氏作。Part17スレより。



 嫌な夢を見た。内容は覚えてないが、ろくな夢でなかったのは確かだ。


身体中汗だくで、服がねっとりとからみついて気色悪い。にもかかわらず、とても寒い。
ガタガタと振動を感じるのは、どうやら馬車の中らしい。目を開けると、側にアリシアがいた。
「あ、隊長。目が覚めたんですね。御加減はいかがですか?」
アリシアか……。いや、悪くない、ありがとう。ここはどこだ?」
「フォボハムです。もうすぐレナリアにさしかかりますから、道が悪くなって来ているでしょう?」
「ああ……、私のことはいいから、お前も休んだらどうだ。」
「いえ、さっきラヴィアンと代わったばかりですから。」
見え透いたことを言う。目の下の大きな隈が疲れを語っているではないか。
全く、普段は騒がしいくせに、どうしてこんなときに限ってしおらしいのか。
……いやいや、こんなことをいえた身分ではないか。
アグリアスは震えた息を吐くと、再び目を閉じた。


 アグリアスは数日前から病床に臥せている。もちろん、ただの風邪ならば気丈なアグリアス
歯を食いしばってでも戦線に出るだろう。並みの病いではないのだ。
数日前と言うのは、ユーグォの森で死霊の群れに出くわした日だ。たいした数ではなかった。
加えて幾多の修羅場をくぐりぬけてきたラムザ達である。いまさら冥界の亡者などものの数ではない。
だが、そこに油断があった。
アグリアス、下がれ!」
「黙ってろ!」
敵はほとんど殲滅しかけていたし、声をかけたのが虫の好かないクラウドだったということもあって、
アグリアスはそれを切り捨てた。
次の瞬間、足下から忍び寄った死霊が彼女の口に潜り込んだ。ぬめった氷のような感触が喉を過ぎる。
「うっ………あ……。」
慌てて吐き出そうとしたが、苦い味と共に胃液が数滴垂れただけだった。そのまま彼女は意識を失った。




「……『冥府の呪い』だな」
喉に剣を突き付けられながら連れてこられた医者は、しばらくぶつくさと不満をこぼしながら
アグリアスを診察していたが、やがて神妙な顔つきになった。
「死霊共のとっておきだ。まあいわば、とり憑かれたようなもんだ。俺にはどうにもならん」
「そんな!」
隣のラムザが顔を曇らせるが、まあまて、と医者はそれを制する。
ガリランドに良い解呪師がいる。紹介状を書いてやるからそいつを頼るといい。道中は安静にな」
喉元の剣を手で押し返しながら、彼はアグリアスに言った。
「あんたら異端者らしいが、少なくとも仲間には恵まれてるようだな。多少荒っぽいようだが」
「……すまない」
ニヤリと笑うと、ふざけたつもりか、男は十字を切り天幕を出ていった。
身体の内側から冷やされていくような悪寒の中、アグリアスは今日の失態を恥じていた。
戦場に個人的な反感を持ち込むなど、なんと浅はかな。自責の言葉は無数に浮かんだが、
今になっては後の祭りというものであった。この上は一刻も早く身体を治さなくては。
安静に努めようと目を閉じかけたアグリアスの耳に、外から話し声が聴こえてきた。
「……すみません、こんな手荒な真似を。すぐに街までお連れします。」
「……いまさら謝らんでもいいがね。そんなことより、急いだ方がいい。早くしないと死んじまうぞ。」
「えっ!?」
「死霊がそのまま身体の中に入ってるんだ、生半可なことじゃない。どんどん生命力が削がれていく。
ことに、あんな暗い顔つきをした奴はすぐに逝っちまう。」
「……どうすれば?」
「とりあえず、彼女を独りにするな。絶えず看病させておけ。後は……あの女次第だな。」


深刻な事実を聞いても、アグリアスには何の感情も湧かなかった。
死ぬのか…と声にだしてみた。やはり何も感じなかった。





 その夜から、医者の忠言通り数名が交代でアグリアスの看護についた。着替えや、身体を拭いたり
する必要もあったのでラムザはその役を女性に頼んだが、大部分が彼女を嫌っていたので嫌がった。
結局引き受けてくれたのは数名であった。ラムザが時折様子を見に来たが、それ以外の見舞いは皆無だった。
付き合いが長いこともあって、看護してくれて一番助かるのはやはりラヴィアンとアリシアだった。
無用な気配りもなく、無駄口も叩かずに卒なく仕事をしてくれる。それに修道院での昔話などもできた。
ラファが相手の時は、こちらへの思いやりが犇と伝わってくるのだが、如何せん、非常に手際が悪い。
逆にメリアドールの場合、手際は良いがどういうつもりか憎まれ口を叩きまくるので不愉快極まった。
だが、それよりももっと困るのは、


「まあ、いやねえベイオったら!」
「ははは、レーゼは恥ずかしがり屋だな。」
起きた時にこの二人が横でじゃれあっている時である。
しかし妙なところで奥手なアグリアスは寝た振りを決め込むしかない。
「ねえ、ベイオ。娘の名前はなにがいいかしら?」
「なんだい、もう娘に決まっているのかい?」
「もちろん男の子も欲しいわ、でもやっぱり女の子が先ね。上が女の子で下が男の子が理想なの。」
「きっと君に似て美しい娘だよ、レーゼ。嫁にやるのが惜しいくらいのね。」
「うふふ、息子だってきっとあなたそっくりよ。そのためにも、早くあなたと暮らしたいわ。」
「そうだね。だけど僕は今だって、君の子供が欲しくてたまらないよ。」
会話が流石に危うい域に達すると、アグリアスも黙ってはいない。
「…………ゴホン。」
「あら、アグリアス目が覚めた?気分は悪くない?」
「それじゃ邪魔者は退散するよ、またねレーゼ。」
こうしてなんとかベイオウーフを追い払うわけだが、ここで安堵しかけると
「ねえアグリアス、娘の名前何にしたらいいと思う?」今度はレーゼのノロケが延々と続くのだ。
要するに起きても起きなくても聞かされるわけで、ここ数日で二人の馴れ初めはおろか、
住居の当てや、果ては孫にどんな玩具を買ってやるつもりかまで聞かされ、ほとほとうんざりしていた。





「あっ、熱下がってますね!」
額に手を添えたアリシアが無邪気に喜ぶ。だが、それが快方の兆しでないことをアグリアスは知っていた。
いや、むしろ、それはもはや身体が抵抗する力を宿していないと言うことを示していた。
暗闇のなかで、彼女は死をすぐ側に感じた。
(志半ば、戦場の上ででもなく、私は倒れるのか。しかし、このまま隊の荷物になるぐらいならば・・。)
アグリアスは驚くほどすんなりとそれを甘受していた。
死霊の邪気は彼女から生きる意志までも奪っていたのだ。
全てを捧げてきた主君オヴェリアの顔も、今のアグリアスにはもはや心遠かった。
「……喉を潤したい」
奇妙に喉が乾いた。末期の水と言うやつだろうか、アグリアスは枯れた喉を搾った。


ドス、と頭の横で鈍い音がした。
けだるそうに首を倒すと、水差しが置かれているのがわかった。
と同時に、視界に妙な人影が飛び込んだ。
「……水だ。」
「……なんのつもりだ、貴様。」


ガタガタと音をたて、車輪は忠実に回転していた。





 おかしい、ラムザは看護は女に任せると言っていたのに。それなのに、なんでこいつがいる。
さっきまではアリシアがいたはずなのに、いつからいたんだ。
大体今まで顔を見にも来なかったくせに、どうしてよりにもよって私の最期の看取り手がこいつなんだ。
人が病身だと言うのに、なんだそのつまらなそうな顔は。
そんなことをむらむらと考えていたので、水を差し出した相手への第一声は
「なんのつもりだ、貴様。」
「……なにが?」
という良く分からないものになってしまった。言われたクラウドは腕を仰いだ。
「だから……何故、貴様がここにいるのかと聞いている。」
「不満なら出ていく。」
そっけない、どうやら正真正銘クラウドらしい。アグリアスはふうと溜め息をついた。
「……アリシアはどうしたんだ。」
「他の馬車で寝てる。さっき教会の一派に待ち伏せをくった。
結構な手勢だったんでほとんど全員出撃した。皆つかれきって寝ている。」
「……なるほど。」
それでこいつだけのこったわけか。確かにこの男は異常と言っていいほどの体力を備えてる。
疲れるどころか汗をかいているのすら見たこと無い。
たとえ階段を何百段駆け上がった後でも、きっとピンピンしているのだろう。
会話のタネなどひとつもない二人だから、アグリアスは再び目を閉じた。
が、どうにも妙な違和感を感じて眠れない。
目を開けると、クラウドがじっとこちらを見ていた。



「………」
「………」
「……おい。」
「……なんだ?」
「何を見ている。」
「……水を飲まないのか、と思って。」
「……寝たまま飲めると思うか。気の利かんやつだな。……起こしてくれ。」
「……わかった。」
そういうと、クラウドはひょいとアグリアスの毛布をめくり、薄着一枚の腰の下に手を差し入れた。
突然の振舞いにアグリアスは仰天し、思いきりクラウドを突き飛ばす。
壁にぶつけた頭をさすりながら、クラウドは目を細めた。
「なんなんだ、あんたは…。」
「ばばばば馬鹿者!貴様、抵抗できない女に何を……!」
「あんたが起こせと言ったんだろ。」
「……っ、ああ頭だけでいいんだ!!今度こんな真似をしたら人を呼ぶぞっ!」
「……俺とあんたしかいないんだが。」
「な…!?だっ誰が綱をとってるんだ!」
チョコボに任せてる。」
「馬鹿な!貴様ふざけるのも大概に…!」
「………」
喚きまくるアグリアスに、クラウドは急に黙りこくった。
ゆっくりと身を起こすと、アグリアスの枕元に近付いてくる。
不審なものを感じて彼女も黙る。クラウドは腰を下ろし、アグリアスをじっと見据えた。
さらに、ゆっくりと上体を倒してきた。
「………な…、何だ………。」
クラウドは喋らない。相変わらず体を倒し、どんどん互いの顔の距離は縮まっていく。
やがて、彼の瞳に自分の顔を認識できてしまうほど接近する。



「や……やめろ、……なんのつもりだ……殺されたいのか…。」
「うるさいな………。」
喋るとお互いの吐息が顔にかかる。
朦朧とした意識の中、アグリアスはさらに彼の口が動くのを察し、無意識に固く目を瞑った。
バクバクと自分の心臓が暴れているのがよくわかる。鼓動に紛れて、なにか囁き声が聴こえた。
「…ス………」


なんだ?なんといった?


音が聴き取れない内に、目の前の気配がスッと薄らいでいくのを感じとる。
一体どうなっているんだ。心音は更に高まる。しかし、どうにも怖くて目を開けられない。
声を出そうにも、喉も震えている。そうして息もつけないような状態が続いた。
しかし、やがて異変に気付いた。ひどく眠いのだ。
さっきまで全く寝つけなかったのに、異様な眠気だ。
少し落ち着いて、再び目を開けようとしたが、瞼がひどく重い。
感情のせいとか、そういうわけではなく、まるで……。
(……!!)
急に事を察したアグリアスは、全力で体を起こそうとするも、既に鉛のような肢体はピクリとも動かない。
かろうじて目を開くと、最初に起きた時と同じようにクラウドが腕を組んで座っていた。
「……き……さま……っ!」
「寝てろ。」
掴み掛かろうとしたが、そのやり取りを最後に、彼女の意識は睡魔の魔法によって闇に沈んでいった。





 眠気を促すような心地よい揺れの中、ラムザは目を覚ました。
大きく欠伸をしながら、御者の交代をしようと起き上がると、
手綱をとっているはずのマラークが、自分の足をまくらにして寝ていた。
「おはようラムザ。」
寝ぼけた頭に声がかけられ、ラムザは仰天する。
「……アッ、アグリアスさんっ! 何やってるんですか!!」
「あぁ、騒ぐなラムザ。皆をもう少し寝かせておいてやった方がいいだろう。」
「っっ!!?」
あまりにも平然とした態度に、ラムザはわけもわからず絶句する。
当たり前だ、昨日まで死にかけていた人間が。
「なにいってるんですか! アグリアスさんこそ寝てないと…、病人なんですよ!?」
「もう治った。」
「……! そんな、大丈夫なんですかアグリアスさん?」
「見ての通りだ、迷惑をかけたな。どうやらガリランドへは無駄骨になりそうだ。」
「いえ、それは構いませんが……本当に大丈夫なんですか、アグリアスさん?」
「あぁ、休んでいてくれて構わんぞ。」
ポリポリと頭をかきながら、ラムザはあてもなく辺りを見回した。
どうやら本当に完治しているらしい、と納得はしたものの、
その答えを示してくれそうなものは見つからなかった。





「………あっ、そうだクラウドは。」思い出したようにラムザは声をあげた。が、
「知らん。」
突然、清清しいアグリアスの声色に怒気が混ざった。
ピシャリとはねつけるような言い方に、ラムザはたじろぐ。
迂闊だった、という様子でアグリアスは咳払いをする。
「いや、私が起きたときはレーゼが側にいた。
すっかり完治したようなので、マラークに手綱を代わってもらったんだ。」
「……そうですか。」
ラムザはもう一度欠伸をし、なおも首を傾げていたが
それ以上に彼にのしかかる疲労が再びラムザを眠りに追いやった。
後方でコテンと倒れる音を確認し、アグリアスはあの夜耳立てた、医者とラムザの会話を思い返した。


「……彼女、恋人はいないのか?」
「え、……あ、いえその……さあ…。」いわれたラムザはなぜかどもった。
「何をうろたえてんだ。恋人でもいるんだったらな、そいつを側につけてやるといい。
死霊はな、喜びだとか安らぎだとかいった暖かさに弱いんだ。
そういう点じゃ愛情に勝るもんはないからな。おい、ただの臭い台詞じゃないんだぞ。
場合によっては医者なんざにかかるより、その方がずっと効果がある」
「そうですか……。」
「あんたがそうか?」
「っ!? いいいいや、違います、違いますってば!」
「うろたえるなってんだ、俺はもう行くぞ。」





………ではなにか。私がその、あいつのおかげで、つまり安らいだとでも言うのか。……馬鹿な!
違う、あれは腹が立っただけだ。そうとも、それで頭が熱くなって……、
大体!あんなヤブ医者の言うことなど当てになるものか!そうだ、それに………



……なんで目を閉じたんだ、私は……



「ええい!」
「クエーーッ!!」
ビシリと八つ当たりの鞭を当てられ、チョコボが叫んだ。


車は台地の終わりにさしかかり、遠くガリランドの外壁が見え始めていた。