氏作。Part27スレより。





前奏


昼食休みの終わりを告げるサイレンの音は、生徒達のしばしの休息に幕を下ろし
その強く照りつける午後の日差しに、奮起するもの、辟易とするものを
隔てることなくグラウンドへ駆り立てた。



「ねぇ」
広いグラウンドで唯一、強烈な陽光を避けるのを許された本部テントの下。
体育祭運営に従事する実行委員・副委員長であるバルマウフラが、
同委員長で、広い額にわずかに汗を滲ませるディリータに声をかけた。


「こういうイタズラは問題にはならないのかしら」
マラークとムスタディオの進言から立案した、午後の最終学年別競技のことだ。
当然その企画会議にも列席した彼女は、ラムザアグリアスの関係に一石を投じんとする
その内容を周知している。


「問題にしたいのか?」
そっけない彼の返事を、ある程度予測していたとはいえ、その言葉にどこかしらの
疎外感を感じて、普段から不機嫌そうなバルマウフラの瞳は一層きつく細められた。


「ばれなけりゃ何の問題もない。いや、よしんば誰かが口外したとして、
競技運営には何の支障もないんだ。それに学年別競技…特に午後の部は、余興の意味合いもある。
お前にも前例を調べてもらったけど、まあ毎年こんなものさ」
バルマウフラには視線を向けずに、ディリータは淡々とした口調で話す。


「でも、これって個人攻撃だわ。解る人には解りそうなものだし、
何よりもう既にあの二人のことを勘ぐってる人が校内にはごまんといるのよ?」
「その殆どがあの二人を応援してる、としたら?・・・別に俺だってからかおうとして
マラーク達の企画に乗ったんじゃない、あいつの・・・」
あいつの気持ちの手助けが、少しでもできれば。
そんな、気恥ずかしい言葉が喉まで出かかって、冷や汗をかきながら
ディリータは言葉を切った。
「・・・あいつらを盛り立てれば、俺の好印象にも繋がる。ゆくゆくは会長選の票にもな」


そこまで聞いて、突然パイプ椅子をはね飛ばしてバルマウフラが立ち上がった。
「女心を何だと思ってるのよ!!!」


普段物静かな彼女の激昂に、ディリータは度肝を抜かれた。
彼女の言う女心とは、一体何を指しているのか。ディリータは気付かない。
さして仲良くもない教師アグリアスに、彼女がそれほど感情移入していた印象もない。
さりとて、ディリータも女心には鈍感であったので、突然のバルマウフラの絶叫に返す
適当な言葉は見つからなかった。


「・・・別に、何でもないんじゃないか?」
「何でもあるわよ!!」


それ以降、言葉は続かなかった。ただ、ディリータは豆鉄砲を浴びた鳩のような顔で
バルマウフラの次の説明を待った。
しかし彼の期待に反し、バルマウフラははっとして顔を赤らめ、椅子に座り直した。


「何でもないわよ!!」


秘めた思いは秘めたままで。バルマウフラは外面に似合わず、少女文学肌であった。






*


太陽は南中を過ぎ、真昼の激戦を予感させる日差しを降らせていた。
奇しくもこの日はこの夏最高気温を記録し、梅雨明け宣言を待つ人々にとっては
予想外の酷暑をもたらしたのだが、それは我々が後に知ることであった。


私の名前はオーラン・デュライ。この学校の庶務課で働くいち公務員である。



ラムザの思考は停止していた。
憎しみや悲しみではない、重たい感情が心を支配し、やるせなさばかりが募る。
人を愛おしいと思う単純な情動が、時として出口のないもどかしさを生み出すのだと、
17歳の初夏、ラムザはそれを知った。


アグリアスの目は充血していた。
ラムザのことばかり考え、所帯および所得を同じくする妹の昼食にまで考えの回らなかった
自分の迂闊さへの嫌悪。そしてそれよりもなお、自分が一歩出遅れこと、その豪華な
中華料理に目を輝かすラムザ達の姿に嫉妬と怒りを覚え、彼女は不覚にも涙を流した。
その涙の理由が、ようやく彼女の中で明らかとなっていた。
「もう・・・十分だ。わかったじゃないか。私は、ラムザが・・・」
心中のつぶやきですら、次の言葉を涙が遮った。


各クラスが再びグラウンドに集合する。
2-Cの面々は一様に意気を上げているが、ラムザだけがその輪の外で沈んでいた。
「・・・あれ〜?おい、どうしたんだよ!朝のあいつに逆戻りじゃん!」
スタディオが小声でマラークに問いかける。
「妹に聞いたんだが、どうも昼休みに何かあったらしい・・・。昼飯がどう、とかで」
「昼飯ぃ??」
「あ!ちょっと、もしかして先生!ラムザくんにお弁当作ってきてたりして!」
そういう男女の機微には鋭いラヴィアンが、その勘に冴えを見せた。
「えー、じゃあラムザ君、そのお弁当食べなかったとか?それってひどくない!?」
幻滅、という顔でアリシアがわめく。
「バッカ、あいつはそんな男じゃねーよ。きっと何かこう、事情があったんだろ」
「あー、あれか?卵焼きの砂糖と塩を間違えてとんでもない味に、とか・・・」
「いつの漫画よそれ。先生もうハタチ過ぎた大人だよ?そんな事する訳ないじゃん」
「あ〜ん、どうして上手くいかないんだろー、あの二人」
ああでもない、こうでもないと、午後の出場種目のない四人は気楽にだべっている。
話題の渦中の人であるラムザは、ただ黙々と出走選手たちを激励し、
同じくアグリアスも集合こそしたが、クラスから数歩置いた位置で
無表情のまま立ちつくしている。
決して視線を交わそうとしない二人を、周囲の者はただ不安げに見守った。


「こうなったら、午後のあの競技にかけるしかないな」
重苦しくマラークが呟く。他の三人も、それに呼応してゆっくりと頷いた。


ラムザアグリアス、そしてムスタディオたちは、各々に異なる思惑を抱いて
ただ時が過ぎるのを待つのだった。







**


午後3時を半ば回り、体育祭はいよいよその最終局面を迎えた。


「それでは皆さん、いよいよ本日の最終競技です」
学内放送係も兼ねていたバルマウフラの、事務的な声が響く。
「最後の学年別競技、各学年のトップポイント保持クラスはここが正念場です。
学年優勝めざしてがんばって下さい」
その言葉に、さあラストスパートだと2-Cの面々が鬨の声を上げる。


ここまでの競技の結果、その多くで一位通過を果たした2-Cの獲得点数は2年生中トップ。
しかし途中にあった学年別競技では一進一退の攻防を繰り返し、
3年生トップである、オルランドゥ教諭率いる3-Bとの点差は拮抗していた。
最後の競技の結果如何で今年の学年優勝が決まる。まさに天王山であった。


「それでは、ルールの説明をします」
この時まで、プログラム一覧にその存在だけが記載されていた最終競技の、内容だけは
かたくなに伏せられていた。今ようやく、(一部を除いた)全校生徒がその内容を知ることになる。
「へっへっへー。どんな競技でもかかってこいってんだ。今の俺達は止められないぜ!」
そううそぶくムスタディオの笑顔は、どこかしらじらしい。



「最終競技は・・・本校学生の考案によるリレー競技、『大伝言走』です。


各クラスは、走者を4人決めてください。なお、その中に必ず教員を含めることが条件です。


走者は順にリレー形式でその順位を競いますが、バトンの代わりに実行委員がお伝えする「伝言」を
次の走者へ伝えて下さい。最後の走者にはその伝言を確認し、伝言内容が正確であればそこで
順位を確定します。たとえ早くにゴールしても、伝言が間違っていた場合、ポイントには
なりませんので注意してください。


それでは、各クラスはメンバーを選出してください」


最後になってようやく告げられたその内容に、生徒達からざわめきや笑いが起こる。
そのさなかで、ムスタディオ達は小さくガッツポーズした。
「あれ・・・ちょっと待ってよ。うちの担任はミルウーダ先生じゃん!」
はたとその事実に気付き、アリシアが焦りの表情を見せる。
「それは安心しろ。ほら」
マラークが顎で指した先では、他の教員から何か説明を受けるミルウーダの姿があった。
「・・・そうなんです、午前の競技の片づけを手伝って頂いたときに・・・」
「んもぅ、オルランドゥ先生も年なんだから・・腰に来る仕事押しつけちゃ駄目じゃないですか。
実行委員も気が利かないんだから!」
そう。昼休み中に行われた片付け作業のなかで、オルランドゥ教諭はぎっくり腰を発症し倒れた。
重いテントの移動を行ったのが原因だが、それを手伝うよう根回しをしたのはディリータであった。


「それで?私は3-Bの臨時走者になればいいんですね?」


その一言が導き出す先の事実に気付き、ある者はひそかに喜び、あるものは戦慄した。
ミルウーダは振り返り、頼りなげな姿で立ちつくすアグリアスに呼びかけた。
アグリアス先生!・・・悪いけど最終競技、あなたに走ってもらうわね」
「え・・・!?え、いえ、あ、はい!」
それまで上の空を漂っていたアグリアスの意識は、急に現実に引き戻された。


戦慄したほうの者は、誰あろうラムザである。
気まずい空気のままで最終競技に挑まねばならぬ事が、彼には苦痛だった。
それでも、ここまでクラスのリーダーとして仲間達を引っ張ってきた以上、
最後にその責務から逃げ出すわけにはいかない。
せめて、彼女をこれ以上刺激しないように。意を固めてラムザは言葉を発した。
「それじゃあ、走者を決めようか・・ええと・・・」
その言葉を遮って、マラークがしゃしゃり出た。
「そうだな。まずは伝言を正確に受諾し、伝えることに適任な奴がいい。
クラウド、お前さんはどうだ?そういう仕事なら得意だろ」
こんな所で声がかかるとは思っていなかったクラウドは面食らったが、静かに頷く。
「・・・わかった。やってみよう」
「さて次。できれば二番手で他と差をつけておきたいからな・・・ラッド、まだ体力あるか?」
「へっ、舐めてもらっちゃ困るね。あと体育祭一回分は走れるぜ?」
活躍の場を与えられ、待ってましたとばかりにラッドが前に出る。
「で・・・こんな事いうと失礼だけど、アグリアス先生は足があまり速くないですよね。
前走者二人に稼いでもらった分を、先生に充てます。いいですね?」
「あ、ああ。そうしてくれ、ありがとう」
足が遅いことは自覚していたアグリアスは、だがそれよりもラムザとの距離を測りかねて、
おろおろと頷くばかりだ。
「さーて、あとは仕上げだ。・・・ラムザ、逃げ切ってくれよ」
ぽん、とマラークがラムザの肩を叩く。
マラークがあまりにもてきぱきと状況を仕切るのを、その時のラムザはただ見送るだけだった。
「わかった・・・頑張るよ」
「さあ!走者は決まった。気合い入れて最終競技、勝ちにいこうぜ!!」
こうも自分の策略がうまくいくものか。晴れ晴れとした笑顔で、マラークが叫んだ。









***


ラムザがその事に気付いたのは、出走の銃声が響いたあとだった。
(・・・どうしよう、こんな状況で先生を交えた競技なんて)
先生は怒っているのか。未だに自分の目を見ようとしない彼女は、自分にきちんと
伝言を伝えてくれるのか。ラムザの体を、これまで感じた事のない緊張が支配した。


また、同様の緊張はアグリアスにも走り、彼女のほうは自分の足の遅さも不安材料となって、
もはや顔面蒼白で自分の出番を待っていた。


体育祭会場では、(これは私著者の経験だけかもしれないが)耳馴染みのある
ベートーヴェンの「運命」のスピーディーなポップ・アレンジが大音量で流れる。



クラウドを始めとする第一走者たちが勢い良く駆けだし、トラック中央にさしかかる。
そこで待ちかまえた体育祭実行委員たちが、各々割り当てられた伝言を携えて選手へ近づく。
クラウドに駆け寄ったのはディリータであった。クラウドを呼び寄せ、何かを耳打ちした。


その伝言内容に、なにやらクラウドは一瞬遠くを見つめた。
そして何事もなかったように、無表情で走り出す。
上位学年の優秀な走者たちに劣らぬ走りを見せ、クラウドは次なる走者ラッドの元へ駆け寄った。


クラウドからの伝言を耳打ちされたラッド。今度は、一瞬その顔が青ざめる。
恐ろしげにクラウドを見るが、肩をすくめる彼の動作に何かを納得し、走り出す。
しかし、次にそれを伝える相手のことを考えてか、走っている間中表情がころころと変わるラッド。
無表情のクラウド、百面相のラッドはどちらも圧倒的な脚力を見せたので、
その奇妙な光景に観衆からは笑いが起こった。


「あ、アグリアス先生!」
他の走者を相当距離引き離し、ラッドがアグリアスに走り寄ってくる。
ぱっとしない表情のアグリアスの前に立つと、ラッドは体を硬直させながら
アグリアスの耳に顔を近づけ、伝言内容を伝えた。


その言葉を聞いた瞬間、アグリアスの時間は停止した。


「ば、バカをいうな!ラッド、最後の競技だというのにふざけるのはよせ!」
そう叫ぶアグリアスの表情は、走る前から真紅に染まっている。
「ふざけてないっすよ!俺だってクラウドからちゃんと聞いたんですから!」
二人は互いに、原因を異にする冷や汗をかきながら押し問答する。
「あ、ほら!他のクラスに追いつかれます、早く!」
強引に、ラッドはアグリアスを前へ突きだした。
ラッドは気付いていた。自分がなにか、大変に余計な役回りを押しつけられたということに。
「競技です!先生、競技ですから!」
そう叫んでアグリアスを見送るラッドは、自分が彼女に恨まれることがないよう祈るばかりであった。


走りながら、アグリアスはただ逡巡していた。


(あんな伝言、おふざけにも程がある!)
(実行委員め、あとできっちり抗議しなくては!)


思考はあちこちに飛び火する。
誰に恨み言を言ったものか、彼女の脳裏に様々な顔が浮かんだ。


(大体・・・なんだあの伝言は!!)
(小中学生のお遊びではないんだぞ!あんなことを!)
(・・・あんなことを、今、ラムザに・・・言えというのか!)


次第にアグリアスの表情が曇る。
ただでさえ速くない足はいっそう速度を弱め、後続の走者が次第に接近する。


(・・・今でなければ、言えたのだろうか)


アグリアスは、いつしか今日一日の、そしてこの二週間の出来事を反芻した。
自分が今まで、何を思って、何を目的にこの日を迎えたか。


そして気が付くと、真っ白な意識の中、ラムザの顔だけがぽっかりと浮かんでいた。


(そう、あの時弁当を手渡せていたら)
(あの上手に焼けた卵焼きを、おいしいと言ってくれていたら)


いつの間にか、アグリアスは今にも泣きそうな表情で走っていた。



(もう十分だ。)


私は、ラムザが好きだ。
とうとう、彼女の自覚は完全なものとなった。





アグリアスラムザに接近する。
トラックに立つラムザは、ただ緊張で硬直していた。
伝言を伝えられたとき、どうリアクションを返したらいいか。
走り疲れた彼女をねぎらう言葉はどんなものか。それを言って、彼女はどんな顔をするだろうか。
無駄な思考が浮かんでは消え、彼の不安は頂点にあった。


アグリアスの背後には、今にも彼女を抜き去らんと迫る対抗走者の姿もある。
必死でそこから逃げるアグリアスの手が、ついにラムザの肩にかかった。


しかしそこからの彼女の行動は、ラムザが想定していたあらゆるケースを超えるものだった。
彼女はぐいとラムザの耳を引っ張る。
そして、走ったことでわずかに弾んだ吐息とともに、
愛しいアグリアスの声が、短く、その耳にかかる。



『好きです!』


か細く、しかし力強い声が、
ラムザの鼓膜を通り、三半規管の横を超特急で駆け抜け、
電気信号に変換され、脳細胞の隅々に駆けめぐる。


ラムザの頭の中で、火花が散った。
一瞬我を忘れかけて、これが競技の最中であったことを思い出し、
彼は驚きと恐れ、僅かな期待に混乱しながらアグリアスの目を見た。
(伝言!?)


アグリアスはただ、目いっぱいに涙を溜めて、まっすぐにラムザを見つめていた。









頂点まで上り詰めたラムザの不安が、瞬時に脳内麻薬へと変じ、爆発した。


自分でも何がなんだか解らないまま、彼は走った。
プロの短距離走者が軽く引くくらいのスピードで。
腹の底から唸りとも叫びともつかぬ声が溢れそうだったが、
それを口からこぼしてしまう事すら勿体なく思えて、彼はしなかった。
ラムザの体内を強大な情動のエネルギーが暴れ回る。


たとえ言葉はかりそめの物であっても、彼女の表情が真実を伝えた。
その伝言は、確かに、アグリアスからラムザへ伝わった。



気が付くと、ラムザはダントツのトップでゴールテープを切っていた。


「一着ーーーーっ!第三走者アグリアス先生の段階であわやと思われた2-C、
最終走者ラムザ君の巻き返しで、みごと首位の栄誉を勝ち取りましたーーーーーっ!!!」


マイクを手に叫んだのは、実行委員長のディリータだった。
大きな歓声がグラウンドを包む。


着々と後続のランナーがゴールへたどり着く中、ラムザはただ放心状態で
膝に手をつき、大きく肩で息をしていた。
「ほら、並べよ、最大勲功者」
ラムザに駆け寄ったディリータが、小さく微笑んでラムザに走者の整列を促す。
「さて!それではここで伝言内容の確認を行います!
ここで伝言内容が正しく伝わっていなければ、順位は関係なく失格となります!
いいですか皆さん、よく思い出して下さい!」


そのディリータの言葉に、ラムザは再び硬直し、今し方起こった出来事を追想した。
(伝言・・・・)
ラムザの耳に、アグリアスの吐息の感触が蘇る。
あの一瞬の甘い出来事は、競技の上で成立したものであった。周囲の状況と自身の理性はそう告げる。
しかし、その認識を遙かに上回る彼の高揚した情熱は、そんな現実に従うことを拒んだ。


クラスを束ねる者としての責任も、兄ダイスダーグとの賭けに全霊を投じたこの二週間も、
今彼の胸に膨らむ恋の力の前で、一瞬でかすんでしまった。


「首位、2-Cのラムザ君!さあ、『アグリアス先生から受け取った伝言』を、どうぞ!!」


解る者にはこれ以上なくあからさまな言葉であった。
この長い作戦の共謀者であるムスタディオ、マラーク、アリシア、ラヴィアンが
はちきれんばかりの期待を込めて、ラムザに視線を投げる。
一方、走り終えてから再び意識が現実と乖離したままであったアグリアス
今まさに眼前で起ころうとしている事態に気付き、顔から炎を吹き上げる。
(・・・やっぱり言うんじゃなかった!!!)
矢も盾も居られなくなり、グラウンド中央に並ぶラムザから顔を背けて一目散に駆けだした。


ディリータの手にしたマイクが、勢い良くラムザに向けられる。
しかし、そのディリータの珍しいハイテンションぶりとは裏腹に、ラムザは奇妙な静かさを湛えていた。


誰にも渡すものか。先生のあの言葉は、僕だけのものだ。


ラムザディリータの目を見て、満面の笑みを浮かべ、一言、答えた。




「・・・・忘れちゃいました」



あぁ〜〜〜〜〜っ、と、会場全体から無念の声が上がる。
スタディオとマラークは、地面に顔から突っ伏して倒れた。
「うっそぉーーーー!!」アリシアとラヴィアンが悲鳴に近い叫び声を上げる。
ラッドは自分の伝えた言葉がどう伝わったのかをあれこれ考え、やがて何となく安堵した。
クラウドは、自身がどういう思惑の片棒を担がされたかに気付き、静かに肩をすくめた。
2-Cの一同は、折角の学年優勝が、それを最も先導していたはずのラムザのミスによって
夢と消えたことを、ただ悔しがった。
マイクを手にしたディリータは、ラムザの表情の奥にある決意に感付き、苦笑いした。
(なるほど、まあ、上々の結果ってとこか)


そして、群衆から少し離れたところまで逃げてきたアグリアス
マイクを通して聞こえたラムザのその答えを聞き、立ち止まって振り返った。
「・・・ばかもの」
紅潮した頬で、しかしアグリアスは微笑んで、優しく呟いた。





「あ・ぐ・ちゃん」
突如として、アグリアスの目の前にレーゼ女史が姿を現す。
「ふぉっ!な、なんですかレーゼ先生!?」
レーゼは笑いながら、背に隠していたあるものを、アグリアスに差し出す。
「忘れ物。どうして職員室なんかにあったのかしらね〜・・・」
それはまごうことなく、アグリアスが今朝から大事に持っていた、二人分の弁当箱である。


「あ・・・そ、それは」
まさか、自分がラムザとの衝突の折に職員室に逃げ込み、そこで一頻り泣いていたことなど
言えるはずがなかった。いや、恐らくレーゼであれば既にお見通しではないか。そう彼女は悟った。
「お昼は過ぎちゃったけど、もうじき必要になるんじゃないかしら?」
一体、この人は何をどこまで知っているのだろうか。
レーゼに対しそこはかとない恐怖を感じつつも、アグリアスは弁当箱を受け取り、深くお辞儀した。












****


授賞式、ならびに閉会式がつつがなく終わり、グラウンドは黄昏を浴びて憂愁の美に煌めいていた。
今日一日の戦果を称え合う者、片付けの作業に従事する者の声がまばらに響く中、
まだ畳まれていないテントの下で、ダイスダーグ教諭が憮然とした表情で立っている。
そして、その横には学内の人間ではない男性の姿があった。
ラムザのクラスは学年2位ですか・・・。健闘したんじゃありませんか?」
「だからお前は甘いと言うのだ、ザルバック」
ザルバック・ベオルブ。ベオルブ家の次男であり、誠実で優秀な、ラムザも誇りに思っている兄だ。
彼は現在、イヴァリース学園の姉妹校で兄ダイスダーグ同様に教鞭を揮っている。
「アルマから電話で聞きましたよ。兄さん、あなたも大人げない・・。
むしろ、へそを曲げずにここまであなたの挑発に付き合ったラムザを誉めてやるべきでは?」
「ふん。最後の最後であのような醜態を晒す弟の、なにを誉めろというのだ」
「醜態、ですか」
ダイスダーグの言葉に、ザルバックはにやりと微笑んだ。
「・・・・どういう意味だ?」
「私は、あなたの言いつけに従って彼の目付役をやってきましたからね。解るんですよ。
あの時のラムザの顔は・・・なにか隠してるときの顔だった」
幼少の頃を思い出しながら、ザルバックは楽しそうに語る。
「あの敗北は、奴が何か思っての事だと?」
「そこまでは解りませんが。・・・兄さんの言いつけよりも、大事なものがあったんでしょう」
それを聞いて、ダイスダーグは不機嫌そうに振り返り、歩き出した。
「尚更気にいらんな」


アリシアやラヴィアンの謎の冷やかしや、一体なにを伝言したのかというミルウーダ女史の
怨念の篭もった質問から逃げるために、アグリアスはこっそりと職員室に隠れていた。
机の上にぽつんと置かれた、二つの弁当箱。
今日この日、彼女の運命を変えるはずであった弁当箱は、未だにこんな所で油を売っている。
さてこれをどうしたものか、居住まい悪そうにそわそわしながら、アグリアス
弁当箱を包むナプキンの結び目を解いたり縛ったりしていた。


そこへ、職員室のドアをノックする音が響く。
ミルウーダ先生が、まさかここまで追跡してきたのだろうか。
驚き、しかし自分一人教員達の作業から逃げてきた気まずさが勝って返事が出ない。
「入ります」
しかしそこで聞こえてきたのは、有る意味ミルウーダよりも恐ろしい、彼の声であった。


「・・・よかった、ここにいたんですね」
扉を開けるなり、安堵の笑みをうかべるラムザ。どうやら彼の方は何かを吹っ切ったらしい。
逆に、今まで自分がしでかしてきた数々の失態が頭に浮かび、アグリアスラムザの顔を
見ることができず、うつむいたままもじもじしている。


「隣、いいでしょうか。先生」
「あっ!?お・・・おお!座れ!」
まだ彼女は目をみて話していない。しかし、かつてのトゲトゲした空気はそこにはなく、
ただ先程の幻想のような一瞬と現実とのギャップを埋めるのに、今少し時間を要するといった風だ。


椅子に腰掛けたラムザは、体育着のままの姿であった。汗と土埃の残り香が、彼女の鼻腔を刺激する。
鼓動が急激に早まっていく。
(い、いや、あれは競技の一環であって、その)
聞こえもしないのに、心の中で何故か言い訳をするアグリアス
自分の気持ちに気付いたはずであったのに、再び本人を目の前にして、彼女の心は動転していた。


「好きです!」


突如、ラムザの衝撃的な言葉が二人の沈黙を破った。
顔を真っ赤に染めながらも、とっさにアグリアスラムザの顔を見る。
ラムザは笑っていた。
「さすがに、全校生徒の前じゃ言えないじゃないですか」
微笑みながら、しかしラムザもかなり恥ずかしさを堪えていると見え、
膝につけた掌は汗ばみ、肘が伸びっぱなしになっている。
その姿を見たアグリアスの胸中には、ラムザへの堪え切れぬ愛おしさと、
これまでに感じたことのない強烈な母性とが膨れ上がった。
「・・・あたりまえだ」
ようやく、アグリアスラムザの目を見て微笑むことができた。


「・・・ええと、それじゃあ、ここまでが競技の続きということで」
鼻の頭を指でかきながら、ラムザは恥ずかしそうに下を向く。
「あ・・・改めて。その・・・先生・・・・」
(なんだ、こいつは二度もその言葉を口にするつもりなのか・・・贅沢者め)
アグリアスにも再び緊張が走る。
「ぐぅ」
その言葉の代わりに響いたのは、ラムザの腹の虫の鳴き声であった。
思わず、二人は顔を見合わせる。
「・・・なんだ、昼、結局食べてないのか」
先に笑ったのは、アグリアスのほうであった。それにつられて、ラムザも照れ笑いを浮かべる。
「・・その、なんだ。食べるか?じ、時間が経ってあまりおいしくないかもしれないが・・・」
そう言ってアグリアスが差し出した弁当箱を見るや、目を輝かせるラムザ
「・・・僕が、食べていいんですよね?」
何を今更、意地の悪い質問だ、とアグリアスは苦笑いした。
「嫌ならいいんだ、私が二つ食べる。私だって昼抜きなんだから・・・」
「うわぁっ!すみません、いただきます!下さい!」
思わず弁当箱に飛びつくラムザ


その姿に、彼女はその生涯において初めてではないかという程、大きな声で笑った。




笑いは、ラムザが楽しげに蓋を開けた弁当箱の、その中身を見て凍り付いた。


ていねいに詰められた白米の上には、自分が施した記憶などない、
桜田麩で描かれた大きなハートマークが広がっている。
さらにその中央には、執拗なまでの丁寧さで並べられた柴漬けが
『LOVE』の文字を形作っている。


しばらく硬直していたアグリアスは、その弁当がレーゼ女史から返されたことを思い出す。
「あ・・・あの・・・い、いただきます」
見れば、ラムザの頬も真っ赤である。
「ち、ちがうんだ!これは、その、きっとレーゼ先生のしわざで・・・」


「おやハニー、なんだかご機嫌のようじゃないか?」
頑健な筋肉に包まれた精悍な体を、一日中ぴちぴちのTシャツでアピールしていたベイオウーフが
愛する婚約者・レーゼの元へと現れる。
「うふふ、今日ね、とっても素敵なことがあったのよ!」


職員室は静かであった。
ただ、四本の箸がプラスチックの弁当箱にぶつかる音と、二人の咀嚼音だけが響いている。
長い2週間と激動の一日を経て、ようやくここに成立したカップルは、
初々しく顔を赤らめながら黙々と弁当を食べていた。
だが、それが双方にとってこれ以上ない至福の時間であったことは、
後の彼女らの関係が物語るものである。




私の名はオーラン・デュライ。
私はここに、彼女らに恒久なる幸のあらんことを期待して、筆を置くこととする。
え?監視カメラ?あ、いやその