氏作。Part30スレより。





 疲れきった体でドグーラ峠をようよう越えた矢先にキングベヒーモスに出くわしたのは
災難だったが、オルランドゥ伯のおかげで何とか撃退できた。
「ザーギドスでの楽しみができたぜ。いやいや、角はもっと根元から切るんだ。
太さで値段が決まるんだから」
 小山のようなキングベヒーモスの背中から、ラッドが手慣れた調子で指示を出しながら
鉈をふるっている。その傍らで、諸肌をぬいで汗をぬぐっているオルランドゥに、
アグリアスはあらためて頭を下げた。
「感服しました。ほとんどお一人で、これを仕留められるとは」
「なんの、なんの」たくましい肩を上下させつつも、老剣豪は上機嫌である。「それより、
ランドリア山でベヒーモスとは運がよかったな。今晩が楽しみだ」
「今晩?」
 アグリアスがきょとんとしていると、オルランドゥは意外そうに眉を上げた。
「ランドリアのベヒーモスといえば、めったには喰えぬ珍味ではないか。嫌いかね?」
「珍味って……食べるのですか? ベヒーモスを」
「知らぬのか!?」
 オルランドゥは大声を上げたが、驚いたのはアグリアスの方だった。この巨獣を
食べるだって? 隣で解体作業を監督していたラムザも、目を丸くしている。
そのラムザオルランドゥは見やって、
「まさか、ラムザ。君もベヒーモスを食べたことがないのか」
「いや……あまり、こういうものを食べようと思ったことは……」
「では、あれは何をしているのだね」と、傍らの解体作業を手で示す。
「毛皮骨肉店に売る部位を採ってるんですが……」
「何ということだ」
 オルランドゥは心底意外そうな声を上げて立ち上がった。「ランドリアのキング
ベヒーモスを仕留めたのに、角とたてがみを売り払って終わりだと? 君たちは
食の楽しみを知らないと見えるな」
 ラッド達も解体の手を止めてこちらを見ている。オルランドゥはそちらをじろりと
睨んでから、ようよう傾きかかっている太陽に目をすがめ、「確か、旅程にはいくらか
余裕があったはずだな」
「はあ、今日はこんなこともあったので、適当なところで野営を張ろうと思っていましたが」
「なら、丁度いい」オルランドゥベヒーモスの方に向き直り、「おおいラッド君、
すまんが角採りは中断してくれ。本体の解体が先だ」
「本体?」小山のようなベヒーモスの体を解体してどうしようというのか、ラッドも
怪訝な顔をしている。オルランドゥは気にした様子もなく、
「今日の炊事当番はアグリアスだったな。濡れてもいい服に着替えてきたまえ。
ラムザ、君もだ」
「あの、僕は明日の打合せとかこの後も色々」
「バルバネスの息子がベヒーモスの食べ方も知らぬとあっては、冥土で奴に
顔向けができん。いい機会だ、きっちり仕込んでくれる」
 有無を言わせぬ気配である。アグリアスラムザと顔を見合わせ、いそいで
着替えを取りに駆け出した。



「いいかね、まずは血抜きだ。これは仕留めてから早ければ早いほどいい。これほど
大きいと普通はやぐらを組んで吊すのだが、幸いあつらえ向きの手伝いがいる。
労働八号!」
「カシコマリマシタ」
 オルランドゥの声に応えて労働八号がのっそりと歩み出し、キングベヒーモス
後脚を両手でもって高く差し上げる。巨体ゆえ完全に吊すことはできないが、
それでも切り落とされた首からどぶ、どぶと樽の底を抜いたように赤黒い血が
流れ出てくる。労働八号の足下はあっという間に血生臭いぬかるみになってしまった。
「知っての通りベヒーモスは雑食だが、このランドリア山には大型動物が少なく、
いっぽう飛竜草やロランベリーなど香りのよい草木が豊富だ。したがってランドリアの
ベヒーモスは草食で、肉に臭みがない最高級の珍味とされておる」
 講義をしながらオルランドゥはよく研いだアイスブランドでベヒーモスの尾と四肢の
先をすぱすぱ切り落とす。「血を抜く間に皮を剥ぐ。ラヴィアン君、オリハルコン
持っていたな。貸してくれたまえ」


 講義を受けているのはラムザアグリアス、それにアグリアスが巻き添えにと
引っ張ってきたラヴィアン、ラッドの四人である。アリシアには逃げられた。オルランドゥ
見事なナイフさばきで皮下脂肪に刃を入れ、すいすいと皮を剥ぎ取っていく。
「次に内臓だが、まず肛門周囲にナイフを入れ直腸を分離してから、腹を開いて
残りを取り出す。食道から胃袋、大腸までを俗に白物、他を赤物などと言うな。
キング種だけに発達した第三肺は一名キングベヒーモス袋と言って……」
(なあラムザ
(何ですか)
(伯ってこんな人だったのだな)
(僕もこんな活き活きした伯を見るのは初めてです。そういえば、父と二人で狩りに
行くとすごい量の塩漬け肉とかがおみやげだったなあ)
 湯気を立てている臓物を筵の上に引きずり出し、赤物、白物と分けて並べてから、
オルランドゥはおもむろにアイスブランドを構え直す。気合一閃、見上げるような巨体が
背骨からずぱりと真っ二つになった。続いて剣を右手に持ち替え、左手にオリハルコン
取り出して、おもむろに刃を打ち合わせ、
「ここが前すね、筋が多く硬いので挽肉にすることが多い。続いて肩、ここは煮込みか
塩漬けにする。ここが首肉、その下の肩から背中にかけての部分が肩ロース。
総じてベヒーモスは首と背中の筋肉がよく発達しており、シチューなどにすると
味が濃くて実にうまい。次に背中部分はロインと呼ぶが……」
 大小二本の剣を器用に使って、解説しながら手際よく肉を切り分けていく。どさ、
どさと地面に切り落とされる巨大な肉塊を、アグリアス達は大急ぎで拾っては水洗いして
並べる役割である。これほどの巨獣になると、死んでずいぶん経っても体の芯は
まだ温かい。湯気がもうもうと上がり、むせ返る血の臭いの中で汗だくになっている
うちに、ベヒーモスの右半身はきれいに解体されて、綺麗な深紅色をした肉の山と
化していく。いつの間にか、日はだいぶ傾いている。
「……最後に後ろ脚は外もも、内もも、しんたま、ともすねの四部位に分かれる。
外ももは塩漬け肉にするのが定番だな。さて、実習だ。もう半身はアグリアス
やってみたまえ」
「えええ!?」
 無造作に血まみれの剣とナイフを渡された。野戦歴の長いアグリアスだが、料理は
あまり得意でない。できないことはないが、隊内ではまずもって下から数えた方が早い
程度の腕前である。もちろん、こんな巨大な獣を捌いたことなどない。自信なげに
立ちつくしているのを後目に、
「それと、備蓄品リストを見せてくれ。ふむ、塩と乾物は充分にあるな。だが根菜が
足りん。幸い、この山にはロマンダボウフウがよく生える。ラッド君、ちょっと行って
掘ってきなさい」
「え?…あ、はい」
 一瞬面倒くさそうな顔を見せたものの、それがこの血みどろの解体現場から
逃れられるということだと理解したラッドは飛ぶように走っていく。ラヴィアンもすかさず
後に続き、アグリアスの視線が恨めしげにその背中を追った。
「あの、伯、どうせ全部解体したって食べきれっこないですし、半身で充分」
「何を言っておる。塩漬けにしてよし、干し肉にしてよし、余った分は麓の村にでも
持っていけば高値で売れる。ベヒーモスに捨て所なしというのだ」
 ラムザが助け船を出そうとしたが、一言のもとに切って捨てられる。
「じゃ、じゃあ僕も手伝って」
ラムザには別の仕事がある。今剥いだ皮をそこの川へ持っていって、脂肪や血管を
綺麗に洗い落としてきなさい」
「皮!?」
「これほど見事なベヒーモスの皮を捨てる手はない。洗ったら石灰を溶かした水に
漬けておくんだ。りっぱな革鎧が一領できるぞ」
「あの、今更レザーアーマーなんか作っても」
「駆け足!」
「はいっ!!」
 毛布より大きいキングベヒーモスの皮をかついでラムザが飛び出していき、アグリアス
もう逃げ道がないことを悟った。





 日が落ちる頃、ようやくベヒーモスの皮の下ごしらえを終えたラムザが戻ってきてみると、
頭から爪先まで血脂と肉片にまみれて半泣きになったアグリアスが、ベヒーモス
背骨をノコギリで曳き切っているところだった。
「……ラムザぁ〜」
 情けない声を上げるアグリアスに駆け寄ろうとして、あまりの血臭に二の足を踏む。
傍らにはアグリアスが解体したらしい半身の肉が積み上げられているが、オルランドゥ
作った山よりひとまわり小さい。だいぶ無駄が出たようだ。そのオルランドゥはというと、
少し離れたところに石竃をしつらえ、ラムザが生まれる前の流行歌を鼻歌で歌いながら
大鍋をかき回している。
「本当は骨も色々役に立つのだがな、まあ旅の空ではそこまですることもないだろう。
スープのために骨髄を取るだけでいい」
 アグリアスの切った背骨の中から巨大な髄を取り出し、大鍋に放り込む。鍋の中には
すでに何種類かの香草とロマンダボウフウらしき具が、ぐらぐらと煮えかえっていた。
オルランドゥはしばし満足げにそれを眺めてから、
「覚えておきなさい、香りのものと火の通りにくい具は先に入れるのだ。さてラムザ
荷馬車へ行ってここに書いたものを用意してきてくれんか。アグリアス、かまどをもう一つ
作るから手伝ってくれ」
「あの、その前にできれば体を洗って、着替えてきたいのですが」
「後にしなさい。これから内臓を扱うぞ」
 ますます泣きそうな顔になったアグリアスを見やり、申し訳なさそうに頭を下げて、
ラムザは渡されたメモを夕闇にすかしながらまた駆け出していった。


「どうして自分がこんな目に、と思っているな?」
 再びぽつねんとラムザを見送るアグリアスに、オルランドゥが声をかけた。一抱えも
ある大きな肝臓を、ナイフでぶつりぶつりと切っている。アグリアスも慌ててナイフを
とって手伝った。
「いえ、そのような」
「ははは、いいさ。ところでアグリアス、君はパンを焼いたことがあるかな?」
「はっ?……」


 それはいくらなんでも、馬鹿にしすぎというものではないのか。アグリアスとて、月に
何度かは炊事当番を務めているのだ。堅パンを火にあぶってトーストを作るくらいの
ことは普通にやっている。憤慨の気持ちが顔に出たのだろう、オルランドゥは苦笑いをして、
「そうではない。小麦粉を練って、パンだねを加えて、窯に入れて、パンを作ったことが
あるかな、というのだ」
「……それは、ありません」
「そうだろうな。だが、いずれやらねばならんかもしれんよ」
 細切れにした肝臓に塩、胡椒、ごまの粉をふり、火酒にひたして臭み抜きをする。
その間に香草をきざみ、干し茸の水戻しをし、かまどの石を組み、合間合間に
鍋の様子をみる。炊事当番というのはただでも忙しいものだが、今日はオルランドゥ
特別料理のおかげで目の回るような有様だ。
「私はな、この戦いが終わった後のことを考えている。ルカヴィどもを退治して、我々の
役目が終わった後、ラムザは言うまでもないが、君もオークス家に戻れるとは限るまい。
そうなれば、生涯を流浪するか、さもなくば平民となって暮らしを立てるより他にない。
ラヴィアンやアリシアとて、いつまでも付き従ってくれるわけではなかろう。そうなった時、
自分でつくる飯がまずいというのは、侘しいものだよ」
 ブロンズシールドの裏打ちを剥いで作った簡易フライパンに脂肪のかたまりを置いて、
かまどに載せる。銅の表面に熱がまわり、脂が溶けてじりじり音を立てるのを、オルランドゥ
じっと聴いている。その横顔が一瞬燃え上がった炎に照らされ、濃いオレンジ色に
ひらめいて見えた。
 この人はもう二度と、南天騎士団の頭領シドルファス・オルランドゥとして生きることは
できないのだ。当たり前の事実が、ふいに胸へ迫ってきた。
 黙り込んだアグリアスを見て、オルランドゥはにやりと笑う。ぐらぐら煮えている鍋の
側へ歩み寄ると、やおらナイフでかまどの土をほじくり返しはじめた。盛大に燃えている
薪の、そのすぐ下の熱い地面を掘って、大事そうに何かを取り出したのを見れば、
握り拳ほどの小さな紙包みだ。炎の熱を受けて、すっかり茶色に変色している。
けげんな顔で見守るアグリアスの鼻の先で、オルランドゥがその包みを開くと、
ほわん、と香ばしい匂いが鼻をついた。
 包みの中にあったのは、ひとかたまりの肉と、いくらかの香草。土の中に埋められて
ほどよく蒸し焼きになり、たまらない匂いを立ち上らせている。半分に切って、フォークに
刺してくれたのを口に入れて、
「おぅ……!」
思わず、アグリアスは声を漏らした。
 信じられないくらいに柔らかい。噛み切るのに歯がいらず、舌だけでちぎれてしまう
ほどだ。濃厚な肉の旨味と脂の甘みが口の中いっぱいに溶け出して、香草のかおりと
共に喉をみたしていく。オークス家の一番りっぱな晩餐だって、こんな美味しい肉を
食べたことはなかった。絶句したまま夢中で口を動かしているアグリアスを、オルランドゥ
満足げに眺め、自分も一切れほおばってもぐもぐやりながら、
キングベヒーモスには、ハリケーンを撃つための第三肺がある。この肺のために、
喉の奥にほんのわずか、ほとんど使われることのない筋肉ができるのだ。美食家には
ヒレなどと呼ばれて、獣肉の極上中の極上とされておるが、何しろ一頭から
これっぽっちしか採れん」
 白いのどがこくりと動き、口の中の至福を呑みくだしたアグリアスはようやく我に返る。
口元から一筋よだれが垂れているのに気付き、あわてて拭いた。オルランドゥ
くすくす笑っている。
「これも美食の修行だ。……皆には内緒にしておけよ」
 いたずらっぽく言うので、アグリアスもつい噴き出してしまった。二人でひとしきり
笑ってから、
「でも、そんなに貴重な肉なら、私よりラムザに教えてあげた方がよかったのでは
ありませんか」
「なに、君が覚えれば、少なくともラムザの子には伝わる」
 はて、どういう意味だろう。アグリアスはしばし考えて、
「……伯ッ!!」
 真っ赤になって怒ったところで、図ったように堅パンと野菜をかかえたラムザが戻ってきた。






 オルランドゥが腕によりをかけた「キングベヒーモスの山の幸シチュー」ならびに
「レバーと香草のソテー・風水士風」は、
「……美味ぇえええ!!」
「おいしーい!」
「おかわりーー!!」
 一同に大絶賛をもって歓迎された。
 ここ数日というもの強行軍続きで、歩きながら干し肉をかじって済ませるような食事が
多かっただけに、うまさもひとしおである。大鍋一杯のシチューと、ブロンズシールド
三枚に山盛りのレバーはあっという間になくなり、まだたっぷり残っている肉を使って
引きつづき焼肉パーティが始まってしまった。
「あまり食べ過ぎると、明日に障るぞ」
 アグリアスが形ばかり注意しても、聞くものではない。一抱えもある肉の塊を金串に刺して
火にあぶり、焼けた表面からナイフで削いでほおばる。ジュウジュウと音を立ててしたたる
黄金色の脂を堅パンに受けて食べるのもいる。皆ここを先途とばかり食べまくり、舌つづみを
打っては酒を飲み、中には踊り出す奴まで出てくる。
「ずいぶん食べ歩きもしましたが、これほどうまいソテーはめったに食えない。ソースの
味はどうやって出すんです」
「うん、隠し味に干しアンズを入れるのがコツでな」
 若い連中にまじって、オルランドゥも上機嫌で盃を傾けている。そんな彼らに一歩離れて、
アグリアスはのんびりと岩に腰をかけ、宴を眺めていた。
 何しろ皆が大喜びでかぶりついているその肉に、頭からまみれてさっきまで解体作業を
していたのである。鼻の奥にまだ血脂の臭いがこびりついており、とても肉を食べる気に
なれない。シチューを少しとパンをかじって、いつもより軽い夕食ですませた。腹八分目だが、
満足げに腹をさする。さっき食べた至福の味を、満腹感で台無しにしたくないという
名残惜しさもあった。
 かまどを囲む輪の中に、ラムザの姿もある。シチューの残りに堅パンをひたして、大事そうに
食べている。子供のように嬉しげな横顔を、アグリアスはじっと見つめて、
(……料理の練習を、しよう)
勃然と、そんな気持ちがわき上がってくるのを覚え、知らずスプーンを握りしめていた。



 ベヒーモス成獣の体重はおおよそ5トン。骨や内臓を除き、約2トンあまりの肉が採れる。
塩漬け肉を樽いっぱいにこさえ、馬車の入口には干し肉にする分をぶら下げて、
それでも残った肉は地面に埋めた。昨日よりだいぶ目方のふえた荷物と人間共を
牽くボコも重そうである。
「いやあ、やっぱりうまいもの食った次の日は気合が違うな」
「おお、今なら神殿騎士団だろうとルカヴィだろうと屁でもないぜ」
 この夜以来、美味しい食事は士気の向上におおいに役立つと学んだ一同はこぞって
料理の腕を磨き始め、ラムザ一行の食事情は大幅に改善することとなる。もちろん
アグリアスの料理も見違えるほどの上達を見せ、この点ラムザはおおいに伯に
感謝したのだが、


「ハイドラの舌ってのは珍味らしいな。向かって右の頭のやつが特にうまいとか」
「ダークベヒーモスの×××を白ワインに漬けると極上の強壮剤になると聞いたぜ」
「おいラムザ! イグーロスへは北回りで行こうぜ、今頃ラーナー海峡にはクラーケンが
出るそうだ」


 ただ一部の者が、美食が高じて珍味マニアになってしまい、ラムザの頭をしばし
悩ませることになったのだった。





End