氏作。Part30スレより。




秋から冬へと変わる季節、ただでさえ風邪を引きやすい時期。
王女オヴェリアの窓の鍵がふとしたきっかけで壊れ、誰もそれに気づかず、
夜になってオヴェリアが寝静まってから夜風が強まり、
窓がキィと音を立てて開き寒風を室内に呼び込んでしまった。
結果、王女オヴェリアは風邪を引いた。


女中達が看病する中、寝室の戸がノックされ、開いた。
「お邪魔いたします。オヴェリア様、お加減は如何でしょうか?」
入ってきたのは王家直属の近衛騎士アグリアスオークスだった。
オヴェリアは半身を起こし、手を払って女中を下がらせる。
「ええ、大丈夫よ。少し二人きりにしてもらえないかしら」
女中達が部屋から出るのを待ってから、
アグリアスはオヴェリアのベッドの隣に椅子を運んで座った。
「お見舞いに来てくれたの? コホッ、コホッ」
「その通りでございます。少々失礼をば……」
アグリアスは手のひらをオヴェリアの額にあてがい、
その熱が先日より下がっている事に安堵の笑みを浮かべた。
「順調に回復しておられるようでなによりです」
「コホッ。ええ、昨日よりはだいぶ楽になったわ」
「しかし、治りかけというのも危ういものゆえ、もうしばしご辛抱のほどを」
「大丈夫よ、こっそり部屋を抜け出す元気だって無いんだから」
「抜け出す気はお有りなのですね」
言われて、オヴェリアはクスクスと肯定するように笑った。
いつもなら苦言のひとつも出ようものだが、アグリアスも今日この時は微笑む。
「海がよく見える岬の近くにね、冬にしか咲かない白い花があるの」
「花、でございますか」
「ええ。もうそろそろつぼみがついているでしょうから、見に行きたかったのだけど……」
「その際は我々にお声をおかけ願います。お一人で行かれては……」
「あら、一人じゃないわ。二人よ」
「アルマ様……ですか」
「ええ。……アグリアス、そこの紅茶を淹れてくれないかしら?」
「はっ」
命に従いアグリアスは近くの机にあったティーカップに紅茶を注ぎ、オヴェリアに手渡した。
丁度飲み頃に冷めていた紅茶を、オヴェリアの可憐な唇が飲む。
「ああ、おいしい……」
「…………何か茶菓子を用意させましょう」
「いいわ。コホッ、コホン。……アグリアス、ここにいて」
「はっ」
しばし沈黙が場を支配する中、時折オヴェリアの咳が響いた。
「……オヴェリア様。布団の中に入られてもらえませんか」
「ずっと横になっていると、何だか色々考えてしまって……」
「そうですか」
「ねえ、アグリアスは不満に思った事はない?」
「何に対しての不満でしょうか」
オヴェリアは視線を修理された窓に向けた。その先には風でざわめく森があった。
その森を抜けてしばらくすると岬があり、海が見える。
たまにアルマに誘われて、警備の目を盗んで抜け出しているオヴェリアだったが、
ラヴィアン、アリシアはともかく、アグリアスは見逃してやっていた。
最近、その事に気づきつつあったから、オヴェリアは訊ねてみたのだ。
「こんな辺境の地で……私一人のために質素で退屈な日々を送る事になって……」
「王家からの勅命、私はこの任に誇りを持っております」
「そう……」
「それに」
「それに?」
布団の上にあるオヴェリアの手を取り、アグリアスは微笑んだ。
「オヴェリア様の御心を少しでもお慰めできる事を……嬉しく思っております」
「……ありがとう、アグリアス。コホッ、コホン」
オヴェリアが咳き込むのを見て、アグリアスは紅茶のカップを取り上げた。
「どうか横になって下さい、今無理をなされては風邪がこじれてしまいます」
「そうね、少し休むわ……コホン、コホン」
コン、コン。
咳に合わせるように、戸がノックされた。女中だろうか?
しかしノックの癖からオヴェリアは相手を察し微笑んで応えた。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのはベオルブ家令嬢アルマだった。頭を下げ一礼し、ベッドに寄ってくる。
アグリアスは「どうぞ」と自分の席を上げた。
「ありがとう、アグリアスさん」
「いえ」
「アルマ、今日もお見舞いに来てくれたのね。……何を持ってるの?」
言われて、アルマはニコリと笑って応える。
「さあ、何だと思う?」
もったいぶった仕草をしながら、手のひらにおさまる何かをいじるアルマ。
「……オヴェリア様、横になっていただくお約束です。
 アルマ様もオヴェリア様にご無理をさせないようお願いいたします」
アグリアスに睨まれ、オヴェリアはおとなしく布団に潜った。
一方アルマは唇を尖らせて小声で何事かを呟く。多分悪意の無い嫌味だろう。
「――それで、アルマ様。何をお持ちになられたのですか?」
「花でも摘んできてくれたのかしら。でも、あの花はまだつぼみよね……」
二人の疑問を聞き、アルマの表情が一点、パッと輝く。
「えへへ〜。オヴェリア様の退屈をまぎらわすためにお持ちいたしまするは何と……」
手のひらを開く。
王女への見舞いの正体、それは。
「葉っぱ」
だった。
「…………」
「…………」
沈黙するオヴェリアとアルマ。
よく見てみる。うん、草だ。
その辺に生えている雑草だ。
多分教会の庭に落ちている。
森に行けば全力全開で生い茂っている。
そんなどこにでもある葉っぱだった。
「……アルマ様。それが病床のオヴェリア様への貢ぎ物とは、少々ご冗談がすぎるのでは」
「あら、冗談じゃないわよ。失礼ねぇ」
クスクスと悪戯っぽく笑うアルマ。どうやらこの草には何か秘密がありそうだ。
「……ただの木の葉と見せかけて、正体は何ですか? 薬草の類か、ハーブの類か」
「ただの葉っぱよ。名前も知らないし木から一枚拝借してきたの」
「…………」
言い切られて唖然とするアグリアスを見ると、アルマはいっそう嬉しそうに笑うのだった。
「それで、アルマ。その葉っぱを私に見せてどうするのかしら?」
アグリアスと違い、まだ期待の色を瞳に浮かばせているオヴェリアが訊いた。
「いえいえ、これはオヴェリア様にお見せするためにお持ちしたのではありません。
 お聴かせするために拝借して参りました」
「聴かせる? コホンッ。……葉を、ですか?」
「どうかご拝聴を」
言って、アルマは葉っぱを唇に挟んだ。スッと息を吸い、吐く、いや、吹く。
「ヴィィィィィィ」
「わあっ、音が鳴ったわ」
「草笛……ですか」
「その通り。昔、お父様に教わったの。久し振りだけど、うまく吹けてよかったわ」
カラカラと笑うアルマ。同様に、見舞いの品の正体を知って笑顔を浮かべるオヴェリアとアグリアス
「ただ音が鳴るだけじゃありませんよ。ちょっと加減をすれば、こんな風に……。
 ヴーヴィーヴィー♪ ヴィーヴーヴーヴヴィー♪」
「まあ、音楽に」
「いかがでしたでしょう、オヴェリア様」
「ええ、とっても……コホン、コホッ、コホンッ」
「ああっ、あまりおはしゃぎにならないでください。お身体に障りますよ」
咳き込むオヴェリアを見てアルマは布団の中に手を入れ、オヴェリアの手を探し出して握った。
「ごめんな、コホンッ、なさい。あまりに楽しかったから……」
「オヴェリア様……」
「ねえアルマ、私にも草笛の吹き方を教えてくれないかしら?」
「お望みとあらば、完璧にマスターさせて差し上げます」
「ではさっそく……」
「なりません」
ぴしゃりとアグリアスが言い切って、二人の視線を一点に受けた。
「オヴェリア様は未だ病床の身、草笛を学ぶのでしたら風邪が治ってからにしてもらいます」
「ぶー、少しくらいいいじゃない。アグリアスさんったら堅物なんだから」
「アルマ様、貴女様は少々おてんばすぎます。
 こうして修道院で暮らしているのですから、もう少し慎ましさというものを学んで下さい」
「はーいはいはい。アグリアスさんの小言は聞き飽きました。
 それと、私から見ればアグリアスさんはもう少し肩の力を抜いた方がいいと思いますよ」
「そうは参りません、オヴェリア様をお守りするのが我が務めゆえ」
「恋のひとつでもして、乙女心を呼び覚ませばだいぶ可愛くなると思うんだけどなー」
「残念ながら恋をしようにも、この教会にいる殿方はシモン様くらいですから」
「いつか、チョコボに乗った王子様が迎えに来るかもしれませんよ」
「それはまた夢のあるお話で。しかしご存知ですか?
 人の夢と書いて儚いと読むのですよ。
 そんな夢物語に花を咲かせるより、アルマ様はベオルブ家ご息女として現実を学ぶべきかと――」
アグリアスさんとおつき合いできる殿方は、さぞ心の広い方でありましょうねぇ」
アルマが言って返すと、オヴェリアがプッと吹き出した。
「そうね、アグリアスには心が広く優しいお方がお似合いだわ」
「お、オヴェリア様まで……。私は剣と王家にこの身を捧げておりますゆえ……」
「それでも、もし殿方を好くような事があれば、アグリアスにはその方と結ばれて欲しいわ。
 私はきっと……そういう風に誰かと結ばれるとは思えませんから」
少し斜になって語るオヴェリアを見て、アルマとアグリアスは口をつぐんだ。
王女である以上、相手は相応の身分が求められる。
そしてそれ以上にいずこかの派閥が政治的に有利になるよう婚姻を運ぶだろう。
恋を知らず、愛を知らず、それでも否応なしに誰かのために誰かと結ばれる。
そんなオヴェリアの境遇を二人は不憫に思わずにはいられなかった。
「……大丈夫ですよ、オヴェリア様にもきっといつか素敵な殿方が現れます。
 全力で貴女を愛し、慈しんでくれるような人が、きっと」
「……ありがとう、アルマ」


友情を深める二人を見、アグリアスは己の胸があたたかくなるのを感じた。
王女オヴェリア・アトカーシャ。
ベオルブ家末娘アルマ・ベオルブ。
二人の未来に幸多き事を祈り、アグリアスは一礼した。
「それでは、そろそろ私はおいとまさせていただきます。
 アルマ様はどうかごゆるりと……くれぐれもご無理をさせぬようお願い申し上げます」
「解ってるわよ。大丈夫、草笛を聴かせて差し上げるだけだから」
微笑みながら葉っぱを咥えるアルマを見て、アグリアスは小さく笑った。
「それでは」
アグリアスが退室した直後、ドア越しにアルマの草笛の音色が聴こえ出す。
アグリアスはしばしドアに背を預け、アルマの奏でる曲に耳を傾けていた。


「ふっ。恋……か。恋をし、その相手と結ばれる……。
 そんな当たり前の事が、オヴェリア様の身には何と儚い願いだろうか……」


腰から下げた剣を握る。そして思う。
守ろう。騎士である自分にできる事はそれだけだ。
国王オムドリア?世と王妃ルーヴェリアの間に生まれた子が二人、すでに病死している。
偶然とは思えないきな臭さ。オヴェリアに王位を委ねようとする意思が働いているのだろうか?
数年以内に王位継承者をめぐるトラブルが発生するだろうとアグリアスは予測した。
自分に恋は無用。必要なのは守るための力。
そう思い、アグリアスは廊下を歩き出した。


それから数年――アルマが修道院を去って、さみしさも癒える頃――王女オヴェリア誘拐事件が発生する。
そして彼女の物語が、一人の青年の物語と合流し動き出す。


   THE END


   そしてChapter2『利用する者される者』へ――。