氏作。Part30スレより。




強くて綺麗で自分の考えがあって、誰にも頼らなくても生きていける。
そういう女だと周囲の誰もが思っていたし、アグリアス自身もそう生きてきた。
修道院の礼拝堂に控えていた女騎士は、海千山千のガフガリオン相手にも退かなかった。
カネを出すのはこちらだとばかりの態度で上からものを言う貴族とも違った。
常に他者の意向でその処遇を決められるあるじを護ろうと、
それだけのためにただひたすら愚直なまでにアグリアスアグリアスだった。



することのなさ、時間の多さ、はぐれたままのオヴェリアに関する手がかりの無さ。
人外の怪物を打ち倒して以来二月、全てがアグリアスの苛立ちにつながっていく。
ゴーグの人々は皆気さくでブナンザ親子の恩人たちに親切にしてくれる。
ライオネル城の「枢機卿殺し」に「集団怪死事件」。ほとぼりが冷めるまで過ごすには最適の隠れ家だ。
家にいるときくらいは家業に専念するムスタディオは工房や地下坑道を始終行き来して忙しい。
頭目殺しで名前の売れてしまったラムザを除いて、ほかの面々は情報収集がてら津々浦々の儲け話に出かけている。
することのない人間はラムザアグリアスくらいだった。
「いいぞ!もっと思い切りよく来い!」
「はい!」
ラムザ、魔法と拳術も使って来い!」
「いいんですか?!」
「ラーニングに丁度いい!少しでも使える技を増やしたい!」
できることが限られている以上、騎士として鍛錬しておく以外の選択もない。
彼女の焦りは、直接剣を交えるラムザにも痛い位に伝わっていた。


「かーっ、仕事が終わるとメシが旨い!」
「やったな、大成功だ!」
しばらく前から作業を続けていた坑道で何か収穫があったらしく、
ブナンザ親子と職人たちは上機嫌で飲み食いしている。
ひとり沈んだままのアグリアスはほとんど皿に手をつけていない。
楽しくばあっと騒ぐ空気についていけないのは仕方がない。
しかしここ半月ほどは、ラムザもムスタディオも
彼女がきちんと食事を摂っている姿すら数えるほどしか見ていない。
どんちゃん騒ぎの始まった一団からこっそり抜け出したムスタディオがラムザに耳打ちする。
「なあラムザ、姐さんずーっとあの調子だろ。このまんまじゃ良くないよな」
相槌をうったラムザも心配げに、ぽつねんと取り残されたアグリアスを見つめる。
「ここの空気はさすがにきついな・・・。ムスタディオ、どこかゆっくりできる店はないかな」
「任せとけ」
できるだけ穏やかな言い方で席を外すようラムザが声をかけ、
その間にムスタディオが財布をひっつかみながら職人たちにさりげなく断りを入れる。
「たまには外食もいいじゃないですか。あっちは大騒ぎで付いてくの大変だし」
「ちょっと歩くけど静かにしたいときはいい店だよ」
ラムザ、お前何か企んでいないだろうな?」
どうにかこうにか、宥めすかして連れ出した姫君はご機嫌斜めのままだ。
普段は騎士として振舞うときにしか使わない男言葉が出ている。


同年代の少年と比べて平均の域にある機工士が先導し、
騎士としては長身でないものの普通の女性よりはいくらか背の高い女騎士、
体を鍛えていることは分かるもののやや小柄な傭兵の少年が続く。
どういうわけか少年のほうが足が速いらしく、ときおり女騎士を追い越してしまってはまたしんがりに戻る。
「あれ、潮のにおいがするね」
「港に近づいてるからな。船乗り相手のうるさい店じゃないから心配すんな」
家々の間から船着き場が見え隠れし、猫たちは集会に急ぐ。
海のにおいを含んだ夜風が三人の髪を揺らす。
曲がりくねった路地のつきあたり、蔦で外壁が隠れた半地下の入り口に胴の看板が下がっている。
「お待ちどうさま、ここだ」
「あ、いらっしゃい」
年増だが化粧のうすい女がカウンターから人のよさそうな笑みをよこす。
商売っ気のある余計な一言が続かず、アグリアスの苛立ちは少しほぐれた。
彼らのほかには老夫婦と傭兵らしい身なりの姉妹が一組ずつで店は満員になった。
「女将さん、三人ともメシ食ってないから軽く食事と一杯頼むわ」
唯一あいているカウンター席の最奥に陣取ったムスタディオが全部決めてしまう。
「私は飲まんぞ。ラムザ、お前もいつもミルクだろう。付き合え」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか」
「オヴェ・・・、あの方がご無事かどうかも分からないのにのうのうと酒など!」
つい大声を出してしまったアグリアスは、店のゆったりした空気を台無しにしたことに気付いて赤面した。
昼から仕込んでいたグラタンを火に入れた女将が気にしなくていい、と声をかける。


「大切な人が大変なときはやっぱり、呑めるわけないですよね。
 果汁か何かでも出してもらいましょうか。ただ、ご飯はちゃんと食べてください。
 このごろろくに食べてないから心配なんですよ」
アグリアスはむっつりしたまま席につく。
ふたたび静かな雰囲気の戻った店で、ラムザとムスタディオだけが酒とつまみに手をつけはじめる。
軽い食前酒とはいえ、ミルクを飲み干すのと変わらない速さでラムザは杯を空ける。
「何だ、ミルクミルクってお前、結構いける口だったんだな」
アグリアスは先ほどの不機嫌や気まずさも忘れてつい感心してしまう。
「うちはもともと呑める家系でしたからね。ただ、あんまり呑んでばかりでも背が伸びなくなるし」
アグリアスをはさんで反対側に座るムスタディオがニヤニヤしている。
「む、確かにな。剣の技量と体格は必ずしも比例しないが、少なくとも競り負ける心配が減る」
女将が手早くラムザのグラスにおかわりを注ぐ。
「なあなあ、そういやアグねえ、身長の割には足遅いよなあ?
 それで何だって、あんな斬ったはったの大立ち回りは上手いんだろ」
こちらも一杯空けて少し気分の乗ってきたムスタディオが茶化しはじめる。
「バカ者。剣は脚ではなくて足だ。私たちの構えをちゃんと観察してみるがよい」
唇を湿そうと一気に飲み物をあおったアグリアスがにやり、とかわす。
「あー、なんか、半身になって後ろに来る左足がちょっと様子が違うような気もするな」
「利き足でないほうは少しだけ浮かしておいて、いつでも機敏に動く用意をしてるんだよ」
ラムザの言うとおりだ。間合いはフットワークで詰め、離す。
 剣もただ腕をふればよいものではない。剣を振り下ろすにも足の動きが肝心だ」
女将がポトフの入ったスープ皿を三人の前に並べていく。
アグリアスは迷わず口をつける。ラムザとムスタディオは安堵の笑みを交わす。
「慣れるまではクツが血塗れになるまでやるものだけどね。きちんと体に染み込むまで」
「ご希望とあらばいつでも仕込んでやるぞ」
「うええ〜、オレはご免だな」
グラタンの焼ける香ばしい匂いがたちこめる。


「ムスタディオはどうなのだ。
 騎士団でも銃の扱いに慣れた者はそういなくてな、お前たちの心構えも聞きたいものだ」
得意分野の会話でいつもの優秀な騎士の顔をのぞかせたアグリアスの頬は、妙に紅潮している。
「銃は反動があるからなー。
 自分もひっくり返らないように足は両方とも踏ん張ってさ、下っ腹に力を入れておくもんなんだ。
 ほかにも色々気をつけることはあるんだけど、やっぱ剣とは違うんだな」
ほう、と返事したアグリアスの視線カウンターの酒瓶にとまる。
「女将、これを一杯」
つい先程まで酒を遠慮していた彼女の言動にラムザが不審がる。
「あーっ、僕のを呑んじゃってる・・・」
「呑んじゃったのかあ。ま、気にすんなよ、そういうこともあるさ」
二杯目をあおってニコニコしだしたムスタディオこそが全く気にしなくなっている。
「はいはいちょっとお待ちあれ、どうしましょ」
「どうって、これをそのままグラスに注いでくれればいい。
 何だか喉が渇くんだ。これでもう一杯」
そりゃ、酒を口にしたからだよとラムザは困惑する。この人、あれだけで酔っちゃった?
「そのままって言ってもこれはそのままじゃダメよ、お嬢さん。
 とっても度数がきついから何かで割らないとね」
アグリアスの表情が急に子供っぽく不満げに崩れる。
「いいの、この色が気に入ったの。このまま頂戴。
 金色がとってもきれいだもの、混ぜたら勿体ないでしょ」
いつの間にかラムザの隣に座っていたかわいらしい酔っ払いが
ぷうっと頬を膨らませて駄々をこねる。
「それじゃあリンゴの果汁か炭酸水で割ってもらいましょう」
「金色のままで呑める?」
「もちろんですよ」
「わあ、ラムザ大好き!」
酔ってのこととはいえ、ラムザは自分の顔がにやけているのを自覚できた。


「あーっ、見て見て、ネコがいっぱいいる〜」
夜風に吹かれながら彼らは家路につく。
「あーあ、姐さん、弱いくせに何杯いったんだ?まだはしゃいじゃってら」
結局その後、姫君は上機嫌で料理も酒も残さず平らげた。
足取りこそはしっかりしているものの酔いのさめない彼女のなかでは、
呑まないという意味で付き合う予定だったはずが呑むという意味に摩り替わっていたようで
ラムザもムスタディオもしっかりと呑まされた。
親きょうだいの様子から自分がどの程度いけるものなのかよく知っていた彼らにくらべ、
修道院でせいぜいワインをほんの一口ふたくちしか嗜まなかったらしい。
ラムザ、お前責任取れよっ」
ふいにムスタディオが冗談めかして意味深長な言葉をかける。
「責任って、まだ何もしてないだろ!」
「あのなー、どうせ二日酔いするだろうから看病しっかりやれって意味なんだけど。
 ラムザラムザ君、『まだ』ってことはこれから何かするのかな〜」
「うるさい酔っ払い!」
「あんな可愛い姐さん見て本心が出ちゃったな〜。
 あ、おい、あんなとこよじ登って何する気だ?」
ほったらかされたままの船の積荷によじ登ったアグリアスはよく通る声で歌いだす。
集会に居合わせた猫たちが興味深げに聞き入る歌詞は
畏国の子供なら母親の声で記憶している子守唄に数え歌、
ややろれつのまわらないかわいらしい少女の歌声でつづられる。
「ありゃどっちかって言うと、いい母親っていうよか歌ってもらうほうだな。
 ま、たまにはこうやって息抜も必要だ。な?
 っておい、何見惚れてるんだよこの酔っ払い!」
「ね、ラムザもムスタもうたおうよ!」
童心に返ったアグリアスは夜風に髪をなびかせ、月を背に無垢な笑みを浮かべる。



                              了