氏作。Part29スレより。

ちょっと緑がまじった深い青い南方の空は、
わたしとおかあさんの目の色と同じいろ。
どこまでも続く背が高いひまわりの花は、
わたしが大好きなおかあさんの髪の毛と同じいろ。
わたしとおかあさんはおそろいの帽子を被ってどこまでも歩いていくの。
木陰でおかあさんがわたしの帽子をとって、
おとうさんに似たあなたの髪の毛のいろのほうが
おかあさんは大好きなのよ、と、
内緒話みたいにささやきながらわたしの髪をなでてくれる。
そんなのとっくに知ってる。
だっておかあさんが、
はじめておとうさんを愛してることに気付いた日から
今でも変わらず愛してることも知ってるもの。





目覚めると真向かいに、自分と同じいろの瞳を見つけた。
右のまなこは大きな傷跡とともに閉じられているけれど、
かつてあの人が「南国の空のようだ」と愛でてくれた
少し緑がかった深い青い瞳だ。
父の横暴で毟り取られていた髪は二年もしてようやく、
つややかな亜麻の輝きと女の子らしい長さが戻ってきている。
右目の視力は戻らないものの顔についた傷跡は日増しに消えていく。
もう朝日がどんな角度で当たっても白く残って光ることも少ない。
心に刻まれた跡にはちっとも効かない白魔法も
平時であってもこういうときには役立つのだから、
あながちこれを身に着けるまでの努力も無駄ではなかった。




あの人との間に娘がいたとすればこんな子を授かったかもしれない。
実現しなかった甘くやさしい考えに溺れないよう、
すっかり重くなった体をどうにか起こして朝の身支度にうつる。
養女のリィヌが珍しく甘えてきたので共寝した翌朝だった。
最近リィヌは表情も言葉も豊かになってきた。
なんでも学びたがり、吸収もはやくて教えがいもある。
何も残さずに老いて朽ちるかと思っていた矢先のささやかな喜び、
これだけ心の奥があたたかくなれることを見つけたのだから
充分に幸せな晩年だったと思いたい。
リィヌは傷が癒えるにつれ、
前髪で右目を隠そうともしなくなった。
「あなたは何も恥ずかしいことなどしていない。
 堂々と胸を張って歩きなさい。
 あなたはとっても可愛い顔をしているのだから勿体無いじゃない」
抱きしめてそうささやき、励ましていたが
励まされていたのは自分かもしれない。



この家を求めたときに備え付けられていた鏡は、
不要だと思ったので入居したその日に処分した。
あの人と共に在ったころからすると見る影もない、
いまの姿を見る道具など。
だけどリィヌはもうすぐ14だ。
自分のような堅物ではないから
これからだんだんおしゃれに関心を持ってくるに違いない。
リィヌのためならと思うと鏡の必要も出てきそうだ。
思い切って鏡に己の姿を映し出し、
あの人はどこかで生きているのではないかと
心の隅に引っかかったままのはかない望みもついでに捨てよう。
「リィヌ、今日は鏡を買いに行きましょうね」
「いいの?だって、そんなお金・・・」
「大丈夫よ。14歳のお祝いね。
 私は昔いろんな冒険をしたって何度も話したでしょう?
 そのとき貯めたお金はまだ残っているの」
「せんせ・・・、ううん、お義母さん、ありがとう!」
隣で髪をすいていた養女の顔がぱっと輝く。
ああ、この子がにっこりすると、
あの人の妹が笑った顔と声とどこか似ている。




リィヌを引き取ったのはだからといって、
あの人を思い起こさせる容貌だったからではない。
初めて出会ったのは彼女の弟たちの墓の前で、
いまにも息耐えんばかりだった少女がどういう顔立ちなのかなど、
知ろうとする余裕もなかった。
音もなく小雨が降りしきる暗い午後三時だった。
髪の毛はほとんど毟り取られで顔も体も痣だらけ、
みずから刃物を突き立てた右目から大量の血を流し
凄惨なさまだった。
落盤事故でもない限り血には慣れていない鉄鉱町の人々はみな気が動転し、
介抱しようにも周囲でおろおろしてばかりだった。
剣は封じ、白魔導士として開業していた自分が呼ばれた。
戦場で多くの死を目撃し、
また、自らも他人の血で手を汚した経験のある女。
そんな女だからこそ、生死もさだかでない小さな体に近づいて、
冷静に蘇生の魔法を施すこともできたのだった。




彼女の父親がしどろもどろに繰り出すいいわけに不信感をいだき、
入院患者扱いで家に留め置いたのがそのまま義理の母娘になったわけだ。
意識の戻った彼女からカーテン越しに問わず語りでその境遇を聞いた。
この国ではありふれた女性名と姓だからと名乗ることにした自分の偽名が、、
彼女の本名と全くおなじであることを、養女に迎えた際に知った。
自分の姓名は目立ちすぎるからと偽名を使うことに決めてはいたが、
ひとまず名をありふれたリィヌと決めてはみたものの、
ルグリアともベオルブとも名乗るのはおこがましくて出来なかった。
それで、最も尊敬できる剣聖の名をこちら風にもじって拝借していた。
あの人が幾夜も、妻にするただ一人の女性と自分を呼んでくれた
あの優しい声を忘れることなどできようもなかったのだけど。
回復した彼女を正視できるようになってはじめて、
あの人とおなじ髪のいろ、自分とおなじ瞳のいろであることに気付いた。



リィヌの母は娼婦でもなんでもなかった。
ごく平凡で貞淑な女だとばかり思っていたと誰もが小声でこぼした。
鉄鉱で採掘技師をやっていたリィヌの父とは
随分早くに結婚してから何年かおきながら三人の子供を産んだ。
リィヌと弟たちは、両親のどちらにも似ていなかった。
太陽の恵みと縁とおい北国で生まれ育った両親の組み合わせからは、
到底ありえないような深い瞳のいろを持って三人は生まれた。
どこかにそういういろの持ち主もいたのだろうと父は鷹揚にかまえていたが、
リィヌにとっては二人目の弟、12歳離れた名もない子にいたっては
浅黒い肌だった。
産婆の家で次男の顔を見るやリィヌの実母はこどもたちを産み捨て出奔した。
逃げ場のなかった父は、酒に逃げた。
どうにか他人に助けを請うだけの知恵は身についていたリィヌを除き、
ほかのふたりは現在、喪主のリィヌによって町外れの墓地に埋葬されている。



墓の下の弟たちに当たるわけにもいかなくなった「父」の手で
母親似の亜麻の髪は父の憂さ晴らしによく毟られた。
目が生意気だといってはものを投げられたがこれは、
リィヌの瞳のいろが気に食わないという意味も多分に含まれていたに違いない。
酒浸りになった男がまともな食事を与えているわけもなかったが、
そのせいで発育の悪かったおかげかかろうじて手篭めにはされずにすんでいた。
弟たちが敬虔な信徒として手厚く葬られたことを確認し、
気の抜けたリィヌは自死をはかったつもりだった。
神様はあんまり信じていないけれど
一段落けじめをつけられたと思ったからだという。
刃は首から大きく逸れた。
父の嫌った出自不明のいろの瞳に突き刺さった。
もとから、
死ぬより先にそうしたかったのかもしれないと
リィヌは年齢に不釣合いな顔で自嘲していた。
このごろはそんな硬い顔はしなくなり、
無邪気な恋心も覚えるようになった。




「あのね、せん、お義母さん」
なあに、と微笑みながら娘の呼びかけに応える。
親子というには年齢差に無理がありすぎるとみんなが言ってくるけれど、、
生さぬ仲ではあるけれど、貴女は私のかわいい娘。
お義母さんはまだ若いよ、もっとわたしと一緒に生きてよ、と、
そう言ってくれる貴女がいるから私は生きられる。
昨日から続く強風は、
ふたりが被ったおそろいの帽子も娘の甘えたささやき声も
はるか遠くに飛ばしてゆきそうな勢いだ。
だけどこの子の声はいつだって聞きつけられる。
だって私は母親だから。
照れくさくくすぐったいささやかな喜びに胸がいっぱいになる。
きょうもおそろいの布で作った帽子を被って歩いている。
髪がぼろ雑巾のようだったころはリィヌを周囲の視線から守るため、
いまは、日焼けをしないようにという名目のもとで、
あの人とおなじ亜麻の髪を隠させて自分を守るために。
リィヌは可愛いが、何度となく己の指を差し入れて梳いてみた
あの人の髪とまったく同じいろと柔らかさはうとましかった。




「わたしトビアスとちゃんと仲直りしてくる」
鍛冶職人の息子は彼女の幼馴染で、
つまらないことで喧嘩したきり疎遠になっていた。
「そう、それはよかったわ。あなた自身がちゃんと決められて」
あなたは私の自慢の娘よ、と、
ようやく正式に父親のもとを離れられた少女にもう一度笑みを見せた。
「うん、わたし、お義母さんの娘だもの。後悔はしたくないから」
リィヌの表情に陰がさす。
「トビアスはね、もうじき、ゴーグまで徒弟奉公に行っちゃうって聞いたの。
 ゴーグだとキカイのこととかもっといろんな勉強もできるでしょ。
 そのままずっとゴーグで暮らすかもしれないの」
だから、もうあいつと一緒にいられなくなるのは悲しいけれど、
大好きだったってことも伝えておかなきゃ。
「今日ゴーグから迎えの人が来て、あさって出発なんだって」
野バラの模様を彫り込んだ新品の手鏡をぎゅっと抱きしめ、
リィヌは少しうつむいた。