氏作。Part30スレより。




一人遊ぶは誰が為?
我がためか、彼が為か、あるいはそれに意味など無いか。
死より恐れるものはある。それは…。


夜は好きだった。
目を開ければ、懐かしい顔が見える。笑顔が見える。泣き顔も見える。
かけがえの無い日々が、目の前に浮かぶ。だから、夜と闇は好きだった。
ゆっくりと目を閉じ、目を開ける。そこにはラムザが居た。
当たり前のように、夜着をたくし上げる。


寝台の上で金糸が揺れる。さながら、天に流れる川のように。
甘ったるい声を上げ、普段では考えられない痴態を見せている。
「ら…むざぁ…」
愛しい人の名前を呼び、自慰に浸る。
夢の中の想い人は、どんな時でも優しい。自分が望んだとおりの事をする。
愛して欲しい、と言えば、愛していますと彼が言う。
壊して欲しい。二度と消えないように、あなたを刻み付けて欲しい。そういえば、望みどおりに激しくなる。
激しくなる、彼の手。絶頂へと導かれる。そして、何も考えられなくなり、気を失う。そして彼は消える。
「また…行ってしまうのか?ラムザ…」
微かな意識の中、小さくつぶやいた。
その声を聞く者はいない。夢の中の彼ですら…。
言いようのない寂しさに襲われながら、眠りに落ちる。
夜が明ければ、また代わり映えのない明日が待っている。昼も夜も。


「おはようございます、アグリアス様」
「おはよう、アリシア、ラヴィアン。今日も稽古をするぞ」
身支度を整え、剣を手に庭に出る。そこにある姿は、気丈で、美しく、しなやかな騎士。
弱さなど見せない。心の中は崩れていても、騎士の自尊心がそれを許さない。
「さぁ、始めるぞ。アリシア、かかってこい」
「はい!」
アリシアが打ちかかってくる。距離を詰めて、逆袈裟。手元に飛び込まれそうな迫力がある。
多少冷や汗をかきながら、剣の先を払った。距離を取り、剣を片手で持つ。
「は!」
掛け声と共に、今度は袈裟切り。振り下ろされる前に体当たり。
よろめいた所に、当て身を食らわす。耐え切れずに尻餅をついたアリシアの鼻先に剣を突きつけ、勝負あり。
「一本、もらったぞ。アリシア。大分強くなっているが、まだまだだな」
アリシアはうなだれている。
「ラヴィアン、次はお前だ」
鍛錬の一日は始まり、終わる。日が暮れるまで、羅刹のように。
段々と皆の瞳が暗くなる。黄昏時には、獣のような目になっていた。
「そろそろ終わりにしよう。私は先に帰るぞ」
完全に日が落ちた。
獣のような目も落ち着きを取り戻し、アグリアスは気もそぞろと言った様子で帰っていった。


アリシアアグリアス様、まだおかしいよね?」
「えぇ…まだ、引きずっているのかしら」
アグリアス様に忘れろ、って方が無理だと思うけどね…。」
「酷い人よね、隊長って。生死もわからないから、一縷の望みをかけさせる。
時間が経ったからって忘れられる人じゃない。それだけ鮮烈で、心に根を張る人。
そして、おき火のように、ずっと心にくすぶり続ける。私たちでも辛いのに、アグリアス様は…。」
アリシアは草の上に座って、すっかり昇った月を眺める。ラヴィアンもそれにならった。
何かしたいわけではない。ただ眺めるだけだ。それでも、それをせずにはいられなかった。


青く優しい光を、何をするでもなく、二人はただ眺めていた。
一枚の絵のように。
ラムザ…」
アグリアスラムザの腕の中に居た。このままでずっといたいと願いながら。
アグリアスさん。次が、最後の戦いです。生きて帰れないかもしれません。
でも、僕はあなたを絶対に忘れません。愛し続けます。
ですから今夜は…あなたの温もりを忘れないように、何処へ行っても必ず探し出せるように、
このままでいさせてください…。」
消え入るような声だった。しかし、その声に震えも迷いも無い。ラムザは、本気だ。死を覚悟している。
普段は言わない、はっきりとした愛の言葉。その、ラムザが見せた普段とは違う態度。
それ故に、アグリアスは、それが拒絶の抱擁だと悟り、ひっそりと涙を流した。


夜など明けなければいい。このまま、ずっといられればいい。
叶わぬ望みに過ぎない。人の身には如何ともしがたい。
それでも、願わずにはいられなかった。
だが、時は残酷だ。彫像のような静かな抱擁も、夜が白み始めると終わりを告げた。


その朝、アグリアスは除名された。
表向きは、帰る所があるから。しかし、本当はただ、ラムザが死なせたくないだけだと、皆わかっていた。
それでも、誰も文句を言わない。他人の為だけに戦ってきた人間の、ただ一つのわがまま。強い意志。
だから、誰も何も言わなかった。アグリアスも、黙って受け入れた。
そして、残った面々は、最後の戦いに臨んだ。
その後、帰ってきたものは多かった。再会していないだけで、生きているものもいるはずだ。
 それゆえに、望みはあった。
その望みを、不安と絶望が押しつぶしそうになる。それをごまかす為に、アグリアスは自慰をするのだ。
今夜も。
明夜も。
自分の死より怖いもの。愛する人の死。
そして、それを「想い出」の一言で片付けてしまいそうになる自分の心。


ラムザ、早く帰ってきてくれ。



次の日、早朝。扉を叩く音
「どなたでしょうか?こんな朝早くに…」
念の為に剣を携え、扉の鍵を外す。
そこで目に入ったのは、亜麻色のくせっ毛。
彼女の心。そこに根付いた暗い感情は、この一瞬で全て無くなる。
砕け散り、溶けて、涙になって流れ落ちる。


「お久しぶりです、アグリアスさん」


ラムザが、そこにはいた。いつものように、柔らかい微笑みを浮かべて。
アグリアスは、ただ立ち尽くしていた。
色々な感情が、沸き上がる。だが、それが発露する前に、手がラムザの頬に延びていた。
これは、夢か?神が見せた、優しい幻影なのか?
わずかに震える手で、頬を撫でる。朝の冷たい風のせいで、少し冷たい。だが、温もりはある。夢ではない。
絶対に、夢ではない…。
ラムザが、ここにいる。私の目の前にいる。少し困った顔をして。
どんな時でも、私を安心させる微笑を浮かべて。
夢じゃない。絶対に…。
「ら、むざ…」
「はい」
懐かしい声。あまり低くない、柔和な声。
帰ってきた。帰ってきてくれた。


アグリアスは、何も言わず、静かに涙を流した。ラムザの腕が、切なく震えるアグリアスを包む。
アグリアスは、それだけでよかった。
幾万の言葉より、ずっとわかりやすく、そして、ずっと安心できるのだ。
粛々と泣き、心の氷を温かい水で流す。いつしか、声を上げて泣いていた。
解けきった氷が、胸の中だけでは収まらなかった。
ラムザラムザぁ…」
アグリアスさん、僕はもう何処にも行きません。あなたに何と言われても、地獄の底までついていきます。
ですから、もう、泣かないでください…。僕も、泣いてしまいますから…必死で涙をこらえているのですから…。」
ラムザの目も、潤んでいた。少し声も震えている。顔を上げて、初めて気づいた。
夜着の袖で乱暴に涙を拭い、強く微笑んだ。でも、本当は、きっと泣き笑いなのだろう。
それでもいい。今だけはそう思える。今だけは、強い騎士じゃなくて、ただの女でありたい。


無心に抱き合っていた。決戦の前夜、月の光が何よりも優しかった、あの時のように。
ただ、今度は意味が違う。別離の抱擁ではなく、再会の抱擁。
生きて会えたことを感謝する、喜びの抱擁。
その幸せに、二人はただ浸っていた。


「いつまでも立ち話というのも困る。誰かに見られるかもしれないし…家に入ろう」
「ええ。そうですね」
名残惜しそうに離れ、しかし手だけはしっかりと繋ぎ、ラムザアグリアスの家に入った。
簡素な部屋。わずかに香る甘い匂い。ラムザにとっては、懐かしい匂いだった。
二人はベッドに腰掛ける。どちらからともなく抱き合い、ついばむような口づけを交わす。
アグリアスは、ラムザに体重を預けた。
ラムザ
アグリアスの目は、先ほどとは違う潤み方をしていた。
それがどういう意味の目かわからない程、ラムザは鈍くない。
アグリアスさん。初めてなのでしょう?僕でいいのですか?」
ラムザが、いい。痛くても構わない。それが、生きてるという事だと思う」
顔を真っ赤にしながら、それでも目を反らす事なく、はっきりと言い切った。
もう、止まる事は無い。


二人の身体は、優しく解け合い、一頭の獣になる。
そしてアグリアスは、自分の身体の中で爆発が起こるのを聞いた。




「死とは、何なのだろうな?ラムザ
教会の鐘が鳴っている。当たり前だが新鮮な朝が、来た。
それを聞き、けだるいまどろみの中で、二人は語らう。
「一時の別れ、ですかね。死を覚悟して、死んだと思いました。
ですが、長い人生を思えば、ほんの一瞬でまた会えたのですから」
「ふふ、本当にそうだな。私は、もう寝るぞ」
ラムザは、自分の腕の中ですやすやと眠るアグリアスを見ていた。
その時、漠然と確信した。この先に何があっても、この人と一緒なら、絶対に苦難はない。全て幸せに変わる。
そして、このあどけない寝顔を預かっていると思えば、きっともっと強くなれる。

満ち足りた気分を抱きながら、ラムザも眠りに落ちていった。