氏作。Part33スレより。




「えーっと、雑貨屋はこっちでいいんだっけか?」
「この街も久しぶりだけど、あんまり変わってないわねー」
 街の喧騒の真ん中で、旅人らしき三人の男女が町並みをきょろきょろと見回している。
「あまりきょろきょろするな二人とも。不審がられるぞ」
「大丈夫よ、あたしたちみたいないかにも他所から来た旅行者、って感じの人間なら、
 むしろきょろきょろしてない方が不自然でしょ?」
 真面目そうな騎士風の女性に、モンクの女性がけらけらと笑いながら振り向いた。
「むしろ不審者ってのはザックみたいな奴のことを言うのよね」
「なっ、俺? 確かに顔が隠れてるけどさあ」
 ザックと呼ばれて反応した黒魔道士の男が、目をパチパチさせながら反論する。
「俺はともかく、ヴァレリーはここ出身なんだろ? お前こそ面が割れてて目立つんじゃねーの?」
「平気よ、すっぴんで出歩くなんて無かったから大丈夫だってば。髪型も服装も昔と全然違うし、
 知ってる顔が今のあたしを見たって、だーれもあたしだなんて思ったりしないわよ」
 自信満々、といった感じに胸を張ってヴァレリーが言い返す。
「あー…そりゃ昔に比べるとそうだよな〜。それにそういう意味ならアグリアスのほうが目立ちそうだし」
「ちょっと、どういう意味よそれ」
「そりゃ勿論その辺の野郎共が放っとかないだろーなって意味で…あ」
 しみじみ言うザックが振り向くと、ヴァレリーがぱきぱきと指を鳴らして凄んでいた。
「…へ〜ぇ、あんた、いい度胸してんじゃない?」
「よせヴァレリー…どういう理由であれ目立つのなら、目立つ前に用事を済ませよう」
 そんな二人のやりとりに、はあ、と呆れた溜息をついた女騎士──アグリアスが歩き出す。
「そーね、日も暮れちゃうし皆もきっと心配するわ。馬鹿は放っておいてさくっと買い物済ませちゃいましょ」
 言うが早いか、アグリアスを追いこしそうな勢いで、ヴァレリーがずんずんと歩き出す。
「ったく、一言多いよなあ…」


 見れば人通りもだいぶまばらになってきているものの、足の速いヴァレリーに追いつくのは困難であろう、
ザックは駆け足をやめてのんびりとしたペースで歩き出した。
「で、ヴァレリー。先頭きって歩くのはいいけど、雑貨屋がどこかってわかってんの?」
「今探してるとこよ」
 あっさりと言ってのけるヴァレリーに、思わずザックが転びそうになる。
「全く…無計画にも程があるぜ。なあアグリアス…ん? あれ? どこ行った? おーい?」
 ふと気が付くと、アグリアスがいない。てっきり前を歩いていたと思ったら、どうやら追い越して
しまったのだろうか、ザックは慌てて周囲を見渡した。
「おいおいヴァレリーアグリアスってば俺たちに呆れてどっか行っちゃったよ」
「ほう。そう言う自覚があるのなら、今少し態度を改めてはどうだ?」
 いきなり背後から聞こえてきたアグリアスの声に、ザックが思わず、うおっ、と声を上げる。
「ふふ、驚いたか?」
「えーえー驚きましたとも。やれやれ、アグリアスに一杯食わされるなんてなあ…」
 ちょっと満足げの笑みを浮かべたアグリアスに、ザックが心底悔しそうな呟きをもらす。
黒魔道士でさえなければ彼の悔しがる顔も見られたであろうに、彼らに自分のペースを狂わされる
事が多いアグリアスとしても、そのチャンスを逃したのは少々残念である。
「私がただの堅物だと思っているのなら、その考えは改めるべきだな。そもそもお前達は緊張感が無さ過ぎる。
 いくらラムザが信頼しているとはいえ、お前たちは今の自分の境遇を本当に理解しているのだろうな?」


 アグリアスが説教を始めるのも無理はない。
 このザックとヴァレリーは、彼らの指揮をとるラムザと同じアカデミーで過ごしたという
仲間なのだが、一緒の時間が多かったせいか、友達感覚が抜けきらず、なあなあで過ごすことが多いのだ。
それはラムザに対してだけでなく、年上のアグリアスに対しても例外ではなかった。
 そこへ行くと逆にアグリアスと彼女の配下だったアリシア、ラヴィアンとは実に統制が取れている。
上下関係もしっかりしているし、言葉遣いから礼儀作法まで何ら問題ないといった具合だ。
もっとも、最近は彼らに感化されて、いささかその分別が疎かになりつつあるという由々しき問題も
あるわけだが。




「今の状況くらい理解してるってば。じゃなきゃ俺もここにはいないさ」
 つばの広いとんがり帽子を直しながら、ばつが悪そうにザックが弁解する。
「ならば、つまらん冗談も程々にすることだ」
「お固てえなあ…」
 得意げにふふん、と鼻を鳴らすアグリアス。打ちのめされたようにザックが呟く一方で、一人で
先に行っていたヴァレリーが怪訝な顔をしながら駆け足で戻ってくる。
「それよりもアグ姉さ、なーんでそんなに遅かったのよ?」
「うむ。戦力不足の今のままでは路銀もいずれ底を付くと思ってな」
 神妙な顔をするアグリアスの視線を辿ると、そこには数枚のちらしが貼られている。
どうやらここは床屋の店頭らしい。
「んー? …『髪、買います』…ってまさか、アグ姉その髪の毛切っちゃうの!?」
「ああ、必要であれば…」
 素っ頓狂な声を上げるヴァレリーに、アグリアスはなだめるように言葉を続け…
「えええ!? 勿体無え! そりゃやめといたほうがいいって!」
 ようとしたら、ザックに遮られてしまった。
「そうよ! そこまでする必要ないわ!」
 ヴァレリーも続けて反論する。
「お、お前達何を言っているんだ? ポーション一つ取っても、物資が多ければそれだけ楽になるだろう?」
 二人の勢いに今度はアグリアスが慌てだす。この二人にここまで反対されるとは思っていなかったからだ。
「楽とかじゃなくて、それとこれとは話が別!」
「そう、役に立つ立たないの問題じゃないのよ!」
 アグリアスは混乱した。
 自分が髪を切ると何か不利益があるのか? それもこの二人がこんなに躍起になるような。
ザックにしてもヴァレリーにしても、その瞳は真剣そのものである。
 アグリアスは考えた。理由は解らないが、髪を切ると仄めかすことで、この二人をコントロール
できるのではないか? と。
「ふうむ…そうだな、お前達がもう少し大人になるのなら、切らないでおこうか…」
「いや、切るか切らねーかで俺変わる自信ねえし」
「むしろ切ったらあたしグレちゃう」
 目論見はあっさり失敗する。


「そうは言うがヴァレリー、お前こそ伸ばしていた髪を切ったというではないか」
「あれはあたしが切りたくて切っただけよ。お金のためにとか言うなら駄目!」
「…ならば何故私の髪にこだわるのだ? 訳が解らん…」
 頭を抱えるアグリアスに、ザックとヴァレリーは口を尖らせた。
「だって…」
「今その髪を結んでる紐、ラムザが使ってたやつだろ?」


 ぴくり、と反応してアグリアスの動きが止まる。
 そうだ。そういえば忘れていた。あれから何気なく使うようになって一週間だろうか。
 捨てるわけにも行かず、買い換えも考えたが踏ん切りがつかず、そのまま使い続けてはや七日。
いつの間にか生活の一部となった髪留めの存在を、アグリアスは反芻しながら思い出していた。


「髪を切ったらそれ使えなくなるじゃんか」
「折角貰ったのに捨てたとか言ったら、あたしたちよりラムザの方が落ち込むんじゃない?」
 将の士気が下がれば隊の士気も下がる。それを意図してのヴァレリーの一言だったが、どうやら
アグリアスは聞いていないようだ。
「おーい、アグリアス。聞いてる?」
 ザックの言葉に、俯いたアグリアスがゆっくりと顔を上げる。アグリアスの顔がほんのり赤いのは
傾いた夕日のせいだろうか?
「お、お前たち…いつから気付いていた?」
「えっと、あたしは一週間くらい前かなあ」
「俺は五日前」
「…そ、そうか…」
 幾らお下がりとはいえ曲がりなりにも異性からの贈り物である、アグリアスは恥ずかしさから
また俯いてしまった。


「まあ、俺たちにとってもちょっと思い出深い品だよな、それってさ」
「そうねぇ。骸旅団と戦ってたころのだっけ?」
「ん…どっちかっつうと、北天騎士団じゃねえ?」
「…そっか…そうかも」
 意味深な会話と共に急にしんみりしたザックとヴァレリーの様子に、アグリアスが顔を上げる。
その顔に訝しむ色が濃く出ていたのか、それを察してザックが口を開いた。
「まあ、アグリアスがどういう経緯でそれを付けてんのか俺は知らねーけどさ。昔はラムザもそいつで髪を
 くくってたんだよな」
 人通りが一層少なくなった通りを、見渡しながらヴァレリーが続く。
「お姫様を攫っていったディリータって騎士、覚えてる? ラムザが髪を切ったのはあいつと別れた後なんだけど、
 そのきっかけが北天騎士団との戦いだったのよね」
「北天騎士団と…何故だ!?」
 ベオルブ家の御曹司が北天騎士団と争うという有り得ない構図に、アグリアスは眉をひそめた。
「そっか、ラムザはそういうこと滅多に喋らねえから、俺たちの昔のこと、知らねえんだな」
 ザックがふう、と一息ついて、続きを話し始める。
「昔、骸旅団って平民上がりの元騎士団が暴れててさ。士官候補生だった俺たちに、お上からそいつらを
 退治しろってお達しが来たのさ。ラムザディリータはそのころから…いや、そのずっと前から友達で、
 貴族と平民なのにえらい仲が良かったんだよな」
「そうそう、一部じゃ白い目で見られてたけど、親友って感じがして、ちょっと羨ましかったなー」
ヴァレリーも実は結構いいとこのお嬢様でさ。昔はひらひらした服を着てごってりとお化粧してて、俺も
 身分の差ってのを感じてたもんさ。確か、立派な魔道士になって欲しい、とか親に言われてたんだっけ?」
 ヴァレリーは苦笑いだけして肯定した。ザックはなおも言葉を続ける。


「ま、ともかく俺たちは当初、その骸旅団の討伐に行ってたわけよ。でも、連中が戦う理由を聞いてみると
 それがまあ、貴族の圧政ってやつ? が原因で、何が正しいのか俺もラムザもわからなくなっちゃってさ。
 間違ってるって思うかもしれないけど、そん時俺はどっちかというと、骸旅団を助けたい気になってたんだ。
 でも…ラムザが幾ら諭しても、貴族には頼らない、絶対に手を取らない、って信用されず、強情張る奴もいて…
 泣く泣く斬ったこともあったっけな」
 声がだんだん小さくなるザックに、ヴァレリーが小さく問い掛けた。
「ミルウーダのこと?」
 その名前に、ザックが天を仰いだ。
「ああ…骸旅団の女騎士。貴族を…いや、俺たちを最後まで拒んでた」
「反貴族を掲げる平民は少なくない。これからもそう言う人間を相手取ることもあるだろう…躊躇は許されんぞ」
「ま、そうなんだろうけどさ…」
 ザックが溜息をついてうなだれる。そんな様子を見ていたヴァレリーが、静かに口を開いた。
「でもさアグ姉、貴族にとって平民って何かな?」
 ヴァレリーの消え入りそうなほど小さな声に、ほんの少しだけアグリアスはたじろいだ。質問の中身も
さることながら、未だかつてヴァレリーから、そんな弱弱しい声を聞いたことが無かったのだから。
 何も答えられずにいたアグリアスに、ヴァレリーはそのままの口調で続ける。
「ある貴族の男が、骸旅団の一人に言ったのよ。面と向かって、お前ら平民は家畜だ、って。悪びれもせずに、
 さもそれが当然だって顔でね。…あたしは吐き気がしたわ。誰かに抑えてもらわなかったら、あたしは
 そいつに飛びかかってたと思う。あの男のようにはなりたくない、あたしはあいつと違うんだ、って」
 穏やかだったヴァレリーの顔にだんだんと嫌悪の色が浮かぶ。ザックはそんな彼女の震える肩を叩いて
なだめながら顔を上げた。
アグリアスはどうよ? やっぱ平民は貴族に従って当然?」
「…ものには言い方がある。貴族は、平民から搾取し、それを国力として還元する。貴族が平民を支配する
 階級であることに間違いはない」
 淡々と、しかし眉根には皺を寄せるアグリアス。彼女の表情から、その言葉が現実とかけ離れた理想論である
ことを見て取るのは容易かった。


「…ディリータは、そのヴァレリーが嫌ってる奴に妹を殺されてる。そいつはそいつでディリータ
 殺されたけど…今、ディリータラムザをどう思ってるかは、俺たちにゃあ解らない」
「それは、ラムザが貴族だからか…?」
 神妙な顔をしたアグリアスに、ザックは視線をそらした。
「まあ、それもあるかもしれないけど…ディリータの妹を誘拐した骸旅団への攻撃命令を指示したのが、
 北天騎士団の、ラムザの兄貴だったから、ってのもあるだろうな」
「…!」
 アグリアスの表情が一層厳しくなる。
「人質とられてるのに攻撃命令出されたら、人質がどうなるかくらい普通はわかるだろ?
 俺たちは、貴族が自分たちを守るためには、たとえ友達であろうと平民は簡単に切り捨てる、って
 現実を見せつけられたわけさ。ラムザもそんな貴族の姓を名乗り続けるのは苦痛だったんだろうな」
「おまけにそこで、成り行きとはいえ北天騎士団と敵対したわけでしょ? 仲間も半分は抜けてっちゃったわ」
「名門の名を捨てることが愚かだとか、怖くてついていけないとか。勿論俺たちと思想が違う奴もいたし、
 そうでなくても将来が約束されてねえわけだし。ばらばらになんのも当然だなって思ったっけな」
「それで残ったのがお前たち…ということか」
 アグリアスの呟くような声に、ヴァレリーが微笑みながら頷いた。
ラムザと一緒なら、すっきりする答えが出てくるかな、って思って。でも、あたしの場合、結局は
 あの男が言った台詞を認めたくなくって、逃げてるだけなのかもね。あとづけでいいから、
 あのときの私が正しかった、あいつが間違っていた、っていう自分の正義の証明が欲しいだけ…」
ヴァレリーはいいさ、そういう追いかけるような目的があんだろ? 俺は後悔の念ばっかり先走ってて、
 今更になって話術士を目指してるんだもんな。ほんと、意味もねえのに今更だよ」
 ザックが自嘲気味にくっくっと笑う。
「俺たちと一緒に来たカーマインも同じさ。あいつはディリータの妹が殺されたときにレイズやらケアルやら、
 フェニックスの尾まで使おうとして必死に助けようとしてたっけな。敵に邪魔されて、どうしても
 助けられなくて、あの後ずっと塞ぎこんでたんだけどさ」


「あたしたちがあたしたちの意志で戦い始めてから結構経つけど、まだ死人が出ていないのはカーマインの
 おかげもあるわよね?」
「ああ、おかげで俺はずっと黒魔道士で魔法修行だよ。隊に白魔道士は二人も必要ねえからな」
 そう言って二人揃って笑いあい、二人揃って、ふう、と溜息をつく。
 そして暫く沈黙。
「…ま、俺たちもそうだけど、ラムザなんかもっともっといろいろ背負っちゃってるからな」
「そうよね…普通なら、自分の身の回りのことだけで手一杯になってるはずなのに、あたしたちのことまで
 管理してるんだから。我儘きいてもらってる部分も結構多いし…もしかして、あたし達は戦力の振りをした
 お荷物だったりしてね…」
「いや…それは違う」
 顔を伏せるヴァレリーに、沈痛な面持ちのアグリアスが首を横に振った。
 考えてみればザックにしてもヴァレリーにしても、悪く言えば楽観的と言えるほど、いままで弱音を吐いた
ところをみたことがない。普段からふざけてばかりいる、良くも悪くも戦争とは縁遠い性格の二人が、
何故ここにいるのか、何故戦っているのか。アグリアスはようやく理解した。
「それを言うのなら私とて同じだ。オヴェリア様にこだわるあまり周囲を見ていなかったきらいも…」
「そんなことないよ! アグ姉はそういう使命があるんだから当然じゃない」
「それも言い方だ。使命などと崇高ぶった言い方をしても、お前達を蔑ろにしていたことは否めない。
 それに私の使命とやらも、貴族から受けたものなのだぞ? 私と違ってお前たちにはお前たちの意思が…」
「ああもう、ここは懺悔室じゃねえし俺は神父様じゃねえぞ。やるんなら教会に行ってくれ、なんなら
 ここで俺が神父に転職してやろうか?」
 見かねたザックが無理矢理に会話に割り込んで、呆れたように明後日の方を指差して言う。
「…ごめんなさい、遠慮するわ。ご加護無さそうだし」
「確かに…ザックの信仰心の無さは神父は言うまでもなく魔道士としても問題視せねばならん」
「そこまで言うかよ」
 アグリアスにまで冗談を言われて大仰にザックが肩をすくめると、三人揃って苦笑いする。


「…っはあ、息が詰まっちゃった。ごめんねアグ姉、こんなときに重たい話聞かせちゃって」
「いや…気にするな。むしろ、私が聞いてよかった話なのか?」
「いいじゃん、髪留め見て懐かしくなったんだし、丁度今が話すときだった、ってことじゃねえの」
 そう言ってザックがアグリアスに目配せをする。目配せを貰ったアグリアスは、どう返したらよいか
わからず、ただザックに困り顔で微笑むだけだった。
「でもラムザの奴、なんで捨ててなかったんだろうな」
「そうねえ…嫌な思い出とはいえ、やっぱり思い出はそうそう捨てられなかったんじゃない?」
 言われてアグリアスが、ラムザに手渡された髪留めに触れ複雑な表情を浮かべる。そんなアグリアスを、
ザックとヴァレリーがくすくすと…いや、どちらかというと、ニヤニヤと笑いながら眺めている。
「…つうかさ。それをアグリアスに託すなんて、結構意味深?」
「かもね〜?」
 アグリアスが二人の含み笑いの意味にようやく気付いて、頬を引きつらせた。
「なっ!? べっ…別にラムザと私はなんともない!」
「へえ? 本当かね?」
「怪しいなあ〜。白状するんなら今のうちだよ〜?」
 重苦しい空気が解けたかと思えば1分とかからず普段のザックとヴァレリーに戻っている。そう、
アグリアスの苦手な、とてもお茶目な『友達』に。まったくこの二人、油断も隙もあったものではない。
「ん? アグリアス、顔が赤くねえ?」
「図星? ねえ、図星?」
「こ、こらっ! 人をからかうのもいいかげんにしろッ!」
 なおもアグリアスを見てニヤニヤ笑うザック達に掴みかからんとする彼女の足元に、影が二つ伸びてきた。
「あ、いたいた。皆ここにいたんだ」


 じゃれあう三人を見つけて駆け寄って来たのは、ラムザとカーマインだった。
 買い物は済んだか、宿はどこだと他愛ない会話の中、アグリアスが笑いあう四人を眺めて安堵の溜息をつく。
 思い起こしてみれば修道院の生活は、アグリアスにとって『仕事場』だった。アグリアスの仕事の相手、
それとも上司と言うべきだろうか、己の主君オヴェリアとは、決して彼らのような『友達』感覚は許されない。
 しかし、今のアグリアスは違う。同じ目的の同士と共に戦う、一介の剣士である。アリシアやラヴィアンとの
上官と部下の関係も、いまやかつての話だ。
 アグリアスはふと思う。気心の知れた仲間同士、笑いあっているその輪の中に、私は入れるのだろうか?


 …何を。


 ふと想像した団欒の絵に、自らの甘さを叱るアグリアス。私は剣に生きるのだ、それはこれからも変わらない。
ゆるんだ口元を手で隠し、元の厳しい顔つきを取り戻す。
「あ、そうだ。アグリアスさん、ちょっといいですか?」
「ん、あ、ああ。なんだ?」
 そんな刹那に不意にラムザに呼び止められ、アグリアスはほんの少しだけ慌ててしまった。
「ちょっと後ろを拝借しますね」
「…後ろ?」
 また不可解なことをラムザは言う、とアグリアスは思った。そんなアグリアスの返答を待たずに、ラムザ
にこにこしながら彼女の背後へと回る。二人のやり取りを眺めているカーマインもラムザと同じ顔をしている。
「じっとしててください」
 ばらっ。
「んな!?」
 言うが早いか、いきなりラムザアグリアスの髪留めをといたのだ。慌てて振り向いたアグリアス
ラムザは笑って正面を向かせた。
「すぐ済みますから。じっとしててくださいねー…」


 ラムザの言葉が聞こえているのかわからないが、アグリアスは前を向かされ硬直したまま動かない。
アグリアスにしてみれば先日髪がほどけた時に無防備な顔を見られたばかり、ラムザに真面目な顔つきで
かわいいだの綺麗だのと言われた時の余韻がまだ残っているせいか、彼女の顔は紅潮し、口は真一文字で
瞬き一つしていない。ラムザといえば、そんな彼女の気も知らず、のんきに鼻歌を歌いながらアグリアス
髪をいじっている。
「はい、いいですよ」
 そうして解けた三つ編みの代わりに出来上がったのは、白いレースをあしらった可愛らしい青いリボンだった。
「きゃ〜、綺麗〜! いいなあアグ姉、あたしも欲しいな〜!」
「そう? ヴァレリーの分も用意する?」
「…っつ、冗談よ、冗談! 気が利かないわね全く…」
 ラムザに悪気はないのだが、それがまた余計にヴァレリーの気に障ったようで、露骨に呆れた顔をして
ラムザに毒づいている。冷やかしがアグリアスに届いていないだけならまだしも、ラムザも言われて
何のことかわからずにきょとんとしているのが、なお憎たらしい。
「まあまあ、ヴァレリーの分は俺が買うからラムザは気にすんな」
「ほんと? やったあ、約束だかんね!」
 今度はザックの顔色が悪くなったような…しかし黒魔道士なのでよく読み取れない。
「はい、アグリアスさん、ご覧になってくださいませ!」
 そういえばここは床屋の店頭、丁度鏡が置いてある。ラムザは想像以上にリボンが似合ったのが余程
嬉しいのだろうか、店員さながらにアグリアスの両肩に手を置いて、鏡の前にアグリアスを立たせた。
三つ編みが解かれ、後ろで束ねただけのシンプルなヘアースタイルに変わった自分が、鏡に映る。
アグリアスの表情は相変わらず固まったままだが、頬の赤みがなお強くなったのは果たして夕日のせいだろうか?
「どうです? いい感じでしょう?」
 にこにこと無邪気に笑うラムザに、アグリアスは相当に恥ずかしいのだろうか、こく、こく、とおそるおそる
頷いている。


「良かった、いつまでも僕のお古を使わせておくのもまずいかなと思ってたんですよ。これでこっちはもう
 必要ないですよね」
 その言葉に一瞬だけ、アグリアスの顔色から赤みが引いた。
「…え?」
 そんなアグリアスの三つ編みを結っていた紐をくるくると手に巻きつけると、ラムザはそのまま歩き出そうとする。
「…ま…待て!! それは…まだ使う…!!」
「はい?」
「い、いつもこん…っ、このような、可愛いものを付けて戦うわけにもいかん! だから…かっ、返せ!」
 そう言って勢い良く右手を突き出すアグリアスに、ラムザは驚いて固まった。
「…いいんですか? こんな古いものでも」
「いいんだ! 早く!」
 間髪入れず即答するアグリアスに、ザックとヴァレリーが揃ってくすくすと吹き出した。
「なあラムザ。そいつがいいんだとさ」
「なんで渋ってるのよ。どうせ使わないんでしょ? あげたら?」
「…うん…」
 渋るラムザが髪留めをアグリアスに手渡す。
「でも、返したら多分そっちしか使わないような気がするんだ。折角リボンを買ったのになあ」
「あはは、それはあるかも」
 手渡した後で、頭をかきながらぼやくラムザにカーマインが頷いた。
「それに…」
 呟くラムザの顔に陰が出来る。それを察してか、辺りに神妙な空気が張りつめる。
「…ラムザ。お前はこの髪留めに過去を引きずっているのか?」


 言い淀むラムザに、アグリアスが問いかけた。
「お前は、この髪留めを使っていたと言っていたな。どんな思いがあって私に渡したのか、そして
 この髪留めにお前のどんな思い出が染み込んでいるか、私は考えたこともなかった」
 髪留めを見つめ、そしてラムザを見据えてアグリアスはなおも語る。
「過去は、捨てようとしても必ずついて回るものだ。お前がなんと名乗ってもベオルブ家の人間と
 見なされるように、そして過去があるからこそ現在の自分が形成されるように。もしお前がそんな過去を、
 或いは今をつらいと思ったのなら、お前には私たちのような仲間がついていることを思い出せ」
 しばしの沈黙の後、
「…はい」
 その言葉に微笑んで頷くラムザを見て、アグリアスもまた笑いながら頷いた。
「それでいい。この髪留めは今後も使わせてもらうぞ」
「あ、でも今日はそのリボンは外しちゃ駄目だからな」
「なっ…!」
 不意のザックの一言にアグリアスは目を見開く。
「何驚いてんだ。折角つけてもらったリボンを外して帰るなんてありえねえだろ」
「うん」
「だね」
 ザックの言葉にヴァレリーとカーマインも同意する。
「…ッ、わ、わかった! 今日だけだぞ」
「いや、今日以外もつけてくれよ」
「…ッ! わかっているッ!」
 言葉尻を掴まれ、なおも狼狽するアグリアスを皆が笑う。
「ね、アグ姉」
 アグリアスが視線を泳がせていると、不意に目があったヴァレリーが彼女を見つめてこう言った。
「私たちも、アグ姉のこと信じてるからね」
「…任せておけ」
 いつのまにか姿を消した夕日の代わりに、彼女たちを包んでいた優しい月明かり。
彼女の言葉と皆の笑顔に照れ笑いを浮かべるアグリアスの顔の赤みは、少しだけ和らいでいた。









(※このお話には前作があります。千夜一夜さんの方に保管されてありますので、そちらでご参照を)