氏作。Part23〜スレより。







「急げ! 急がぬか!」
主人の狼狽した叱責を浴びながら、使用人は二頭のチョコボを必死に走らせる。
しかしながら、鞭を打たれること既に小半時に達しようとする今、豪奢な鳥車を引くチョコボは最早限界に近かった。
秋も深まって間も無く、夜の林道は冬の到来を思わせる肌寒さである。
そんな季節に見合わぬ大量の汗をチョコボに掻かせながら、それでも使用人は走らせざるを得なかった。
それは土煙を上げながら鳥車の後方に迫り来る、林道一杯の山賊の一党が故である。
武器を掲げ、奇声・雄叫びを上げながら、チョコボで追走する悪党どもは、さながら獲物を追うのを楽しむ野獣の如く、いずれ劣らぬ下種な顔立ちに下卑た笑いを浮かべながら、
「どうしたどうしたー!」
「そんなんじゃ逃げられねーぞ!!」
などと囃し立てては笑い合うのである。
「何をしているのだ! 追いつかれてしまうではないか! 殺されてしまうぞ!」
車中の商人は狼狽を隠そうともせず喚き散らし、それが共に乗車している妻と娘に益々の恐怖を植え付ける。母娘は泣き叫ぶ父親を尻目に互いに抱き合い打ち震えるのであった。
商人は交易と観光を兼ね、恋女房の妻と十五になる娘を連れて貿易都市ウォージリスに出掛けようとしていた。
しかし天候の都合で時間が掛かり、夜通し急ぐ途上、最近跋扈し始めた山賊団に目を付けられてしまったのである。
頭目!」
鳥車を追いかける山賊達の一人が、先頭を走る巨漢の頭領らしき男に呼びかけ、嘴を並べた。
その手にはボウガンが握られている。
「・・・そろそろ兎狩りにも飽きてきたな」
頭領がそう言うと山賊達はおぉー! と歓声を上げる。
ボウガンを携えた男はニヤッと笑うと、腹を蹴ってチョコボを奔らせた。
男が操るチョコボは見る間のうちに鳥車に追いつき、右後方三間の位置で速度を合わせる。そして男が合図に左手を挙げると、山賊達は速度を緩め始めた。
「なんだ・・・?」
外から響いていた、チョコボが地を蹴る凄まじい音が遠のき始めたのを感じた商人は、鳥車の窓から外を覗く。
その姿を見たボウガンの男は空きっ歯を見せながら、大仰にボウガンを構える。
商人の顔はさっと青くなり、鳥車の中で何事か喚いているが、男はそれに構わずにゆっくりと狙いを定め、引き金を絞った。
ヒュッ、と風切音を上げて中空を翔けた矢は、鳥車を引く右のチョコボの脳天に見事突き刺さる。チョコボはもう一頭にもたれ掛かる様に崩れ落ち、仲間の死に動転した残りの一頭はクエー! と、鳴きながら激しく羽をバタつかせてその亡骸を受け止めた。そのため鳥車はその勢いのまま横転し、もう一頭のチョコボをも下敷きにしながら見る間のうちにその原型を無くしていく。
ボウガンを放った男は手綱を引き、チョコボを飛び跳ねさせて、鳥車の残骸をかわして足を止めさせた。
鳥車はようやくで原型を留め、逆さまになって完全に停止した頃、先ほど速度を落とした山賊の一団が姿を現した。
「思ったよりイッちまったな。荷のほうは大丈夫か?」
鳥上で頭領がそう言うと、3人ほどがチョコボを降りて鳥車に駆け寄る。そうして二人掛で開きづらくなったドアをこじ開けると、血塗れの商人が崩れ落ちてきた。
「た・・・・・・た・・・すけ・・・」
辛うじてそう言った商人の胸に一人が躊躇なく剣を突き立て、遺体を引きずり出した。
そしてドアをこじ開けた二人に中に入るよう首で命じる。
鳥車の中は酷いもので、硬い木箱の荷が荷台の壁を突き破って車内に雪崩込み、荷で埋まってしまっている。
木箱の一つを開けて見ると、中に入っていたのはシルクなどの布生地であった。商人に止めを刺した男は後ろからそれを確認し、頭領に向かって、
「荷は大丈夫みてぇです! どうもこいつは生地屋だったらしいです!」
と叫んだ。頭領は頷いて、
「面白味はねぇが見入りは多いな。よし、野郎ども!荷を運べぇ!」
そう命じた。
山賊達は流れ作業で荷を運び、チョコボの背に積んでいく。総勢二〇名からなるこの一党をして苦労させるほど荷は多く、それだけ見入りも期待できる。
山賊達は笑いあいながら作業を行った。
そんな中で鳥車の中から荷を出す係の一人が荷を抱えると、荷の下敷きになっていた夫人の遺体が現れた。若くはないが上品な顔立ちであり、それ故男は
「もったいねえな・・・」
と、呟いて作業に戻ろうとした。
すると夫人の遺体が僅かに動き、遺体の周りにあった荷の一つが大きな音を立てて落下した。
ぎょっ、と振り返ると夫人の遺体の下から娘が現れたのである。鳥車が横転した時、夫人が彼女を抱きかかえていたおかげで、彼女は軽症で済んでいたのだ。
だが果たしてそれは彼女にとって幸運であっただろうか。
彼女は横転が止まった後自分が助かったのを知った。また母親に抱きかかえられているのを感じて安堵もした。
だが彼女が母親に呼びかけても返事はなく、何度繰り返しても応答が無い。
そして悟ったのだ。母親が死んでいることを。今や彼女は茫然自失とし、表情も変えられずにただ涙を零すのみであった。
一方の商人の娘を見つけた男は娘の心情など問題ではない。男は好色な表情を隠しもせず笑い、持っていた荷物を放り出した。
一瞬、娘を隠しておいて自分の物にしたいという考えが頭をよぎったが、荷を全て持ち出してしまえば隠し場所がない。
やむなく男は娘の手を掴んで引っ張り出し叫んだ。
「一人生きていた!娘が生きていたぞー!」
娘は男のなすがままに連れて行かれた。


酒を飲みながら部下の様子を鳥上で見守っていた頭領は、娘を発見したという声を聞き水筒を放り投げ捨てて飛び降りた。作業をしていた連中もその報を受けてわらわらと馬車のそばに集まっていく。
鳥車から出てきた娘はさながら夢遊病者のようであったが、地面に転がる父親の遺体を見つけるとショックで感情が戻ったらしく、
「いや・・・いやぁあああああ!!」
と泣き叫んだ。
山賊達は娘の絶叫を聞いて耳障りな笑い声を斉唱した。
「はなして!はなしてぇ!!」
彼女は自分を掴む手を撥ね退けようと必死に暴れたが、悲しいかな所詮は小娘の力、屈強な山賊に敵うべくもない。
頭領は必死に逃れんとする娘の前に近づく。
自身の倍はあるのではとも思われるその巨躯に娘は気圧され、その顔が恐怖で一杯になる。頭領はその大きな手で娘の顎を掴み、じっくりとその顔を観る。
恐怖に歪んでしまっているが中々に美貌の陰があり、あと数年で驚くほど美人になるだろう、頭領はそう見て取った。
頭領は酒臭い口端を吊り上げ下卑た笑みを見せると、
「安心しな、殺しはしねえ」
そう言う。
娘は顎をつかまれたまま涙を零し、身体をガタガタと打ち震わせながら頭領の言葉を聞いている。
「その代わり今日からたっぷりと可愛がってやらあ!」
頭領の鬼畜な発言に山賊達は各々手に持ったものを挙げて歓声を上げた。
山賊達の歓声の中、娘はもはや絶望の淵に立っていた。
「残念だが、それは無理だな」
突如、林道に響き渡った凛とした声に、その場の全員がギョッとして声の方向を向いた。
観る者を射抜くかのような強い意志を宿した切れ長の瞳、美しく伸びた金髪に青く染められた装束とその上に装着した白銀の甲冑。
整った美しい顔立ちは、しかし今や静かな怒りに満ち、総身に漂う誇りに満ちた気高い風格が、目の前の者どもを許さぬと雄弁に語っている。
持ち主を模るかの如く、美しく存在感を放つ騎士剣を腰に下げ、胸の前で腕を組んで仁王立ちに山賊達に相対するこの女騎士は、さながら審判の施行者である。
少なくとも娘には彼女の姿はそう映ったのだった。
「何だ!貴様!」
頭領は女騎士に向き直って誰何する。
女騎士は表情を変えずに応える。
「貴様等を誅殺する者だ」
その声音に一同は戦慄した。
脅しではなく、歴然たる事実であると言わんばかりの、宣告にも似た言様であった。
「ふざけやがって・・・」
頭領はそう応えた。
しかし辛うじて動揺を見せずに済んだものの、この場にいる誰もが分かっていたのだ。たった一人の女に二〇人からなる山賊団が圧倒されている事を。
「舐めるな!このアマぁ!」
真っ先に行動を起こしたのは一党の内で最も気が短いと言われる男だ。
男は剣の柄を腹に押し当てるようにして構え、切っ先を前に突き出し、咆哮しながら体当たりの如く女騎士に突進して行った。
女騎士は腕を解くとやや膝を曲げて爪先で立ち、若干腰を落として重心を低くする。そして男の女騎士の間があと二歩というところまで接近した当にその瞬間であった。
白芒一線。
女騎士の払い抜けの一刀は男の頸根を過たず両断し、文字通り首皮一枚残して斬り倒した。その技の冴えは、山賊達の目には抜刀すら視認出来ないほどであった。
払い抜けの残身の姿勢を解いた女騎士は、彼女の技を見て固まってしまった山賊達を一瞥し、剣をヒュッと払って血振いする。
直後。
「ぎゃああああああああ!!」
突如として大地を引き裂かんばかりの勢いの衝撃波が走り、その射線上にいた山賊達が吹き飛ぶ。
「ぐわぁあああああああ!!」
ハッ、としてそちらを向けば轟音と共に地面を割って出た水が、固まっていた山賊達を包んで巨大な氷柱となる。
「クエェエエエ!!」
恐怖に怯えチョコボに乗って逃げようとすれば、走り出したところで銃声が鳴ってチョコボの足が撃ち抜かれ転倒する。
「うわぁあああああああ!!」
相次ぐ異変に混乱する山賊達を、今度は木立から飛び出した二つの影が一人ずつ斬り伏せていく。
二〇人の規模を誇った山賊団は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図を描きながら、一人、また一人と倒れていった。
三人の部下に守られながら、頭領は周囲の惨状を呆然としながら見渡し、その目を一点に止めた。
「貴様の仕業か・・・・・・!」
巨躯に怒りを満たし、肩を震わせながら頭領は地獄の怨嗟の如き声を上げる。
「言った筈だ。誅殺する、とな」
女騎士は相変わらず表情も変えない。そして無造作に頭領に近づいていった。頭領を守っていた三人が、彼女が接近してくる恐怖耐え切れずに切り込んでいく。
「大気満たす力震え、我が腕をして閃光とならん・・・」
女騎士は詠唱しながら緩慢ともいえる動作で左足を引き、剣を引いて地面と平行に構え、
「無双!」
騎士剣が闘気を帯びて光り輝く!
「稲妻突き!!」
裂帛の咆哮と共に突き出された切っ先は電撃の刃を発し、突進してきた三人を一瞬にして貫いた。
三人を屠ってから女騎士がふぅと息を吐いた瞬間、
「きゃぁあああああ!!」
山賊に捕らえられていた娘が叫んだ。
ハッとして顔を上げると山賊が娘を脇に抱え、忠節にも逃げずにいた己のチョコボに跨っていた。
「貴様!!」
女騎士は剣を構えて斬り込もうとしたが、娘の首に突き付けられたナイフを見て踏み止まった。
否、踏み止まったのはそれだけが理由ではない。
男の目に明らかな狂気を看て取ったからだ。
頭領は彼女が向かって来ないのを悟ってチョコボの腹を蹴り、仲間を見捨てて逃げ出した。
「くそったれ!」
木立の中から狙撃をしていた青年が飛び出して来て、逃げていくチョコボに狙いを付ける。
「よせムスタディオ!」
女騎士は素早く銃身を掴んで狙いを逸らす、と同時に轟音を上げて銃弾が飛び出した。
「娘は奴に抱えられている。当たれば落ちてしまう」
「くそっ!どうする!?」
スタディオと呼ばれた青年は地団太を踏む。
「隊長!」
その声に振り向くと、チョコボに跨った女剣士がもう一匹、チョコボを引き連れて駆けて来る。
「乗ってください!私は先に!」
「助かるぞラヴィアン!」
ラヴィアンと呼ばれた女剣士は手綱を離してもう一匹を離すと、頭領を追っていった。
「ムスタディオ、後は任せる!」
女騎士はムスタディオにそう言うと剣を鞘に収め、突進してくるチョコボの正面に立ってギリギリの所で跳躍し、首に左腕を回してチョコボの勢いを利用して華麗に跨ると、腹を蹴って走り出した。
スタディオはヒュウ、と口笛を一つ吹き、
「様になってるねぇ」
と軽口を叩きながら、彼女の命令に従った。
「ギル!ロゼ!アリシア!残党を片付けるぞ!」



悪夢だ。頭領はチョコボを攻め立てながらそう思った。
いつも通りの稼ぎ、いや見入りも多く、女まで手に入ったのであるから寧ろ吉日のはずだった。
それがどうだ、一瞬にして十九人の部下を失い同数のチョコボも失い、見入りも失って残ったのはこの身と女一人。
悪夢と言わずして何と言おうか。
だがしかし、彼の心は失望よりも寧ろ怒りで煮えくり返っていた。
あの女だ。
あの女が全ての原因だ。
彼には実際には何人の敵が居たのかを知る由もなかったが、そんなことは些細なことだ。指揮を執り、自分達を殲滅させるのを成功に導いたのは間違いなくあの女なのだから。あの顔を思い出すだけで手綱を握る手が白くなる。
(犯してやる!)
頭領は左手に抱えた商人の娘を見た。
娘は紙のように白くなり、目を閉じて手を合わせ、何事かを、おそらくお祈りだろう、唱えている。
「犯してやる!はッ!犯してやるぞ!泣こうが喚こうが犯してやる!何度も、何度でもだ!」
狂ったような叫びに、娘はそれを聞かないように一層強く唱え始める。
いや、彼は最早正気を失っている。攫って来た娘を陵辱することがあの女騎士を陵辱する事と結び付けてしまっているのだ。
頭領は女騎士を陵辱する様を思い描き狂笑した。
チョコボは更に攻め立てられ、益々速度を上げていく。
と。
月明かりの下、一つの影が林道に伸びている。
頭領はその影に気付いたが、気にすることも無いと考えた。どうせ避けるだろうし、避けなければ跳ね飛ばせばいいだけだ。しかし跳ね飛ばすのを想像してみると存外爽快であった。
今夜は不愉快なことが多すぎた。
一人ぐらい殺しておかないと気が済まない、そう考えるとそれが当然のように思えてきた。今や男の顔は狂的な笑いが張り付いていたのだった。
影との差はぐんぐんと縮まりその本体が見え始めている。
頭領は手綱を咥えて右手で剣を抜く。
娘はひたすらに唱え続けている。
最早影はすぐそこに在る。
そこで異変が起こった。頭領と娘を乗せたチョコボが突如として嘶いて仰け反ったのだ。
右手に剣を握り、左腕で娘を抱え、手綱を咥えていただけの頭領は叫び声を上げて背中から落下した。
一方娘は、頭領が落下に驚いて手を離したことで、目を瞑りながらも自分が宙を舞い、頭から落ちていくのを感じた。それでも生きて陵辱されるよりは幾分かはマシかもしれないと、娘は目を閉じたまま死を待った。
しかし身体は地面に打ち付けられることなく、誰かに抱きかかえられたようであった。
「ご無事かな、お嬢さん?」
娘の耳に渋いが良く通る、優しげな声がした。



月明かりが幸いし、山賊の頭領が乗ったチョコボの足の跡によって女騎士とラヴィアンが道に迷うことは無かった。
「急ぐぞ、ラヴィアン!あの男、何をするか分からんぞ!」
後ろで結んだ美しく長い髪をなびかせ、女騎士はチョコボを走らせる。
乗鳥技術の差からだろう、先に向かったにも拘らずラヴィアンは女騎士の後方を走らせている。ラヴィアンは女騎士とは長い付き合いであるが、チョコボの早駆けなどは流石にやったことは無い。
だから女騎士と自分の腕前にこれほどまで差があることに内心舌を巻き、
(隊長には敵わないな)
と尊敬の念を新たにしていた。
「隊長!あれは!?」
疾駆する二人の前方に人影が現れた。しかし影は複数で、チョコボに乗った頭領のそれとは思われなかった。
ラヴィアンが言うまでも無く、女騎士もそれに気付いてはいたのだが、しかし一体どういうことなのかが理解できずにいたのだ。
「とにかく行って見るぞ!」
女騎士はそう声を掛けて影の方へと急行した。



落鳥したにも拘らず、恵まれた体格のお陰で、頭領はそれほどの痛手を負わずには済んだ。
尤も背中から落ちたせいで若干手足が痺れてはいたが。頭領は感覚の薄い腕を以ってなんとか上体を持ち上げ、その男を見た。
まず目立つのは藁か何かで出来た面積の広い帽子、編み笠と呼ばれる物で、顔が完全に隠れてはいるが、本人からは前方にいくつか空いた切れ目で見えるようである。
服装は戦闘着の上に黒皮のコートを纏っているだけで、胸当て一つも防具を身につけていない。腰には二本、長刀と脇差を差しており、今、男は左手を長刀の柄に置いて頭領を見下ろしていた。
「貴様、何しやがった!」
身体の痺れが未だ取れぬことを気取られぬよう、腹に力を入れて立ち上がり、精一杯凄んで見せた。
彼のチョコボは両の目を一文字に切られて視界を失いのた打ち回っている。
男の背に隠れていた娘は、頭領の怒気を受けてビクッと肩を竦ませたが、しかし相対している当の本人はといえば、風の如く手応えが無く、まるでそこに在るのが当然と言わんばかりに佇立している。
「悪いが、黙って殺されるほどお人よしではないのでな。先手を仕掛けさせて頂いたまでよ」
男の声音はやや笑いを含んでおり、それが頭領をまた苛立たせる。
「何を言いやがる!俺が貴様を殺そうとしたと言うのか!」
「はっはっは、あれだけ殺気を漲らせておいて今更殺す気は無かったと言うのか。面白い男だ」
哄笑する男に業を煮やした頭領は剣を拾い、巨漢を見せ付けんばかりの大上段に構える。
「死にてぇなら殺してやる!」
頭領が吠える様に言うも男は微動だにせず、未だ柄に手も掛けていない。編み笠の下では、恐らく不敵に笑っているだろう。
「さてさて、気の短い御仁だ。これまでにさぞ多くの敵を作って来たのであろうな。今もそれ」
男は顎をしゃくって頭領の後ろを示し、
「追っ手が二人迫って来ておるわ」
思わず振り返ると、男の言うとおり確かに追っ手らしき二人組みが遠くから迫って来ている。
歯を噛み締めて焦りを押し殺し、改めて男に対峙する。すると男はまるで動いては居ないのだが、先ほどまでその後ろにいた娘がいつの間にか十歩向こうで背を見せて走っていた。
「さて、貴公の時間もあと僅か、こちらの準備も整った。では、参るとするか」
男は一方的にそう宣言すると、柄に乗せていただけの左手で長刀の鞘を掴み、鋭い音を立てて鯉口を切った。
その音に合わせる様に、頭領は唸り声を上げながら巨躯を躍らせて男に切り込んだ。
いや、切り込まんとした。
しかしその剣は振り下ろされることすら無かった。
何故なら男が目にも止まらぬ速さで頭領の懐に踏み込み、真っ向唐竹割に、振り上げられた両腕ごと、脳天から肛門まで其の身を易々と二つに割ったのである。
と同時に男は回し蹴りに頭領の身を蹴飛ばし、横倒しにした。
屍からは巨躯に見合うだけの大量の血が噴出したが、男はそれ故に返り血一つ浴びては居ないのだ。
刀を払って血振いし、刀を納めた男は二〇歩の彼方に待たせた娘に、
「お嬢さん、始末は付いたようだ」
と呼びかけた。
そして娘がやって来るより先に、チョコボに乗った追っ手二人組みが男の前に現れた。


ようやく追いついた女騎士とラヴィアンは、目の前に横たわった凄まじい剣の冴えが為した所業に一寸驚いたが、すぐに取り直し、
「ラヴィアン、彼女を」
と女騎士がチョコボから降りながら命じると、ラヴィアンはこちらに向かってくる娘の元までチョコボを歩かせた。
「ご協力を感謝します」
男の傍まで歩み寄った女騎士はまずそう言った。
「この男は最近この辺りを蹂躙した山賊の頭領。私共はウォージリスの商人ギルドに依頼を受けてその殲滅に当たった者です」
そこまで話した時にラヴィアンが娘を後ろに乗せてやって来た。女騎士は娘に顔を向けると少し沈痛な色を浮かべて口を開く。
「貴方には申し訳ないことをした。我々がもう少し早く連中の居場所を突き止めていれば・・・・・・」
娘は彼女の言葉をそこまで聞くと両手で顔を覆い、首を左右に振った。
女騎士は顔を少し俯けて目を閉じ、娘に一礼をした。
そして再び男に向き直った。
男はほとんど微動だにせず、口も開かないが、一応は話は聞いている様子であった。
「あなたのお陰で彼女の命は救われ、山賊団も壊滅させることが出来ました。ですから貴方にも報酬を受ける権利があります。お望みなら御同行頂ければ・・・」
「はっはっはっは」
突然、男は如何にも愉快そうな笑い声を上げた。
「相も変わらず生真面目なものだな、アグリアス
女騎士は突然自分の名前を呼ばれて声を失ってしまった。
「忘れてしまったのか?寂しいではないか、己が師を忘れてしまうとは」
男がそこまで言うとアグリアスはあっと気が付いた。
「エルヴェシウス先生!?まさかエルヴェシウス先生なのですか!?」
「察しが悪いのは変わらんな。しかし覚えて居てくれたことは素直に喜ばしいぞ」
そう言うとエルヴェシウスと呼ばれた男は顎下の紐を解いて編み笠を外し、アグリアスに笑って見せた。
アグリアスの記憶ではエルヴェシウスはもう四〇を二、三超えた歳だが、五年前と変わらぬ精悍さを身に宿している。その風格はアグリアスなどでは到底及ばぬほどで、当に剣豪と呼ばれるに相応しい。
「折角弟子が招いてくれたのだ、師としては是非が否でも応じざるを得んさ」
エルヴェシウスは久しぶりに愛弟子に出会えたのが嬉しいらしく、微笑んでそう言った。
「ええ、是非とも。先生にはお聞きしたいことやお話したいことが沢山ありますから」
そう言ったアグリアスの笑顔もまた、女学生の如く輝いていたのだった。





アグリアスとエルヴェシウスは東の空が白み始めた未明のウォージリスを歩いていた。
スタディオ達には先に帰らせ、山賊達に襲われた商人夫婦と使用人の亡骸に鳥車の積荷、そして生き残った娘を、商人が取引しようとしていた相手に送り届けてきたのだ。
相手の商人はこの面倒事を、それも火急の事とはいえ深夜に訪ねたにも関わらず、いやな顔一つせず応対し、適切な処置を行うことを約束してくれた。
アグリアスは迷惑料にいくらか包んだが、それも丁重に断られたのだった。
「中々の人物でしたね。あの方なら悪いようにはしないでしょう。一先ず安心しました」
「そうだな。商人ギルドも責任持って対処するといって居るしまず大丈夫だろう」
アグリアスとエルヴェシウスはウォージリスの商人の義侠心に感服していた。
「しかし、驚きました。まさか先生にこうして再び出会えるとは」
アグリアスは未だ興奮冷めやらぬ様子で横を歩くエルヴェシウスを見ながら言う。その言葉にエルヴェシウスは前を見たままニヤリと笑うと、
「未熟者」
と、言った。
「な、どうしてです!?」
意外な言葉にアグリアスは少し鼻白んでしまった。
エルヴェシウスは目だけで動かしてアグリアスを見、再び前を見て言う。
「未熟ゆえ未熟よ。お前も剣を志す者であるなら腹に『虫』を飼っておけ」
(『虫』?)
そう言われてアグリアスはちょっと考え込み、己の腹に虫が居るのを想像し、ゾッとしてしまった。
エルヴェシウスはアグリアスの顔が青白くなったのを目の端で見て、
「はっはっはっは!」
と哄笑した。
「腹に『虫』を飼えと言うのは何も真に腹で虫を飼うわけではないぞ。腹に『虫』を飼うとは即ち、第六感を養うことだ。剣を志す者は何時いかなる時も油断は出来ん。しかし四六時中気を張っていては、如何な猛者とはいえ精神が擦り切れてしまう。然るに一流の剣人は腹に『虫』を飼い、気を張ることも無く事前に己の危機を知る。そうして敵を迎え撃つ心構えをするのだ」
エルヴェシウスは其処まで言ってアグリアスの顔を見る。
昔はこういった神秘的ともいえる事象にはあまり興味を見せなかった彼女であったが、今は真剣に聞き入っているようだった。
(変わったな)
彼女の師としてエルヴェシウスは弟子の成長を喜ばしく思いながら、言葉を紡ぐ。
「更に達人ともなれば己の危機だけではない。天地の異変すら予見し、千里先の人の死すらも見通す。また危機だけではない。そう言った者にとって、知己との再会を予見するなど朝飯前も同然よ」
師の言葉をアグリアスはしばらくの間、心中で咀嚼し、ゆっくりと悟った。
ああ、なるほど、剣を志すとはただ剣を振うだけのものではなく、剣を振う身を支配する精神をも鍛えるものなのだな、と。
「先生は分かっていたのですね?今夜私と出会うことを」
アグリアスは半ば答えを確信しながら目を輝かせて言う。
「儂か?」
弟子の期待の目を受けて、師は哄笑して言った。
「まさか!お前に会って心底驚いたものよ!はっはっはっは!」
アグリアスはポカンと口をあけて呆然とし、からかわれた事を悟ると顔を紅潮させ、しかしすぐに平静に戻り苦笑する。
そうだ、昔からこういう人だったのだ、と。
「儂もお前もまだまだ未熟、そういうことよ。はっはっはっは」
あきれる弟子を見てエルヴェシウスは更に笑い続けた。その快活な笑いはウォージリスの住民の安眠を妨げたが、そんなことに気を使うような男ではない。
夜明け前のウォージリスはしばし豪放な笑い声に包まれたのであった。
「そういえば初めてお前に出会ったのも、今日のような日であったな」
エルヴェシウスは白んできた空を見上げ、少し過去を懐かしむような目で言った。
「ああ、そうでした。懐かしいですね」
師の言葉に、アグリアスもまた過去に思いを馳せた。
「もう十年にもなるか・・・。光陰矢の如しとはよく言ったものだ」
この豪傑にも似合わぬしみじみとした口調に、アグリアスはちょっと笑った。
「あの時も先生は賊相手に剣を振っていましたね」
「ああ、そうであったな。あれはどこであったかな・・・」
二人はしばし過ぎ去った日々を思い巡らせた。



その日はひどく寒い日だった。
人々の心を映したかのように空には暗雲が立ち込め、日の光の差し込む余地はほとんど無い。
道を行く人は多くはあるが、皆一様に生気が薄く、全体に活気が無い。
五十年戦争の膠着による内政の悪化著しい当時、どこの街でも同じような景色が見られ、それは王都ルザリアといえど例外ではなかった。
騎士達の多くが戦争に赴き、敵の屍を築く最中に、イヴァリースは内政の悪化に拍車が掛かり治安は大いに乱れていた。
各地で農民一揆や反乱が相次ぎ、その合間を盗賊が蔓延る、そのような状況だったのだ。
アグリアスオークス、当時十三歳の彼女は、二年前に父親を戦場に取られた騎士の子供の一人だった。
家族や使用人は表向きこそ気丈に振舞っていたが、内心では決して当主の戦場行きに賛成していたわけではない。
オークス卿は優秀な軍人であったが生来肺を病んでおり、それ故に本国にて策を練るのがそれまでの常であった。
しかし戦況の泥沼化に伴い指揮官が不足し、病弱な者といえど優秀であればと乞われ、やむなくオークス卿は戦場に赴いた。


五ヶ月の後、オークス卿は死んだ。
戦場の汚れた空気が原因である。
家族、使用人は深く悲しみ、オークス家は沈んだ空気を纏った。しかし、幼いアグリアスは家を覆う空気を撥ね退けるように一芸に勤しんだ。
それが剣である。
父の訃報を聞き、幼いながら彼女は父の死を悲しむと同時に決意をしたのだ。
自分が守ると、父の代わりに自分が家族を守ると。
幼い胸に固い決意を誓ったのだった。
アグリアスは、父が体の調子が良い時に教わった僅かばかりの指南を頼りに、研鑽を積んた。それは幼い身には過酷に過ぎる物で、効率も悪く、また努力の割には内容に欠けるものであり、二年余りこれを続けた彼女はようやく、未熟ながら、今のままではダメだと感じていたのだった。
アグリアスは気分を変える為に、相変わらず寂れた王都ルザリアの街を歩きながら、如何にすれば良いかを考えていた。
強くなりたい。
アグリアスの心中を常に占めるのはそれであった。
と。
突然、南の方でわっ、という歓声が聞こえてき、アグリアスはぎょっとした。
もうここ数年余り活気も何も無いこの王都では、盗賊がやってきた程度では騒ぐものもいないという、実に病んだ状態であった。誰もが自分のことに手一杯で、隣の家が襲われたら自分達はその隙に金目の物を持って逃げる、それが当然の淀んだ世界である。
それが今突然、歓喜に満ちた大歓声が巻き起こっていたのだ。
この街の状態を知るものなら誰しも驚く。
実際アグリアスの周囲の人間も、何事かと声のほうを睨んでいる。彼らには向かってみるほどの気力も無い様であったが、アグリアスは違う。
未だ折れてはいない強い心と、子供の好奇心が故に、彼女は歓声の上がった南へと走った。


まず飛び込んできたのは、日が無いにも拘らず白く輝く長刀。
そして地面に広がる血の赤。
情緒も何もあったものではない下品な格好をした、おそらく盗賊が六人、その上に真っ赤に染まって倒れ伏している。
それを成したであろう長刀を手に下げ、黒皮のコートを身に纏い、妙な帽子、編み笠を被るその男は、しかし返り血一つ浴びず、残る八人に囲まれながら、悠然として対峙しているのである。
未だ人数で勝り、相手を囲んでいるにも拘らず、むしろ盗賊たちの方が追い詰められた顔をしている。
格が違う。
それは多少なりとも剣を嗜むアグリアスならずとも、その場にいる誰もが理解していた。
エルヴェシウス、それがこの男の名前である。
「どうした?」
渋い、良く通る声でエルヴェシウスは言った。その声には相手を挑発する明るさこそあれ、恐怖に怯える色は無い。
盗賊たちは互いに顔を見合わせながら、エルヴェシウスを怯えた目で睨む。
彼らを遠巻きに眺める人々は、治安隊すら駆けつけぬ街に現れたこの剣士に、日頃の鬱憤を晴らしてくれといわんばかりに、身を乗り出して見入っている。
「来ないのか?」
エルヴェシウスは体を捻って背後に向かって言う。編み笠に隠れて見えないが、間違いなくその顔は不敵に笑っている。
盗賊は挑発され顔に怒りを滲ませながらも踏み込むことが出来ずにいた。
エルヴェシウスは正面に向き直り、一つ深呼吸をすると、
「来ぬか!」
右足で地面をドン、と踏み鳴らして大喝した。
その一喝で均衡は破られた。
まず向かって行ったのは正面の男、奇声を上げながらの満身の力を込めた袈裟斬りがエルヴェシウスを襲う。
しかし彼は既に其処にはいない。
正面の男が踏み出した瞬間、エルヴェシウスは左足を大きく引いてクルリと反転すると、背後の男に踊りかかったのだ。
突然襲い掛かられた背後の男は成すすべなく彼に頸根を割られ、そしてその刃の勢いを殺さずにさらに反転に利用し、先ほど斬り掛かり剣で地面を叩いた正面の男の無防備な頚動脈を切断する。
更に一人目を殺した時点で斬りかかって来た、その両隣に立つ二人のうち、右側の男の腹を剣を掬い上げるようにして斬り上げ、その屍を片手で掴み、背後から襲う形になった左側の男の正面に投げつける。男は仲間に止めを刺すことになり、その間にもうエルヴェシウスはその切っ先の届く場所には居なくなっている。
気が付けば彼の背後まで接近していた男が彼に斬り掛かったが、エルヴェシウスは体を回転させて袈裟懸けに両断、バネ仕掛けの玩具の如く右前方に跳躍し、其方から袈裟懸けに斬り掛かって来ていた男の刃を、身を深く踏み込み頭上でやり過ごすと、逆薙ぎに男の腹を斬り裂いた。
その背後から体当たりの如くに突進してきた男の突きを、剣の鍔で受け止めると、刃を剣の上に滑らせるようにして踏み込み、男がはっと剣を引いた瞬間にその鉾先で正確に心臓を貫く。
先ほど仲間に止めを刺してしまった男が彼の右側から襲い掛かるも、右足を開いて更に踏み込み、屍から抜いた勢いそのままに剣を掴む両手首を斬り飛ばし、絶叫する男を尻目に一人取り残された八人目に踊りかかって真っ向唐竹割に両断したのである。
恐るべき早業。
全ての動作に無駄なく、八人全てを一連の流れで仕留めたそれは、当に剣舞というに相応しかった。
そしてアグリアスにとっては驚愕のことでもあったのだ。
ああ、真の剣技とは斯くも美しいものか、と。
手首を斬り飛ばされた男が倒れるまでに、そう時間は掛からなかった。
エルヴェシウスが懐から懐紙を取り出し、剣を拭って刀を鞘に納めると、観衆からわっ、と歓声が沸き、エルヴェシウスを取り囲む。
その中でアグリアスは一人、遠くからエルヴェシウスに見入っていた。
民衆に取り囲まれたエルヴェシウスは、彼らには特に反応を見せず、そのまま彼らを引き連れ歩き出す。
アグリアスの方へと。
意外な事にアグリアスはちょっと驚き、もしかして自分を? という考えが一瞬頭をよぎったが、まさか、と打ち消して改めてエルヴェシウスを見る。
ところがどう見ても彼女の方へ向かってきているとしか思えない。彼女のいる場所は垣根の中央であり、後ろに道があるわけではないのだ。
やがてエルヴェシウスは取り巻く人々を掻き分け、アグリアスの目の前に現れた。
突然のことに彼女は呆然として、彼を見上げた。
存外背が高いせいで下から見上げる形のアグリアスには、編み笠の下から彼の顔を見ることが出来た。
深い色の黒い瞳、全てを見通すようなその目にアグリアスは目が離せなくなった。
「儂に何か用か?」
エルヴェシウスは周囲の取り巻きが奏でる雑音を貫くような、腹に響く低い声で言った。表情は変わらなかったが、その声音は優しく、目は微笑んでいた。
だからアグリアスは言えたのだ。
「私に、剣を教えてください!!」
と。



「そうであった、そうであった。お前はあの後、強引に儂の手を引いて家まで連れて行ったのだったな。あの度胸には流石の儂も驚いたぞ」
エルヴェシウスは言いながら、カンラカンラと笑った。
「あの時は必死だったのです! 周りに人が大勢いたし、私自身切羽詰っていましたし。大体、先生が急に私の元に来たのが悪いんです! あの状況では誰でも動揺します!」
アグリアスの怒声をエルヴェシウスは相変わらずカンラカンラと笑った。



放浪者であったエルヴェシウスがアグリアスに連れられ、オークス家の屋敷へ行ってみると、治安が悪かったその当時、男手が居ないのは無用心であったために話はとんとん拍子に進み、エルヴェシウスはオークス家に客分として逗留し、アグリアスに剣を教えることになった。
独学で学んだアグリアスの剣は、最初のうちこそ酷いものであったが、筋自体は良かった為、エルヴェシウスとしても教える楽しみがあった。


彼との修行はアグリアスが王立士官アカデミーを卒業するまでの五年に渡って行われた。そして、アグリアスのアカデミー卒業の日、エルヴェシウスは放浪の旅に戻る旨を伝え、オークス家を後にしたのだった。
「世話になったな、アグリアス
「本当に行かれるのですか、先生」
黄昏の王都ルザリアの西門、仕官服に身を包んだアグリアスは旅支度を整えたエルヴェシウスを見送りに来たが、しかし、それでも引き止めずには居られなかった。
「先生、どうか御再考を。先生にはまだまだ教えていただきたいことが山ほどあるのです」
アグリアスは頭を垂れて懇願する。
「確かに、お前はまだまだ未熟だな」
エルヴェシウスはいつものように不敵な笑みを浮かべ、憎まれ口を叩く。
「だがな、儂も少々長く居すぎた。あの屋敷は儂には居心地が良すぎる。戦場もそうだが、平穏も儂には似合わぬ。放浪の身こそ儂に相応しい」
固い意志を見せる師の言葉に、弟子は最早何も言うことが出来なかった。
ただ泣き顔を見せぬよう、歯を食いしばって耐えるのが精一杯であった。
「案ずるな。いずれ再び合間見えることもあろう。それまで息災でな」
エルヴェシウスはすっかり背の大きくなったアグリアスの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でると、手に持った編み笠を被り、顎紐を結ぶ。
アグリアスは黙ってその様子を見ていた。その目には涙が薄っすら浮かんでいる。
エルヴェシウスは編み笠を手で持ち上げ、アグリアスに笑顔を見せると、
「また会おうぞ。我が愛弟子よ」
そう言って歩き始めた。
アグリアスは夕焼けに消えて行く師の背中が見えなくなるまで、ずっと黙礼をしていたのだった。



「あの時、本当は泣いていたんですよ。まったく酷い師匠です」
「はっはっはっは、それは悪かったな。だが言った通りであったろう?」
エルヴェシウスの言葉にアグリアスはフッと笑う。
「そうですね。こうしてまた会えました。今はそれだけで満足です」
アグリアスはエルヴェシウスの隣を歩きながら安らぎを感じていた。
隊の仲間とはまた違う、自分を守ってくれる絶対的な安心。
それは父親を亡くした後、自分が家を守るのだと背伸びをしていた時期に、突然現れた頼れる師であり、同時に父親代わりであったからだろう。
「しかし先生は今まで一体何処にいらしたのですか?」
「なに、いろいろよ。今日のお前達のように賊狩りや用心棒を生業にしてな」
「なるほど。先生なら仕事には困らなかったでしょうね。しかし先生はどちらかに味方はなされなかったのですか?前にどちらかの騎士団に所属していたのでしょう?」
「はっはっは。昔も言っただろう。儂には戦争は性に合わんのだ」
エルヴェシウスはそれだけ言うと、一寸黙り込む。
「先生?」
アグリアスが心配して彼の顔を覗き見ると、
「そう言えば風の噂では異端者と行動を共にしているそうだな?頑固で生真面目な人間だと思ったが儂の見込み違いであったかな?」
そんな今更のことを尋ねた。
「私が彼と行動を共にしているのは己の正義ゆえです」
「ほほう、悪に味方するのが正義か?」
「違います!彼は悪などではない!悪は別に居る!その存在と戦うが故に彼は異端者の烙印押されているのです!だから私は己の信念に従い彼と行動を共にしているのです!」
アグリアスは知らず声を荒げていた。
自分でもこれほどの義憤を抱えているとはと彼女自身驚いていた。
「では異端者の仲間と呼ばれる覚悟はあるのだな?それが身内を犠牲にするとしても」
エルヴェシウスはアグリアスの目を真っ直ぐ見て聞く。
「覚悟はとうに出来ています。墓前で父上と母上に謝る覚悟も」
アグリアスは表情を固くし、しかし決して目を逸らさず答えた。
「それを聞いて安心した」
エルヴェシウスはフッと、満足げに微笑んだ。
「お前に覚悟が出来ているのならそれでよい。私は最早何も聞かん。己の信じる道を行くがいいさ」
アグリアスは彼の言葉に一寸呆然としたが、すぐに彼の意図が分かって嬉しくなった。彼は自分を心配し、そして自分の決意がどれ程かを知りたかったのだ。
そして自分の決意が固いことを知り、認めてくれた。
それがアグリアスには嬉しかった。
彼は自分のことを自分以上に知っている、そんな気さえした。
しかし、実を言えばアグリアスのほうは、エルヴェシウスのことをほとんど知らない。エルヴェシウスはその口から出す言葉こそ多いが、自分を語ることはほとんど無い。修行時代も幾度と無く彼の過去を尋ねたが、いつものらりくらりと避けられたもので、アグリアスが知っていることなどほとんど皆無である。
他者を受け入れながら決して入り込ませない、高い壁を心中に持っているのだろう。
彼が何故放浪をするのか、その理由をアグリアスは知りたいと思う。しかし、彼は決して答えることは無いだろう。
アグリアスはそれだけは確信できた。
それが一抹の寂しさでもあった。
「あそこか?」
「ええ、そうです。あの宿です。少し遅くなってしまいましたね。皆が心配していなければいいのですが」
「それは心配しているだろう。お前のような頼りない奴が遅くまで帰ってこなければな」
エルヴェシウスは相変わらず憎まれ口を叩く。
全く変わってないな、とアグリアスは思う。
「何時までも子供扱いしないで下さい。私は隊内では副隊長を任される身です」
アグリアスは頬を膨らまして拗ねてみせる。エルヴェシウスの前だからこそ見せる表情だ。
「それは失礼」
知ってか知らずか、エルヴェシウスは可笑しそうに笑った。



「ご無事で何よりです、アグリアスさん」
宿に入った二人を最初に出迎えたのは、ロビーのソファーに座っていた、少女のような顔立ちの、栗毛色の髪に一房だけ飛び出した触角を持つ少年であった。
「遅くなってすまないな、ラムザ。心配を掛けさせてしまったな」
アグリアスが頭を下げると、ラムザと呼ばれた少年は手を振って、
「いえいえ、アグリアスさんの事は皆信頼してますよ」
と、笑顔で返した。
「そのように言って貰えると助かる」
アグリアスが慇懃に言うと、
(儂とは随分態度が違うものだな)
エルヴェシウスが小声でアグリアスに言う。
言われたアグリアスはちょっと顔を紅潮させぐっと歯を食いしばった。
アグリアスの後ろで意地悪げにニヤニヤしているエルヴェシウスに気付いたラムザは、其方に向き直り頭を下げる。
「仲間からお話は聞かせて頂きました。この度はご協力、本当にありがとうございました」
エルヴェシウスはラムザの挨拶に微笑みで応じる。
「おお、これはこれは。どうもご丁寧に、可愛らしいお嬢さん」
「え?」
ラムザの顔が一瞬固まる。アグリアスもまた慌てた色を顔に浮かべた。
エルヴェシウスは二人の様子に気付かぬまま言葉を続ける。
「儂はバダム・エルヴェシウスと申す者。いや驚いた。まさか貴方のような可憐な方まで・・・」
「せ、先生。違います、彼は男、それも我々の隊長です」
ようやくアグリアスはエルヴェシウスに間違いを指摘した。
「な、に・・・」
今度はエルヴェシウスが言葉を失う番であった。まさか、といわんばかりの顔である。このように驚いた師の顔をアグリアスは初めて見たものである。
ラムザ・ベオルブです。アグリアスさん達を率いさせて頂いています」
ラムザが苦笑しながら改めて自己紹介した。
エルヴェシウスは心底驚いたような顔で、音に聞く異端者の顔をまじまじと見つめる。
「すまんラムザ! 師の非礼、深く詫びる!」
「いえいえ。たまに間違われますから、気にしませんよ。エルヴェシウスさんもどうか気になさらず」
アグリアスの謝罪をラムザは困った顔で受けて言う。
が。
「たわけ!!」
収まらなかったのは以外にもエルヴェシウス。突如大喝すると同時にラムザの胸倉をむんずと掴む。あまりに予想外の出来事にラムザは為すすべなく捕まってしまった。
「一軍の長たる者がそのような軟弱な容姿でどうする! 将は隊の鑑! 貴様が舐められ
れば其れ即ち、隊全体が舐められる事になるのだぞ! まして女子のような容姿と言われ
慣れておるだと! ええい小僧! 儂が鍛え直してくれるわ!」
そう言うとラムザを背中に担ぐようにして歩き始めたのである。
「えええええ!」
「せ、先生!?」
「問答無用!!」
訳が分からぬラムザ
慌てるアグリアス
そしてラムザを担いでのしのしと外へ出てゆくエルヴェシウス。
「ちょっと先生! センセー!!」
アグリアスさーん!! 助けてー!!」
「馬鹿者! 女に助けを求めるなど男児として有るまじきこと! 恥を知れい!!」
ラムザー!!」
ウォージリスの宿は騒がしいうちに朝を迎えるのであった。



余談であるが階段の影からこっそり覗いていた連中が居た。
「ご、豪快なおっさんだな。ラムザ、連れてかれちゃったぜ・・・」
古参の一人、ラッドは驚きを目の前で起こった出来事に驚きを隠せないでいた。
「あのアグ姐が手も足も出んとは・・・恐ろしい人物を招き入れてしまったな・・・」
それを受けるラムザの悪友ムスタディオは、新たな豪傑の登場に打ち震えていた。
「ちょっと!あのおっさん、ラムザをどうする気よ!恋敵とは聞いてたけど、ラムザに害を与えるなんて聞いてないわよ!」
二人とは論点を異とし、金切り声を上げているのが最年少でラムザを慕う少女、ラファである。
「おろおろするアグ姐もいいな・・・」
そう言うのは最古参ではあるが、どうも変態気質著しいローゼンクランツ。
「・・・なかなか渋い小父様ね」
「おいおいレーゼ。君はまさかあの人に気があるのかい?」
「まさか〜。あの小父様も渋いけど、私には貴方の方が百倍素敵よ♪」
「おお、愛してるよレーゼ(はあと)」
「ベイオウーフ・・・(はあと)」
「他所でやれバカップル」
カップルぶりを見せ付けるベイオウーフとレーゼ。
それを一刀両断したのは同じく最古参にして、堅物の名をほしいままにする、ギルデンスターンである。
「まあ、あの様子じゃ三角関係も何もあったもんじゃなさそうだな。退屈はしそうもないけど」
そう言うのは万年二軍でそろそろ負け犬気質が染み付いてきたラファの兄、マラーク。
「いやいや〜、まだまだわかりませんよ〜。乙女心はフ・ク・ザ・ツ。きゃ〜!!」
最近天然に拍車の掛かって来たアリシアが一人盛り上がる。
「言い方はともかく、その通りよ。この先全く目が離せません」
冷静にそう返しながら誰よりも熱心に見ているのが密かにアグリアスに思いを寄せる隠れレズ、ラヴィアンである。
「何やってんのかしら、あの連中」
隊内切っての良識派で、それ故に気苦労の耐えぬメリアドールは額を手で押さえ、ため息一つ吐いて珍客の暴走を止めるべく外に向かったのだった。
閑話休題





「ひ、酷い目に遭った・・・」
「すまんラムザ! お前にとんだ迷惑を掛けてしまった!」
医務室でラムザの手当てをしながらアグリアスは平謝りする。
エルヴェシウスに連れ去られたラムザは、あの後、彼と素手の組み手をやらされた。
豪腕でありながら柔軟で精緻なエルヴェシウスの投げ技の数々に、小柄なラムザは為す術なく幾度も地面に叩きつけられ、その度に意識は遠のき、アグリアスと後から止めに来たメリアドールの必死の懇願が無ければ、今頃彼は無様に失神していただろう。
「いえ、勉強になりました。世界の広さを改めて思い知った思いです。居るものなのですね。隠れた名人というものは」
「そ、そうか?」
気を悪くした様子も無い師に対するラムザの心からの賛辞に、アグリアスは嬉しくも照れ臭くなり、腕に出来た擦り傷に消毒液を塗る手が少し乱暴になる。
「ッツ!」
「す、すまん、沁みてしまったか?」
「あっ・・・だ、大丈夫です」
アグリアスは思わずラムザの手を両手で握ってしまっており、彼のどもり声を不審に思い見上げたその顔が赤くなったのを見て、ようやく自分が何をしているのかを把握した。
アグリアスの顔もボッと赤くなる。
しかし何故か手を離す気にはならなかった。
ラムザの顔がこんなに近い・・・)
ラムザも振り解きもせずにアグリアスの顔をじっと見つめた。
二人は手を繋ぎ、赤い顔で見つめ合う。
「え〜と、邪魔するようで悪いんだけど〜」
突然の申し訳なさそうな声に二人は文字通り飛び上がり、急いで飛び離れると、それが発された方向に、首がもげんばかりの勢いで振り向いた。
声を掛けたメリアドールは二人のその行動にビクッと驚く。
「あ、いや、その、大した用事じゃないのよ、ホント。ただね、この宿屋ってウチで殆ど貸しきってるじゃない? それで他の部屋も埋まっちゃっててエルヴェシウスさんの泊まる部屋が無いのよ。だからどうしようかな〜と思ったの。それだけ」
誰に対する言い訳か、メリアドールはたどたどしく説明した。
「あ、ああ、そうですか。でしたら僕がムスタディオ達の所に泊まりますから」
「そ、そうか、す、すまんなラムザ。メリアドールも迷惑を掛ける」
「い、いいのよ。これくらい」
「「「はっはっはっは」」」
三者三様、お互い心臓をバクバクと言わせながら、乾いた声で笑いあったのだった。


医務室から出た三人は、そろそろ朝食の時間であるのを思い出し、微妙にギクシャクしたまま食堂に向かったのだった。
『そうさな、あれはあやつが十四の頃であったかな・・・』
「?」
途上、食堂からする声にラムザとメリアドールは違和感を憶えた。
いつもなら時間を問わず食事時は騒々しい面々が揃ったこの隊で、今日はたった一人、それもあまり聞き覚えの無い声のみがしたのだ。
「あら?どうしたの、アグリアス?」
その時メリアドールはアグリアスの顔が真っ青になっているのに気がつく。
「ま、まさか」
アグリアスはわななき、二人を残して食堂へと走って行った。


「部屋でくつろいでいるとあやつが青ざめた顔でやって来て言うたのよ。『先生、私は死んでしまうのでしょうか』とな。突然何を言い出すのかと思い理由を尋ねると『その、先程お手洗に行ったのですが、その時に血が・・・・・・、血が出たのです・・・・・・!』と言うたわけよ。だから儂はこう言ってやった。『アグリアス、それはお前の日頃の行いが悪いからだ。お前の行状を見かねた神々が罰を与えたのよ。直したくば行状を改める事だな』とな。するとあやつはしばらく俯いて考え込み『どうすればいいのですか?』と聞いてきおった。だから儂はこう言った。『毎日侍女達と共に屋敷の掃除をせよ』とな。その日から屋敷には侍女と混じり同じ格好で掃除するあやつの姿があったわけよ。一年ほど続いていたが、ある日怒鳴り込んで来おったわ。アカデミーの保健の授業で習ったと言うてな。あれ以来であったな、あまり神秘を信じぬようになったのは・・・」
エルヴェシウスはしみじみとそう言った。
話を聞く一同は鬼副長の昔話もさることながら、悪びれた様子もない彼のその態度も面白く、肩震わせ必死に声を殺して笑う。
「先生ぇええ!!」
其処にアグリアスが怒鳴り込んで来た。
「おお、アグリアス。遅かったな」
「先生! 何を話したのです!? 皆に何を話したのですか!!」
アグリアスは掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「何、ちょっとした昔話よ。お前の初潮の・・・」
「いやぁあああ!!何を話してるんですか!!」
「おおおお、よせアグリアス!首がもげてしまう!」
怒りのあまりアグリアスはエルヴェシウスの胸倉を掴んでガクガクと揺さぶった。
「他には!? 他には何を話したのですか!!」
「いや、まだこれだけだ。今からお前が十五の時に最後のおね・・・・・・」
「しなくていい!!しなくていいですよそんな話!!」
「うおおおおお、よせアグリアス!首が、首が!!」
遅れてやってきたラムザとメリアドールが見たのは師弟のそんな様子と、食卓に突っ伏して声を殺して笑う一同という、一種異様な光景であった。


そんな騒動の後、山賊退治に出た夜勤組は各々の部屋に休息を取りに戻った。アグリアスラムザとメリアドールの三人は静かになった食堂でお茶を飲んでいた。
「先生も休んではいかがです?」
アグリアスがそう問うと、
「お前達に出会う前に既に休息は取っておる。でなくば流石の儂も夜道を行きはせんさ」
それを聞いても尚、アグリアスは心配そうな顔を浮かべるので、エルヴェシウスはその意味を看破すると、
「心配せずともお前が寝ている間に出て行きはせぬ。とっとと寝ろ」
と笑い、ウォージリスの街に出て行ったのだった。
「それにしても色々凄い、なんというか豪快な先生ですね」
「無理しなくても変人といってくれていいぞ」
ラムザは苦笑してアグリアスの言葉を聞いた。
「昔からああいう人だ。本気なのかふざけているのか分からない、何を考えているか分からん人だ。付き合うこっちは振り回されてばかりだ」
「あら、でも退屈はしないでしょう?あんな人が身近にいると」
ガックリと肩を落として言う彼女にメリアドールがクスクス笑って言う。
「まあ、退屈はしないさ、確かにな」
苦笑しながらため息を吐く。しかし決して心底から嫌がっているわけではないのだ。
「そう言えば伯はまだ戻られぬのか?是非お引合せしたいのだが・・・?」
「そうですね。今日ぐらいにお戻りになると仰ってましたけど」
伯というのは元南天騎士団長にして『雷神シド』と謳われた剣聖、シドルファス・オルランドゥ伯のことである。
現在、オルランドゥラムザ達と行動を共にしているが、公的には故人である。それでなくとも『雷神シド』は泣く子も黙るといわれる英雄だ。
故に今は変名を用いて素性を伏せている。
そんな彼が大手を振って街を出歩けるはずも無く、殆どが拠点となる宿に篭りっきりになるのだ。
唯一、このウォージリスの地に来た際にバクロス海に浮かぶディープダンジョンに潜り、心身を鍛えるのがオルランドゥの数少ない楽しみであった。
生半可な腕では徒党を組んでも生きて戻る事さえ出来ぬと言われるディープダンジョン。其処に単身潜っての修行は、万夫不当と謳われる彼ならではと言える。
「まあエルヴェシウスさんに暫く逗留いただければ、遅かれ早かれお引合せできるでしょう。その時が楽しみですね」
「そうね。達人同士、どんな事を話されるのかしら」
「いや、先生はあれでも血気盛んでいらっしゃるから、直ぐに木剣持って『いざ勝負!』と言いかねんな」
三人は二人が対面した時を想像し、笑い合った。


それからラムザは真面目な顔になり二人に語りかける。
「そうそう。山賊の件なんですが、やっと情報が入りましたよ」
アグリアスとメリアドールも頭を切り替えて表情を引き締める。
「どうやら永世救心教が一枚噛んでいるらしいんです」
「それは本当か!」
「ええ、間違いないわ。私とヴィンセントが直接調べてきたんだから」
メリアドールは自信を持ってそう応えた。


話はこうだ。
交易都市であるウォージリスには商人が引っ切り無しに訪れるが、それを狙う山賊もまた多い。
しかしウォージリスの商人ギルドはそれにしても最近は襲撃が増えたと言う。しかも小物は襲わず、狙いすましたように大商人ばかりを襲うのだ。
幸いにしてこの辺りで最も巨大と言われた山賊団は、昨晩アグリアスらが殲滅した。しかし未だ山賊たちが街道筋に根を張っているのはまず間違いないだろう。
ではなぜ山賊たちが増え、そして狙いすましたように大商人ばかりを襲うのか。
簡単なこと、商人の情報を売る何者かがいるのだ。
情報がある場所には山賊が集まり、情報があれば小物は狙わず大物だけを狙う。メリアドールの調べによればその情報を売っているのが永世救心教だというのだ。
戦乱によって人々の心が荒んできた際には新興宗教が興りやすい。人々が現状から救い出してくれる新たな救いを求めるからだ。
永世救心教は城砦都市ヤードーに総本山を置く、五十年戦争、獅子戦争と相次ぐ戦乱の中で生まれた宗教の一つである。


「永世救心教といえば最近活発な新興宗教だろう?何故そのようなことを?」
「これよ」
アグリアスの問いにメリアドールは指で輪を作って示した。
「救心教は宗教なんて名ばかりで守銭奴の集まりよ。信者には献金を求め商人には祈祷の押し売り。道行く人に不吉な相があると言っては入信を迫り信者を増やす、やってる事は詐欺同然。神への冒涜だわ」
いまでこそ異端者ラムザと行動を共にしているが、かつては敬虔なグレバドス教徒であり神殿騎士として教会に忠誠を誓い、いまなお神への信仰そのものは揺らいでいないメリアドールは少々憤慨して言う。
説明を受けアグリアスは腕を組み、うーんと唸った。
「なるほど、そのような下地があれば確かに疑わしいな。それで詳細は?」
「救心教は信者を増やすため、そして資金を得るために祈祷を拒んだ商人の情報を流しているようなの。山賊に襲われた商人は祈祷をしなかったからだと風潮してね。教団に潜入しているヴィンセントの報告によると、今回襲われた商人も救心教徒ではなく、また取引相手が祈祷を拒んだためだと司祭が言っていたらしいわ」
「情報代に拒んだ商人への嫌がらせ、そして教団に対する信仰の増幅、か。これだけ出揃えばまず間違いないな」
「そうですね。ではとりあえず商人ギルドに報告しましょう。メリアドールさんお願いします」
メリアドールは頷いて立ち上がろうとしたその時、窓をコンコンと叩く音がした。
「ヴィンセントの伝書鳩!」
メリアドールは窓を開けて鳩を抱き上げると、足に括り付けられた手紙を解いて読む。その顔が少し驚きの色を帯びる。
「どうした? ヴィンセントはなんだと言っている?」
アグリアスが尋ねるとメリアドールは戸惑った顔をして答えた。
「‘変人来訪大立回り’だって・・・」
三人の頭には一人の男しか思い浮かばなかった。



三人がチョコボに乗って永世救心教のウォージリス支部に急行すると、入り口でローブを被った男が出迎えた。
いつか画家となることを夢見る異端者一行の軍師、ヴィンセントである。
「僕も状況がよく分からないんだが、妙な帽子を被った男が突然やって来て『お前がここの頭か』と声高に聞いたんだ。司祭が、まあ遠まわしに『そうだ』と言う意味のことを答えると、いきなり演説台ごと真っ二つ!あとは信徒相手に一人で大立ち回りだよ。まあ強いの何の」
ヴィンセントが興奮したように説明する間、三人はどうしたものかと苦笑いを浮かべる。
「あれ?ひょっとして君達何か知ってる?」
素早く空気を察したヴィンセントの問いにアグリアスは、
「私の剣の師匠だ」
と力なく答えた。
四人が中に入ってみると、内部はちょっとした地獄絵図だった。
其処彼処で信者達が気絶し、いつもはきちんと並んでいるだろう公聴用の長椅子はメチャクチャに乱れ、その上下で信徒達が苦悶している。
奥にある演説台も真っ二つに割れて血に濡れており、背後に立つ教団の象徴である奇妙な十字架だけが変わらず健在であった。
「そこの男はお前達の仲間であったか」
背後から突然声がして四人は心臓が飛び出さんばかりに驚いた。
振り向くとそこにいたのはやはりその男。入り口の扉の陰で腕を組んで寄りかかって笑っている。
「安心せい。司祭以外は死んではおらん」
「先生、これはどういうことですか?
アグリアスの問いにエルヴェシウスは懐から何かを取り出して彼女に投げ寄越した。
「これは・・・あの十字架?」
それは救心教の象徴となる奇妙な十字架の首飾りであった。
「儂は永世救心教の教主に依頼されてここウォージリスに来たのだ」



永世救心教は必ずしもメリアドールが語っていたような守銭奴の集団ではない。その興りは純粋に人々の救済を願うものであったのだ。
しかし、その規模が大きくなるにつれて様々な教徒たちが増え、教団の力を利用し私腹を肥やそうとする者が現れ始めたのである。ウォージリス支部を治めていた司祭はその中でも最も悪質な輩だったのだ。
教主はなんとかこれを止めようとしたが、遠くヤードーからでは目が行き届かない。そうこうするうちに支部はどんどん暴走し始める。
これを憂いた教主はやむなく強硬手段に打って出たのだ。
「経典を悪質な手段に用いる者に対する見せしめ。それがこの儂というわけだ」
宿に戻った一同は、エルヴェシウスの話を黙って聞いていた。
商人ギルドにはヴィンセントが報告に赴いている。あとは捕らえた信徒から芋蔓式に山賊達まで辿り着くだろう。
「ともあれ完璧とは言わんが、これで山賊は減るだろう。救心教の信仰は揺らぐだろうがな」
「エルヴェシウスさんは救心教の信徒なのですか?」
ラムザがそう尋ねるとエルヴェシウスは苦笑する。
「いや、違う」
「それでは何故救心教に力を?」
メリアドールの問いに暫く考え込んでこう言った。
「一宿一飯の恩義。強いて言えばそれだ。放浪する最中に立ち寄った永世救心教総本山は、何処の誰とも知れぬこの儂にも礼を尽くして受け入れてくれた。その恩に報いたまで。いや」
エルヴェシウスはそう言いながらまた暫し考え、
「あるいは剣を振う場所を探しているだけかも知れぬな」
そう言って自嘲した。
しばらく場が静寂に包まれる。
「いかんいかん、湿っぽくなってしまった。どうもこういう雰囲気は苦手でな」
エルヴェシウスは後頭部を掻きながら照れくさそうに笑った。その仕草がなんとも子供っぽく、一同はクスリと微笑んだ。
「おや、客人かな」
食堂の入り口から声が掛かったのはその時だった。
皆が声の方を向くと、初老の男性が頭から被った渋柿色のローブを脱ごうとしていた。
初老とはいえ背筋も真っ直ぐに伸びて体つきも若き頃の逞しさを失っておらず、腰に下げる荘厳さを醸し出している騎士剣を振う腕前が並々ならぬものであることを如実に示している。
この人物が先に述べたオルランドゥである。
「あっ、お帰りですか伯」
「うむ。すまぬなラムザ、毎度毎度勝手をして。皆にも迷惑を掛けるの」
オルランドゥはそう言って申し訳なさげに笑う。
「気になさることではないでしょう。伯には日ごろからお世話になっているし、あまりに頼りっきりでは申し訳ありませんわ」
「そう言って貰えると肩の荷が下りるよメリアドール。ところで其方の御仁は・・・・・・?」
「はい、こちらは私の剣の師です」
アグリアスは先生、とエルヴェシウスに呼びかけてギョッ、とした。
一瞬彼の顔が能面のごとく無表情で、なおかつ不気味な色を帯びていたからだ。
オルランドゥはエルヴェシウスが一瞬見せた不穏な気配には気付かなかったらしく、ほう、と一つ頷いて彼に一礼する。
「これは挨拶が遅れて申し訳ない。儂はシドルファス・オルランドゥ。以後お見知り置きを」
ラムザ等の態度に加えアグリアスの剣の師と聞き気を許したらしく、オルランドゥは変名を用いずに名乗った。
「これはご丁寧に。儂はバダム・エルヴェシウスと申す者。こちらこそ良しなに」
エルヴェシウスは先ほどの気配は毛ほども見せずにオルランドゥの挨拶に応じた。
「いや、しかし驚き申した。風の噂ではオルランドゥ殿はお亡くなりになったと聞いて居り申したが、まさかに幽霊というわけでもございますまい?」
エルヴェシウスの軽口にオルランドゥはプッ、と噴出す。
「色々と事情がござってな。その辺りの事は後々お話するとして、アグリアス殿の剣の師と聞いては儂も剣士の端くれ、是非ともご一緒に剣談に華を咲かせたいものですな」
「さてさて、剣聖をご満足させることが出来ましょうかな」
二人は互いに笑い合い、それを見てラムザとメリアドールも笑う。
ただ一人アグリアスのみが硬い顔をしている。
師が僅かに除かせた殺気とも言える気配が彼女の心に影を差していた。



「では参り申す」
「お手柔らかに」
二人の剣豪が十歩を間に置き対峙する。
得物こそ木刀であるが、息苦しくなるほどに張り詰めた空気は真剣勝負のそれである。見守る一同も息を呑んで二人の動向を見守っていた。
オルランドゥとエルヴェシウスの剣談は大いに盛り上がり、互いの剣の精妙や極意といった物を惜し気もなく披露し合ったのだ。傍で聞いているラムザアグリアス、メリアドールの三人も稀代の剣豪が語る剣談に聞き入っていたものである。
そうして話に華を咲かせるうちにエルヴェシウスの、
オルランドゥ殿。貴殿ほどの剣士と出会うという幸運はこの先二度とありますまい。宜しければ木剣取って一手ご指南戴きたいのですがいかがでござろう?」
という頼みにオルランドゥは気軽に応じ、現在に至るのである。
生きた伝説である雷神シドと、鬼副長アグリアスの師匠という、なんとも興味深い立合いに、それぞれ思い思いにその日を過ごしていた他の面々も、誰からともなく集まり、いまや隊の全員が二人を囲んでいるのである。
オルランドゥは左半身を前に出して顔の横で剣を直立させる、所謂八双の構え、対するエルヴェシウスは姿勢は同じく左半身を前にし、剣の切っ先を後ろに向け刀身を隠すようにする、脇構えである。
じりっ、とオルランドゥが摺り足に間を詰める。
エルヴェシウスは動かない。
じりっじりっと二人の間が縮まり、四歩の間にオルランドゥが足を踏み入れた、その刹那、エルヴェシウスは体躯を地に沈ませるように疾駆して一瞬で間を殺す。
オルランドゥは大きく踏み出し、弾丸の如く迫る相手に袈裟懸けの一撃を見舞い、対するエルヴェシウスは石火の切上げでそれに応じる。
かあん、と木剣同士が響き合い、その後にからんからんと乾いた音がこだました。
「見事」
そう口にしたのはオルランドゥだ。
その手に木剣は握られていない。
「貴殿も、流石でござる」
それはエルヴェシウスも同じであった。
両者の必殺の一撃は全くの互角、そして卓越した技量の持ち主同士であるが故に、互いの剣を跳ね飛ばしたのである。
見守っていた一同は空気が弛緩したのを感じ、ため息をついて力を抜いた。
全員が呼吸を忘れるほどに緊張を強いられたのである。
「ふうむ、いやはや驚いた。よもやこれほどの腕とは。いや少々侮っていたようだ。許されい」
「はっはっは、貴殿にそう言って貰えると儂も自信が付くというものでござる」
「そう言って戴けるとありがたい。いや良い手合わせであった。礼を申しますぞ」
二人の剣豪は豪快に笑いあう。それは非常に朗らかで、聞いているほうも明るくなるような笑い声であり、皆も釣られて笑いあったものである。
「いやぁ、イイモン見せてもらったぜ。すげえもんだな達人同士の勝負ってのは」
「ああ。しかしまさか伯とタメ張れる人間が居るなんてな。世の中広いぜ」
「放浪の名人。格好いい響きですね」
「たった一合見ただけで僕たちとはレベルが違うのがわかったよ。僕もまだまだだな〜」
ラムザ、君も大変だな」
「? 何がですか?」
「なにしろアレと比べられるんだろうからなぁ」
「あー、確かに大変かもですね〜」
「え? え?」
興奮冷めやらず皆が談笑している中、輪を離れて二人の剣豪を、否エルヴェシウスを見つめる者が居た。
一人はアグリアス、そしてもう一人はメリアドールである。
アグリアスは不安げな顔で、メリアドールは険しい顔で、オルランドゥと健闘を称え合うエルヴェシウスを見つめていた。



その夜、アグリアスは何とは無しに目を覚ました。
時刻は深夜、このまま起きても何もすることは無かったが、しかしもう一度眠るには少々目が冴え過ぎていた。
(体でも動かすか)
アグリアスはそう思い立ち、両脇のベッドで眠るアリシア、ラヴィアンの二人を起こさぬように稽古着に着替えると、剣立てから木剣を取って部屋を後にした。
「寒っ・・・」
宿の裏庭に出たアグリアスを夜風が襲う。秋半ばにも拘らず、もう冬の到来を思わせる寒風である。
「夜稽古か? 感心だな」
何処からか声が掛かる。
「ええ、今日は先生においしいところを取られてしまいましたから」
アグリアスはなんとなく声の主が居る様な気がしていたので驚かなかった。
「それは悪いことをした」
エルヴェシウスは笑って応じた。
「折角だ。久しぶりに稽古を付けてやろう」
エルヴェシウスは長刀を鞘ぐるみ抜くと正眼に構え、アグリアスもそれに応じて同じく構える。
雲間から覗く半月が二人を照らし、やがて再び雲に隠れたその刹那、アグリアスはエルヴェシウスの鞘をパンッと鳴らして弾き、
「ぃやあああああああ」
鋭い気合を発して斬り込んだ。


気が付くと目の前一杯に暗い夜空が広がっていた。
濃い雲に覆われ星一つない暗い空。
「明日は雨だな」
アグリアスはガバッっと上体を起き上がらせ、
「ッツ!」
途端に響いた鈍い頭痛に苦悶した。
「無理をするな。鞘とはいえ儂の剣をまともに喰らったのだ。しばらくは痛みが抜けぬだろう」
エルヴェシウスはアグリアスに背を向け、夜空を見上げて佇立していた。
なんだ、私は負けたのか。
アグリアスはそう思いながら、一方で当然のことだと可笑しくなった。
相手は自分の倍近い年月を剣に生きた剣豪なのだ。
エルヴェシウスはアグリアスの笑い声を聞いたのか、振り返って微笑んだ。
「すまんな。手加減ができなかった」
「笑いながら言うことじゃないですよ」
瘤になった患部に手を当てながらアグリアスはわざと不貞腐れた顔を作って言う。
「うれしいのよ。儂が手加減できぬほどに成長したのかと思うてな」
「成長しましたか?」
「うむ。見事であったぞ。頸根に刃風を感じたときには久しぶりに背筋が冷とうなったわ」
師の絶賛にアグリアスは照れ隠しに頭を掻く。
「この分なら儂も安心して発てるというものだ」
「先生! 行ってしまわれるのですか!?」
アグリアスは驚いてエルヴェシウスの顔を覗き込む。
その顔は僅かに悲しげで、見ているほうがどこか切なくなる微笑を浮かべていた。
「前にも言った通りこの地に来たのは永世求心教に義理を立ててのことだ。その義理を果した今は特に目的は無い。儂はまた流浪に戻らねばならぬ」
「何故ですか? 私達と一緒に居れば良いじゃないですか」
「それは出来ぬ、出来ぬのだ・・・・・・」
「どうして・・・・・・」
しかしそれ以上は言えなかった。
エルヴェシウスが見せた拒否の色が余りに堅かったからである。
「なに、今日明日ということではない。もう二、三日は厄介になる」
エルヴェシウスは悲しげにうな垂れる愛弟子に優しく微笑みかける。
「さ、もう遅い。子供は寝る時間だぞ」
そして今度は意地悪げな顔で笑って言った。表情の豊富な人だとアグリアスは思う。
「もう大人です」
「子供よ」
若干の憤慨を見せたアグリアスにエルヴェシウスが間髪居れずに応じる。
「儂にとっては幾つになってもな」
非常に優しい声。
まるで本当の・・・・・・。
「? 先生、何処に行かれるのです?」
突然歩き出したエルヴェシウスに、アグリアスは思考を戻して声を掛ける。
「もう少し汗を掻いてくる」
エルヴェシウスは振り向かずに言う。その背中にアグリアスは踏み込めぬ何かを感じた。
そしてそれは一度は押し込めた黒い物を呼び起こした。
「先生!」
背中を向けたその足が止まる。
「先生とオルランドゥ伯との間には、何が」
「お前は知らんでよい」
アグリアスの言葉を掻き消す様に、エルヴェシウスは一瞬声を荒げる。その強い調子にアグリアスは一瞬身をすくめた。
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
アグリアスはエルヴェシウスの背中に頭を下げて、宿へと足を向けた。
アグリアス
中越しにエルヴェシウスは呼びかける。
「瘤は良く冷やせよ」
その言葉にアグリアスはくすりと笑うと、はい、と応じて宿の中に入っていった。エルヴェシウスその背中が見えなくなるまで、彼女を悲しげに見守っていた。
翌日エルヴェシウスは戻らず、そして更に次の日になっても姿を見せることはなかった。





一昨日から降りしきる雨の黄昏時、ウォージリスの街外れを傘を差して歩く影が一つあった。
ローブに隠れてその表情を窺い知ることは出来ないが、僅かに覗く口元は真一文字に引き結ばれ、全身に纏う雰囲気は堅い。
土砂降りの雨は激しく傘を叩き、空気を重くしていた。
今朝、オルランドゥ日課の朝稽古に起き出した際、自室ドアの足元に一通の手紙を見つけた。
『黄昏時北の街外れにて』
豪快な筆遣いで簡潔に書かれたその手紙を、しかしオルランドゥはなんとなくは予期していた。
そうして単身街外れに向かうのである。
低い丘を一つ越えると、オルランドゥの眼前に、かつて見た一つの光景が広がる。
地面に突き立つ無数の剣、剣、剣。
百は下らぬ剣の林、その中心にその男は編み笠を被り、雨に打たれながら佇立していた。
「懐かしい景色だ」
オルランドゥはまずそう口にした。
「果し合いに応じて戴き、感謝する」
エルヴェシウスは微動だにせぬまま、剣の林に足を踏み入れたオルランドゥに声をかけた。
オルランドゥはローブの下でフッと微笑む。
「まさか貴殿の顔を見忘れるとはな。歳は取りたくないものだ」
そう、まさしく忘れていた。十数年の時を経たとはいえ、かつて己を散々苦しめた敵の顔を。幾度も刃を交えた強敵の顔を。
しかし今ははっきりと思い出せる。
豪腕にして精緻な剣筋、大地に広がる剣の林、そこから思い浮かぶ人物は、ただ一人であった。
「貴殿は儂を幽霊などと揶揄したが、儂からすれば貴殿こそ幽霊ではないかと思わざるを得んな。よもや失踪したオルダリーアの英雄がこのイヴァリースの地に居ようとは」
「身を隠すには他に方がなかった。故国ではいささか顔が知れすぎておったのでな」
「確かに。まさか『剣林屍山のクレティエン』が戦時中に敵国であるイヴァリースへと渡ったなどとは夢想だにせぬわ。貴殿が失踪した時のオルダリーアの混乱、見物であったぞ」
「それは残念。ぜひ見ておきたかった」
二人は低く笑った。



バダム・エルヴェシウス、本名バダム・ムラサメ=クレティエン。
漂泊者の末裔でムラサメの異国性を持つ兵法者の一族、クレティエンの家に生まれたオルダリーア人である。
血筋より剣の技量を第一とし、実子であっても技量が足らなければ廃嫡し、優れた技量の者を養子に迎えてきた剣鬼の一族において、エルヴェシウスは才覚に恵まれ若くして極意を悟った。
やがてエルヴェシウスは軍人になり、五十年戦争に参加するのである。
イヴァリースとオルダリーアの間で約50年間にわたって繰り広げられた戦乱、五十年戦争。
彼は戦争中期、その中で最大の激戦地であったゼラモニアを守る鴎国赤龍騎士団ゼラモニア駐留軍第六方面隊、通称「斬鳥隊」の隊長に、若干二十にして就任したオルダリーアの将軍となった。
斬鳥隊。その名前はツヴェイハンダーと呼ばれる大剣を以って、突撃してくる騎兵をチョコボ諸共切り伏せるという凄まじい役割に由来する。
チョコボの脚力を以って突撃する騎兵は戦場において恐るべき存在であり、その対抗手段として編成されたのがこの斬鳥隊である。
その主武装であるツヴァイハンダーはチョコボごと切り伏せることを可能とするために刀身が人の身の丈より長く、同時に重い。
そのため隊を構成する兵士は屈強で腕自慢、そして迫りくる騎兵に動じないだけの胆力を持つ人間が集まる。
そんな荒くれ者共をエルヴェシウスは二十歳の若さで纏め上げ、『我等が御大将』と慕われていたというのだから彼の器量の程が伺える。もっとも最初の内は酷い物だったのだが。
命令は無視するわ単独行動は取るわ挙句の果てには、
「ガキの命令が聞けるか!」
と部下から半ばストライキを取られたものだ。
それをどうにかしようとしたのだが、エルヴェシウスも当時は若かった。
ある日の早朝、最も反抗的な隊員数十名を叩き起こし、
「文句がある奴は全員掛かって来い!」
と、のたもうたのだ。
当然隊員達は全員激怒し、凄まじい乱闘になった。
止めに入った隊員達も流れ弾に当たれば参戦し、それが繰り返されるうちに斬鳥隊二百名全員が入り乱れての大乱闘に発展したのだった。
他の部隊がなんとか止めようとしたが、斬鳥隊は何しろ全員が屈強な兵士である。
止められる者などこにもおらず、多くの部隊を巻き込んで乱闘は続き、ゼラモニア駐留軍総司令が静止に来なければいつまで続いたか分からない。
主犯であるエルヴェシウスは五十八人目を蹴り飛ばしたところで顎にいいのを喰らって途中でリタイヤしていた。
結局、隊員全員が坊主にされるということで始末がされた。
この事件を期に斬鳥隊の隊員達はエルヴェシウスを『若いのに気骨の在る大将』と認めるようになったのだから何が幸をもたらすかわからない。
一致団結を果した斬鳥隊は素晴らしい活躍を示し、苦境に置かれても常に活力に満ちた戦振りで敵を圧倒した。
そして死線を乗り越えるごとにますます隊の団結は深まっていったのだった。
斬鳥隊はゼラモニアを奪取せんと猛攻する畏国軍に対して一歩も引かず、その布陣の堅牢さは『難攻不落の移動要塞』とまで謳われ、隊長であるエルヴェシウス自身も『剣林屍山』の名で畏れられた。
『剣林』とは騎兵を切り伏せるうちに破損するツヴァイハンダーを林の如く無数に地面に突き立てて武器を絶やさぬようにしたこと、そして『屍山』は文字通り畏国軍で築いた屍の山に由来する。
常に最前線で功績を挙げた斬鳥隊とそれを率いるエルヴェシウスは畏・鴎両国から畏怖される存在となり、鴎国は戦意高揚を目的にこの若き将に勲章を授与、エルヴェシウスは一躍英雄となった。
だが栄光は長くは続かなかった。
英雄は少々光りすぎたのだ。


斬鳥隊の隊長に就任して八年の月日が流れた頃、戦線の拡大を防いでいたエルヴェシウスは突如、鴎国総司令部からの拘束を受け、オルダリーア本国に護送され、そこで思わぬ嫌疑を受けた。
内応、それである。
見に覚えのない嫌疑に対してエルヴェシウスは査問会で司令部を相手に必死に抗弁した。
しかしながら彼の内応を裏付けるような証拠、証人が続々と集まり、次第にエルヴェシウスは追い詰められていったのだった。
国民も英雄の裏切りに怒りを露にし、エルヴェシウスを処刑せよの風潮が流れた。
両親縁者は既に無かったが、もしも居れば虐殺されたかもしれない、それほどの不穏さがあった。
そして彼はようやく自分が陥れられた事を理解したのだった。
エルヴェシウスは剣一本で将軍にまで出世した、戦乱の寵児である。
古参の将からすれば面白かろうはずがない。
まして昨今の斬鳥隊が挙げた功績はあまりにも巨大である。
それを妬んだ古参の将達が罠に掛けたのである。その名を辱め、隙あらば抹殺せんと。
エルヴェシウスは国家の危機に自身の保身しか考えぬ彼らの俗物根性に激怒し、謂れのない嫌疑を払拭せんと証拠、証人が偽りの物である事をなんとか証明していった。
そうして三ヶ月の時が無為に過ごした後、突如彼は解放され、すぐに原隊に戻るよう命じられる。
不吉な予感を覚えたエルヴェシウスはすぐさまチョコボを飛ばして仲間の元に向かう。
そして彼は見ることになるのだった。
己と苦楽を共にした仲間達の屍の山を。
エルヴェシウスが本国に拘束されている間、畏国は北天・南天両騎士団を投入し、斬鳥隊殲滅を図ったのだ。
圧倒的劣勢と隊長不在という危機的状況にも関わらず斬鳥隊は良く戦ったが、最期は数に押され全滅する。
そしてこれを期にゼラモニア戦線は一時畏国有利に傾くのである。



「眼前に広がるは、ただただ、生前の面影を僅かに残した戦友達の屍の山と真紅の血の海。儂は涙すら流せず共に戦った戦場を一人さ迷い、生き残りを探した。一人一人骸を調べ、それが見知った顔なら息を確かめ、その度に落胆した。そうして儂は全員の骸を調べ終え、絶望したった。阿呆共が。奴等、一人も逃げておらなんだ。儂が戻るまで死守して見せる、その約束を守ったのだろう。救いようのない阿呆だ」
「彼らは勇敢だった。圧倒的な兵力差を悪鬼羅刹の如き奮闘で補い、例え味方が倒れようとも誰一人我等に背中を向けはしなかった」
「ああ、知っている。よく見たからな。背中に傷を受けた奴は一人も居なかった。おかげで顔に大傷を作ってよく見ねば誰か分からぬ奴が大勢居て苦労したものよ」
編み笠に隠れその顔を窺い知ることはできない。しかしオルランドゥはその心中に渦巻く感情の嵐を感じ取らずにはいられなかった。
「援軍が来ていれば助かった。勝つに至らずとも全滅することはなかったはずだ。事実、攻撃を受けた際には援軍が来る手筈になっていたのだ。だがその指揮官は何をしていたと思う? ゼラモニアの貴族達と晩餐会を行っていたとよ。その時だ。儂が祖国への愛を失ったのは。国家の危機に関わらず権力闘争に励む貴族、己の欲望にのみ忠実で他を省みぬ将、他人の意見に踊らされ本質を見る気すら無い民衆。そのような人間達を儂はもう自身や仲間の命を賭してまで守りたいとは思えなくなったのだ・・・・・・。だが最も罪深きはこの儂だ! 儂は仲間を、自分の半身を救うことが出来なかった! 仲間が危機に瀕しているというときに、何も出来なかった! 何もだ!」
エルヴェシウスはそうしていったん口を噤み雨空を見上げた。
濃い雲が空全体を覆い、晴れる気配も無い。
「祖国を捨てた儂は名を捨て、密かにイヴァリースに渡り、今日に至るまで放浪を続けた。しかし己が罪を忘れた日は無かった。人々と触れ合うたび仲間を思い、その度に罪悪感に駆られたものだ。時には精神に異常を来すほどにな。あるいはとの思いから神に救いを求め門を叩いたこともあった。だが得たものは何も無い。思えば儂には剣しかない。そして儂の剣は常に仲間の為にあったのだ。仲間無き今儂は一個の孤剣となり、そうして今の今まで己が剣を持て余してきた。そして今」
エルヴェシウスが編み笠を脱ぎ捨てる。
土砂降りの雨が見る見るうちに彼の体を濡らす。
そして腰から鞘ぐるみ長刀を抜くと、雨で柔らかくなった地面に鞘を突き刺し、刀を抜き払い、切っ先でオルランドゥを指す。
「貴殿に出会った。儂の仲間を奪った貴殿に」
オルランドゥは何も言わずじっと切っ先の向こうのその目を見つめた。
その目に怒りは無く、ただ悲しみだけが広がっている。
「逆恨みは百も承知。儂自身斬って捨ててきた者は数知れぬ。しかし、それでも、儂は貴殿を斬らね