氏作。Part31スレより。




 アグリアスの部屋の中央、アリシアが入れた茶と菓子が置かれた卓を囲み、
アグリアスは俯き、ラヴィアンは卓に両腕で頬杖を突き、アリシアは姿勢を正し、椅子に座っていた。
「おまえたちに、相談したいことがある」
 アグリアスが切りだすと、ラヴィアンが、当てずっぽうに訊いてくる。
ラムザに、押し倒されでもしましたか?」
「ええっ!?」
 それを聞き、アリシアが、驚きの声をあげる。
「違う」
 アグリアスは顔を上げ、否定した。
アグリアスさまが、ラムザを押し倒したんですか?」
「ええっ!?」
「違う」
 どうでもよさげなラヴィアンと、いちいち衝撃を受けるアリシアに、アグリアスは繰り返し否定した。
 ラヴィアンを睨み、告げる。
「わたしもラムザも、決して、そんなことはしていない」
「なら、なんです?」
「わたしが、ラムザと愛を語らうには、どうすればいいのかを、教えてくれ」
 頬が染まるのを感じながら、教えを請う。
「はあ?」
「まあ!」
 呆れるラヴィアンと惚けるアリシアの、声が重なった。
 アリシアが、うっとりとして言ってくる。


「戦の庭で、幾輪もの命の花が散りゆく中、惹かれあう男女。傷ついた、心と体を癒すのは、ひたむきな愛」
アリシア?」
 呼び掛けるが、アリシアは、虚空を見つめ、続けてくる。
「激しく、優しく、互いを求め、束の間の悦びを糧として――」
「てい」
「はうっ!?」
 ラヴィアンに、襟首を手刀で打たれ、アリシアが失神し、卓に突っ伏した。
「空想女は放っておいて。ああ、なんでしたっけ? 愛の語らい?」
「う、うむ」
 取り敢えず、アグリアスが頷くと、ラヴィアンは、嘆息し、言ってくる。
「要するに、あれですよね? 押し倒されるか押し倒すかっていう状況を作りたいんでしょう?」
「なっ……!?」
「突き詰めてしまえば、そういうことでしょうに」
 話を飛躍され、アグリアスは絶句したが、ラヴィアンは、あっさり言い放ってきた。
「愛欲を満たしたいんなら、裸で情交を迫ればいいでしょう」
「そんな真似ができるか!」
アグリアスさまなら、できますよ」
「ええ! 愛があれば、きっとできます!」
 いつの間にか復活した、アリシアが、ラヴィアンに加勢する。


ラムザわたしはおまえを愛しているアグリアスさんぼくもこうなることを望んでいました
んうっラムザああアグリアスさん感じているんですねほらここはこんなになっていますよ
くっもうぼくはイッてしまいそうですいいぞわたしのはううっ!?」
 恍惚としてまくしたてるアリシアの襟首を、ラヴィアンと共に手刀で打ち、再び失神させる。
「裸は駄目ですか?」
「駄目だ!」
 固辞すると、ラヴィアンは、面倒くさそうに、襟巻の代わりにしていたカシミールを解き、
 アグリアスに渡してきた。
 ラヴィアンの意図が分からず、問う。
「なんだ、これは?」
「それを裸身に巻いて情交を迫れば――」
「おまえの案は、そんなものばかりなのか!?」
 おざなりに答えるラヴィアンに、アグリアスは叫んだ。

氏作。Part31スレより。




アグリアスさまは、やまびこ草の花言葉を知っていますか?」
 アリシアが、アグリアスにやまびこ草を渡しながら訊いてきた。
 沈黙の呪詛を受け、喋ることのできないアグリアスは、首を横に振り、否定を表す。
「なあに、空想家の、甘ったるい講釈?」
 からかうように口を挟むラヴィアンを、アリシアが諭そうとする。
「花卉に想いを込めることの、楽しさや切なさは、心を豊かにしてくれるわ」
「あら、そう? なら、尚更、心の貧しいあたしには、関係ないわね」
「そんなことは、言わないで」
 当て擦るラヴィアンに、アリシアは眉を顰めるが、深く息を吐くと、めげずに説明してくる。
「世界を言葉で満たす、沈黙と相反する力を秘めた、やまびこ草には、疎通という意味が宛てがわれました」
 うっとりとした様子で、アリシアは続けてくる。
「やまびこ草の花言葉は、共鳴。響きあう、言葉と意志、素敵ですね……」
「こら。帰ってきなさいよ」
 ラヴィアンが、白昼夢に浸るアリシアの顔の前で片手を振った。
「はっ!? ご、ごめんなさい! いつもの発作が起きてしまって」
「あんたねえ……」


 アグリアスは、うろたえるアリシアと嘆息するラヴィアンに微笑み、やまびこ草を噛み締める。
 強い苦味と清涼な霊気を感じ、咳払いをして告げる。
「休憩は終わりだ。敵を側面から攻撃し、味方の進撃を援護する」
ラムザを、ね」
「ええ。そうよね」
 態々、言い直してくるラヴィアンと、それに賛同するアリシア。こんな時だけは、言動が揃う。
(普段は、ぎくしゃくとした関係なのに、な)
 これは、心のどこかでは繋がっているということなのだろう。
 少しの羨望を抱き、言う。
「やまびこ草の花言葉は、おまえたちに相応しい」
「は?」
「えっ?」
 アグリアスは、面食らう、ラヴィアンとアリシアに目配せし、駆けだした。

氏作。Part31スレより。



 放棄された要塞は、表立つ進軍のできない旅団が、嵐を凌ぐのには適していた。
 自分以外は誰もいない、明かりの消えた会議室で、アグリアスは、腕を組み、壁に凭れていた。
 既に失われた責を務める、古びた要塞を、強い風雨が叩いている。
 嵐の中を無理矢理に進んで戦力を消耗すべきではないという案に、反対はできなかった。
 だが、焦燥を抑えることに未だに慣れないアグリアスは、独り、闇に包まれていた。
(そろそろ、眠らなくてはな)
 アグリアスが警邏をする順番がくるまでに、休んでおかなければならない。
 小さく嘆息して壁から離れる。アグリアスは、歩調を速めることで、焦燥を振り切ろうとした。
 いくらか勢いをつけて扉を開けた瞬間、すぐ足元に蹲っている人影が見え、アグリアスは転びかけた。
「なっ!?」
 驚きの声をあげるアグリアスに、蹲っていた人影――ラムザ――は、自分が原因であるにも拘らず、首を傾げる。
「どうしたんですか、アグリアスさん?」
「それは、わたしの台詞だ!」
 語気を荒らげ、屈み、ラムザと視線を合わせる。
 ラムザは、微笑んで言ってくる。


「ぼくは、もしも、アグリアスさんが無茶な行動をしようとしたら、止めるつもりだったんですが」
「その配慮は結構だが、おまえに、わたしが止められるのか?」
 立ち上がってラムザに片手を差し出し、訊く。
「ぼくがアグリアスさんを止められないんなら、いっそ、ぼくもアグリアスさんと一緒に行動します」
 両手で、アグリアスの差し出した片手を取り、ラムザが答えてきた。
 アグリアスは、掴まれた手を引いてラムザが立ち上がるのを助けた。
 ラムザは、立ち上がると、アグリアスの手をそっと放し、続けてくる。
「有体に言ってしまえば、ぼくは、アグリアスさんの為に、自分にできることをしたいんです」
「おまえには、他に、すべきことがある」
 諭す声音が、僅かに震えてしまい、アグリアスは戸惑った。
ラムザを、わたしなどに構わせてはならないのに……)
 思わず目を伏せるが、ラムザは、互いの息が感じられるほど近づいてきた。
アグリアスさんは、ぼくが戦う理由のひとつです。ぼくの全てを懸けても、惜しくはありません」
 真摯に告げられ、沸きあがる喜びに顔が綻びてしまうのを誤魔化そうと、数秒の間、口元を片手で覆った。


「わたしだけが、戦う理由ではないのだな」
 腰に両手を当てて嘆息し、態とらしい失望を表すと、ラムザが苦笑する。
「意地悪ですね」
「わたしだって、偶には、意地悪になるさ」
 アグリアスは、ラムザを見つめて頬を染め、訥々と言う。
「おまえは……いつも……破廉恥な真似をして……わたしを困らせる……」
アグリアスさんの、心と体を求めてはいけませんか?」
 問われて、アグリアスは、ゆっくりと首を横に振って答える。
「……いけなくはないが……」
「ぼくは、いつも、アグリアスさんを想って自分を慰めているんです……」
 ラムザは、とびきり嬉しそうな顔で囁いてきた。
「なっ!? こら!」
 聞き咎めるが、ラムザは続けてくる。
「ぼくとアグリアスさんが裸で抱きあい、口づけを交わし――」
「ああぁぁぁぁっ!」
 アグリアスは叫びながらラムザの両方の肩を掴み、激しく揺さぶった。
「えいっ!」
「きゃあっ!?」
 不意に、ラムザに抱かれ、アグリアスは、自分にはありえないと思っていた悲鳴をあげてしまう。
アグリアスさんの部屋まで送ります」
「……好きにするがいい……」
 ラムザの胸に頭を当て、アグリアスは呟いた。

氏作。Part31スレより。




 扉を開けて部屋に入ると、ラムザが、なにやら面妖な工作をしている。
「なんですか、アグリアスさん?」
 椅子に座ったまま上半身を捻ってこちらを向き、ラムザが訊いてきた。
「茶を入れた」
 持っている盆の上の、湯気を立てる茶碗を、顎で示す。
「ありがとうございます。いただきます」
 ラムザは、礼を述べると、工具やら書き付けやらが散らばる机の上を、雑に整理していく。
 アグリアスは、机の上の、空いた所に茶碗を移し、盆を脇に抱えた。
「この茶は、アグリアスさんが入れてくれたんですよね?」
「ああ。だから、おいしくはないだろうな」
「……それでもいいんです」
 なぜか相好を崩したラムザは、茶碗を口元に持っていき、茶を冷ます為に、息を吹きかける。
「なにを作っているのだ?」
 机の上の、歪な形の、クリスタルとミスリルの細工に、視線を移して問う。
どうやら、ラムザは、これを作ることに、数時間を掛けていたようだ。
「浮遊装置です」
 茶で喉を湿らせ、ラムザが答えてきた。


「浮遊装置とは、なんだ?」
 理解できず、再び問うと、ラムザが、楽しそうに説明してくる。
「レビテトの効力を付与したクリスタルを、擬似的な浮遊石とします。
ミスリルが、魔力を増大する回路として機能し、多くの負荷に耐えられる魔導の活力を生じさせます。
これに、外部から魔力を送ることで、任意に浮遊できるんです」
「それが、現在の技術で、実際に可能であるとは思い難いのだが」
 眉を顰めて告げると、ラムザがにっこりと笑い、言ってくる。
「試してみましょう」
 ラムザは、茶碗を机の上に戻し、替わりに浮遊装置を手に取り、椅子から立ち上がる。
アグリアスさん、ぼくに掴まってください」
「あ、ああ」
 取り敢えず、逆らう気はなかったので、言われた通りにする。
「いきますよ」
 ラムザが、目を閉じて浮遊装置を握ると、浮遊装置が小さな音をたてる。
「うっ……」
 ラムザと共に宙に浮いたのを感じ、アグリアスは声を呑んだ。
床に落とした盆が、縁で転がって倒れた。
浮遊装置は、確かに、アグリアスラムザを、宙に浮かせることはできた。
だが、それは、あまりに不安定だった。


 それほど高く浮いてはいないが、周囲に魔力の流れが展開している為、迂濶な判断はできない。
「どうするのだ、ラムザ!?」
「うーん。やっぱり、ムスタディオに手伝ってもらうべきだったかな」
「呑気なことを言っている場合か!」
 声を荒らげると、ラムザは苦笑した。
「ちょっと失敗しちゃいました。でも、起動に使った魔力は少しだから、すぐに治まるでしょう」
 ラムザの釈明を聞き、アグリアスは思わず嘆息し、その拍子に体勢を崩してしまった。
「く……あっ……!?」
 ラムザの頭を、胸に抱く格好になってしまい、羞恥を覚える。
「す、すまない」
「いえ。気持ちいいですし」
「なっ……!?」
 アグリアスの乳房に顔を埋めた、ラムザに言われ、絶句する。
「んうー」
「うあっ! よせ、こらっ!」
「浮遊装置が停止するまでは、やめられないです」
 乳房に顔を擦りつけてくるラムザを叱るが、撥ねつけられる。
「おまえは……ん……あふっ!」
 アグリアスは、ラムザの行為と甘い声を漏らしてしまう自分に、頬を染めた。

氏作。Part31スレより。





 その祠は、人の干渉から逃れるように、森の深くにあった。
「取り敢えず、内部へ入ってみましょう」
「ああ」
 ラムザの案に賛成し、アグリアスは、祠の扉を慎重に開けた。
石の擦れる重々しい音が終わると、封じられていた過去の空気と、現在の空気が、混じり合った。
 カンテラの明かりが照らし出したのは、異国の、神々の像と画一された内装だった。
「異端の祠……?」
 アグリアスは呟き、一体の像を見つめた。
 それは、剣と縄を持ち、火を背にして座る、怒れる神の像だった。
(守護神の像か。純然な、力と心)
 憧憬を感じ、アグリアスは、胸元を、片方の拳で押さえる。
アグリアスさん」
 ラムザに呼ばれて、はっとする。この場の静謐さに飲まれてしまっていた。
「どうやら、なにもないみたいですね」
「ここは、わたしたちが立ち入っていい場ではないのだろう」
 告げると、ラムザは、それを肯定してくる。
「ええ。そっとしておくべきでしょうね」
 ラムザが大きく嘆息して俯き、声音を沈ませる。
「手間を取らせて、ごめんなさい。ぼくたちの求める知識が、ここにあると思ったのですが」


「いや。気にしないでくれ。ここを訪れたことには、意義がある」
 アグリアスが言うと、ラムザは表情を輝かせる。
「あの、それじゃ、宿への帰りがけに、酒場に寄っていきませんか? ぼく、奢ります」
 先の謝罪とは一転して、浮かれた口調で誘ってくるラムザに、苦笑したものの、アグリアスは頷いて歩きだす。
 その時、今までしっかりと踏んでいた筈の床が崩れ、果てしない闇に、アグリアスは落ちていった。
(なに!?)
 意識を失うまいと、心を高めるが、混乱してしまった為、適切な判断ができない。
 数秒の後に衝撃があり、冷たい石の感覚を全身で受けた。
 まだ優れない思考で、自分の状態を確認する。
 新たな床に倒れているのだと気づき、ゆっくりと立ち上がる。
深刻な怪我はなく、ふらつきながらも周囲を見る。
「なっ……!?」
 アグリアスは息を飲んだ。自分がいるのは、円筒形の、広い部屋だった。扉も階段もない。
部屋の中央に浮遊する、光の球が、仄かに辺りを照らしている。
そして、不可解なことに、高い天井のどこにも穴が空いていなかった。
「ここは……?」
「重なり合う世界の狭間さ」


 思わず呟いた、アグリアスの問いに、女の声が答えた。
 声の聞こえた方を振り向き、身構える。
 そこには、ひとりの女がいた。アグリアスと同じ、ホーリーナイトの装備を身に纏っているが、その色は漆黒だった。
長い銀髪、紅を差した唇、そして、顔の殆どを覆う仮面。
 女は、剣を鞘から抜き、その刀身を掲げ、続けてくる。
「デジョンを連鎖させて作られた、光と闇の重なる場」
「おまえは?」
 アグリアスも抜刀し、訊ねるが、女は、首を横に振った。
「わたしも、きさまが誰なのかを知りたい」
アグリアス
 短く告げ、剣に白銀の光を乗せる。眼前の女が、敵意を抱いているのは確かだった。
 女が、剣に黒金の光を乗せ、嬉しそうに言ってくる。
「では、わたしもアグリアスだ」
「ふざけているのか?」
「とんでもない。きさまがアグリアスであれば、わたしもアグリアスであるのさ」
 自らもアグリアスだという女が、振り下ろす斬撃と共に踏み込んでくる。
「くっ!」
 振り上げる斬撃で迎えながら、アグリアスは移動せずに堪える。
 剣がぶつかり、白銀の光と黒金の光が弾け、薄暗い部屋を染めた。


 斬撃を交わす度、アグリアスは、力を激しく消耗していく。
 なんとか距離を置くが、それが無意味だと分かっていた。
 女は、全てに於いて、アグリアスを凌駕しているように思えた。
「どうした、アグリアス? きさまは、そんなものか?」
 疲労に喘ぐアグリアスに、女が、愉しげに言ってきた。
「まだ、だ!」
 心を苛もうとしてくる絶望を拒み、叫ぶ。
「わたしは、護る!」
「なにを護る?」
「わたしの、信じる者を!」
 アグリアスは、女に向けて駆けだした。剣に乗せた白銀の光が、強く輝く。
 オヴェリアとラムザの姿が、脳裏を過ぎる。次いで、怒れる神の像の姿を閃く。
「おおぉぉぉぉっ!」
 声をあげ、自らを鼓舞する。
(一瞬でいい。純然な、力と心を!)
 全く同様に、女も駆けだしてくる。
 アグリアスは、想いを、戦いの言葉に換え、響かせた。
不動明王剣!」
 アグリアスの剣が、女の、剣を砕き、胸を貫く。
 光球が爆ぜ、なにも見えなくなった。


 目覚めると、ラムザの泣き顔があった。
ラムザ
アグリアスさん!」
 抱きついてきたラムザの背を撫でながら、自分が寝ているのは、唯の床であると理解する。
「……アグリアスさんが……いきなり倒れるから……」
 とつとつと語るラムザに、そっと囁く。
「ありがとう」
「えっ……?」
 ラムザは小さく驚いたが、アグリアスは構わずに微笑んだ。

氏作。Part31スレより。






もう一度めぐり合えたチャンス。
それでも抱かねばならない絶対的な絶望と後悔。
もし運命を司る神というものがあるのなら、それはきっととても残酷で冷徹。
やり直しなんていう都合のいい話に慈悲を与えず、さらなる悲劇を呼び寄せる。
ああ、神よ。運命とはかくも厳しいものなのか。
これが貴方のお決めになられた運命なのか。


   リターン4 運命


金牛22日の朝、アグリアスは朝食を持ってきた兵士に訊ねた。
ディリータ陛下とオヴェリア王妃はいかがすごしているか。
しかし、罪人の彼女に返される言葉など無く、冷たい目で睨まれるだけだった。
朝食を食べ、そしてお腹が空く頃が昼だろうと想像する。
だがその空腹を満たす食料は運ばれず、夕飯まで耐えねばならない。
罪人の食事は朝と夜の二回だけだ。それも酷く粗末な、食べ残しと思われる食事。
朝食を食べてから、次第に腹が空いていくのと比例して焦燥感がつのる。
ディリータは、オヴェリア様は、今、どこで、何をしている。
二人を狙う暗殺犯は、今、どこで、何をしている。
私は、今、ここで、何もできないでいる。
本当にそうか?
アグリアスは一縷の願いをたくして、牢獄に入ってから何度も隠れて試した行為を実行する。
胸の谷間、さらしの中に隠しておいた聖石キャンサー。
それを取り出し、ひた向きに願う。
ここから出る力を貸してくれ。
しかし身体を明け渡すつもりは無い。
一度『ゼロムス』を名乗る声から交渉を持ちかけられたが、謹んで断った。
しかし、もう時間が無い。再び『ゼロムス』が交渉を持ちかけたら自分は、自分は……。


「聞こえているかゼロムス。私の身体が欲しいか?
 残念だがそれに応じる事はできない。
 ルカヴィが滅んだ今、一匹でも復活されたら、新たなヴォルマルフが生まれる。
 だから、身体以外ならばどんな代償でも支払おう。どんな苦痛にも耐えてみせよう。
 キャンサーよ、私に応えてくれ。頼む、どうか、オヴェリア様の元へ……」


   どんな代償でも支払おう。
   どんな苦痛にも耐えてみせよう。
   その言葉に偽りはないか?


「ああ、無いとも! 頼む、私にやり直す機会を与えてくれた事は感謝している。
 例え結果が後悔に彩られたものであっても、お前には感謝している。
 だから、慈悲の心があるならば……もう一度、私の願いをかなえておくれ」


   いいだろう。
   お前は後悔と慟哭の海に溺れて死ぬ。
   それでもいいのなら、今再び、汝に機を。汝に機を。


聖石キャンサーから紫の光がほとばしり、牢屋の中を明るく照らす。
そして、アグリアスの前に空間の穴が開いた。
その向こう、見えるのは街外れの教会跡で一人座り込んでいるオヴェリアの姿。
さらに特に護衛もつけずチョコボに乗ってやって来るディリータの姿が見え……。
「何事だ!?」
牢屋の番をしている衛兵が、光の出ているアグリアスの所へやって来た。
そして聖石の光を目の当たりにし「貴様、何をしている!」と叫んだ。


もう時間が無い。アグリアスは衛兵の叫びを無視して、空間の穴に飛び込んだ。
刹那、五感を失い、ただ宙を漂う。そして突如重力に引かれ、草地の上に落下する。
教会跡が、見える位置だ。
「やっぱりここにいたんだな。みんな探していたぞ」
二人の会話が、聞こえる位置だ。
アグリアスは飛び起きようとし、身体が痺れて思うように動かない事に気づく。
それでも歯を食いしばって、腕に力を入れ、必死に起き上がった。
「ほら、今日はおまえの誕生日だろ? この花束を……」
ディリータが花束を持ってオヴェリアに近づく。
周囲を見回す、人影は無い。
暗殺犯の姿は無い。
想像とは違う現実に、アグリアスは戸惑った。
自分のいる場所は、ちょっとした坂の上だから、教会跡地は上から見下ろせる形になっている。
だから、この視界の外から、暗殺犯がやって来るとは思えない。
もしかしたら、ディリータが自分の言葉を聞き、暗殺犯を事前に捕らえてくれたのかもしれない。
何だ、そういう事か、とアグリアスは胸を撫で下ろし――。


オヴェリアが振り向き様ににディリータを刺す。
ディリータの手から花束が落ちる。
アグリアスの心が凍る。


「オ……オヴェリア……」
「……そうやって、みんなを利用して!
 ……ラムザのように、いつか私も見殺しにするのね……!
 アルマももういない。信じた人は皆いなくなるか、私を裏切ってしまう。
 もう……私は誰にも裏切られたくない……!」


ディリータが震える手で腹部に刺さった短剣を抜くと、オヴェリアは身をよじった。
そして、ディリータがオヴェリアの力を上回りそうしたのか、
それとも負傷したディリータの力が及ばずオヴェリアの凶行を許してしまったのか、
二人に握られたままの短剣が、オヴェリアの、胸に――。


   これが真実。これが運命。


アグリアスは呆然と、ただ呆然とした。思いも寄らぬ悲劇に。
オヴェリアは花束の上に倒れると、色とりどりの花を赤く染めていった。
そしてディリータは後ずさり、奪い取った短剣をその場に落として、
二、三歩ほど歩くと膝をつき、呟く。
「……ラムザ、お前は何を手に入れた? 俺は……」
そのまま、前のめりに倒れた。
そこでハッと我に返ったアグリアスは、斜面を駆け下り、教会跡地へ飛び込む。
うつぶせに倒れたオヴェリアを抱き起こすと、わずかにオヴェリアの息遣いが聞こえた。
「オヴェリア様。なぜ、なぜこのような……」
「……ア……リアス……。どうし……アルマ、殺、し…………」
「また……また救えないのか。また……」
傷口の深さを見て、もう手遅れだとアグリアスは絶望した。
そしてオヴェリアのかたわらに落ちている、血濡れの短剣を拾う。
いっそ、自分も。
そう思った。それでいいと思った。
自分が望んでやり直した末路がこれだ。
ラムザ達は死んだ。アルマ様も死んだ。オヴェリア様も死ぬ。
なら、もう、生きていても仕方ない。
せめて、貴女と同じ刃で、黄泉の国への護衛を務めさせていただきます。


刃を持ち上げたところで、風切り音がして、アグリアスの右手の甲が矢に撃ち抜かれる。
短剣がオヴェリアの胸元に回転しながら落ちた。
それが刺さらなかった事だけは、幸いに思えた。
続いて、振り上げた右腕のせいで空いてしまった右脇に矢が刺さり、肺を突き破る。
「……ゴホッ」
灼熱がのどを這い上がり、口から血となってあふれ出した。
もはや擦り切れてしまった精神で、わずかに目線を矢の方向に動かす。
ディリータの護衛と思わしき一団が、チョコボに乗って向かってきていた。
(ああ、何だ。一応ディリータも私の話を聞いていたという事か……)
さらに矢がアグリアス目掛けて放たれる。
誤ってオヴェリア様に当たらないように、とアグリアスは自身の背中を盾とした。
その背中に矢が何本も突き刺さる。
腕の中のオヴェリアは、もう息も絶え絶えだ。
「申し訳……ありま、せん……オヴェリア様……」
言って、彼女の胸の傷跡に左手を当てる。
そこで、軽い違和感。
(ああ、またか)
聖石キャンサーを左手で握りしめたままだった。
(また、やり直せるとしたら……いや、それはない。
 私は絶望と慟哭の海で溺れ死ぬと決まっている。だから――)


そこで、アグリアスの意識は途絶えた。
彼女の後頭部に矢が突き刺さり、頭蓋を突き破り脳を破壊してしまっていた。
そんなアグリアスの死に顔が、オヴェリアがこの世界で見る最後の光景。


そう、この世界で見る……。



「さ、出発いたしますよ、オヴェリア様」
突如クリアになった感覚の中、背後からアグリアスの声がした。
驚いて振り返る最中、ここがオーボンヌ修道院の礼拝堂だと気づく。
(え? 何で、どうして、え?)
困惑するオヴェリアにやや不審な目を向けながら、アグリアスは言葉を続けた。
「すでに護衛隊が到着しているのです」
「姫様、アグリアス殿を困らせてはなりませぬ。さ、お急ぎを……」
そして、死んだと知らせを聞かされていたはずのシモンが言った。
さっぱり状況が解らない。これはいったい、何だろう。
――と、そこに三人の剣士が入ってくる。全員に見覚えがあった。
「まだかよ! もう小一時間にもなるンだぞ!」
裏切り者、ガフガリオン。
「無礼であろう、ガフガリオン殿。王女の御前ぞ」
そして同じく裏切り者、アグリアスが言うと、三人の傭兵はひざまずいた。
これは、すべてが変わってしまったあの日の繰り返し?
「これでいいかい、アグリアスさんよ。……こちらとしては一刻を争うンだ」
「誇り高き北天騎士団にも貴公のように無礼な輩がいるのだな」
二人の会話が耳に入らない。何で、どうして、ここに帰ってきているのだろう。
二人がしばし言い合うのを見ながら、オヴェリアはただ目を丸くするのだった。
アグリアス様……、て、敵がッ!」
そこに、負傷した女騎士が入ってくる。
入れ替わるようにアグリアスアリシアとラヴィアンを連れて飛び出して行った。
「ゴルターナ公の手の者か!?」
シモンが慌しく叫ぶ。それに対しガフガリオンは酷く冷静だ。
「……ま、こうでなければ金は稼げンからな。なんだ、ラムザ、おまえも文句あるのか……?」
ラムザ、という名前を聞いた瞬間、オヴェリアはハッと正気に戻った。


「……僕はもう騎士団の一員じゃない。あなたと同じ傭兵の一人だ」
草笛を教えてもらった時とは違う、厳しい口調のラムザが、そこにはいた。
ガフガリオンはそんなラムザを見てニヤリと笑う。
「…そうだったな。よし、いくぞッ!」
「ま、待って!」
それを、慌ててオヴェリアが引き止めた。
いったい何だと言わんばかりに不服そうな顔をしたガフガリオンが振り返る。
「そ、そこの若いお二人。私の警護のため、この場に残ってくれませんか?」
「僕達が……ですか?」
オヴェリアとラッドの顔を交互に見ながら、ラムザがいぶかしげに問い返してきた。
「そ、そうです。敵は前から来るとは限りません。だから、お願いです。どうか側に」
「おいおい、こいつ等は俺の部下だぜ?」
「そこを曲げて、ガフガリオン殿。そこの二人を私の護衛に」
ガフガリオンは面倒くさそうにあごひげをさすり、ラムザを睨みつける。
「……いいや、駄目だ。護衛ならそこの騎士さンにでも頼むンだな」
ガフガリオンは裏切り者だ。オヴェリアの思う通りに動いてくれるはずがない。
なら、どうすべきか。
「で、ではせめて……護身用に、短剣を貸してくれませんか?」
「短剣? まあ、素人が使うには無難な武器だが……何だってそこまで食い下がるンだ?」
「おいおいガフガリオン。こんな所で油売ってる暇があるのかよ、獲物取られちまうぞ。
 ほれ、姫さん。短剣が欲しいなら俺のを貸してやるよ」
早く戦場に行きたいらしいラッドが、無愛想な表情のまま、
鞘に納まった短剣をオヴェリアの足元に放る。
ガフガリオンは余計な事を、というような表情を作り、教会の外に向かった。
それに続いてラッドとラムザも出て行こうとする。



ラムザ!」
名指しで呼び止められ、困惑した表情でラムザが振り返った。
大丈夫。この人は、この人とアルマだけは、この兄妹だけは裏切らない。
だから、どうかいなくならないで。いなくなってしまわないで。
「早く、戻って来てくださいね」
「……? 御心のままに
オヴェリアに一礼して、ラムザはその場を後にした。
それからオヴェリアは短剣を引き抜き、鼓動を高鳴らせた。
「姫、そんな物を手にしていては危のうございます。シモンめにそれを」
「ありがとうシモン。でも、自分で持っていたいの」
それからしばらくして、教会の裏口の戸が軋む音がした。
オヴェリアはあの日あの時の記憶を必死に思い出した。
すべてあの時のままだ。
違うのはオヴェリアの両手に握られた物。
右手には短剣を、左手には……?
「あら? これは……」
いつの間に手にしたのだろうか、左手には不思議な輝きを持つ水晶があった。
それをどこかで見たような気がしたが、濡れた足音がわずかに聞こえ、
オヴェリアは水晶を上着にしまい、短剣を足音の方に向けた。
そして、そこから出てきた金色の鎧のふいを突いて、一直線に……!


もし運命を司る神というものがあるのなら、それはきっととても残酷で冷徹。
やり直しなんていう都合のいい話に慈悲を与えず、さらなる悲劇を呼び寄せる。
さあ、今度はどんな運命が貴女を待っている?


   Fin

氏作。Part31スレより。




 暗い部屋は、外の喧騒から隔絶され、闇の優しさを与えてくれていた。
 寝台の感触は心地の好いものであったが、澱む思惟が、呼吸音と耳鳴りさえ苛立ちに換え、眠ることを妨げた。
 仲間たちは、それぞれ、思うままの休日を過ごしているのだろう。
 だが、アグリアスは、ここ数日の自身の体調を考慮し、なにもせずにいようと決めた。
戦闘に差し障りが生じるほどではなかったが、そうなる前に、回復させておきたかった。
(わたしは遊びなど知らないしな……)
 戦いの力を修練するか、仲間の誰かが起こすくだらない騒ぎを適当にあしらうか、
どちらにせよ、休日を自ら楽しむことはなかった。
(つまらない女だ)
 自嘲の吐息を吐いた時、部屋の扉が叩かれた。
 扉を叩く律動は、ラムザのものだった。
 寝台から上半身を起こし、答える。
「入っていい」
 錠が解かれ、扉が開けられる。部屋の鍵は、ラムザに預けてあった。
 「あ……ごめんなさい……」
「いや。眠れなかったのだ。気にするな」
 謝るラムザに、アグリアスは首を横に振った。


 ラムザが部屋に入り、扉が閉まる。アグリアスは、寝台の近くにある机に置かれた、ランプを点した。
「これ、飲んでもらおうと思って……」
 照れくさそうに言いながら、ラムザは大切に持っていた瓶を、アグリアスに示してきた。
ポーションのようだったが、流通しているものとは違っていた。
「それは?」
 問うと、ラムザは誇らしげに説明を始めてきた。
「ぼくの調合した、特別なポーションです。砂糖とか蜂蜜とか、色々と混ぜたので、おいしいんです」
「おいしいのか?」
「はい! ポーションが飲めなかった、小さい頃のぼくが、勉強して作ったものなんですから!」
 アグリアスは嘆息すると、呆れた口調で訊いていく。
「わたしは子供か?」
「い、いいえ」
「そのポーションは、わたしの状態に効くのか?」
「……効くんじゃないかな……って……」
 意気を挫かれ、ラムザがうなだれた。アグリアスは視線を虚空に移すと、いくぶん和らかく続ける。
「気持ちはとても嬉しい。後で飲ませてもらおう」
 それを聞いてラムザが瞳を輝かせる。


「さ、さあ、飲んでください! ぐいっと!」
「後で、と言ったろうに!」
 アグリアスは、瓶を差し出すラムザを、語気を強めて遮り、掛布を被って寝台に寝る。
「わたしは眠る!」
「さっき、眠れなかった、って――」
「すー、すー!」
 態とらしく寝息をたてるアグリアスだったが、ラムザは聞えよがしに言ってくる。
アグリアスさーん、眠ってしまいましたかー?」
「すー、すー」
「眠ってしまっているのなら、ぼくがこれからすることをやめさせられませんよね?」
「すー?」
 小気味良い音と液体の揺れる音がした。数秒、考え、ラムザポーションを口に含んだのだと気づく。
 次いで、掛布が捲られ、アグリアスの口元が露になる。
(な……!)
 驚愕するが、眠ったふりをしてしまった為、ラムザの言った通り、今更、やめさせることができない。
 アグリアスの顔に、ラムザの顔が近づき、一瞬の間の後、唇を重ねてきた。
「んうっ……!」
 口移しで流し込まれたポーションは、確かに、甘く、美味だった。


「ぷはっ……」
 口に含んだポーションがなくなると、ラムザが唇を離した。
優しくアグリアスの髪を梳き、囁いてくる。
「おやすみなさい。アグリアスさん」
「すー……!」
 アグリアスは抗議の息を吐くが、動悸とは裏腹に安らぎを感じている自分に、妖しい感情を抱いていた。