氏作。Part30スレ時にSS投稿所へ投稿されたもの。





「今さら疑うものか! 私はおまえを信じる!!」
戦場で土埃と返り血にまみれてなお、彼女は美しかった。
いまは土に還ってしまったひと。永遠に失ってしまったひと。
彼女に笑みを返したかった。駆け寄って抱きしめたかった。
初めて出会ったときから愛していると伝えたかった。
彼女の全身を無常な剣戟が打ち砕く。ゆらり、と倒れゆく。いつも間に合わない。
十年二十年に一度、ごく短いまどろみの中を漂っていると思えばこの悪夢しか見ない。
もう一度彼女にまみえる日までこの夢を見続けるのだろう。
いや、そんな日が来るのだろうか?
握りしめた聖石キャンサーは四百年の眠りから一度たりとも覚めやしない。
約束したろう、と輝くことすらない。











先生の書斎も大学の研究室同様に古書を保護する意味もあってひんやりして薄暗い。
読書灯を含め部屋の明かりは必要最低限まで制限されていて、今日も無灯火だ。
古書独特の獣臭がうっすら漂うけれど、ぼくにとっては好もしい空気だ。
ぼくの恩師、アラズラム・デュライ元ライオネル大教授は、
大学をお辞めになってからのほうがむしろ活き活きと研究活動に励まれている。
かの「異端者」ラムザ・ベオルブは邪教崇拝のためにライオネルの枢機卿を殺した、
ということになっていたはずだった。
そのせいもあって彼の弁護にまわる先生の著書なんて信心浅いぼくらを除き、
ミュロンド派の敬虔な信徒でない人間にとっても受け入れがたかったに違いない。
神への信心を忘れた愚か者?ぼくら歴史研究者にとってそれはほめ言葉だ。
「おや、オークス弟、今日は『姉君』と一緒ではないのかな?」
「はい、『アグリアス姉さん』は図書館で調べ物ですから。きょうはぼく一人です」
「!」
本棚のうしろ、誰かが息をのんだような気がした。お客さんだろうか?
まったく、先生までがこの調子だ。だけどぼくもこう呼ばれるのはそんなに嫌じゃない。
ぼくがもう十年、せめて五、六年早く生まれてさえいれば
彼女に男として見て貰えたかもしれないって嘆いても仕方ない。
ぼくの名前がアンヘル・アルバレツだからって、髪が金髪くるくるだったからって、
十年飛び級でみんなよりずっと年下だからって、いくらなんでも「天使ちゃん」はない。
こっちの呼ばれ方のほうがずっと気分がいい。
やけになってメチャクチャに髪を切って見せたときも
アグリアスが美容室に連れて行ってくれたおかげでなんとか見られる頭に落ち着いた。
ぼくはたったの9歳なんだ。そういう時はいやというほど思い知らされる。




目が慣れてくると薄くらがりにはふたつの人影があった。
さっき息をのむような気配がしたのはこの人だろうか。
「はじめまして、アンヘル・アルバレツです。
 こんな子供がお邪魔して不審に思われるでしょうが、
 ぼくもデュライゼミで先生のご指導にあずかっていました」
先客は二十代なかばくらいの若い男の人だった。
「私はラムザ・ベオルブ、よろしくね。本業は古楽器の修繕や製作。
 個人的に獅子戦争の時代に興味があって、
 たまにゴーグあたりで他の古楽器奏者と演奏することもあります。
 当時の吟遊詩人の歌の収集をやっている縁もあるんだけど、
 先生とは昔から家族ぐるみでおつきあいがあってこちらへ伺いました。
 アルバレツ君はアグリアスオークスに興味があるそうですね」
ぼくの歳だけを見てすぐ「飛び級なんだね?」なんていわなくても分かることとか、
生意気なガキだって調子で「優秀なんだねぇ」なんて言ってこない人は珍しい。
とても丁寧な言い方でイヤミっぽさもない。
この人はすごく誠実な人なんだろうな、そう思った。
だからぼくも彼がラムザという名前だということにはなにも言わない。
さんざ言われてもういい加減イヤになっているだろうしね。
「ええ、彼女の言動はゴルゴラルダの処刑場以降伝えられていないから、
 研究のしがいがあると思っています。それに彼女、とても魅力的ですよね。
 直接会ってもいないのにゼミ生のほとんどが彼女の熱烈なファンなんですよ」
先生が大学を追放されようがなんだろうが、アグリアスファンクラブとしてもぼくらの結束はかたい。
大学からは費用も下りないというのに今度の年明けには有志が先生と一緒にゴーグへ調査に行く予定まである。









誰かに喚ばれたんだ…。わからない、聞いたこともない声だったよ…。
正しき心を持つ者のもとへ戻れ…、その声はそう言ってた……。



聖石は神が創ったものではなくもっと邪悪な…、そう…、
ルカヴィがこの世界へ出現するために創ったものだと思っていた…。



誰が創ったのか知らないが要は “使う側”の問題ということか…。





そんなこともあったのをおまえたちもよく覚えているだろう?
神殿騎士団は壊滅した。おまえたちを所有したがる人間はここだ。
さあ、おまえたちのうちのどれでもいい、この冷え冷えとした絶望と嘆きを受け取れ。
体ごと灼け落ちそうな痛みに共鳴しろ。
僕の与えられるものならなんでも与えよう。おまえたちと契約してやる。
一つ一つきつく握り締めた石はどれもこれも何も反応がない。
「どうしてだ・・・。何でもいい、返事をしろ!
 ラファやウィーグラフには応えたくせにどうして僕に召ばれない!
 聖石を名乗るくらいならたかだか女の一人くらい生き返らせてみせろ!!」



 なんだ、たかだか女の一人とは随分な言い様だな・・・



アグリアス、さん・・・?」









アグリアスオークスという名前はぼくにとって二つの意味がある。
一つは、近年名誉回復したラムザ・ベオルブと行動を共にした女性にして、
獅子戦争に咲いた花との呼び声高いホーリーナイトのこと。
王女オヴェリアの護衛をつとめていた歴史上の人物だ。
もう一つはぼくと同じデュライゼミナールで同期になった人、
ぼくの好きな人のこと。
オークスという家名は偶然ではなくてかのホーリーナイトの遠戚だという。
彼女自身もたしなみとして剣をつかう。
どんな男よりも凛々しくて、どんな女よりもきれいで優しいひと。
どう考えても男として扱ってもらえない位ぼくはまだ子供だけれど、
それでもぼくはアグリアスが好きだ。
飛び級なんかするんじゃなかった、彼女に出会うんじゃなかったとは思わない。
この気持ちがぼくを獅子戦争のアグリアスの研究に向かわせたのかもしれない。
護衛すべき王女をあっさりと奪われ、その失態はある意味獅子戦争の開戦に加担した。
従来の歴史書アグリアスオークスが登場するとすればその程度だった。
堅物でつまらない女の上、失態続きで王女から見放されたのだろうと定説で締めくくられ、
その後の歴史に彼女の名前はない。
それがどうだろう。
先生がこの為に歴史の研究者になったといっても過言でないデュライ白書、
そこに息づくホーリーナイトは誰よりもかぐわしい佳人だった。
デュライ白書によって明らかにされたこの一言にぼくら揃って骨抜きになった。


今さら疑うものか! 私はおまえを信じる!!






ラッズラッドの歴史は獅子戦争終結の前後、創業者ラッドが傭兵として暮らしていたとき
ある南方人の兄妹と出会ったことに始まります。
獅子戦争の終結によって以前の仕事をなくしたラッドとこのガルテナーハ兄妹は、
兄妹の故郷から絹、香料をイヴァリースに輸入する事業を始めました。
やがてガルテナーハ一族の村の人口も増えてゆき、新たな事業としてはじめたのがコーヒーの栽培でした。
これがラッズラッドのスペシャリティ・コーヒーの原点です。






もっとも、非常に残念なことにアグリアスオークスの細かな言動はあまり記録がない。
ゴルゴラルダの処刑場で言い放った言葉を最後に、アグリアスの記録は途絶える。
「ねえおーくすおろうろ、ほれっれろうみれもりょーきょーてきにもさあ、
 あいのコクハクってのにひこえるろおもわなーい?」
エヴァ、もの食べてるまんまで話しかけてきてもわかんないよ」
「ラッズラッド」のエスニックメニューはなんでもおいしい。
味付けタマゴ入りライスや辛くない特製スープはぼくのお気に入りだ。
コーヒーを一滴ものめやしないぼくでも色々と楽しめる。
いつものお昼の習慣にならって「ラッズラッド」チェーンのゴーグ店に集まる。遅い昼ご飯とお茶を済ます。
アグリアスがぼくのことを考えてここを使うようにしてくれてから気まずい思いをしなくなった。
お酒を出すお店にしたって、ご飯ものやデザート、ソフトドリンクが多いところをアグリアスが見つけてきてくれた。
飲み会といえばそういう店になるしぼくだけいつもさりげなく早引けさせる。
こういうのを大人の優しさとか気遣いとかいうんだろう。
頭でっかちでまだまだ子供のぼくにはとても真似できないとつくづく思う。
「なんつうか、俺だったらグッときちゃうよな、絶世の美女にあんなとこでこう言われるとさ」
アンジェラに通訳してもらったミッシェルがさきにあいづちをうった。
「そうよね、こんな、肉親の裏切りばかり続いていて、
 おまけに親友にすらそのろくでもなしの兄貴の側の人間だと思われちゃってて、
 家から逃げ出したがったラムザがまたベオルブを名乗ったのってこの時からだしね」
要するにぼくらは、アグリアスのことをもっと知りたいんだ。
それを聞いてなぜか、「ホーリーナイト・アグリアスオークス」ではなくて
ここに居合わせている大学生のアグリアスオークスがちょっと頬を赤らめたような気がした。





「さあ!おなかいっぱいいざ出陣!!」
意気揚々とエヴァンジェリンが先導する。
たくさん買わなきゃならないしぼくも気合を入れないと。
「イズルード・ティンジェル」もイヴァリースじゅうに支店があるけれどやっぱりゴーグ本店の迫力は桁違いだ。
創業者のひとりが、若くして亡くなった弟の名前をつけたイヴァリース屈指の巨大書店。
地下一、二階にコミックと文庫、地上一階に一般書、雑誌と子供の本、
二階は文具で三、四、五階には外国語の原書に各種の専門書、
六、七階は稀覯書といってもいいクラスの古書と、上に行くほど敷居が高くなる。
ぼくら学生の身分だとだいたい五階どまり。
神学部がいちいち他学部の講義内容から生協での本の品揃えにまでやかましいライオネル大とは大違いだ。
げにげに信心浅きはゴーグの民かなムスタディオかなって、ここらでは昔から言われているとかいないとか。
冬休みをまるまる発掘にさける訳でもなくて、ぼくらはそれぞれに宿題やレポートも抱えている。
ここで色々揃えておかないと休み明けに後悔すること間違いなした。
発掘に備えて色々と必要そうなものは、共同購入することにした。
「それじゃアタックチームを編成しまーす!
 第一チームはあたし、ミッシェル、アンジェラで専門フロア、
 ネロ、ヨハンは文庫フロアで第二チーム」
「ちょっと待って、文庫フロアなんて何があるの?」
「ん〜、先生が昔出された本が最近文庫で復刊してたの、知らなかった?
 すごくいい本だから損は無いよ。もちろん大学生協では扱いナシ。はい、これがリスト。
 オークス姉弟は第三チームで文具フロア、これみんなの愛用品リスト、よろしくね。
 あなた達なら絶対間違わないで買ってこれるし。
 発掘現場でなじみのアイテムがないと調子狂っちゃうもん、頼りにしてるよ!」
エヴァンジェリンはポケットからご自慢の懐中時計を出して時間を確認する。
大学入学祝いにもらったムスタディオ・モデルの復刻版だ。
「勝利条件はいまからきっちり三時間後に一階総合レジに集合でOK?
 それじゃ、作戦行動開始ッ!」


 






「私はイヴァリースの中世史を研究しているアラズラムと申す者…。
 貴君は“獅子戦争”をご存じかな?」
薄暗い室内で、壮年の男が照れ隠しにちょっと大仰なやりくちで切り出す。
「あはは、そういう勿体ぶった言い方も結構さまになってきたね。
 最後に会ったのは十年前だっけかな、アラズラム?」
亜麻色の髪の青年は勝って知ったる他人の家とばかりに本棚を探る。
「かつて、イヴァリースを二分して争われた後継者戦争
 一人の無名の若者、ディリータという名の若き英雄の登場によって幕を閉じたとされている…」
 ここで暮らす者ならば誰もが知っている英雄譚だ。
 しかし、我々は知っている。目に見えるものだけが“真実”ではないことを」
蔵書をためつすがめつ感嘆する。
「へえ、随分と正確な史料もあったもんだね。よく見つけ出せたもんだ。
 なんたってイヴァリース王立公文所はあの時代だけで二度の水害と三度の火事で半壊滅。
 三度がさんど所長がローブを引っ掛けて転んでろうそく倒したなんて、出来過ぎだよね」
「ここに一人の若者がいる。当時、騎士たちの棟梁として名高い名門ベオルブ家の末弟だ。
 彼が歴史の表舞台で活躍したという記録はない…。
 しかし、昨年公開された(長年、教会の手によって隠匿されていた)“デュライ白書”によれば
 この名も無き若者こそが真の英雄だという…」
「ごめん、何も力になれなくって。怪しまれるといけないからあまり一つところに長居もできないし」
「いやいや、教会によればこの若者は神を冒涜し国家の秩序を乱した元凶そのものだとか…」
青年が首をすくめる。
「教会も相変わらずだなあ。ライオネル大学は神学部が強いから大変だったろう?」
男は静かにうなずき、目に苦渋の色がよぎる。









「これでリストの物は全部かな?」
「そうね、意外に早く終わったわね」
エヴァンジェリンは痩せの大食いでお調子者で仕切り屋だけどいいとこもある。
ぼくがアグリアスを独占する時間をさりげなく作ってくれた。
アグリアスがいなければエヴァをお姉さんみたいに慕ったかもしれない。
アグリアスとしてはただ手分けしての買出しにしか思っていないだろうけど
ぼくにとっては立派なデートだから浮かれてしまう。
「自分で使うものも別会計で買っとこうかな」
どのみち彼女の恋人なんてのが(いるかいないかなんて聞けもしない)
もっともっと彼女を独り占めしていたりこれからするに違いないんだし。
「あ、ラヴィアリーズが全色揃ってる、さすがイズルードの本店だね!」
「こら、無駄遣いはやめなさい」
ラヴィアリーズのカラーインクが全色揃っていて嬉しくなってしまった。
どれもこれも奇麗な色だからついノートを色とりどりにしたくなる。
浮かれるぼくをアグリアスがたしなめる。
アリシア・ライトグリーン、ルーシー・ペールスカイブルー、、
黒い紙に書かないと見えにくいお遊び用のラムザ・ヘーゼルブラウン、
それに、ぼくが普段ノートを取るときに一番良く使うアグリアス・ロイヤルブルーをカゴにいれる。
「ラヴィアリってさ、実はラムザと同行していた人たちのことなんだよね」
アグリアスがうん、と肯くと、なんだか「異端者ご一行のアグリアス」から直接肯定されたような気分だ。
ペンのインクは一般に黒、青、濃紺なら公的なものに書くときも失礼がないとか、
そういうのは関係なくぼくはこのインクが大好きだ。
アグリアスの名前がついているから好きだ。
アグリアスが持っている服で一番似合う服と同じ色だから好きだ。
ぼくは、ぼくの好きな人の目の色と似ているウイユ・ヴェール&ブルーも追加した。




ぼくらは大量の買い物を抱えて一階に集合する。
一般書のコーナーにも先生の本が平積みのまんまだ。
獅子戦争史再考ブームはまだまだ続いているんだなと実感できて、
ぼくらまでも認められているようなそんな気になる。
この店の歴史書のコーナーとビジネス書のコーナーは隣り合っていて、
いかにも「オッサン向け」な雰囲気をかもし出している。
そこをちょっとのぞけば、
ディリータハイラル王に学ぶ立身出世・下克上』だの定番な署名にまじって
ラムザ・ベオルブ流アウトロー式組織運営術』なんてのまでが出てきた。
「ここに来年あたりは、アグリアスって文字も躍るといいよね」
「そうね」
同じ名前の歴史上の人物を話題にされて、毎度のことだけれどアグリアスが照れくさがる。
「このあとはちょっと乗り合い飛空挺を乗り継いで、先生とお約束のあるお店に向かいまーす。
 獅子戦争当時の吟遊詩人の唄を謡うステージもあるお店だって。
 オークス弟は先生達から直接聞いてるよね?」
「うん、ラムザさんって先生の知り合いの人。冬休み前に先生のお宅で会ったよ」
ぼくの気のせいかもしれないけれど、アグリアスが一瞬息を呑んだ、気がした。
「あ、私はほかに用があるから後から向かうわね」
「うん、いってらっしゃい、『姉さん』」
オークス弟は俺らが面倒見とくから心配しなくていいよ」
「七時から吟遊詩人のステージがあるってさ」
「七時ちょっとすぎくらいになら着くわ」
「さあ、出発!そこで早めに晩御飯ね!おし、一杯食べちゃうぞ!!」
エヴァ、また食べるの?








 
アグリアス!何処にいるんだ!?」


 それは誰のことだ・・・
 我はお前の手の中に在る・・・


「・・・・・・聖石キャンサー、お前なのか?」


 そうだ・・・
 汝の願いを聞き届けたいのはやまやまだが・・・
 惚れた女をたかが女の一人とはまた随分な言い様ではないか・・・


「いや、あの、その、言葉のあやというかなんというか・・・。
 ああ、そうだ!アグリアスという女性を生き返らせて欲しい!
 愛しているんだ!あの女(ひと)と生涯添い遂げるのが望みだ!」
つい、アグリアス本人と言葉を交わしていたころを思いだして調子が狂ってしまう。
何しろ、「聞いたこともない声」などではなくアグリアスそのものの声で語りかけてくるのだから。
人外のものに何度も出くわすだけでなくて漫才を交わした人間なんて
有史以来そうそういたものじゃないだろう。


 残念だがそれはいまや不可能だ・・・


「何故だッ」


 汝が求める女の肉はとうに朽ちて土に還りつつあるな・・・


「たった数年前のことじゃないか!あの女(ひと)を埋葬した場所ならここだッ!
 あの女(ひと)の器くらい再生してみせろ!」


 汝には酷な言い方だがそれはできぬ・・・
 だが、代わりに我にできることが無いわけでもない・・・
 我と契約を結べ…
 さすれば汝の魂は我が肉体と融合し永遠の生を得ることができよう…


「永遠の生なんていらないッ!欲しいのはアグリアスだけだ!」


 よかろう、その態度、気に入ったぞ・・・
 アグリアスという女はいずれまたこのイヴァリースの地に生を受ける・・・
 汝の願いはいずれ叶う・・・


「転生、か・・・?」
掌の中の石は輝きを失い、その後はうんともすんとも言わなかった。
その後は何事も無かったかのように日々を過ごそうと努力してみた。
眠らない、食べない、もとより彼女以外の女など論外だったが女がほしくならない。
そして、何年経とうがこの姿のままでいる。
死ぬことも生きることもできなくなっていた。
ごくまれに気が向けば水を飲むこともあり、短い夢をたゆたっては彼女を失った瞬間を繰り返した。
四百年、自分より後に生まれた人々を看取り続けた。









「ところでさあ、ゴーグの地下坑道って、ほとんどどこかの会社のものだよね?」
「ブナンザ商会が三割、あとはコッポラ精機とブラージ商会が二割ずつ、
 あとはちょこちょこ中小が自前の坑道を持っているみたい」
ぼくらは早々に夕食を平らげ、本や資料でテーブルを三つも占領してしまった。
お店の人たちは嫌な顔ひとつしないで飲み物のおかわりを運んできてくれる。
ここでたまに演奏するラムザさんの口利きが効いたのかもしれない。
今晩はぼくらのために特別な曲を用意してくれたというしいまから楽しみだ。
「ふうん、じゃあいつもみたいに文化庁とかそういう方面でなくて、
 今回だとブナンザ重工と発掘許可の話をつけたってことかな」
「らっれうなんなりゅーこーひかないれしょ、なんかあるろひたら。
 らむらのなかまのむすたりお・うなんながつくっらかいひゃらし」
エヴァは食べるのが遅い。
「『ネネット・アルネットの手記』に続きがあって、
 去年先生が古書市で手に入れられたものの真贋がはっきりしたのよ」
「ネネットって、ラムザ・ベオルブと士官学校でいっしょだった人の一人?」
「その人途中離脱しちゃってるよね、たしかゴルゴラルダのあたりかな・・・」
「そうそう、オーラン・デュライが直接会って取材した相手のなかで
 ラムザ一行の仲間だったのはその人くらいしかいなくてさ。
 だからラムザの仲間たちが仲間内でどんな様子だったとか
 詳しいことはその時点くらいまでしかわかんないの」
「『ネネット』に出てくる人で出自がはっきりしないのって、
 リリベット・カスタフィオーレくらいだし、結構いい史料だよね」
「やっぱりオーラン・デュライは刑死するまでにラムザと再会しなかったんだろうなー」
「そのネネットが晩年にラムザたちと再会したって内容の手記なんだよ。
 で、ネネットばあちゃんいわくな、ラムザたち自身がまとめた記録を一切合財、
 ムスタディオ・ブナンザが廃坑に隠したってえわけだ」
「もうその廃坑も結構アタリがつけられてるんだっけ」
「当時使っていてムスタディオの代で閉鎖したとこのなかから今回は、
 57番を重点的に発掘調査することになったってさ」
「ムスタディオをやっつけろ事件のアレが出たところか・・・」
「ろころれなんれその、むすたりおをやっつけろの記録は残っているの?」
いつまでも口の中でモゾモゾやっていたエヴァが一気に飲み下す。
エヴァの好きそうな話題だよなあとぼくらは感心してしまう。
「ブナンザ家が仕事のためにつけていた作業記録だってさ」
「へえ」
店の時計が夜の訪れを告げる。
「あ、もう六時」
「七時から古楽器のステージが始まるってさ。
 今日は先生、演奏家の人といっしょにここに着かれるそうだよ」
「ごめん、ぼく、親に一応定時に電話しろっていわれてるから」
「おう、いっといで〜」
「店の電話を使っても構いませんよ」
「ありがとうございます。
 でも、うちの両親どうしても長話になるから、外で公衆電話使います」
「気をつけてね」







案の定、母さんと父さんがかわるがわる喋りだしたらきりがなかった。
ゼミの人たちとホテルも一緒だし、ゴーグの界隈は治安もいいしって、
何度も何度も繰り返すはめになってしまった。
今日みんなが集まっているお店も、
お酒よりは吟遊詩人のステージがメインだから来たって説得するのに一苦労だった。
ぼくはなんだって父さん母さんの言ったことくらい一度で覚えるのに。
そりゃ、ぼくはまだ9歳だけどさ。
角を曲がってお店が近づいてくると、なんだか楽しげな空気が外までこぼれだしている。
昔風のゆったりした拍子に合わせて弦楽器がかき鳴らされる。かすかに唄の歌詞までが聞こえる。



その名は南国の蝶、アグリアス
つるぎに魂(たま)込め全てを切り裂く



謡い終わったラムザさんが拍手の後に唄の解説に入る。ぼくらのためのサービスだろう。
「この曲は、獅子戦争の後期に結社した吟遊詩人の一団、『群青派』の持ち歌のひとつです。
 奇人のヴァンサンことヴァンサン・ルロワ、盗み見エディことエドムント・バイエルほか、
 なぜか揃って筋骨隆々の吟遊詩人たちだったといいますが、
 歌唱力は腹筋のおかげで抜群だったと伝わっています。
 彼ら自身の記録らしい記録といえば市井の聴衆たちによるものばかりで、
 唄自体も口伝のみで後世に連綿と受け継がれてきました。
 異端者ラムザ・ベオルブの仲間、アグリアスオークスを称える内容が非常に多く、直接の面識もあったそうです。
 文書という形で残っているわけではないため、
 異端にまつわる内容として処分されることを免れてこんにちに至ります」
先生がことあるごとに口にする「目に見えるものだけが真実じゃない」って、本当なんだと知った。









「どちらが“真実”なのか?さあ、私と共に“真実”を探求する旅へと出かけよう。
 おっと、その前に、貴君の“名前”と“誕生日”を教えてくれないかな…?」
「いいよ、もう何年も祝ってもらったりしてないから君に教える機会もなかったっけ。
 あまり嬉しくもないしね」
青年も男にならい、居住まいを正してかしこまる。
「わが名はラムザラムザ・ベオルブだ。生まれは磨羯の10日」
「ルグリア、ではないのか?」
「ああ、もうその必要もないだろう?
 今の戸籍簿はベッキオ・ブナンザにベオルブの名前で調達してもらったよ。
 頼りといえば儚い望みがひとつっきり。いつまで経っても彼女に逢えやしない。
 永く生きすぎて少し疲れてるんだ、ちょっと気分を変えないと」
「それは残念なことだな」
「どういう意味だい?」
「彼女は、生きることに疲れた男が手に負えるような女性ではないだろう?」
「まるであの女(ひと)を直接知っているみたいな言い方じゃないか」
男の表情から苦々しいものが消える。声色が急に明るくなる。
「さて、どういう意味かな」
奇妙な沈黙を、ドアをノックする音と少年の甲高い声が破る。
「先生、アンヘル・アルバレツです。お邪魔してもよろしいでしょうか?」








先生がことあるごとに口にする「目に見えるものだけが真実じゃない」って、本当だということは知った。
でもやっぱり、目に見えることがそのまま真実だってときも、ある。
アグリアスがキスしている。抱きついたまんま離れない。
店に入るなりぼくらなんて目に入っていなかった。一直線にラムザさんの腕に飛び込んでいた。
涙を流している。ラムザラムザって、かすれ声で甘えたようにその人を呼んでいる。
ラムザさんも涙を流している。抱きしめたまんま離さない。
エヴァはまたご飯をてんこ盛りに口にいれたまま、フォークを落っことして固まっている。
ミシェルとネロがいつもはマジメ一辺倒な彼女を冷やかしている。
アンヘル、こっちに座りなさい」
憮然としていたに違いない僕を先生が呼び寄せる。
「あのふたりは本当に何年も別れ別れで過ごしていたんだ。邪魔しないでやってくれないか」
ぼくはぼんやりと先生の隣に腰掛ける。
ラムザさんがアグリアスになにか小声で耳打ちをする。
ふたりは涙を拭って、ステージの中央に進み出る。
アグリアスがトン、トンと足を踏み鳴らしたのを合図に、打って変わって激しいリズムで新しい曲の前奏が演奏される。
まるで何年もコンビを組んでいた吟遊詩人と踊り子みたいに息もぴったりに、ふたりの謡い踊りがはじまる。
美しい女性騎士がならず者を剣と踊りでなぎ倒す活劇調の物語が語られる。
ごく当たり前の冬服を身に着けているはずなのにそこにいたのは本物の中世の旅芸人であり、騎士だった。
アグリアスは今日もロイヤルブルーのスカートと白のアンゴラヴィエラの半袖セーターだ。
さっきまでの泣き顔は何だったんだってくらい楽しげにスカートの裾をひるがえす。
キビキビと隙のない動きで、激しくスピーディなステップが正確に刻まれる。金のお下げ髪が空を舞う。
アンジェラのカシミールストールをひょいと借りて、軽やかにそれを捌きだす。呼吸は一切乱れない。
ラムザさんと時折目をあわせてはテンポを取る。ぼくなんかには一度も見せない妖艶な目をしていた。
音色とリズムを介して男女が愛を交わしている。
ぼくは、姉であり初恋の人でもある女性を取られた不愉快さも忘れていた。
いつしか恋人たちが無言で交わす愛の言葉に魅入っている自分がおかしかった。








それから後に起こったことといったら、もう多すぎてどこから話したらいいのかもわからない。
その日の夜は、ヨハンにお酒を呑まされた。
「おう、アンヘルッ!失恋っちゃヤケ酒が一番だぜ!」
初めて口にしたお酒はよりにもよって度数40のブランデーだった。
それに気付いたアグリアスがすごく怒ったことも、
みんなから冷やかされながらラムザさんと一緒にどこか別のホテルに泊まったことも、全部よく覚えている。
その日を境にみんながぼくを「オークス弟」ではなくてアンヘルと呼ぶようになったことも。
ぼくは15歳になった。
ゴーグの発掘成果のせいで神学部とひともんちゃくふたもんちゃくもあったけれど、
ラムザ一行の詳細なその後を知ることや何よりアグリアスの史料も大量に見つかって大成功だったといえる。
その後も変わらずぼくは大学院で研究に励んでいる。
ゼミのほかの皆はだいたいが卒業してそれぞれの道をすすんでいる。




ラムザ・ベオルブと恋仲になっていたアグリアスオークスはその戦いの中途で戦死していた。
異端者の身のまま互いに将来を誓い合った直後の悲劇だったという。
この悲恋は小説家たちの想像力を大いに刺激していくつかベストセラーも生んだ。
ゴーグで見つかった史料からはほかにも多くの仲間たちのその後の人生が綴られていた。
大体の仲間たちはゴーグにとどまって商売をはじめたことだとか、
ラムザは妹のアルマを残して一人どこかへ旅に出たことまではとても詳しかった。
ところが、パーティーでも最年少だったラファ・ガルテナーハに至るまで
どんな晩年をすごしたのか、どんな最期だったのか孫や子の手で記録された史料は見つかったのに、
ラムザ・ベオルブの最期だけはどうしても不明のままだ。
アグリアスの喪に服して生涯妻を娶らないと宣言したことくらいが確かだ。




ラムザ・ベオルブは演奏家として本格的なデビューを果たした。
中世イヴァリースの吟遊詩人そのものの演奏技法、歌唱だけでも充分魅力なのに加え、
公私共にパートナーでもあるアグリアスの舞いが華を添える。
ごく当たり前の普段着のままでテレビなんか出演するときもあるが、
獅子戦争のころの装束を忠実に再現した華麗なステージ衣装も人気の的だ。
あ、紛らわしいようなんだけどこのラムザアグリアスというのは
何年も付き合いがあるぼくの年上の友人たちで夫婦でもあるふたりのことだ。
あんまりそうは見えないんだけれどもう子供までいる。
子供を産んでもちっとも崩れない彼女のスタイルは、ぼくと同年代の女の子からも憧れの的だ。
本人たちも認めるとおり、獅子戦争のラムザアグリアスの直接の子孫ではないけれど、
家系をたどっていけばそれぞれにベオルブとオークスの分家にたどりつくそうだ。
デュライ白書で記述のあるラムザアグリアスの容貌と似ている点が多いせいか、
ファンならずともどうしても獅子戦争の恋人たちと重ね合わせてしまう。
最近アグリアスは「レーゼ」の新商品、「ティンカー・リップ」のCMモデルにもなった。
なんで化粧もしないぼくがそんなことに詳しくなったのかのかとエヴァにからかわれた。
ぼくの好きな女の子は飛び級で大学に入ってぼくと同じ15だ。化粧はまだ早い歳だってエヴァは笑う。




おととし巨蟹の月、アグリアスの誕生日にあわせた結婚式はごく内輪に済まされた。
ぼくはその数少ない招待客の栄誉をたまわった。
新郎新婦と一緒に額をつき合わせてスピーチを考えたりもした。
そのスピーチは、ちょっと風変わりでこんな一文がある。
「長年家族ぐるみで暖かいお付き合いのあるブナンザ家、デュライ家の皆様がた。
 永きにわたって様々な便宜をはかっていただき、ありがとうございます。
 今後はごく普通に歳をとり、今度こそはアグリアスと共にごく普通に生を全うします」
ぼくはそのスピーチの真意を知る数少ない人間の栄誉もたまわっている。