氏作。Part25スレより。


恋を、
しておけばよかったと後悔している。


代々資産家の専任家庭教師や、名門学校の教職員を輩出している、学問一家の我がオークス家。
大学3年生になった私、アグリアスオークスは、家長であり学芸員の重鎮でもある
父の言いつけで、県下有数の名門私立校、『イヴァリース学園』に教育実習生として赴任した。
在任期間は2年、この活動によって学士号も授与されるらしく、わが父ながら
よく手を回したものだと関心したものだ。
同世代の者達が残り半分のキャンパスライフを楽しむ中、
私は早々と教育現場の荒波に放り込まれたわけだ。


とりわけ厳格な家柄のこと、勉強一筋に生きてきた私は、
暗いというわけでもないが、味気のない青春時代を過ごしてきた。
そんな私であるので、むせ返るような若さにぎらつく群の
ただ中に立たされるというのは、いささか困惑したものである。
まして名門とはいえ私立校、自由な校風に背中を押されて
青春を謳歌する若者達を相手にするのは、幾分勇気がいるものだった。
それでも、自分が過ごした20年間を否定したくはないし、する気もない。
私は父のように厳格で、強い人間に育ったのだ。そういう自信があった。


彼に会うまでは。



アグリアス先生」
朝、正門玄関と校舎を結ぶ渡り廊下で、まだ耳慣れぬその呼びかけに振り返ると、
柔らかな朝陽を浴びて彼が立っていた。
「ああ。おはよう、ラムザ君」


ラムザ・ベオルブ。
古くは華族の家柄であり、国内でも有数の資産家として名高いベオルブ家の末弟だ。
しかし彼は、どうやら家柄や資産など、そういった類の話に興味はないらしく、
またそうした目で見られるのを嫌って、いつしか家族と距離をおくようになっているらしい。


「学校にはもう慣れましたか?」
「ああ、おかげさまでな。まだ勝手のわからない所もあるが」
私は少し笑って見せる。こんな笑顔を見せるのは、ラムザの前でだけだ。
実習生として第二学年の教員に赴任した最初の一月、右も左もわからない私を
かいがいしくサポートしてくれたのは、この少年だった。
実のところ彼は、生徒会やクラス委員に所属するわけでもなく、
それどころか授業の欠席や、出席しても上の空であることが多いために
「不良」のレッテルを貼られている。


だが、私はそれが信じられなかった。
確かに授業中居ないことは多いが、基本的に彼は他者に対してとても優しく、
常に顔に浮かべているそのほがらかな笑顔は、見る者を自然と癒してしまうような
魅力を放っていた。さらには、実家から離れて一人暮らしを始め、
また彼同様にベオルブ家の空気を嫌って飛び出してきた、妹のアルマを迎え入れて
兄妹二人の生活をたゆまぬ努力で支えているのである。


こんなできた人間が、どうして不良と呼ばれねばならないのか。


いや、私も父から学んできたはずだ。学校の授業すらままならぬような者は
実社会に出られようもなく、その人生の長きに渡り落伍者と見なされるのだと。


でも、私は彼が気になってしょうがない。


「今日はきちんと出席したのだな」
思わず茶化してしまった。どうにも彼は、男にしておくには可愛らしすぎる。
なぜだかおちょくりたくなってしまうのだが、これは年上女の悪癖のような気がした。
「やだなぁ、僕はできる限り真面目に来てるつもりなんですけど・・・。
ミルウーダ先生にもしょっちゅう言われて、参ってるんですよ」


ぴくっ、と、眉じりがつり上がるのを感じた。
いかん、大人げない。


・・・ミルウーダ女史は、いわば私の先輩にあたる。
この学校の卒業生でもあり、現二学年C組担任兼二学年の保健体育担当教諭だ。
彼女も教員としては若いほうだが、その性格は気迫に富み、
また女の私が言うのもなんだが、色気のある女性である。
ゆるくウェーブのかかった、艶めいた髪をなびかせ、そのスタイルよく引き締まった体を
惜しげもなくTシャツとジャージに押し込めて体育指導を行う姿は、男子生徒だけでなく
多くの男性教員にも定評があり、学内の美人教師として人気が高い。


そして何より、このラムザの担任であり、私の指導教官なのだ。



だめだ、大人げないぞ私!
「ほーう・・・ミルウーダ先生の言うことはきちんと聞けるのだな。感心感心」


ああ。言ってしまった。
目に見えて、ラムザはむっとした。白い頬をわずかに紅潮させて、私から視線をそらす。
こういう仕草が可愛いというのだ。しかし、ああ。怒らせてしまった。
「棘のある物言いですね」
ラムザがちくりと反撃してくる。


「棘などと。教育実習生ごときの私がしてやれる、精一杯の愛の鞭なんだがな」


うわあ、何を言ってるんだ私は。


「まあ・・・ミルウーダ先生は美人だものな、しょうがない。君くらいの年頃の男子が、
年上の女性によからぬ想いを抱いてしまうのは当然のことだ、気にするな」


あああ、なんで私は朝からこんな事を!



すっ、と、並んで歩いていたラムザが前へ出る。
つと振り返って、怒ったような、どこか寂しそうな目で私を見て、
しかしすぐにいつものように口元を綻ばせると、
「ご教鞭、ありがとうございました。先に教室に行ってますね」
そう言って、早足で私の前を歩いて行ってしまった。


・・・完全に怒らせてしまった。


こんな事で教師が務まるのだろうか。そんな不安と、
言いしれぬもどかしさが胸中にもやをつくり、私はがっくりと肩を落とす。


鏡を見なくてもわかる、きっと私は暗い顔をしているに違いない。
激しい後悔にうなだれたまま、私は職員室へ向かった。







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