氏作。Part27スレより。




-星に願いを(ピアノソロ)-





あの体育祭から、少し後。


夏の暑さもいよいよ本格的になり、畏高の生徒達は来たる夏休みへの期待と
迫る学期末テストへの不安を抱え、いそがしい日々を送っている。
その忙しさはしかし、当然教員たちにも同様に広がり、テスト問題の作成から
夏休み期間中の生徒たちの素行への配慮まで、問題は山積している。


折からの通り雨を避けるために、教育実習生アグリアスオークス
帰り道の途上にあるバー、『砂海亭』へと逃げ込んだ。


汗と湿度とで肌はべとつき、ほどよく効いたクーラーの風がたまらなく心地よく感じた。
カウンター席に着き、ブランデーを一杯だけ注文する。
店内ではちょうどピアノ演奏が行われており、聞き覚えのあるジャズナンバーが
やわらかに響き渡る。
(「星に願いを」か・・・)
酒が来るのを待つ間、アグリアスもその魅惑的な音色にしっとりと耳を傾けた。


やがて演奏が終わるころ、まばらに鳴る拍手の間を縫って
バーテンダーが注文したブランデーを運んできた。


「こちらはサービスです」
と、縦に長いグラスを差し出すバーテンダー。そこにはドリンクやキャンドルではなく、
笹の枝葉が一差しされていた。
「今日は七夕ですからね。だからピアノも、ほら」


(ああ、そうか)
悪天候と忙しさのせいで、年中行事などすっかり忘れていた。
そう、古く神話の時代、引き裂かれた二人の恋人が星の川を隔ててなお想い合い、
年に一度だけ愛を確かめ合うことを許された、その日である。
残念ながら、今年はそのロマンティックな光景が厚い雲に阻まれ、
彼女ら地上の人間達が見ることはできそうもなかったが。


なるほど、グラスの笹にはおあつらえに短冊が垂れている。
「ペンはこちらに・・・。ご自由に願い事をお書き下さい」
「ああ、ありがとう」
「お連れ様はいらっしゃらないのですね・・・てっきり恋人をお待ちかと。
そう、さながら今夜の織姫のように」
「茶化さないでくれ。共に杯を交わすような恋人などいない」
「・・・それは失礼を、申し訳ございません。では、ごゆっくり」


慇懃な態度でバーテンダーはその場を後にした。
だが、彼が去ってからアグリアスはくすり、と微笑んだ。
(確かに・・・一緒にお酒は飲めないな、まだ)
先月のあの体育祭を思い出し、思い出し笑いをするアグリアス
同時に頬は赤らみ、気恥ずかしげに息を整え、やがてゆるやかに窓の外に視線を投げた。


(こういう店にラムザを連れてこれるのは、3年も先か・・・長いなぁ)


しばし物思いにふけり、ブランデーのグラスが空になったころ、
思い立ったようにアグリアスはペンを取り、短冊に短く文章をしたためた。


彼女が会計を済ませ、弱まった雨の中へ再び歩き出すのを見送って、
数名で飲んでいた客のうちの、一人の男がつぶやいた。
「美しいねぇ・・・恋をしてる瞳は」
向かいに座る肌の浅黒い女性がそれに応える。
「あら、だから声をかけなかったのね。めずらしいと思ったら打算的だこと」
「おいおい、俺だって誰彼構わず、ってわけじゃないさ。
しかしまぁ、世の中には決して手を出すべきじゃない高嶺の花もある、ってな」


悪戯っぽく笑ってみせた男は、アグリアスのいたテーブルを片づけ終えた
バーテンダーを呼び止め、短冊の中身をこっそり見せてもらった。


『教え子が健康でありますように』


「・・・・」
「彼女、教師なのね。・・・あなたの女を見る目は確かだと思ってたけど」
「待て待て、ほら、見ろ。教え子『たち』じゃないぞ、一人限定だ」
「はいはい・・・」
「なぁ、今の人って年いくつくらいかな?」
「お子様は黙ってな。っていうか帰れよ」



今年がこの地の住人にとって、素敵な七夕であったことを願って。



  










以下、続。




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