氏作。Part19スレより。


莫大な富と社会的ステータスを兼ね備えた名家の子のみが入学を
許される、人々の羨望の的、某超有名学校の一室から。
「…アグリアス君。君の専攻は…確か剣術、だったかな?」
香り高い紅茶をゆったりと口に運ぶのは、魔法学の教授・レックスである。
「はい」
直立不動で無表情のアグリアスに対して、レックスはあくまでにこやかな顔をして、本題へと移る。
「わたしの経験によれば、剣術の専攻者は魔術的素質が乏しい者が
 ほとんどなのだが…君は珍しく魔術の才能があるようだ。それも、かなりの、ね」
「………」
「君ほどの素質のある者は、魔術専攻生の中でもそうはいないよ」
温和な口当たりと気品を漂わせる仕草で生徒の人気をその一身に集めるレックスは、
普段通り、教授と生徒という壁を取り崩すかのような口調と笑顔で優しく語りかける。
「君の剣は腕は聞き及んでいるよ。この前は指導の先生をあと一歩まで追い詰めたんだって?」
「…まぁ」
「素晴らしい。まさしく君は才女だね、学業成績も優秀だ。
 …ところで…僕は君の魔術師としての才能を、このまま埋もれさせるには惜しいと思うんだ。
 剣も確かに素晴らしいが、魔法も同様に素晴らしい。
 どちらが上かと一概に結論付けられないが、世界の構造を解き明かすのは魔法の力に依るんだ。
 生命の神秘、世界の起源、神の実存の可否、次元と空間と時間、死後の世界と魂の行方、
 過去、現在、未来、更には人間をより高次元へと導く研究。
 口頭では伝えきれないほどの、多くの研究分野を持つ、魅力的な学問なのさ」
「………」
「…どうだい?一念発起して、魔術を学んでみては。君なら歴史に名を残す魔術師になれる」
「………」
「僕は外見はせいぜい20台後半だけど、実は80年以上生きてるんだよ。
 魔術を使えば、寿命を引き伸ばす事さえ容易なのさ。若さをより永く保つこともね」
「………」
「肉体と精神の永久的保存。これは人類史における至上の命題だ。
 人間長生きはするもんだよ」
「………」

「剣を極めて精神と肉体を鍛えぬく事も素晴らしい。
 …しかし…永い時の旅の中で、人間や世界というものを
 思索して生きてみるのも、楽しいと思うんだ」
「………」
「どうかな…?アグリアス君」
ティーカップを机の上に乗せ、レックスは真剣な面持ちでアグリアスを見つめる。
「自分、剣好きッスから」
「…え?」
「自分、剣一筋ッスから」
「ア、アグリアス君?僕の話、ちゃんと聞いててくれたかな…?」
「自分、剣だけの為に生きてるッスから」
「き、君の剣に対する情熱や研鑽を否定したいわけじゃないんだ。
 ただ、魔術も同様にという…」
「自分、剣以外に興味ないッスから」
「…即断できることも長所の一つだ!ただ、ここはもう少し熟考を…」
「自分、剣大好きッスから」
「……………」







突然、放課後に校舎裏に呼び出されたアグリアス
指定時刻に10分ほど遅れて歩いてきた彼女の前には…
「こ、こんにちは…」
顔を赤らめながらそわそわとする男子生徒が佇んでいる。
「…私を呼び出したのはあなたですか?」
「は、はい!ご、ごめんなさい…迷惑かけちゃって…」
「………」
無言・無表情のアグリアスに対し、初対面の男子生徒はおずおずと話し出す。
「ぼ、僕…ず、ずっと前…から、あ、あなたのことが…す、好き、でし、た…」
「………」
ピクリとも動じないアグリアスに対して、顔を紅く染め上げながら、
男子生徒は懸命に思いのたけ告白する。
「べ、勉強もすごくできるし、剣術の授業じゃ先生にも負けないくらいだし、
 すごく綺麗だし…、ず、ずっと憧れてました…!」
「………」
「ぼ、僕は全然君に敵わないけど…、君のことはきっと学校一想ってます…!」
「………」
「ア、アグリアスさん…!」
「……?」
「ぼ、僕と付き合ってください……!」
「………」
彼女は何も返さない。ただ流れる沈黙の時間。重く圧し掛かる空気と
静寂が、一秒刻みで男子生徒の不安と後悔と緊張を幾何級数的を増大させていく。
「…お、お願いです…!付き合ってください!」
頭を深々と下げて拝み倒す。何という無様。彼女の沈黙と無表情から
結果など判りきっている。しかし、生徒には他になす術がなかった。
「ア、アグリアスさん…!僕は…僕は…!」
無限大に膨れ上がる不安と悲哀に生徒は我慢がならなかった。
何分の一でも何百分の一でもいい。思い人にこの胸の内を理解して貰いたかった。
「僕は君のことがずっと…ずっと…!」
「……!」
アグリアスの肩を掴む。なんて柔らかで華奢なんだろう。

しかしその幸福を味わうには、あまりに生徒は昂りすぎていた。
残る肩も掴む。もはや止まらない。止まろうはずがない。
目を閉じて口を寄せる。倫理や体裁など塵ほども感じなかった。
腕の中にいるアグリアス。この世界で一番愛おしい女性。
それだけが、この男子生徒の世界の全てだった。
捕縛状態で勝負を覆す起死回生の当て技。彼女が識る14手の内、
現在の状況に最適なモノを選考し、発動。体重を効率よく乗せた重い掌打は
一寸の狂いもなく生徒の水月へ叩き込まれる。
「…ぐ…ふっ…」
男子生徒、あえなく撃沈。薄れゆく意識の中で見た愛おしい女の子は
相変わらず無表情だった。
倒れ伏す生徒を見下ろすアグリアス
「(…き、緊張したなぁ…)」
一応生徒の脈を確認したアグリアスは、生徒を放置したまま家路についた。




「私、この前リューク君に宿題教えて貰ったのよ!」
「あら、私だってこの前リューク君に本を運ぶのを手伝って貰ったんだから!」
「素敵よね、リューク君って…」
クラスで人気の異性について、和気藹々とさえずる女生徒達。
そんな中、アグリアスは辛うじて輪に加わっているものの、自らは話題に
参加しようとせずに、静かに窓の外を眺めていた。
窓から射す陽光に、彼女の艶やかな金色の髪が光る。
白光はクセの無い流麗な金の髪と輪舞を紡ぎ、主の美を称える。
その碧眼は遥か彼方まで広がる果てしなき青空を望み、心はここには無かった。
風の音色、若草の香り、暖かな日差し。自然という名の至上の芸術に彩られ、
静かに。静か過ぎるが故に逆に人を惹き付けてならない深窓の姫君。
体はこなたに。心はかなたへ。物欝げな顔で想い事に耽るアグリアス
どこか幻想じみていて、浮世離れしていた。
まるで彼女が時間と世界の流れから隔絶されているかのように。
「ねぇねぇ!アグリアスさん!ぼーっとしてないで話に参加しようよぉ!
 アグリアスさんは誰か好きな人とかいないの?」
彼女の静寂を掻き乱すのは、このグループの女生徒だった。
「そうだそうだ!忘れてた!アグさんはどうなのよ!?」
「アグっちってばー!黙ってないでさぁ!」
「………」
皆、憧れの人に話しかけて貰っただの、勉強を教えて貰ったといった、
ごくごく微笑ましい話ばかりだ。恋愛というものを知らずに、
恋に淡く甘い幻想を抱く小さなつぼみ達。
そんな彼女達の中で、一際異性と係わり合いが少ないアグリアス
確かに美しいし、気品もある。しかし寡黙で唐変木アグリアスには、
とてもじゃないが異性との恋愛劇を興じるといったイメージは持てない。
答えの判っている質問。彼女達のささやかないじわるい質問。
窓の外を向いていた視線が、ゆっくりと女生徒達に向けられていく。
氷の眼差し。冷たく、透きとおっていて、相手の熱を奪う略奪の視線。
この冷たい目の前には、どんなに熱く滾る怒りも罵倒も反論も、
一切が熱を吸い取られて無意味となるかのようだ。
別段アグリアスが怒っているようにも見えなかった。いつも通りの変わらない目だ。

見慣れた視線。しかし、相手の心根を見透かすかのようなその目に、
若干の悪意を持って臨んだ彼女達の胸に、冷気がじわじわと侵食していく。
「…私は…そういうのには縁がないな」
冷たい瞳に気圧されていた女生徒達だが、予想通りの展開に、冷えた胸へ熱を取り戻す。
「えー!?アグさんそうなのー?」
「つーまーんーなーいー!」
「何でもいいからさぁ!何かないのぉ!?」
「………」
やいのやいのと騒ぎ立てる女生徒達にアグリアスは黙り込み、考える。
遠く、ありし日の姿と事象を追憶する。
あの日、あの時、あの場所、あの思い出。彼女自身の人生史に問いただし、答えを模索する。
静かに、ある一つの目的の為に思考するその姿は、先ほどのとりとめもない
物思いに耽っている様子とは、また違った一面を覗かせた。
髪が春風にそよぐ。陽だまりの中で、静寂の内に身を沈める透明な氷の少女。
「…そうだ。思い出した」
ふと顔をあげ、爛々と表情を輝かせる少女達に言い放つ。
「…この前ね、女子トイレと間違えてうっかり男子トイレに入ってしまったんだ」
「………え?」
「退屈だったし、誰もいなかったから色々と調べてみたけど、けっこう面白かったよ」
「…………!!!」
表情一つ変えない、静かで凛々しい彼女に、女生徒達はただ戦慄した。