後ろ
から飛び出して、アグリアスの前へと走り込んだ。
アグリアス様! お誕生日おめでとうございまーす!」
「おめでとうございまーす!」
 ふたりの両手には、抱えきれぬほどの花が揺れている。昨日のうちに摘んだ野の花を
車に用意しておいたのだ。さらに、ふたりは、動物の顔を象ったお面を身につけていた。
「うあっ、いや、えっ、そんなっ、なんだっ」
 自分でも何を言っているのかわからないらしいアグリアスの様子に、ラヴィアンと
アリシアは笑い、そして、同じようにお面をつけたムスタディオは、両手に掲げた青い布を
差し出した。
「お誕生日おめでとう、アグ姐。皆からの気持ちだから、ちゃんと受け取ってくれよ?」
「ええっ」
「もちろんお手伝いしますからー。今日は仮装パーティですよ!」
「着替える部屋もあるんですよ。ほらほら」
 御者台のアグリアスの両手をふたりで引っ張って無理矢理降ろすと、ラヴィアンとアリ
シアはチョコボ車の後ろへと走った。
「ちょっと待ってく……うわあ?」
チョコボ車の後ろには、ラッドとラムザが協力して降ろした簡易更衣室が待っていた。
「強制的に着替えていただかないと、きっとアグリアス様はそれを着てくださらないだろう
と思って、皆で頑張りました!」
「ここまでしなくとも、いつも皆が着替える時のようにしてくれれば……」
 そう、通常の場合ならば、チョコボ車の中で男女別に時間を区切って着替えるのである。
「いーえ、駄目です! 鏡付きなんですよ、これ!」
 アグリアスがおそるおそる覗き込んでみると、骨組みを木で作り、壁に当たる部分に
布を張られた小さな部屋には、全身が写りそうな大きな鏡が鎮座していた。確かにこの
鏡は、チョコボ車の中に設置するのは無理だろう。横に倒して使う他ないだろうから。
「こんな……鏡はさぞかし高かっただろう」
 鏡の表面をそっと撫でる。これほど大きな鏡は、実家に居た頃以来、使った覚えがない。
もちろんオヴェリア様のお支度部屋には欠かせぬ物であったけれど、自分が使うなどは
とんでもないことだったのだ。それを、私のために、皆が。
 喜んで良いのか、嬉しいのか、何もかもよくわからなくなってしまってラムザの顔を
見たアグリアスは、その目の中に「喜んで欲しい」という気持ちを見た気がした。まあ、
仮面の下なので、よくわからなかったというのが本当のところなのだが。
「お誕生日おめでとうございます、アグリアスさん。まずは、着替えてみてください」
「おめでとう、アグリアス。苦労したんだから、ちゃんと使ってくれよ」
「そうですよ。さあさあ、入って入って! お手伝いしますから!」
やけに嬉しそうなラヴィアンがアグリアスを更衣室へと連れ込む。ラッドとラムザ
追い立てたアリシアは、ふたりが入ったあとを入念に点検し、どこからも覗けないことを
確認して、仲間たちの元へと駆けていった。


 ラヴィアンとアグリアスの様子を気にしつつも、仲間たちは昼食会場を作り上げていた。
とはいえ、異端者として追われる身であるし、派手なことはできない。簡易更衣室は
女性たちからの強い要望もあってこれからも使えるような物を作ったが、あの鏡自体は、
次の町で売却する手はずになっている。そもそも酒場のもうけ話で出かけた先であの鏡を
発掘したとき、そのまま依頼主に売りつけた方が、隊へ入るお金は多かったはずなのだ。
 けれど、ラヴィアンとアリシアは、それを使ってアグリアスをドレスアップしたい、
という欲求をおさえきれなかったのである。たまたまふたりで出たもうけ話だったので、
ふたりが意気投合さえすれば、誰も文句は言わなかったし。そして、手に入れた鏡を
この日までこっそりとチョコボ車に隠しておくことも、また、こっそりと贈り物を
用意しておいたのも、ふたりの発案に皆が従った結果なのだった。
 さて、男性陣も(伯までも)アリシアの強力な指示の元に手伝わされ、準備された
昼食会の会場は、明るく、楽しげな飾り付けを施されていた。
 いつも使っている敷布の上に花を撒き、いつもの匙に花を結べば、それだけで特別な
装いになる。メニューはいつも通りの簡素なスープが中心だが、最後にはデザートが
準備されていた。スープの準備も、デザートの準備も、チョコボ車の中でかなり済んで
おり、後は火をおこして温めるだけになっていたのだ。火は、ラファの協力であっという
間に準備されていたから、あとは主役さえ登場してくれれば良い、という具合である。
 もちろん、皆はそれぞれに仮面を身につけて、アグリアスを待っていた。
「ラヴィアーン、こっちの準備は完璧よー」
アリシアの呼びかけに、ラヴィアンは了解したと大きな声で返して、アグリアスを振り向いた。



アグリアス様、行きますよ」
 ラヴィアンにうながされて、アグリアスは更衣室の外へと踏み出した。仮装パーティだから
他の皆は仮面を身につけるが、ドレスを着た以上、アグリアスの顔はそのままで良いのだと
よくわからない理由を納得させられたアグリアスの胸には、昨年の誕生日にアリシアたちが
贈ったペンダントが光っている。
「やっぱり素敵だったわね。レーゼさんのお見立てなんですよ、そのドレス」
 アグリアスの為にレーゼが選んだのは、ブルーのシンプルなドレスだった。しかし、シン
プルなだけでなく、流れるラインが美しく、アグリアスのすらりとした体型に似合っている。
さらに、ラヴィアンが編み直した金の髪は、ゆるやかに背中に落ちて貴婦人の風情に花を
添えていた。
「綺麗です、アグリアスさん」
 うっとりとして見ほれる女性陣。男性陣も、もちろん心おきなく見ほれたかったのだが、
他の女性陣の手前、態度に出ぬように注意しなくてはならなかった。この時の為に仮装
パーティに賛成したわけではなかったが、多くの男性が仮面に感謝していた。特に、背後に
ブレスの気配を感じた御仁は、細心の注意を払って表情までも作っていたが。なにしろ
仮面の下までも見通す眼力こそが、レーゼの人知れぬ力の一部なのである。
「このような贈り物を、用意してくれているとは、その、すまない。ありがとう、皆」
 胸の中には、切迫した旅路の途中であることや、余裕のあまりない経済状況についての
不安があったが。それを口に出さぬのが大人というものだと、アグリアスは思っていた。
自分が見せ物になっているようで落ち着かないが、天気は良いし、皆が穏やかに嬉しそうに
笑っていてくれるのだから、こういう日があっても良いではないか。
 アグリアスの笑顔に、仲間たちも笑顔で応える。そして、互いに「何故その仮面を選んだ
のか」を賑やかに語りあいながら、楽しく昼食を取ったのだった。


 巨蟹の月初日。こうして、アグリアスはまたひとつ年を重ねた。



PS.ちなみに、ほんの十日ほどしか誕生日の違わぬマラークのお祝いは、この日の
デザートがちょっとだけ豪華版だった、という事で済まされている。


                           〜Fine〜