氏作。Part29スレより。





アグリアス!」
「私の名前をもう呼ばな・・・!」
今にも崩れ落ちてしまいそうなかすれた声は、
声の主ごと男の胸に抱きとめられて尻切れに終わる。
ラムザ!」
ようやく男は自分の名前を呼んでもらえるものの、
渾身の力で突き放される。
「貴方はずるいわ・・・。
 私はこんなおばあさんになってしまったのに、
 どうしてそうやって昔のままの姿で
 今さら私の前に帰ってきたの!?」
故国のことば、だけど、意味の通らないことを彼女が吐き捨てる。
うつむいて小さく震える。
アグリアス?」
ラムザ・ベオルブにとってはさっぱり訳が分からない話である。
もういちどゆっくりと歩み寄る。
声を潜めたまま嗚咽するアグリアスを思い切り抱きしめたいのに、
彼女自身の腕がつっかえ棒のようにしてまた拒む。
「あのう、ラムザさん、ですよね?」
おずおずと、なんだか誰かに似ているような声が、
故国の響きをふたたび彼の耳にとどけた。




夏用の帽子をすっぽり被った少女は、
声といい顔立ちといいラムザの妹にどこかしら似ていた。
ただしその瞳は、彼の最愛の女とおなじいろ。
「先生は、ずっとこうなんです」
少女は大事そうに抱えていた手鏡を彼女に近づけた。
「ほら先生、ちゃんと見て。
 あなたはどう見てもわたしのお姉さんにしか見えないって、
 みんながいつも言ってるでしょう?」
アグリアスはいやいやをするように鏡を押しのける。
泣きはらしてはいるがその姿はまさにあの日のまま。
魂までもがみずみずしく。
ラムザの求婚を真っ赤になって受け入れてくれたあのときから
その涼やかな美貌は少しも変わりはしなかった。
「この人はね、心が壊れちゃったんです」
あなたのせいですよ、強風でかき消されることのない
はっきりした大きな声とともに睨みつける。



「最後の戦い」からたいした時間は経過していないことなど、
14のリィヌにすら想像がついた。
母を失い酒と暴力におぼれた父のように、
この人はそうすることで壊れそうな心を長らえさせていたのだ。
もうすぐ地に還る日がくるからと思い込むことだけが
酒や賭け事、
ましてやほかの男に溺れることなどできない彼女にとっての
唯一の救いだった。
激しく純粋に過ぎる想いごと地に還ってしまえればもう、
何も苦しむことはないのだからと。




「こまりましたね、ラムザさん。
 わたしも白魔法を勉強したんだけれど、
 先生がじぶんにかけてしまった魔法を、
 半人前の弟子がとけるわけないでしょう?」
一つだけの深い青い瞳が茶目っ気たっぷりにはしばみの瞳を見つめる。
そう、このいろを持つもう一人の女を欲して、
そのためだけに何年も費やしたのだ。
「この人、わたしの義理のおばあちゃんか
 おかあさんになったつもりなんですよ。
 こんなに若くてきれいなのに、おばあさんみたいな格好して」
これは、あなたとの恋を弔う喪服だったんです。
そのままアグリアスの背中に顔をうずめる。
一段と強い風が吹きぬけ、
そろいの生地で作ったふたりの帽子が飛んでゆく。
アグリアスが唯一身に着けていた明るいいろが飛んでゆく。
老婆のように地味な服装が彼女の豊かな金の髪をいっそう際だたせる。
少女の亜麻の髪もあらわになり、
帽子に押し込められていた前髪がひと房、
ぴょこりと飛び出す。
ああ、この子はまるで、僕と貴女の実の娘みたいじゃないか。



ラムザ・ベオルブはにっこりと微笑んで、
右腕で最愛の女アグリアスオークスを抱きしめ、
残る左の掌を少女の頭に置いた。
「大丈夫。それならとっておきのおまじないがあるからね」



強い風に煽られる三人。
朗々たる詠唱が風を裂き、天まで届けとばかりに響く。



虚栄の闇を払い、真実なる姿現せ
 あるがままに! アルテマ




アグリアス、この魔法にはほんとうは、
 こういう意味があったんだ」










イヴァリースでも南方の都市ゴーグ郊外には、
夏ともなれば少し緑がかった深い青い空に映える様に、
一面のひまわり畑が展開する。
アグリアス・ルグリアと彼女が若いころに産んだという長女のリィヌは
そろいの帽子を被って金の海の合間を漂っている。
ゴーグ商会との取引で来訪した外国商人の妻子と出会い、
軽く挨拶を交わす。
どこか中性的ながらも男としての魅力も備えたブナンザ商会の敏腕経営者、
ラムザ・ルグリアに秋波を送る女性、
縁談を紹介しようと狙う人物は多かった。
自身の縁談となるとのらりくらりとかわすルグリア氏は、
てっきり誰か最愛の女性を亡くした悲しみから長い喪に服しているものと思われていた。
誰もが息を呑むほどの美貌をもつ彼の妻と
ふたりに良く似た長女の出現で、
娘をルグリア氏の嫁にと決め込んでいたこの親子をはじめ
肩透かしを食らった者は数限りない。





女性らしくたおやかながら凛とした美しさのルグリア夫人は、
夫との夫婦仲もいまだ非常に睦まじかった。
当初は彼女がルグリア氏より四歳年上というだけで
社長夫人の座を奪おうとむきになった娘たちも少なくなかった。
ところが、その美貌と高貴な人柄にふれるやいなや、
たちどころにルグリア氏以上に夫人の虜となっていった。
いまや、いつまでも実年齢に不釣合いなくらいにみずみずしい彼女を、
お姉さまお姉さまと呼び慕う娘たちがあふれている。
当の「アグリアスお姉さま」といえば、
まるきり妹にしかみえないリィヌとずいぶん年齢の離れた
「第二子」の出産を控えている。
長女の眼病の療養にとここ数年間は
日照が弱い北国でふたり暮らしていたらしいが、
そのような別居期間などルグリア夫妻にはまったく意味を成さないようだ。
このところとんと各地を飛び回ることの減ったルグリア氏は、
商用あいまに妻女に顔を見せていたに違いないといわれる。



右目はもう開かないものの母とまったく同じいろ、
ちょうどゴーグの空のようないろの左の瞳をぱっちり見開いた少女は、
父と同じで前髪がくせっぽい亜麻の髪をもっていた。
顔立ちや声はルグリア氏の妹、アルマに似ていると周囲は言う。
ルグリア夫妻は実年齢よりもかなり若く見られてばかりいるが、
ごく若いころに出合ってすぐに結ばれ、授かった娘だというリィヌは15歳。
難しい年齢となるはずなのに両親に臆面もなく甘える。
どう考えてもこのふたりの娘に違いないリィヌの年齢を勘案すると、
なるほどルグリア夫妻は30代とあいなるわけだ。
きょうも身重の母のお供で散歩をしているかたわら、
白魔法の達人でもある母のアグリアスから回復魔法のおさらいを受けている。
彼らにごく親しく詳しい事情を知る人々以外は、
リィヌがルグリア夫妻と血縁関係にないことなど
誰も思いつくことさえなかった。




「リィヌ!ちょっといい!?お茶しましょう!」
「えーっ!? そんな形相でお茶するのーっ!?
 やだっ、その顔怖いよーっ!!」
「いいから!ちょっとだけ!
 あなたがアグリアスお姉さまべったりじゃないチャンスなんて、
 どれだけあるのよ!?」
「だってわたしおかあさんが大好きだもーん。
 赤ちゃん産まれたってまたべったりするもーん」
「女マザコン!」
「そうよ。美人で自慢のおかあさんだもーん。お姉さんみたいでしょ」
「あのねーっ!何であんたのママはちっとも老けないの!?ズルい!」
「おとうさんもねー。
 わたしのお兄ちゃんみたいだって誰かに言われるとアルマさんが怒るのー。
 アルマさんとわたしと三人で並んで歩くとこんどは三兄妹に間違われるから、
 ちゃんとおとうさんって呼ぶよー。」
「あのねーっ!じゃなかった、なんでなのよ!?」



「もしかして、美容の秘訣を盗みたいっていうヤツ?」
「なによ、ケチな子ね。それよりこのアタシがおめおめ老けちゃったら
 世の殿方全員が絶望の闇に叩き落されるのよッ!」
「大げさァ。
 うちのおとうさんとトビアスとベイオウーフおじさまは除いてもいいよねー?
 わたしだって、わきまえる、ってことばくらい知ってるよ?
 おとうさんとおかあさんだけの時はさすがに邪魔しないよ?」
「あのねーっ!なに考えてるの、そうじゃなきゃ困るでしょーっ!
 アタシの美貌は国の宝なのよ!」
「なんでもいいから教えろってことね、やれやれ…」



いい、それは、とっても簡単で、それでいて難しいことなのよ。
リィヌ・ルグリアは両親の睦まじい姿を脳裏に浮かべる。
だってわたしのおかあさんは、
はじめておとうさんを愛してることに気付いた日から
今でも変わらず愛してるから。
おとうさんもね。