氏作。Part17スレより。



 1、2、3、4…………汚い壁だ。


 ライオネル城。あてがわれた部屋でぼんやりと椅子にもたれながら、私は古びた石壁の染みを数えていた。
毎日が穏やかに過ぎていた。あまりにも平和な生活。自分の務めを忘れてしまいそうになるほど。
オヴェリア=アトカーシャ王女殿下専属護衛小隊隊長アグリアスオークス。それが私だ。
だが、今の私にはなにもすることがなかった。ただ、染みの数を数えているだけだ。
 数日前、我々はこの城の城主でもあるドラクロワ枢機卿にオヴェリア様の保護を求めた。
猊下は快く受け入れて下さり、以後オヴェリア様には厳重な警護がつけられ、教会の保護が約束された。
申し分のない待遇を得られたわけだが、私は護衛から外されてしまった。
「あなたは既に十分過ぎるほどの大任を果たされました。どうかしばしの間我々に事を任せ、ゆるりと御休息を」
 枢機卿直々にそんなことをいわれては、素直に従わざるを得ない。深い御配慮に感服しつつも、
どうにも時間をもてあましてしまう。日に三度オヴェリア様の御機嫌伺いをする他は、全くすることが無かった。
人は暇になると、あれこれ余計なことを考えるようになるのだと知った。


 10、11、12………なぜこんなに、一体何の染みなのだろう。


 しかし妙な気分だった。安全な場所にいるというのに、それに反して心はとても鋭くなっている。
ついこの前までは、気を抜くまい抜くまいと、努めて心を尖らせていたと言うのに。まるっきり逆ではないか。
そうだ、まったく数日前の事が遠い昔に思える。ザランダの城塞から、遠くこの城を望んでいたあのときが。



 オヴェリア様をおめおめとさらわれた時、目の前が真っ暗になった、打ちのめされた、賊が憎かったが
自分がもっと憎かった。だがなんとか己を奮い立たせ、私は賊の足取りを追った。
そして、ようやくオヴェリア様を救出できた。と同時に、自分達が孤立してしまったことを知らされた。
窮地に立たされた私達は一分にも満たないような希望を頼りに、遥か遠いライオネルを目指した。
そうして、………ここだ。旅の終着点、ライオネル城。
 短い間だったが、一瞬たりとて心の休まらない旅だった。しかし、終ったのだ。
なのに、やっと辿り着いた安息の地のはずなのに、どうしてか私は落ち着かなかった。
胸には得体のしれない不安が篭り、それが私をひどく警戒させた。夜も寝つきが悪かった。


 17、18、19………だが、無理もないことかもしれない。


 こういってはなんだが、私はどちらかといえば物事をなんでも暗い方向に捕らえてしまう人間だ。
いつも周囲を警戒し、気が立っていた。見知らぬ人間ともなれば、いちいち剣を抜かないと落ち着いて
話もできない。王女の警護という要職には、それぐらいの気概は当然だと思っていたのだ。
だが、……うん、本当はそんなことは建て前に過ぎない。私はどうしようもない憶病者なんだ。昔から。
それがあれ以来、ますます神経質になったのだから。当分の間おさまらなくとも、無理はない。
 旅をしていた時だって、もちろん傭兵の連中など、根っから信用しなかった。元々あのガフガリオンの
部下だったような奴らだ。信用しろという方が無理がある。ラムザがいなければ、とても、


 ……ラムザ


 どうしてラムザの名前が出てくる。





 身を起こし、椅子にかけなおしながら私は首をひねった。
 考えてみれば、どうして私は傭兵などに頼ったのだろう。オーボンヌを旅立った時の事を思いかえす。
あの時、協力を申し出たのがもしラムザでなかったら、私は同行させただろうか。いいや、答えは否だ。
例え相手が、あの忌々しいガフガリオンでなくとも、私は金で動く人間など決して信用しなかっただろう。
 しかし、不思議なことだが、ラムザに対しては全くそういう意識を持たなかった。もちろん戦いとなれば、
ラムザよりもガフガリオンの方が数倍戦力になると思っている。戦術、統率、経験、実力、全てにおいて。
だがそういうことと別に、私はラムザという人間を微塵も疑わなかったのだ。しかも、今の今までそれを
疑問にも思わなかった。どうしてだろう。考えれば考えるほど不可解だ。
「きっと、うまくいきますよ」 
 私が苛立ち、ピリピリしているとき、彼は肩を叩いてそういった。
何の根拠もない、そんな幼い顔をして言われても気休めにもならない、そんなことを私は怒鳴り付けた。
怒鳴った後で、いつも妙に高揚がおさまっていた。なぜだろう、分からない。私は落ち着かない。
 無性にラムザに肩を叩いてもらいたくなった。ラムザ達が発ってから、一週間が過ぎていた。


 ……ラムザ、貴公は無事なのか?


 考え事のせいで、染みの数を忘れてしまった。まあ、別にどうだっていい。要するに汚い部屋なのだ。
座りっぱなしでうとうとしてきた。散歩でもしようと立ち上がると、いつのまにか扉の前に男がいた。
その瞬間、私は自分の感覚が正しかったことを悟った。それは平和などという幻想が、音を立てて
崩れ去った瞬間だった。目を見開き、愕然としている私を見て、男はニヤリと悪意のある笑みを浮かべた。
「また会ったな」
黒い甲冑。尊大な口調。虚無を見据えるような目付き。
それははじめて会った時から変わらない、紛れも無くガフ=ガフガリオンの姿であった。


 何かが、大きく渦を巻いて狂いはじめていた。






 一瞬私は硬直したが、すぐに行動を起こすべく剣に視線を走らせた。だが、
「探しもンはこれか?」
私の思考を先読みするかのように、男の手には私の剣が握られていた。 諦めて、私は問いかけた。
「……貴様、何故ここにいる」
「どこにいようが俺の勝手だ」
「どうやって入った。ここの警備をかいくぐるなど……」
「無理だな。俺もトシだからな」
くっくっ、とかすれた声で笑う。小馬鹿にしたような態度だ。私は拳を震わせながら、ふと気付いた。
自分で口にした言葉が答えになっているのだ。そう、ここは容易く忍び込めるようなところではない。
第一、私の部屋の前にも衛兵がいたのだ。しかしこいつは何の騒ぎも起こさずここにいる。
こいつは忍び込んできたのではないのだ。すなわち、
枢機卿は……」
「そういうことだ。俺の依頼主はあのジジイだ。ま、それだけじゃないンだが……」
「なんだと? 何を企んでいるんだ」
「てめえの事を心配しな」
 固く歯を噛み締め、今にも飛びかかりそうな体を抑えながら、私は頭を最大限に働かせた。
落ち着かなければいけない、落ち着いて考えるんだ。まず、何故こいつが現れたのか。
こいつが枢機卿と通じているのは、もはや間違い無い。だが何故、今現れた。
我々の戦力を分断してから始末する気だったのか。いや、騙し討ちの機会はいくらでもあった。
わざわざラムザ達を遠ざけ、戦力を分断させる必要は無い。彼我の戦力差はそれほど明らかだ。
必ず何かがある。殺す気なら、とっくに殺しているはずだ。今すぐにでもーーー
その時、唐突に私は壁に染み付いた、黒ずんだ汚れの意味を理解した。
「……なるほど」
 つまり、ここはそういう部屋だったのだ。
誰かを、それも利用したいような相手を招き、そして……
「ま、そンなことはどうだっていいンだ」
退屈そうに言い捨てると、ガフガリオンは私に歩み寄った。



「あンたにやってもらいたい事があってな」
「聖石……か?」
 呟いた言葉に、奴は満足そうに笑った。「案外頭は悪くねえンだな」
 やはり、か。それしか考えられない。枢機卿ラムザ達をゴーグに向わせた理由は。
あの石に、一体どれほどの価値があるのかわからないが、しかし枢機卿の石を見つめる視線にはどこか、
おぞましいものがあった。魅入られたような、まるでとり憑かれたような……。
あれを欲しているということは、当然枢機卿はバート商会とも繋がっているのだろう。ラムザ達を
利用して聖石を手に入れるつもりだったに違いない。そして……、恐らく奴らは失敗したのだ。
だからこの男が出てきたのだ。次に私を利用するから。もう私を騙す必要がないから。
 だが、こんな奴らに加担するなど、死んでもごめんだ。
「………私が、大人しく従うような女だと思うか」
 激しい憎悪と怒りをぶつけた。それでも男は冷静だった。
「思わン。思わン…が」
 スラリとガフガリオンは剣を抜いた。
素手で俺に勝てるなどと、自惚れるような女だとも思わン」
ゆっくりと切先が移動し、私の喉元で止まった。刃には血がこびりついていた。部屋の壁と同じように。
正しい。丸腰では、いや例え対等な条件だろうとも、この男は私よりも強い。
そして、この男は躊躇わない。用がないなら、始末する。性別など気にもかけない。
だがそんなことはわかっている。わかっているのだ。
「自惚れているのは、貴様の方だ。素手だろうが、無傷で私を殺せると思うな」
 それだけ言うと、あとは相手の腕の動きに全神経を集中させた。十中八九、私は死ぬだろう。
構わない、しかし走馬灯などにふけるつもりはない。命を乞う気もない。必ずこの男を後悔させてやる。
その愚行の刻印を、生涯きえることのないように深く刻み込んでくれる。
 ふいにガフガリオンは呆気にとられたような顔をし、それから大声で笑い出した。
私が訝しげに動きを窺っていると、さらに驚いたことに奴はついと剣をひっこめた。



「やはりあンたは馬鹿だ」
「黙れ」
「何のためにここまで来たのか忘れたか」
「……!?」
「あンたは逆らえないんだよ、例えこうしてもな」
そういうと、ガフガリオンは私の剣を投げてよこした。


 唖然とした。しかし考えている暇などない。すぐさま剣を抜き、構える、奴は剣を下ろしている、殺せる。
「ホレ、どうした」ガフガリオンはニヤニヤと胸板を指している。
「………」
「やらンのか?」
「………」
「構わンぜ。別にクズみたいな人生だ」
「………」
「あンたぐらい強い奴に殺られりゃ、まあ文句はねえな」
「………」
「だがな、刺す時は俺の胸と王女の胸は繋がっていると思え」
「……!」その言葉に、冬の冷えきった冷水をかけられたように、私の頭は覚醒した。
 こいつの言う通りだ。私は、私は何を血迷っていたんだ。
もう一度、同じ過ちを繰り返すつもりなのか。また自分の務めを見失うところだった。
重要なのは、私の意志などではない。オヴェリア様の………
 ゆっくりと私は剣を納めた。
「お利口だな、アグリアスちゃンは」
「……オヴェリア様に手を出すな」
「安心しな、あの王女様は価値があるらしいからな」



 全てはオヴェリア様をお護りするため。
 私は、腐り果て錆び付いた機械を動かす、歪んだ歯車のひとつになろうとしていた。




以下、未完。