氏作。Part22スレより。



 五十年戦争の終結以来、畏国のあらゆる場所を貧しさが覆い尽くし、潤いを求めて大小様々な
徒党が溢れ返るようになったが、その内情は実に様々だ。
 利用するだけ利用され、終戦と共に切り捨てられた敗残兵たちの義賊もあれば、田畑を捨てた
元農夫の連中もいるし、数組の世帯が集って結成された、キャラバンのような山賊たちもいる。
もちろん貧困に窮したのは平民だけではない。没落貴族が野盗に身を窶していることもあった。
とにかく身分や人柄を問わず、道を失ったものが寄り添い、集団を形成しているのだ。


 しかし、異端者ラムザの小隊ほど変わった集団はないだろう。
 なにしろ、そもそもあの名門ベオルブの三男が、こともあろうに異端者である。それだけでも
耳を疑うような事態だというのに、その仲間がまたさらに異色なのだ。
 元南天騎士団団長で、公には既に死人とされているオルランドゥ伯を筆頭に、王立近衛騎士や
神殿騎士、そして傭兵たち、あげくは古代の工作機械に、異世界人、ビブロスと、畏国のどこを
探したってこんな妙な取り合わせはいやしない。
 それというのも、彼らの置かれている状況が多分に絡んでいた。


 そもそも彼らには目的があった。
 日々を食い繋ぐためだけに生きているものとは違う、特別な目的が。
 だが、誰もその目的を知らない。畏国の民を苦しめている本当の存在を、誰も知らないのだ。
そして誰も知らないからこそ、ラムザは戦い続けていた。ルカヴィという名の悪魔と。
 しかし、異端者というレッテルを張られたラムザには、敵は多くとも仲間はめっきり少ない。
金や野心などではなく、真意から志を共にしてくれる者となれば、ほとんど無縁だ。しかし敵は
強大であり、彼らには一人でも多くの戦力が必要だった。
 それゆえ、ラムザはたとえ無謀だとわかっていても、他者の理解を求めた。ラムザは、自分の
首を狙っている連中にすら、出来れば仲間になってほしいと考えていたくらいだった。ラムザ
呆れるくらい辛抱強く、そして優しい人間だったのだ。
 結果、わずかな少数の人間だけがラムザの真意を理解し、彼の信念に志を共にしてくれた。


 そんなわけだから、必然的にラムザの隊には共通項の少ない人種が集う。
 だが、ラムザたちはそんなことを少しも気にかけなかった。多少素性が知れなかろうが、多少
人柄が疑われようが、ラムザたちは彼らを喜んで受け入れた。仲間は貴重なのだ。
 もちろん多少身体が鉄で出来ていようが、多少別世界の人間だろうが、多少角があって尻尾が
生えて身体が毛むくじゃらだろうが、まあ、おおよそにおいてラムザたちは彼らを受け入れた。


 しかし、ほんの一度だけ、少しばかり例外的な出来事があった。




 *


 ゼルテニアの北西に位置するネルベスカ神殿。
 孤島に佇むこの神殿は、先の戦争でゲリラの拠点として使われたために、今では見る影もない
荒廃ぶりだが、かつては神聖なる婚礼の場として使われ、多くの恋人見習いたちを祝福してきた
そうだ。
 そうして今、人の気配の絶えた神殿で、一組の恋人が睦まじい抱擁を交わしていた。
 その傍らには、まるで仲人のように立ちつくす青年の姿がある。他でもない、ラムザだ。
 たっぷりの抱擁の後に、抱き合っていた男、ベイオウーフはラムザに向き直った。
ラムザ、改めて紹介するよ。彼女が、僕のレーゼだ」
「はぁ……」
 気の抜けた声を出すラムザは、空いた口が塞がらない。まだ目の前の光景に、頭が追いついて
いないようだった。
 それもそのはず、なにしろ目の前の女性は、ほんの数分前まで醜い竜だったのだ。
「レーゼ=デューラーと申します。ラムザさん、本当に、なんてお礼を申し上げていいか…」
「い、いえ……僕は、ほんのお手伝いをしただけで」
 目を潤ませ、ラムザの手を取って、心から礼を述べるレーゼ。ラムザは思わずどきりとする。
レーゼは、元が竜だったことを差し引いても、文句なしに百人並み以上の美人だった。


 まったく驚きの連続だった。しばらく前に仲間になったベイオウーフ、そして彼が探していた
というホーリードラゴン。ところが、ネルベスカへ向かう船の上で、ベイオウーフは突然、実は
この竜は自分の恋人で、呪いで姿を変えられているのだと打ち明けたのだ。当然、目を丸くする
ラムザに、聖石さえあれば彼女は元に戻れるとベイオウーフは告げた。ついでに、レーゼは綺麗
なんだぜ、とも付け加えた。
 そうして半信半疑で訪れた神殿。警備の工作機械を倒して得た聖石を持って、竜は神殿の中へ
足を踏み入れた。やがて、光と共に出て来たのは……。


 で、今に至るわけだ。
 どうだ、俺の言った通りだったろう、と言わんばかりに自慢げなベイオウーフ。ラムザは肩を
すくめながら苦笑してみせる。確かに彼女は綺麗だった。
「おめでとうございます、ベイオウーフさん」
「君のおかげだよ、ラムザ。君には本当に世話になった。感謝している」
「僕の方こそ、お二人の力になれて本当に良かったです」
 ベイオウーフは力強い握手をよこした。
「君は恩人だ、ラムザ。今度はこちらが力になる番だ。レーゼ共々、今後もよろしく頼むよ」
「こちらこそ喜んで」
 ラムザも強く手を握り返す。
 また一人、素晴らしい仲間が出来た喜びを噛み締めながら。
「そろそろ行きましょう、みんな待ちくたびれているでしょうから」
「そうだな。さあ、行くよレーゼ」
「ええ」
 そうして、丘の上のネルベスカを後にし、彼らは草原の坂道を下りはじめた。ふもとの波止場
では、仲間が首を長くして待っていることだろう。
 道々、ラムザはこっそり後ろを窺ってみた。寄り添う二人はなにやら夢中で喋りあっていて、
ラムザのことなどすっかり忘れてしまっているようだった。
 ラムザはすぐに目を背け、満面の笑みを浮かべる。ベイオウーフもレーゼも彼には年長の相手
だったが、ラムザの胸はとても微笑ましい気分で溢れていた。
 誰かの幸せを手助けできたことの実感。こんなとき、ラムザの心は至福に包まれる。
 浮かれ気味の気分のなか、坂を下るラムザの足は、心なしか早まってゆくのだった。


 このときは、もちろんラムザの顔にはまだ不安の色などなかった。




 **


 ゼルテニアへ向かう船の上、ラムザはレーゼを仲間に引き会わせた。


「初めまして……ではありませんが、改めまして、レーゼ=デューラーと申します。
 こうしてみなさまと、うなり声以外の言葉でお話しできるのは誠に嬉しい限りですわ。
 なにぶん未熟者の次第ですので、いろいろとご迷惑をおかけすることとは存じますが、何卒、
よろしくお願い申し上げます」
 緊張しているのか、多少どもり気味な声でレーゼが話し終えると、途端にムスタディオから大
げさな賛辞が飛び、みな一斉に笑った。レーゼも顔を赤らめながら、嬉しそうな顔をしている。
ラムザはほっとして、隣のベイオウーフと目を合わせた。ベイオウーフも調子の良いウィンクを
返してくる。流石に仲間も少し驚いたようだったが、見たところ、問題はなさそうだ。
 なにしろ美人なのである。男たちは言うまでもなくそろって大歓迎。女たちも、彼女の嫌味の
ない穏和さに好意を持ってくれたようだった。
 どうやらレーゼさん、うまくやっていけそうだな。仲間の顔を見渡しながらラムザは満足げに
思った。


 ふとラムザの目が止まった。
 上機嫌な人混みのなかに約二名ほど。
 向こうのレーゼに冷たい眼差しを送っている仲間を見つけてしまったのだ。
 その顔ぶれに、ラムザはいいしれぬ嫌な予感がした。



ラムザ
「ちょっと話があるんだけど」
 案の定、部屋に戻ろうとしたところを呼び止められ、ラムザはぎくりと振り返る。
 彼を呼び止めたのはもちろん先程の二人、アグリアスとメリアドール。
 隊の中でもキツい二人柱が、揃ってキツい視線を向けていた。
 ラムザは本能的にその場から逃げ出したくなった。





 夕刻ネルベスカを発った船は、今は黒い、空との区別がつかなくなった海の上を進んでいた。
 航海は順調だ。この闇が晴れる頃には、船はゼルテニアの港に辿り着いていることだろう。
 乗客は船室で眠りにつき、甲板にはわずかな船員だけが散らばり、欠伸をしていた。
 そんな人気のない甲板の船尾、人目を避けるように、数人の人影が集まっていた。
 彼らは緊迫した様子で、何か話しあっているようだ。



「それで? どういうことなんだいラムザ
 開口一番ベイオウーフが尋ねる。 
 説明もなしに呼ばれた彼にしてみれば、当然の台詞だ。
「それは……」
「貴公の連れて来た女性のことだ」
 ラムザを遮って、アグリアスがきっぱり言い放つ。
 ベイオウーフはちょっと目を丸くした。
「レーゼがどうかしたのか?」
「そうだ」
 そうだ、と言われてもわからない。ベイオウーフは怪訝な顔をしている。
 ラムザはため息をつきながら、言葉を添えた。
「お二人は、レーゼさんの加入に反対なんだそうです」
「なに?」
 ベイオウーフはまたも目を丸くし、
「珍しいな、君らが同じ意見とはね」
 と、おどけた声を出してみせたが、二人の態度を見てすぐにそれを引っ込める。
 アグリアスたちの顔は、本気だった。
「理由を聞かせてもらえないか」
 彼はいつもの穏やかな顔をつくり、言った。
 彼女たちは次のように述べた。

「理由というのなら、そもそも彼女を入隊させるべき理由が見当たらない。なるほど、竜だった
ときの彼女は、確かに頼もしい助力となってくれた。だが、今のあのあえかな女性が一体なんの
力になるというのだ」
「かといって彼女に雑務が出来るとも思えないわ。なんでも幼少の折りから、厳正な教会の中で
聖女として育てられて来たんですって? そんな人に、力仕事だの、炊事だの、身体を使う仕事
なんてできるのかしら」
 否定すべき点が見当たらないのか、ベイオウーフは無表情で口を閉ざしている。
 二人はさらに言う。
「とどのつまり、彼女を加入させる理由は、貴公の恋人であるからという一点に過ぎない」
「それでは困るのよ。街で拾って来た女を、俺の恋人だからで加入させられるのと変わらない」
「メリアドールさん!」
 耐えかねてラムザは声を上げた。
 あんまりだ。何てひどいことを言う。この人たちが、どれだけ辛い道のりを歩んで来たのか、
彼女たちはなんとも思わないのか。
 だが、ベイオウーフは依然として落ち着きはらった顔で、ラムザを制した。
「レーゼが役に立たないというのなら、それは認めよう」
 ベイオウーフはゆっくりと続ける。
「それならば、彼女の分も僕が働いて補う。それで、納得してもらえないか?」
 挑発や反感のない口調だった。言葉の一つ一つに彼の誠意がこもっており、決してそれが偽り
でないことがひしと伝わってくる。
 だが、二人はやはり冷淡にこう言う。
「他への示しがつかないと言っているのだ」
 ベイオウーフは、哀しそうに顔を歪めた。


「彼女が去るときは、僕が去るときだ」






 ラムザは船尾に寄りかかり、ひとりぼんやりと黒い海を眺めていた。
 船の進んだ後に、わずかな白い泡が立ち、水に色をつけている。
 吸い込まれそうな水面に心を移しながら、ラムザは先程のやり取りを思い返した。



「彼女が去るときは、僕が去るときだ」
 ベイオウーフがそう告げると、お互いに一歩も退く意志がないことが決り、彼らの間に険悪な
空気がたちこめだした。
 ラムザだけが、どうやって仲裁したものかと、懸命に考えを巡らせていた。
 だが、やがてベイオウーフは呆気なく緊張を解き、軽く微笑むとラムザの方へ向き直った。
「いずれにしても、最終的な判断をするのは君だ、ラムザ
「……」
「それではおやすみ、諸君」
 そう言って、彼はまだ穏やかな様子で去っていった。
 その背中を見送り終わらないうちに、嘲るような溜息が一つ溢れる。
「話は終わりね」
「メリアドールさん」
「賢明な処置を期待してるわ、隊長さん」
 そして彼女もまた自分の船室へと去っていった。
 後にはラムザと、こちらはまだ険悪な空気を纏ったアグリアスが残る。ラムザは去り行くメリ
アドールの背中へと同じように、アグリアスに訝しげな目を向けた。
 ラムザにはわからなかった。メリアドールも、アグリアスも、彼が知る限り相手が誰だろうと
あんな無下に人を傷つけるような物言いはしない人間のはずだった。それなのに、今回のことは
どう考えても単にレーゼか、またはベイオウーフが気に入らないだけとしか思えないのだ。それ
では、いったい何が気に入らないのだろうか?
 どうして、と問いかけるラムザよりも先に、アグリアスは言った。
ラムザ、お前は本当にレーゼを加えるべきだと思うか?」
 彼女の声は、先程のように淡々としたものではなかった。いつもと変わらない口調、むしろ、
心なしかそこには親しみすらこもっていて、ラムザは些か困惑したが、すぐにきっぱりと、
「もちろんです」
 と、答えた。
 ただ、ラムザはすぐにそれが彼女の期待した言葉ではなかったことを悟った。アグリアスは、
淋しそうに背を向けると、ぽつりと言い残し、やはりその場を去っていったからだ。


「お前は男だな」



 彼女の言葉の真意がわからぬまま、海を見るラムザの胸に不安が泡立ちはじめていた。





 ***


 かくて、主に二人の人間を除いた大部分の歓迎を受けて、レーゼはラムザ隊の一員となった。
 翌日からさっそく、彼女は積極的に仕事にとりかかっていった。
 ところが、
「あ、あの、これはどちらに運んだら……」
「あぁ、いいっていいって、俺がやりますよ!」
「え……ですが、あっ、このチョコボは……」
「危ない! レーゼさん、チョコボは嘴を触ると噛み付かれますよ。ここは僕に任せて!」
「す、すみません………あの…」
「レーゼさんは何もしなくていいですから!!」
「はぁ………」
 と言った調子。何をやろうとしても、上機嫌な男たちに全部やめさせられてしまうのだ。
 折角の厚意を無理に断るわけにも行かない。レーゼは些か困った様子を見せながらも、
「みなさん、どうもありがとうございます」
 と言ってにっこりと微笑む。男たちはその笑顔に、だらしなく顔をゆるめるのだった。
 大人しく、か細くて、どこか危なっかしい美女。こういうのの前では、ちょっといいところを
見せてやりたくなるではないか。それが男心というものである。
 しかし、実はこれが問題だった。
「ムスタディオ! こっちの荷物も手伝いなさいよ!」
「あーあー、聞こえない」
「ちょっと、マラーク! どこいくの!?」
「ん、うむ、その件だが、つまりだ、俺は急用を思い出してな」
「あんたたちっ!!」
 レーゼを手伝う男たちにも、もちろん手持ちの仕事がある。男手の足りなくなった方面では、
必然的にこのような事態が発生していた。
 女性陣としては、面白くないことこの上ない。あからさまもあからさまな贔屓である。馬鹿な
男連中にはもちろんだが、そのうち腹立ちはレーゼの方にまで向かい始める。新入りのくせに、
少し生意気なんじゃないかと。実際レーゼの方にはなんの他意もないのだが、この場合そっちの
方がはるかに始末に悪い。


 そうして一度矛先が向かうと、他の点まで気になりだした。
 すなわち、会った初めこそ抑えてはいたが、同性としての、彼女の美しさへの嫉妬。
 これにおいては、彼女たちとレーゼの間には歴然とした差があった。レーゼは竜族の血を引く
娘として生まれ、教団の厳しい教育のもと淑女として育てられてきた。年月と共に生まれ持った
美しさにいっそう磨きをかけ続け、竜になっていた年月を差し引けば、今日まで彼女はその美麗
さを全く失う機会もなく生きてきたのだ。そうして出来上がった、今の彼女の柔和な物腰には、
砂粒ほどの粗も見えない。
 対して隊の女たちにも、例えばアグリアスやメリアドール、それにラムザのアカデミー時代の
同窓など、貴族の出身の者も少なくなかったが、彼女たちは長い放浪生活のうちに、どうしても
その仕草に、民衆特有の泥臭さを身につけてしまっている。かなうはずがない。
 ずるい。
 そんな理不尽な感情が、彼女たちの顔にちらほらと表れはじめた。


 ラムザはこの状況に頭を抱えた。アグリアスたちは、これを想定していたのだろうか。
 とにかく解決しなければと、彼女の恋人であるベイオウーフに相談を持ちかけてみたのだが、
「はっは、流石はレーゼだ」
「………」
 状況をわかっているのかいないのか、ベイオウーフは暢気なことを言うばかりで真面目にとり
あわない。
 ベイオウーフがそんな様子だから、男たちも、安心してレーゼにちょっかいをかける。いわば
公認の恋人同士ゆえに、気楽に手を出せる状況。女たちはますます顔をしかめる。
 ラムザもいっそう頭を抱えた。こんなことが続いたら、終いには本当に彼女を追い出す羽目に
なるかもしれない。どうしたものだろうか。
 しかし、彼女たちの怒りが、ラムザが心配しているような発展を遂げることはなかった。



 いつものように仕事を探していたレーゼ。
 そこに、やってきたアグリアスが声をかける。
「レーゼ殿、火を熾しておいてくれないか。薪はここにある」
「あ、アグリアスさん。火なら俺が」
 当然のように、そこへすぐさま沸いて出るムスタディオ。だが、 
「貴様の名前はレーゼか。違うならすっこんでいろ」
「………」
 次にやってきたのは、メリアドール。
「あら、レーゼさん。ちょうどよかったわ。ボコに餌を上げて、身体を洗ってあげて下さる?」
「……チョコボの世話は、俺の担当だが」
「ほーらクラウドセフィロスセフィロス
「う……あぁ、お、俺は人形じゃない、俺は……」
「それじゃレーゼさん、よろしくね」


 流石、というべきか。
 こんな具合に、アグリアスとメリアドールの二名だけは、男連中の介入を許さないド迫力で、
レーゼに次々と仕事をもってきた。
 これにより、一転してレーゼに忙しい日々が訪れる。
 なにしろこの二人が言いつける仕事の量、尋常ではない。おまけにレーゼはひどい不器用で、
やたらと失敗続き。男たちはもちろん、あれだけ怒っていた女たちすら、やりすぎではないかと
心配になったが、それを口に出す勇者は残念ながら畏国にはいなかった。
 しかし、どれだけ大変な仕事を言いつけられても、どれだけ失敗して恥をかいても、レーゼは
嫌な顔一つせず、それどころかはきはきと働くのだ。
 そんな健気な様子を見て、女たちの腹の虫は次第に治まっていった。ラムザも息をつく。
 しかし、例によって例の二名だけは、どういうわけかいつまでたっても不満そうな顔だった。


 ラムザはまだなにかあるのかと、またも小さな不安を抱えていた。




 ****


「レーゼ殿」
 進行中の馬車のなか、アグリアスとレーゼは隊員の具足を手入れしていた。
 声をかけると、微笑と共に向かいの彼女は顔を上げる。
「なんでしょうか、アグリアスさん?」
「貴女は確か、ライオネル聖院教会に仕えていたと聞いたが」
「ええ、その通りですわ」
 上品に頷いてみせるレーゼ。顔はアグリアスの方に向けながら、その手は、兜の金具を丁寧に
磨き上げ続けている。
 飲み込みの早い女性だ。アグリアスは素直に感心した。手作業など生まれてからほとんどした
こともないだろうに、複雑な武具の構造をこうも短期間で覚えるとは……。
 それも、彼女の熱意の表れなのだろうな、と思いつつ、アグリアスは言葉を続ける。
「つかぬ事を聞くようですが、グレバドス教の教えでは、聖なる教会に仕える女性は、必ず純潔
でなくてはならないはず。聖女として育てられた貴女に、なぜ婚約者などがいるのだ」
 そんなことを尋ねられたのは初めてなのかだろうか、レーゼは嬉しそうに首を振った。
「あなたのおっしゃる通りですわ。でも、私の場合、少し事情が違いますの」
「よければ、聞かせて頂きたい」
「もちろん喜んで」
 そう言うと、彼女は手を止めて、ゆったりと語りはじめた。


「そうですね………まず、私のいた聖印教会では、神のご加護を受けた女性として、代々竜族
末裔を奉っていました」
 竜族と言えば、先祖に竜を持つと言われる一族のことだ。
 アグリアスも名前くらいは聞いたことがある。レーゼがそれだったとは、少しばかり意外だ。
竜族の男性は?」
「いいえ、竜族には女児しか生まれません。そうして生まれた子供は、聖女として立派な教育を
受けて育てられます。本当に立派な教育でした。二度と思い出したくないぐらいですわ」
「………」
「そして、二十歳を迎えた聖女には、教会側から婚約者が選ばれます。やがて、懐妊した聖女は
竜院と呼ばれる教会付きのお堂に移されて、そこで子供を出産するまでの期間を過ごすのです。
そして、産まれた子供は次なる聖女となり、先代の女性は教会を去ります」
「え?」
 アグリアスは思わず声を上げた。
「子供はどうなるのです?」
「純血を失った女性に、聖女を育てる権利はありません。子供は教会の手に引き取られます」
 淡々と話すレーゼ。アグリアスは少しばかり唖然とした。
 自分の意志で結婚相手を選べないというのは貴族も同じだ。自身も貴族であるアグリアスに、
そのことはさして気にはならない。しかし、彼女には子供という救いが用意されている。
 だが、レーゼはその我が子を育てることすら許されないと言う。
 ということは、当然彼女は母親の顔も知らない。母親も我が子も、愛すべき人間との繋がりを
知ることのないまま、彼女は偽りの夫とともに人生を終えるのだ。なんと残酷な宿命だろうか。
「でも」
 驚いているアグリアスに、レーゼは自嘲気味に笑いかける。
「私はそれが我慢できませんでした」
 そうして、それから彼女は、見たこともないような和やかな表情をつくった。


「毎日、教会の窓から眺めてました。通りを歩く幸せそうな家族たち。子供が楽しそうに歩いて
いて、その横でしっかりと手を握りあう、優しげな両親の姿。羨ましかった。憧れていました。
私は何を捨ててでもあれが欲しかった。子供の頃から、いつも夢見ていたんです」
「だから、私は教会の定めた婚約者ではなく、自分が愛したベイオウーフを選びました。教会の
戒律も、かつて母たちが守り続けてきた聖女の宿命も、すべて捨ててしまっても構わなかった。
彼と二人で、あの通りを過っていった人々のように、ささやかな家族をつくろうと…」
「けれど、それを知った教会は、私たちを許しませんでした。私の婚約者であったブレモンダと
いう司祭は怒り、ベイオウーフに呪いをかけようとしました。でも私が邪魔をしたため、呪いは
私の身にふりかかりました。死に至る呪いだったのですが、竜族の血が、私の命を守ってくれた
ようです。私は醜い竜に姿を変え、彼は異端者として騎士団長の地位を剥奪されました」
 空を仰ぐレーゼの瞳には、懐かしさと哀しさが同居している。
「こうして振り返ってみると、ひょっとしたら私のしたことは間違いだったのかもしれません。
だけど、いいんです。このまま死んでしまっても、悲しくなんかありません。だって、全て私が
選んだことなんですもの。後悔なんてするはずがありませんわ」
 レーゼはアグリアスに目を戻す。やはり優しく微笑んだままで。
「……でも、本当の順序はきっと逆。教会に訪れたベイオウーフに、私が、一目で心を奪われて
しまった。それが全部の始まりでした。彼への想いが、私にいろんなことを気付かせてくれた」
 そう言って、彼女は静かに終わりの言葉を結んだ。




 気付けば、アグリアスも手を止めて、レーゼの話に聞き入っていた。
 彼女は、目を見張る思いで話し終わったレーゼを見つめた。
 目の前の、弱々しい女性からは想像もできない生き様。
 それが正しいことだったのかどうか、アグリアスには決してわからない。
 きっと、誰にもそれを決めることは出来ないだろう。
 けれど、ひとつだけ。


「なぜ、夢を諦めてしまわれたのだ?」
 アグリアスは、抑えきれずそう尋ねた。
 それだけの思いで生きてきた貴女が、こんなところで死んでしまって満足なのかと。
 だが、レーゼは再び目を落とし、兜を磨く手を動かしながら、こともなげにこう言った。


「諦めていませんわ」


 アグリアスはなにか言おうとしたが、ちょうどそのとき馬車は目的地にたどり着き、レーゼは
するりと馬車を降りていってしまった。
 アグリアスはしばらくそのまま座り込んでいた。
 そうして、彼女は長い間、レーゼの磨き上げた具足をじっと眺めていた。


 やがて立ち上がった彼女の目には、何かを決意した輝きが灯っていた。





 *****


 夜。
 アグリアスは、野営の近くを歩いていた。
 冬の草原に、音を奏でるものは存在しない。静寂に包まれた夜の闇を、アグリアスはひとりの
人物を求めながら、歩き回る。ベイオウーフ、その人を探して。
 アグリアスには、どうしてもベイオウーフに言わなければならないことがあった。
 レーゼが竜から人に戻ったそのときから思い、しかし、黙っていたこと。
 自分が言うべきことではないと思っていた。それは彼が気付くべき事柄だと。
 だが、レーゼの話を聞いて、もはや彼女は黙っていられなかった。


 やがて見つけたベイオウーフは、半ばわかっていたことだがレーゼと一緒だった。
 小さな雑木林。そのなかの一つに、彼らは寄り添いながらもたれていた。
 耳を澄ますと、二人の話し声が遠く聞こえてくる。
「………」
 聞いている方が恥ずかしくなってくるような、甘い台詞を囁きあっている。
 さしものアグリアスも躊躇ったが、彼女はすぐに足を踏み出した。
 近づくにつれ、彼らの話し声はだんだんと大きくなる。
「レーゼ、もう隊には慣れたかい?」
「ええ。みなさんとっても良くして下さるわ」
「そうかい、それならいいんだ。どうも君がアグリアスやメリアドールと折り合いが悪いように
見えたものだから、少し心配していたんだ」
「そんなことないわ。彼女たち、私のことを一番心配して下さっているのよ。一日でも早く私が
ここに馴染めるようにって、たくさん仕事を教えてくれるの」
 アグリアスは足を止めた。
 レーゼは嬉しそうに続ける。
「あのお二人はね、多分、ここを去った方が私にとっては幸せだ。そう考えてくれているのよ」



 アグリアスはびっくりしてその場に立ち尽くした。
 まさに自分が告げようとしたことを、当のレーゼが口にしている。
 語りあう二人は、そんな彼女の存在にもちろん気付いていない。
 そして、ベイオウーフはふいに哀しそうな声を出した。
「ごめんよ、レーゼ。本当なら、僕は君に静かな暮らしをさせてあげるべきなのに……」
「言わないで、ベイオ」
 レーゼは優しく彼の口に指を当てる。
「私、何にも辛いことなんてないわ。今だって、夢を見てるような気分なのよ。こうしてまた、
あなたの腕に抱かれるているだけで、どんなに幸せなことか。彼が、ラムザさんがいなければ、
それだって叶わなかったはずなんですもの。彼にご恩返しするのは当たり前のことだわ」
「レーゼ…」
「それにね、今のあなた、とても立派よ。騎士団長だったあの頃よりも、ずっと素敵な顔をして
いるわ。きっと、あなたにとってラムザさんを助けることは、私たち二人の生活よりも、ずっと
大切なことなんだと思うの」
「そんなこと…」
「違うの、嬉しいのよ。私はそれが嬉しいの、あなたの目が輝いているのが。だから、私もそう
したいの。きっとラムザさんたちについていく。そのためなら私、どんなことだってするわ」
「レーゼ…」
「頑張りましょう、ね、ベイオウーフ。いつも私がそばで見ていてあげるから」
「……ありがとう」
「……でも、そのかわり、いつもこうして私のことを抱きしめていてね?」
「もちろんさ……、愛しいレーゼ」
 二人は唇を重ねる。
 とても自然なキスだった。二人が離れているときよりも、それはずっと自然な姿に見えた。
 やがて、目を開けたレーゼはうっとりとした様子で言った。
「……ねえ、あなたの話が聞きたいわ。私と離ればなれになった後、どうしていたの?」
「ああ、レーゼ。それはもう、一生かけても語り尽くせないくらい、長く苦しい年月だったよ。
君がいなければ、いつだって僕の心は……」





 ふいに肩を叩かれて、すっかり見入っていたアグリアスは大声を出しそうになった。
 振り返ると、神妙な面持ちのラムザがいた。
 覗き見は感心しませんね、とでも言いたげな顔。
 アグリアスは赤くなる。確かに、やっていることはそれと変わらない。
 ラムザが無言のまま林の外へと歩き出した。アグリアスもそれに習い、ベイオウーフたちから
離れていった。
 言い訳ではないが、彼女はラムザが来る前に、もうそこを去るつもりだったのだ。
 それ以上、二人の場所に他者が存在することは許されないと知っていたから。



「レーゼさん、竜だったころはほとんど記憶がなかったそうなんです」
 いくらか歩いてから、ラムザがぽつりと口を開いた。
「名前どころか、自分が人間だったことも忘れていて、意識自体もひどくおぼろげだったって」
「……そうなのか」
「すごいことだと思いませんか? 完全に自分をなくした状態でも、彼女はベイオウーフさんの
ことだけを想って、ただひたすら聖石を守っていたんです。何年もずっと長い間、ベイオウーフ
さんだけを待ち続けていたんです。レーゼさんにとって、ベイオウーフさんは本当に、大切な人
だったんでしょうね」
「……そうだな」
「レーゼさんは、強い人なんですよ」
 アグリアスはうなだれる。
 ラムザの言う通りだった。レーゼは強い人間だ。そして、たとえ戦う力を失くしたとしても、
きっと彼女の強さは変わらない。



 私はどうだ。
 もしも私が竜になったら、果たして私はオヴェリア様のために戦い続けられるだろうか。
 もしも……。


ラムザ
「なんです?」
「もし、お前が竜になったら………お前はどうするんだ?」
 ラムザはそれに眉をひそめたかと思うと、急にクスクスと笑いだした。
アグリアスさん、メリアドールと同じことを聞くんですね」
「そ、そうか?」
「どうでしょうかねえ。なんだか寝てばっかりの怠け者な竜が出来そうですけど」
 適当にも本気とも区別のつかぬ口調でラムザは答える。
 アグリアスは、頭の上にちょこんとくせ毛の生えた竜が昼寝をしている様子を想像してみた。
あんまりすんなりとその絵が思い浮かんだので、思わず彼女は笑った。あながち、本当にそうな
りそうなところが彼らしい。
 ひとしきり笑って、彼女は夜空を仰いだ。
 見上げる彼女の口から、小さな呟きが漏れる。
「余計なことだったな……」


 レーゼのような女性にとっての幸せは、愛する男と二人で生きることだと思っていた。
 自分たちと共にいるよりも、彼女のためにはその方がずっと良いのだと思っていた。
 そしてベイオウーフやラムザがそれに気付かないというのなら、自分が追い出してやろうと、
アグリアスはそう思っていた。
 だが、実際にはレーゼもベイオウーフも、アグリアスなどよりずっと賢明だった。
 結局、彼らを理解していたのは、他ならぬ彼ら自身だけだったということだ。
 出過ぎた真似をしてしまったことを恥じいるアグリアス、すると、


「仕方ありませんよ、アグリアスさんは女なんですから」
 ラムザがそんなことを言った。
 どこかで聞いたような口ぶりに、アグリアスは眉をひそめる。
 なにか意図して言っているのか。それとも、単にこないだの雑ぜ返しのつもりなのだろうか。
「残念ながらな」
 いかにも不服そうにそう言ってやると、ラムザは大笑いした。アグリアスも笑った。
 笑いながら、彼女はレーゼの言葉を思い出していた。


「彼への想いが、私にいろんなことを気付かせてくれた」


 自分は変わったと思う。
 今のような考え方も、昔の自分ならできはしなかっただろう。
 そもそも、オヴェリア様を除く他人の存在など、私には無意味に等しかった。
 まして、その他人の世話を焼くなどと。
 やはり変わったのだなと思う。
 そして、私が変わったというのなら。
 それは多分、あの日ラムザに出会ったときからなんだろうな。


「でも僕は男で良かったなあ」
「知るか、馬鹿」



 アグリアスの、頑なだったレーゼへの思いが、静かに溶けていった。
 そのかわり、


(メリアドールも同じ……、か)


 そのときから、彼女のなかで、奇妙な対抗心が生まれかけていた。







 ******


 ところで、この一連の出来事にはもう少し続きがある。
 アグリアスとメリアドールの態度も柔化し、レーゼもすっかり仕事に慣れかけた頃であった。


「ぐあっ!」
「ベイオウーフ!」
 銃弾の飛ぶ音。
 敵の話術士を相手にしていたアグリアスは、背後から聞こえたうめき声に振り向き、倒れ込む
ベイオウーフの背中を見た。アグリアスの避けた銃弾が、不運にも彼を捉えたのだ。
「ベイオーーッッ!!!」
 馬車に控えていたレーゼから、悲痛な叫びが上がる。
 話術士を仕留めたアグリアスはすぐさま彼の元に駆け寄ったが、その間に巨大な三頭竜が立ち
はだかった。先程の話術士が飼い馴らしていたハイドラだ。主人を殺されたハイドラは、瞋恚の
炎を仇に向けていた。
 アグリアスは舌打ちする。いかに手練の彼女とはいえ、相手は手強い。仲間もそれぞれの敵を
相手にしているから、助力は期待できない。なにより、ベイオウーフの容態は一刻を争うのだ。
 彼女は決然と剣を振りかざし、ハイドラの漆黒の巨体めがけて突進した。


 だが、前に進んだはずの彼女の身体は、どういうわけか空高く飛び上がっていた。
 そうして高々と宙を舞ったアグリアスが、頭から着地するまで、およそ三回転半。
 恐らく竜騎士の高い跳躍にも引けを取らぬ、雄大な空の旅。
 しかして、下は草生えとはいえ、固いレナリアの土壌。
 旅路の果てに、彼女の意識はさらなる境地へ飛び立つことになるのだが、その間、彼女の目に
映った光景は、筆舌に尽くしがたい。




 鎧背の違和感と共に、空に浮かんだ最初の一回転。まずアグリアスは、眼下を怒竜の如く突き
進むレーゼの姿を見た。驚嘆と共に、自分が彼女の手で投げ飛ばされたことを知る。
 次なる二回転目、レーゼは一歩も怯むことなく直進し、吼え狂うハイドラの目前まで迫った。
三つの首が牙を剥き出し、レーゼの細い身体に襲いかかる。アグリアスは緊張と共に、とっさに
柄を握る手に力をこめた。
 おそらく記録的な三回転目。アグリアスは、ハイドラに剣を投げつけることも、受け身を取る
ことも忘れ去る。レーゼが、三つの首に片っ端から、とんでもない音のする平手打ちをぶちかま
していた。首がもげるのではないかと、アグリアスは場違いにも一瞬心配してしまった。
 そして、落下と同時に意識を失った最後の半回転。




 レーゼは、火を吹いた。





 ややあって、無事意識を取り戻したベイオウーフは首をかしげた。
 彼の胸には、安堵の涙を流しながらすがりつく愛しい恋人。
 そして、そんな自分たちを、なぜか引きつった顔で遠巻きに窺っている仲間たち。
 おまけに、あれだけ凶暴だったハイドラが、どういうわけか怯えきった様子でおすわりをして
いるのだ。

 
 しかし、もちろん彼の疑問に答える声は、仲間の誰からも上がらないのだった。
 






 翌朝。
 レーゼはいつものように、優雅な足取りで隊の仲間と挨拶を交わす。
「おはようございます、ムスタディオさん」
「お、おはようございます! にっ……荷物、御持ちいたしましょうか!?」
「うふふ、大丈夫ですわ。これくらい持てますから」
「そ、そうでしょうねえ」
「……おはよう、レーゼ殿」
「おはようございます、アグリアスさん。あ、焚き火でしたら、私が」
「い、いや、結構」
「そうですか? 私、火をつけるのは得意なんですのよ」
「………」


 それまでとは違う理由で男たちは仕事を申し出て、
 それまでとは違う理由で女たちは彼女を避けた。
 変わらないのは、レーゼの美しい笑顔だけ。


 その理由を知ってか知らずか、ベイオウーフは愛おしげにこう言う。
「レーゼ、もうすっかり隊に慣れたようだね」
 そしてレーゼは魅力的な微笑みを返す。


「ええ、みなさんとっても良くして下さるわ」



 こうしてまた一人、ラムザの隊に頼もしい戦力が加わったのだった。





 終