氏作。Part25スレより。

 歴史学者アラズラム・デュライが、異端者ラムザ・ベオルブの名誉を回復せんとして「デュライ白書」を
公開したのは、獅子戦争終結から400年が経過したグレバドス聖暦(以下聖暦)1655年のことであった。
同書の公開により、アラズラムはグレバドス教会と、残りの人生すべてを賭けた大闘争を繰り広げるわけで
あるが、彼の行為がそれまで「紊乱者」としてのみ捉えられていたラムザに対する史家の視点を、大きく転換
させる契機となったことは周知のとおりである。
 しかしながら、ラムザに対する評価とは別の次元で、「デュライ白書」に対する史家の評価もまた二分
された。確かにデュライ白書は、異端者ラムザの名誉を回復するに足る史料であったが、同時に「実は著者、
オーラン・デュライが自らの功績を誇るために異端者ラムザの活躍を美々しく書きたてたのだ」「アラズラムは
先祖を賞賛するためだけにこの史料を公開したのだ」などという揶揄が付きまとったのである。
 これにより、史家の間ではその他の資料についても比較吟味し、史実を明らかにようという気運が高まり、
獅子戦争とその時代に関する多くの著書が???教会の圧迫を受けながらも???研究されたのである。
 結果、現在ではラムザ・ベオルブが獅子戦争の真の危機からイヴァリースを救ったことは常識である。
もっとも教会はかたくなに彼の異端取り消しを否定し続け、最終的に彼の名誉が回復されたのは、獅子戦争
終結から500年以上経過した、聖暦1771年のことであった。これはラムザにとって嘉すべきことであったろうが、
同時にそれまでの反動で、彼が実像以上の英雄として持て囃されるという弊害ももたらした。
 ラムザ・ベオルブが多くの同士の協力によって戦い抜いたということは意外と知られていない。彼が己の
信ずる戦いを続けられたのは、彼自身の才覚、強運などもあろうが、彼を助けた多くの優れた仲間たちの力に
よるところも大きいのである。その中で当代きっての猛将といわれたシドルファス・オルランドゥ伯爵などは
よく知られた存在であるが、ここで特に取り上げたいのは、一人の女騎士の存在だ。
 その名を、アグリアスオークスという。


 アグリアスオークスは、フォボハムの名家、オークス家の十六代当主、リネッティ・オークスの長女として、
1231年に生まれた。ラムザ・ベオルブより四つ年上ということになる。生家のオークス家は、貴族としての格は
高いが、五十年戦争によって実質的な力を失った、いわば名前だけの旧家であった。
 なお、「アグリアス」という言葉は古代畏国語で「繁栄」を意味するとされる。傾きかけた家運をこの子供に
託そうとしたリネッティの希望の顕れ、と見るのは穿ちすぎであろうか。もっとも「アグリアス」ははるか南洋に
棲息した、すでに絶滅した蝶の名だとする説もある(この蝶に関してはジーベルト卿の『南海探検記』が詳しい)。
 このときまでに誕生した男子をすべて亡くしていた当主リネッティは、彼女に非常な期待をかけたようである。
実際、アグリアスはアカデミーで非常に優秀な成績を修めた。彼女の卒業した1251年の王立士官アカデミーの
成績簿が残されているが、この年の首席はアグリアスである。王室への忠誠度も抜群と評されている。
 アグリアスの卒配先は、首都ルザリアの近衛騎士団であった。まず花形といってよい。ところが翌年、国王
オムドリア3世が逝去すると、後継者候補のオヴェリア・アトカ−シャ王女の護衛隊として、ドーターの南、
オーボンヌ修道院に派遣されることになった。


 当時、オヴェリア王女の立場はたいへん微妙であった。
 そもそもこの王女、前国王デナムンダ4世(在位1229〜1245)の子とされているが、実は王室の血は流れて
いなかったのである。時の国王オムドリア3世(在位1245〜1252)は病弱であり、国政は王妃ルーヴェリアが
牛耳っていた。これを快く思わない元老院は、国王夫妻に子がない(実は元老院が暗殺していた)ことに目を付け、
王位を継承させるべく、オヴェリアをその養女として送り込んだのだが、実は本物の王女はこれよりはるか以前に
死んでいた。元老院が送り込んだ「オヴェリア」は氏素性の知れない真っ赤な偽者だったのだ。ただしこのことは
オヴェリア自身も知らなかった。彼女は本物の王女として教育されていたのである。
 ところが王妃ルーヴェリアに男子オリナスが生まれたため(この赤ん坊も、王妃の兄・ラーグ公がオムドリアの
種とでっち上げたという説がある)、オヴェリアはラーグ公預かりとなり、オーボンヌ修道院に身柄を移され、
幽閉同然の生活を送ることになった。
 当然、このような複雑な立場の王女を、利用、あるいは害そうとする輩の出現が懸念されたのである。
 アグリアスはそんな王女の身辺を守るために派遣されたのだった。


 アグリアスは、オヴェリア王女の境遇に(その出生の秘密は知らないにせよ)大いに同情したようで、実に
謹直に己の任務を果たした。オヴェリア王女も清廉なアグリアスをたいへん信頼したようだ。なお、後に軍籍を
離れアグリアスと行動を共にするラヴィアン・シンクレア、アリシアウェールズの二人もアグリアスの部下と
して当地に派遣されていた。
 アグリアス達がオーボンヌに派遣されたあと、イヴァリースの情勢はさらに緊迫していく。ラーグ公は二歳に
なる甥のオリナス王子の後見として権力を手中にしようとしたが、王妃ならびに外戚の専横を恐れた元老院議会は
これに反発し、先手を打って先王の従兄弟であるゴルターナ公を後見、摂政として任命。貴族たちもラーグ派と
ゴルターナ派に分かれて対立を深めた。特に五十年戦争で没落した貴族の多くが、ゴルターナ側に与したようだ。
 ここに獅子戦争の禍根が育ったのである。
 そしてついに、ラーグ公はオヴェリアを抹殺せんと魔手を伸ばした。すなわち配下の北天騎士団と傭兵団に、
オヴェリアを護送に見せかけて誘拐し、暗殺するよう命を下したのである。
 この傭兵団の中に、ベオルブ家を出奔して傭兵となっていたラムザ・ベオルブがいた。当然彼は、自分の任務は
オヴェリアの護衛であって、その裏で陰謀が企まれていることなど???ましてその作戦を立案したのが実兄たる
ダイスダーグ卿であったことなど???知らなかった。 


 余談だが、アグリアスが初めてラムザを見たときの印象を、幾つかの史書が伝えている。どうやらアグリアス
には華奢で柔和な顔をしたラムザは、「頼りにならなさそうな男」と映ったらしい。彼女自身が女性としては
長身で、またホーリーナイトとしてすでに名声があったせいか、当時まだ十七歳のラムザはいかにも幼く、頼り
なげに見えたのであろう。
 狂言誘拐は意外な顛末をたどる。北天騎士団がオヴェリアを拉するより早く、教会の意を受けたディリータ
(もちろん後のディリータ王である)が、南天騎士団に扮した部下を引き連れて修道院を急襲し、彼女を奪った
のである。アグリアスの護衛隊と、ラムザが属する傭兵団はこれを急追、ゼイレキレの滝で追いつくが、そこに
北天騎士団が現れ、さらにラムザの直属の上司である傭兵隊長のガフガリオンという者まで、護衛者の仮面を
かなぐり捨て、オヴェリアを捕らえるために敵に回ってしまった。
 ここに至ってラムザは傭兵団、ひいては北天との決別を決意、アグリアスらとともにオヴェリアを守るべく
戦うという立場を表明する。
 アグリアスとその部下、ラムザ、そして部下を倒され孤立していたディリータが共闘し、北天騎士団と
ガフガリオンは撤退した。ディリータはオヴェリアをラムザ達に託して立ち去る。
かくてラムザアグリアスは一蓮托生となった。
 この時のラムザの覚悟がいかに大きなものであったか。彼は北天、およびその背後にいるベオルブ家や
ラーグ公の勢力を???つまり畏国の半分を敵に回し、しかも自分自身の拠り所まで失ったのである。
 並大抵の覚悟ではない。アグリアスラムザには深く謝意を表した。
 

 ???貴公の決意に対して、わが子々孫々まで最大限の敬意を払うであろう。

 
「デュライ白書」は彼女のそのような熱烈な感謝の言葉を伝えている。のちにアグリアスは恋愛において大いに
情熱を発揮したが、普段から激情型の人物であったようだ。
 アグリアスの提案で、一行はグレバドス教会領であったライオネルの城主、ドラクロワ枢機卿を頼ることに
なった。北天も南天も頼れないのであるから、第三の勢力である教会に救いを求めるのはアグリアスたちの立場
からすれば当然であったが、北天の軍師ダイスダーグ卿はすでにドラクロワ枢機卿とも通じていたのだ。
 飛んで火にいる夏の虫である。ライオネルに辿りついたアグリアスは、喜んで尽力しましょうという枢機卿
言葉に胸をなでおろしたが、ラムザが仲間の機工士ムスタディオ(この人物については後で詳述することになる)
の父ベスロディオの窮地を救うためライオネルを離れることになり、さらにルザリア以来アグリアスに従って
きた部下のラヴィアンとアリシアをもこれに同道させたため、ライオネルに孤立することになった。
 枢機卿がこの機会を逃すはずがない。アグリアスはオヴェリアと引き離され、ライオネル騎士団に襲われ投獄
されかかる。すんでのところでライオネルを脱出したアグリアスは、単騎、バリアスの谷まで逃れるが、追っ手
に追い詰められた。
 多勢に無勢である。アグリアスは死を覚悟した、が????
 そこへ、奇跡的に現れたのが、機工都市ゴーグへ向かったはずの、ラムザ一行であった。


 機工都市ゴーグに赴いたラムザ達は、ムスタディオの父ベスロディオが所持していた「聖石」を狙う者達に
襲われたのだが、その連中を裏で操っていたのは、他ならぬドラクロワ枢機卿だったのである。枢機卿までもが
私欲のために動いていると知ったラムザ達は、アグリアスとオヴェリアにその魔手が伸びることを懼れ、海路
貿易都市ウォージリスよりライオネルを目指し、その途上、バリアスの谷でアグリアスを助けることになったの
だった。
 アグリアスにしてみれば、ラムザに助けられるのは二回目である。しかも彼は北天に続き、ライオネル、
ひいては教会を敵に回してまで自分に力を貸してくれたのだ。アグリアスはもう、彼のことを「頼りない若造」
などとは見なくなっていた。あるいはこの頃から彼女はラムザを単なる仲間以上の存在として意識しだしたの
かもしれない。
 その後アグリアスはオヴェリアがゴルゴラルダ処刑場(聖アジョラが処刑された場所として知られる)で
オヴェリアの処刑が行われるとの情報を元にその地に急行するが、これは一行をおびき寄せるための枢機卿
謀略であった。
 ここで待ち受けていたガフガリオン???ラムザの元上司であった傭兵である???が、ラムザに対して
ベオルブ家に戻るように勧告する。しかしラムザはこれを言下に拒否した。驚いたのはアグリアスである。目の
前の少年が、北天の頭領、ベオルブ家の三男坊であろうとは。しかしラムザは自分はベオルブ家を捨てたこと、
兄達の謀略に加担していないことをアグリアスに訴えた。これに対して


 ????いまさら疑うものか、私はお前を信じる。


 アグリアスはきっぱりとそう答えたのである。これまでの戦いを通じ、彼女はラムザが信頼に足る人物と判断
したのだ。この判断が正しかったことは、最後まで揺るがなかった彼らの金鉄のような信頼関係を見れば明らか
であろう。団結を深めた一行は、ガフガリオンらを退け、そのままライオネル城に乗り込む。
 枢機卿ドラクロワはすでに人外のものに成り果てていた。ルカヴィと呼ばれる魔界の住人が、そこにいたのだ。
たいへんな苦戦の末、ラムザ達はこの怪物を倒した。
 獅子戦争の影で、この世ならざる者までがイヴァリースを脅かしつつあった。アグリアスラムザは、絶望的
な戦いに身を投じてゆくことになる。


 ラムザ達がルカヴィとなったドラクロワ枢機卿を倒した直後に、獅子戦争が勃発する。
 一行ががライオネルに乗り込む直前に、王女オヴェリアを連れ出したディリータハイラルが、彼女を南天
トップであるゴルターナ公に委ねたことにより、オリナス王子を擁する北天とオヴェリアを擁する南天とは互角の
条件となった。こうなればあとは開戦するだけであった。
 戦乱の裏で暗躍する者たちに対するラムザの戦いも、当然激化してゆく。ところが「デュライ白書」は、戦争
勃発後のラムザ一行については、主としてラムザに焦点を当てて描いており、アグリアスの影は至って薄くなる。


 ????(アグリアスは)ラムザの副長として彼を補佐し、大いにその戦いを助けた


 この程度の記述しかない。アグリアスが長い間脚光を浴びなかった理由のひとつがこれである。
 ところが1764年、機工都市ゴーグで「ブナンザ年代記」(以下「ブナンザ記」)なる書物が発見される。
発見者は、当時ライオネル大学教授で畏国史の泰斗といわれたデュマ・ロセアル博士であった。この本、前述した
ラムザの同士、機工士ムスタディオ・ブナンザとその子孫が、獅子戦争から近代までの歴史を綴ったものなのだが、
スタディオはこの中で異端者ラムザに協力した者達の活躍を、実に詳細に記録していたのだ。こんにち、我々が
アグリアスという人物を知ることが出来るのも、ムスタディオのお陰ということになる。


 余談だが、ムスタディオは当時畏国ではまだ珍しかった銃の使い手であり、機械技術に精通するエンジニアでも
あった。聖石をめぐってゴーグの悪徳企業バート商会と対立し、人質に取られた父の奪還のためにラムザの協力を
仰ぎ、その後はラムザとともに最後まで戦い抜いた人物である。現在ゴーグ市にはブナンザ重工業という畏国でも
屈指の大企業があるが、この会社の遠祖こそムスタディオである。
 さて、ブナンザ記のアグリアスの項を見ると、まず「古今を通じての美しい女性であった」とある。女だてらに
剣を振り回すホーリーナイトでありながら、たいへんな美女であったようだ。さらに、


 ????戦場での力量はオルランドゥ伯に匹敵し、やや勢いに任せて行動する面が見受けられるも、決断力、
 行動力は抜群。作戦立案にも優れ、隊を分けるときは、オルランドゥ伯でなければ彼女が分隊の指揮をとった。


 とある。アカデミーを首席で卒業した英才の面目躍如というところか。ラムザの傍らにあって彼を強く支える、
美しくも力強い女騎士の姿が伝わってくるではないか。


 アグリアスの活躍について特に目立った記述がある記事を見ていこう。
 まずはリオファネス城での戦いである。この頃にはラムザは異端者として正式に認定されており、また彼が
手に入れた聖石と「ゲルモニーク聖典」を奪おうと、神殿騎士団も本腰を入れ始めていた。彼らはラムザの同腹の
妹アルマ・ベオルブを拉致し、ラムザを誘き寄せようとしたのである。リオファネス城はフォボハムの領主である
バリンテン大公の根拠地であるが、神殿騎士団幹部であったウィーグラフ・フォルズ(もと骸騎士団の団長である)
がここに待ち構えていた。ウィーグラフは城内に侵入したラムザたちを分断する作戦を実行し、これによりラムザ
仲間と切り離され孤立してしまう。ウィーグラフは一人になったラムザをなぶり殺しにしようという陰惨な計画を
立てていたのだ。
 この危機を救ったのがアグリアスであった。彼女は仲間を一刻も早くラムザと合流させるために、自ら囮となり
敵を引き付ける陽動作戦を敢行したのである。この時のアグリアスの戦いぶりを「ブナンザ記」は


 ???この時アグリアスは僅か一騎で二十人になんなんとする敵兵を押しとどめた。これにより仲間は、
 ラムザの救援に赴くことが出来た。この日彼女の活躍なくば、ラムザの命の保障はなかったであろう。


 と記している。
 神殿騎士ウィーグラフもまた、邪悪なる者に魂を売り、ルカヴィとなっていた。圧倒的な膂力と魔力の前に
さすがのラムザも追い詰められたが、仲間たちが、そしてアグリアスが駆けつけた事で、九死に一生を得たので
ある。
 このリオファネス城の戦いは酸鼻を極め、多くの将兵に加え、城主であるバリンテン大公までも命を落とした。
これはウィーグラフ同様ルカヴィと化した神殿騎士団長ヴォルマルフや、「銀髪鬼」の異名で恐れられた五十年
戦争の英雄エルムドア侯爵などが、城内で殺戮を繰り広げたためであるが、この阿鼻叫喚の中をラムザたちが生き
残れたのは、彼らの結束力ももちろんだが、アグリアスの果敢な作戦と行動力もその要因に数えるべきであろう。


 アグリアスの活躍した戦いとしてもうひとつ忘れてはならないのがべスラ要塞攻防戦である。
 グレバドス教会教皇フューネラルは、北天騎士団、南天騎士団を戦わせながら、混乱に乗じて北天のラーグ公、
南天のゴルターナ公、さらに南天の重鎮、猛将オルランドゥ伯を暗殺しようという計画を立てた。
 指導者を失い、なおかつ疲弊した両軍に対して停戦を呼びかけ、その後のイニシアチブを握ろうという魂胆で
あった。ラムザは、亡父の親友であったオルランドゥにこれまでの戦いの経緯と、畏国に迫る真の脅威について
伝えるためべスラ要塞に向かっていたが、その途上彼ら三人の暗殺計画の情報を入手する。彼は、この情報を
北天に届けるべきか南天に届けるべきかでいささか迷ったようだ。隊を二手に分けることも考えたらしい。
 しかしアグリアス


 ???焦眉の急は両軍の衝突を止める事だ。最悪、ラーグ、ゴルターナ両公が暗殺されても、軍が傷つか
 なければ教皇の目論見は狂う。全力でべスラ要塞に突入し、水門を開放して戦場を水浸しにし、戦闘を
 不可能にするべきだ。


と主張した。適切な判断といえよう。ラムザはこのアグリアスの方針に従った。べスラ要塞の水門を開放し、
両軍の衝突を回避するというこの奇計は、「デュライ白書」ではラムザが案出したように書かれているが、
「ブナンザ記」その他の史料では立案者はアグリアスである。


要塞攻撃に当たっては、アグリアスが陽動を引き受け、ラムザは数人の仲間とともに、裏門から要塞への
侵入を試みた。ここでもアグリアスは獅子奮迅の働きを見せ、敵の主力を引き付けてラムザの潜入を助けた
のである。
 これ以前に、オルランドゥディリータのでっち上げた謀反の嫌疑により投獄されていた。ラムザは獄中に
あったオルランドゥを救出し(ディリータも彼を殺す気はなかったようである)、さらに水門を開いて戦闘を
中断させることに成功、ディリータの腹心魔道士バルマウフラの手引きで首尾良く脱出した。オルランドゥ
これ以降ラムザの心強い友として異形の者達と戦うことになる。しかし、オルランドゥ加入後も、アグリアス
こそがラムザの最大の補佐役であった。「ブナンザ記」にいう。


 ???アグリアスの存在は、ラムザにとって単なる仲間以上のそれであった。戦力としては無論のこと、
 精神的に彼を支えるアグリアスの存在なくして、ラムザが最後まで戦えたかどうか、はなはだ疑問である。

 
 この後、ゴルターナ公、ラーグ公は相次いで暗殺され、オルランドゥ伯も公式には死んだことになった。
しかし軍権はディリータが掌握し、獅子戦争は終息に向かうのである。



 「デュライ白書」ではその後、ラムザたちは騒乱の黒幕である神殿騎士ヴォルマルフとの決着をつけるため、
オーボンヌ修道院の地下書庫で最後の決戦に臨んだが、結局爆壊したこの決戦の地から生還したかどうかには
触れていない。
 しかし「ブナンザ記」によれば彼らは生きていたのである。
 最後の決戦に同行したムスタディオが、自著に明確にそう書いている。ただし当人も「奇跡的な生還」と
記すのみで、なぜ生還できたかは当事者たる彼にも分からなかったらしい。
 そして、「ブナンザ記」は英雄達の後日談も記している。
 アグリアスは、ラムザと結ばれた。
 長い戦いの中で、信頼がお互いへの慕情へと変化していったのであろう。とはいえ、「ブナンザ記」によれば、
二人の恋愛はスムーズに成就したわけではないようだ。ラムザアグリアスがお互いを憎からず想っていたことは
確かである。しかし、他にもラムザに恋をした女性???アグリアスから見れば恋敵???がいたのである。
 それは、メリアドール・ティンジェルという女性であった。
 このメリアドール、戦乱の黒幕たる神殿騎士団長ヴォルマルフ・ティンジェルの実の娘であり、リオファネス城
で命を落とした弟、イズルードはラムザに殺されたと父親に吹き込まれ、最初は彼の命を狙うべく現れた。しかし、
戦いの中で父親こそが諸悪の根源と判明するや、ラムザに与し父と戦う覚悟を決める。どうもこの女性、極端から
極端へと流れやすい性質であったらしく、しばらく旅を続ける間に熱烈にラムザを愛する


 この件に関して、ムスタディオが「ブナンザ記」に面白いことを書いている。


 ???アグリアスは戦場では果敢であったが、恋愛に関してはきわめて奥手であった。対してメリアドールは
 不器用ながらも積極的であり、皆の前でも臆することなくラムザへの愛情を告白した……


 生真面目なアグリアスはなかなかラムザへの恋情を打ち明けられなかったが、メリアドールは直情径行であった
らしく、積極的にラムザに言い寄ったようだ。また「ブナンザ記」によればメリアドールもかなりの美女であった
ようで、アグリアスとしてはラムザの心がメリアドールに傾くのではないかと戦々恐々だったようである。
 メリアドールがラムザに好意を持っていることを公言してから、アグリアスとの間でかなり激しい鞘当てが
あったようだ。アグリアスも奥手とは言いながら、根は情熱的な女性である。黙ってはいられない。訓練で、
食糧の配給で、その他どうでもいいようなことでも、寄ると触ると喧嘩を始めたらしい。さすがのラムザ
これには閉口したようだ。 
 またラムザも、結果としてメリアドールに、肉親と敵対するような道を歩ませてしまったことへの負い目が
あったためか、彼女を気にかけていたし、その積極性と純粋さに惹かれる部分もなくはなかったようだ。


 それでも結局、ラムザアグリアスを選んだ。長く苦労を共にし、お互いの心を理解しあっている女性の
ほうに、彼の心も傾いたのであろう。メリアドールも最後は穏やかに身を引いたらしい。
 ラムザアグリアスは「ルグリア夫妻」として華燭の典を挙げた。ルグリアとはラムザの母方の姓である。
 二人はゴーグの郊外に居を構えた。
 ラムザは異端者として追われる身であったが、教会は幹部が戦乱で根こそぎ斃れたことにより異端者狩り
どころではなかったし、ゴーグは自立の気風に満ちた都市で、教会の影響力が希薄だったことも二人にとっては
幸いだった。
 アグリアスは結婚後、実家に戻ろうとはしなかった。父のリネッティは彼女は死んだものと思ったらしく、
家督は遠縁に当たるフェイドーシュ侯爵家が継いだ。この家系はハイラル朝末まで続いている。アグリアス
家督どころか、あらゆる貴族との付き合いを絶ったようである。夫のラムザの立場も考えてのことであろうが、
陰謀と虚飾に満ちた貴族社会に嫌気が差したらしい。
 オヴェリアの行く末についてだけは気になっていたようだが、新王ディリータの妃となったことで本来ある
べき立場に落ち着いたと考えたのか、言及することはなかったようである。その悲劇的な死の真相を知れば、
事情は違ったかもしれないが……。



 アグリアスラムザとの間に二男二女をもうけた。周囲がうらやむほど円満で、幸福な家庭であったようだ。
二人の正確な行年は記録されていないが、晩年まで中睦まじい夫婦であったという。
 ムスタディオの子、セーリュディオ・ブナンザは「ブナンザ記」の中で次のように述べている。


 ???人の一生は、その最期によって精算されるという。私はこの意見に賛成である。然るに、アグリアス
 信念ために戦い抜き、良縁を得、暖かい家庭を築き、最後は最愛の夫に看取られ、穏やかにその生涯を閉じた。
 真に幸福であるのは幾万の富を得たものでも、権力を得たものでもなく、彼女のような人物ではなかろうか。



 剴切の言というべきであろう。
 不遇の時代に生を享けた真の英雄、ラムザ・ベオルブを、戦場にあってはその良き補佐役として支え、幾度も
危地を救い、家庭では良妻賢母としてやはり愛する夫を支えた、「王佐の才」アグリアス・ルグリア。
 彼女はもっと顕彰されて然るべき人物ではないだろうか。