氏作。Part29スレより。




養母が教えてくれた、
美しい彼女にとって生涯ただ一度の恋のおはなし。
きのう、おなじ女である自分に、
はにかむような表情で聞かせてくれた物語。
唯一のひと、身も心も赦し愛した男性は最期の戦いから帰ってこなかったこと。
せめて季節が一巡するくらいは待ってみてはと周囲にすすめられたが、
彼の不在に耐えることなどできず名を変えてこの国まで逃げてきたこと。
三年前、この町に流れてきたこと。
四歳年下の彼にとって彼女が、おんな、でいられる時間が
待つだけで過ぎゆく時間に塗りつぶされてしまうのが怖かったこと。






養母が「異端者」に抱いた激しい想いにくらべれば、
自分がトビアスに感じている好意なんて
兄弟愛の延長みたいなものだし、
ほんのままごとのようなものだろう。
養母はそんなままごとの恋に気付いても笑わなかった。
白魔法をはじめとする魔法、彼女が棄てたことにした剣のわざ、
故国のことばをおしえてくれた時と同じくらい真摯に聞いてくれた。
私のように意地ばかり張って後悔してはだめよ、とだけさとしてくれた。
その養母が、いままた意地を張っている。
本人は気付きもしないのがどこかかわいらしくも思えた。




広場に幼馴染がいると聞いて駆けつけ、
仲直りと別れのための精一杯の言葉をかけた。
きのうから止まない強い風はささやきもつぶやきもかき消してしまう。
下をむいてポソポソ言い訳みたいに言ってみたところで
なんにもならないのは知っていた。
だからほとんど怒鳴りあいみたいになってしまったけれど、
ちゃんと気持ちは伝わった。
となりに見知らぬ男がいたけれど気にしなかった。
ビアスをつれて近隣へ挨拶にまわっていた迎えの男は
ブナンザ商会の実質的な経営者だと名乗っていた。
ギルドを仕切る機工師のブナンザ親子は
優秀な職人頭であっても商売はさっぱりなので、
事務的なことは友人でもある男が一手に引き受けているとのことだった。
ゴーグの機工士たちが欲しがっている鉄鉱石の買い付けついでに、
機工士見習いを志望する少年がいるならついでに迎える算段となっていたそうだ。
剣の達人ながら少々足はおそい養母がようやく姿を見せる。
男と養母の視線が出会う。
独特な青の瞳とはしばみの瞳が向かい合う。
互いが誰なのか瞬時に悟ったふたりは言葉を飲み込んだ。
自分と同じ、少しだけ緑がかった深い青の瞳があつく潤むのを
リィヌは見逃さなかった。
はしばみの瞳、そしてなにより、自分とおなじ亜麻のいろの髪。
男が養母の「あの人」であることなど聞くまでもなかった。




一度は溶けそうなくらいに緩んだ養母の表情が急に険しくなり、
男に背を向ける。
「私は先にうちに帰っているわね」
アグリアス!」
久方ぶりに本名を呼ばれた養母の背がびくりとこわばる。
夏場でも肌を隠したがる老婆のなりの裾をたくしあげ、全速力で逃げ出す。
男に続いてリィヌもあわてて追いかける。
勝手知ったる鉄鉱町のうねうねと複雑な道を駆け抜け、
撒いた、と思い込んだ養母はひとけのない泉のそばで休んでいた。
男はといえば諦めず誰彼かまわず青い瞳の女の行方を問い、
あっさりたどり着いたのだけれど。



「身ヲ隠スニハ貴女ハ目立チスギルッテ、
 何度言ッテモソレダケハ信ジテクレナカッタッケ。
 貴女ハ自分ガドレダケ他人ノ目ヲ引クノカ分カッテイナイ」
「お引取りください。私には家庭があります」
「待タセテシマッテ、苦シメテシマッテ済マナカッタ。
 アノ戦イカラ戻ッテ来タトキ貴女ハモウイナカッタシ、
 イツモ手遅レニスギルヨウダ」
独身の養母はまるでよその男と結婚したかのようなことを言ってまで、
最愛の男性との絆をふたたび断ち切ろうとしている。
故国のことばで話しかける男に、この国のことばで拒絶する。


ばかね、アグリアス
あんなにも、いまでもあの人を愛しているって、
きのう、わたしよりも「女のこ」みたいな顔で言ってたくせに。


強風で帽子を落としかけて遅れをとったリィヌは、
気も狂わんばかりに男の名を心の奥底で叫ぶ
養母の女の姿を目の当たりにした。
断腸の思いで立ち上がった養母は
家路につこうとふたたび男に背を向ける。
養母に向かって伸べられた男の手がむなしく一回空をつかむ。



ばかね、アグリアス
あんなにも焦がれていたひとなのに。



少し緑がかった深い青の瞳が、いくつ潤んだろうか?









*続編は二通り。


 ・リイヌが男をひきとめたら→下之壱へ
 ・男がアグリアスをひきとめる→下之弐へ