氏作。Part24スレより。


 機工都市ゴーグのはずれ、海を臨む小高い丘の上に、若い夫婦の住む一軒の家があった。
ルグリア、という姓のその夫婦は、獅子戦争が終結してからしばらくして、ふらりと現れ、
そこに住み着いた。
 この夫婦、いやに目立った。────というのも、夫も妻も大変な美形だったのである。
ラムザという名の夫は女性的だがきわめて端正な顔立ちだったし、妻のアグリアスはやや大柄だが、
これまた気品に満ちたたいへん目立つ美人であった。そんな二人であるから近隣の住民も
(────あれはただ者ではないぞ) 
(────駆け落ちした貴族の若君と令嬢ではないのかねぇ)
などと噂したものだが、当の本人たちはいたって慎ましやかに、穏やかに暮らし、
いつしか周囲の住民にも溶け込んでいった。そうして3ヶ月ばかりたったある日────


「────ラムザ、お茶が入ったぞ、一休みしないか」
「そうですね。薪も割り終えましたし」
 妻のアグリアスにそう言われ、ラムザは椅子を引き寄せて、質素だがきちんと片付いた食堂に腰を下ろす。
妙なことにこの夫婦、妻がやや横柄な言葉遣いをし、夫は妻に敬語を使うのである。
(────ルグリアの夫は女房が怖いのだ)
そんな風に揶揄する者もいたが、別に本人たちはそれほど気にしていない。
「この薬草茶は、ムスタディオが届けてくれたものだ。疲労回復には効果覿面らしい」
「ほんとだ、なんか、体がほぐされるようですね……」
 燦燦と太陽が降り注ぐ穏やかな午後の団欒であった。若い夫婦の顔にはどちらにも幸福感があふれ、
時はこのまま永遠に静かにたゆたうかと思われ……
 しかしその時。


 ────トン、トン
 玄関の扉が、静かにノックされたのである。妻のアグリアスの顔が引き締まった。
「私が出る。貴公はここにいろ」
そう言うと、新妻は素早く奥の部屋に入り、すらりとした長剣を携えて現れた。
「なぁに、八百屋か魚屋の集金かも知れん。が、万一ということもある。貴公は連中に
顔を知られている。とりあえず私が出るのが無難だ」
 アグリアスはそんなことを言った。
 実は、亭主のラムザは聖グレバドス教会から異端宣告された身なのである。国教会からの
異端宣告────それは、全国指名手配と同じようなものであった。教会の存在は、当時の
イヴァリースにあって絶対的なものであり、異端とされた者はそのネットワークの及ぶ範囲に
いる限り、命の保障はなかったのである。
 もっとも、獅子戦争終結直後のこの時期だけは、いささか事情は違った。
戦乱と内部対立により、教会は著しく力を落としていたのである。特に教皇フューネラル、
神殿騎士団長ヴォルマルフら主だった幹部が軒並み命を落としたことにより、教団は異端者狩り
よりも、組織の復興を優先させていた。また、新王ディリータ一世の復興政策により、
国民の目が政治と経済の建て直しに向けられていたことも大きかったろう。
 とはいえ、教会が異端者狩りを完全に断念したという保証もない。
若い二人の警戒ももっともであった。
アグリアスは油断なく身構えながら、玄関の扉をおさえつつ「どなたですか」と声をかけた。
「────こちらに、ラムザさんという方はおいででしょうか」
扉の外から、そんな声が聞こえた。アグリアスは二重の意味で驚いた。聞いたことのない声で
あることが、まず第一。そして若い女の声であるらしいことが第二であった。
「どちらさまですか」
アグリアスはもう一度そう聞いた。女の声だからといって、油断はできない。暗殺者には女もいるのだ。
「むかし、ラムザさんとゆかりのあった者ですが……」
扉の外の声は、そう応じた。こんな曖昧な言い方をするなど、ますます怪しい。
「失礼だが、それだけでは。お名前を名乗られたい」
アグリアスはそう聞いた。いつの間にかラムザも、玄関から直接は見えないが、玄関に近い場所まで
来て、剣を持って身構えていた。暗殺者だったりしたら、先手必勝である。
 扉の向こうの声は、暫時ためらうようであったが、やがて次のように名乗った。
「ミルウーダ、です。ミルウーダ・フォルズ」
「何だって!?」
反射的に叫んだのは、ラムザであった。アグリアスには聞き覚えのない名前であったのだ。
次の瞬間、ラムザは玄関扉に突進し、掛け金を外して大きく開いた。アグリアスは止めようとしたが、
間に合わない。
開いた扉の向こうには、傭兵のなりをした若い女────それもかなり美しい────が立っていた。
「ミルウーダ! 本当に君なのか!?」
 ラムザはそう絶叫した。
「久しぶりね、ラムザ
 ミルウーダと名乗る女は、艶然と微笑んで、そう応じた。


「幽霊じゃ、ないわよ」
 ラムザ邸の食卓に腰掛けて、ミルウーダが最初に発した言葉が、それだった。
アグリアスは胡散臭そうにミルウーダを眺めた。得体の知れない女を家に上げるというのは
気が進まなかったが、とりあえずいきなり剣を抜くふうでもなかったし、ラムザの知己らしい
ということで、警戒は緩めないながらも、一応奥に招じ入れたのである。
 一方ラムザのほうは、黙っていられない。
「君は死んだんじゃなかったのか。確かにあの時、レナリア台地でアルガスに刺されて……」
「アルガス……ああ、あのいやみったらしい貴族崩れね。確かに刺されたわ。……でも急所は
外れていたのよ。出血は多かったけど、すぐに絶命するほどでもなかった」
「そうだったのか……」
「おまけにあなた達、エルムドア公とギュスタヴを追って、私の生死の確認もせずに立ち去った
でしょう? まったくつれない人ね」
「……」
 ミルウーダは皮肉そうな笑顔を浮かべる。ラムザはどう答えていいか分からない様子だった。
「まぁ、そのお陰で命を長らえたんだけど……あの後、私は通りかかった『自由騎士団』の部隊
長に助けられたのよ……知ってるわよね、自由騎士団?」
「……先の戦乱の際、南天側についたリベラル派の傭兵騎士団、だったか?」
 答えたのはアグリアスであった。獅子戦争時、ラムザアグリアス達は「異端者」の烙印を
押されながらも、自らの信念のために戦っていた。アウトローたる彼らにとって何よりも重要なのは
情報であった。北天、南天に関する情報は、細大漏らさず集めていたのである。


「まぁ、そんなところね。でも厳密には南天サイドというより、ディリータ王────当時は男爵か
────が南天の指揮権を握ってから抜擢された部隊なのよ。もちろんそれ以前から平民出身者で固めて、
実績は上げていたけれどもね」
「そうか、君はそこに所属したのか?」
「まぁね、骸旅団は壊滅しちゃったし────」
「骸旅団?」
 アグリアスが聞きとがめた。
「ああ、アグリアスさんには説明がまだでしたね。彼女は骸旅団の頭目、ウィーグラフの妹で……」
「骸旅団頭目の妹? あの団は貴族を襲って身代金をせしめる卑劣な盗賊集団では────」
 きわめて偏ったアグリアスのそんな言葉を聞いてラムザはなかば腰を浮かせたが、ミルウーダは
いたって冷静に、苦笑しながら説明を加えた。
「まぁ、ギュスタヴのような考えなしの強硬派もいたからね。貴族の側はそう喧伝するでしょうけど、
でも平民や傭兵団にとって、骸旅団はそれほどウケの悪い集団でもないのよ。『時代の犠牲者』なんて
大げさな形容をしてくれる人もいたけど……とにかく私は自由騎士団へ転進したってわけ」
「そうだったのか……で、今は自由騎士団に籍を置いてるの?」
「……まぁ、ね……ところでラムザ、兄さんを倒したのは貴方なんですって?」
「!……それは……その、すまないと、思ってる……」
「いいわよ。そのことを責めに来たんじゃないわ。……それに兄さん、最後は……人外のものの手まで借りて、
結局イヴァリースを余計混乱させたんでしょ?」
「ど、どうしてそれを!!」
「傭兵には傭兵の情報網ってものがあるのよ。────私達は確かに世の中を変えたいと思った。でもそれは、
あくまで人の手によってなされるべきだわ。この世ならざるものの手を借りたら、それはこの世そのものを
変質させてしまう。そんなのは、私達の望んだ世界じゃない……」
「ミルウーダ……」
「兄さんの死が悲しくないと言ったら嘘になる。でも、世の中や、ラムザ、貴方に対する恨みは
もう殆どないわ。貴方は、貴族出身とはいえそれを振りかざし、弱者を虐げる人間ではないようだし。
────それに、少しずつでも、世の中はよくなってると思う。……そう思いたいのよ。人間、
過去に拘っては前進しないしね」
「……そうか。貴女がそういう気持ちになってくれたのはとても嬉しいよ」
「ありがとう、ラムザ……ところで」
 ミルウーダは始めて見るようにアグリアスを注視した。
「こちらの綺麗な女性は、貴方の────?」
ラムザの妻、アグリアスだ」
 誇らしげに、アグリアスは名乗った。その中に、いささか挑戦的な響きをこめて。
「────そう。ラムザも、家庭を持ったのね」
 微妙に喉に絡まるような声で、ミルウーダは言い、ラムザアグリアスを見比べた。
「……ところで、私ね」
 ふいにそれまでとは全然違う口調で、ミルウーダは言葉を継いだ。
「傭兵を……やめようかと思ったのよ」
「……え? どうして、また?」
「まぁ、私も28だしね。いつまでも女だてらに剣を振り回して傭兵やってられるわけでもないし、
素敵な殿方と、幸福な家庭を気づくのも、悪くないかな〜、なんて、考えちゃってね」
 ミルウーダは少し恥ずかしそうに、しかし楽しそうに、そんなことを言い始めた。ラムザ
アグリアスは、展開の急すぎる話にいささか面食らった。
「……ところが悲しいかな、私、生まれてこのかた、恋愛ってしたことがないのよ。私から男に
声をかけたこともないけど、男から声をかけられたこともなかったわね」
「へぇ、ミルウーダ美人なのに……」
 思わずラムザがそんなことを言ったが、途端にアグリアスが凄い目線をくれる。ラムザは後悔したが
後の祭りだった。ミルウーダはそんな二人の様子を面白そうに見ながら、続ける。
「まぁ、私が幼い頃の平民の生活は苦しかったからね。食べ物や住むところを確保するほうが先で、
恋愛なんてやってる余裕なかったってのが実情なんだけど────もっともね」
「……」
「骸騎士団、骸旅団、そして自由騎士団、と転進してきたわけだけど、あまりいい男に出会ったって
こと、ないのよね。誰を見ても帯に短し襷に流し、ってかんじで。……でもね、ある時気づいたのよ。
それは、ある男のことを強く意識しているからだって。その男というのが────」
 ミルウーダはここで笑いを引っ込めて、急に真剣な顔になった。
「────ラムザ、貴方だったってわけ」
「なッ────!!」
 気色ばんで立ち上がったのはアグリアスだった。
「きき、貴様!! ラムザは私の亭主だぞ!! そ、それを……!」
「ミ、ミルウーダ、それは……」
 ラムザは困惑し、どう口を利いていいのか分からない様子だった。
「……私ね。貴族ってのは、どいつもこいつも威張り散らして、立場の弱いものを踏みにじってばかり
の連中だと思ってたのよ」
 ミルウーダは二人の声が聞こえないかのように続けた。
「でも、貴方は違った。私達と剣を交えながらも、なんとか話し合うすべはないか、常に考えてくれて
いた。私がアルガスに刺されたときも、貴方は私のために憐れみをかけてくれた。戦いながらも、相手を
思い、優しさを失わない男……そんなの、後にも先にも貴方だけだったわ。それは、貴方が本当の意味で
強い人だからでしょうけど……」
「ミルウーダ……」
「とにかく、気づいたら私の理想の男の基準は、ラムザ、貴方になっちゃってたわけ。で、こうして
傭兵仲間の情報を頼りに貴方を探し当てたわけだけど────」
 ミルウーダは言葉を切って、ラムザアグリアスを改めて見回した。
 特に、射抜くような視線でアグリアスを見据える。
「……そう。ラムザも家庭を持ったのね。こんな綺麗な奥さんをもらって────」
 沈黙が落ちた。
 ミルウーダは少しの間うなだれていたが、やがて何かを吹っ切ったように頭を上げた。
「……まぁ、私のような、年もちょっと上すぎるし、それに悔しいけどそちらの女性ほど美人じゃないし、
それに比べればラムザはいい奥さんをもらったってわけね。……正直、ラムザがつまんない女と
一緒になったのなら奪ってやろうかな、とも思ってたんだけど────」
 ミルウーダは快活に笑う。
「でも、ひとつだけ言っておくわ。アグリアスさん」
「な、何か?」
ラムザってもてるからね。他の女に奪われないように、気をつけなさい。私みたいに、隙あらば奪って
やろうと考える女は一人や二人じゃないわよ」
「……分かった、肝に銘じておこう」
 恐ろしく真摯に、アグリアスは答えた。
ラムザも、彼女を幸せにしてあげなさいよ」
「……はい」
 ラムザも馬鹿真面目に頷く。
「────さて、それじゃラムザの元気な姿も見れたし、私は失礼しようかな」
「え? もう帰るの、ミルウーダ?」
「これ以上幸福な家庭を邪魔しちゃ悪いわ。貴方達に会えてよかった────。それじゃぁね。
お二人の未来に神の祝福あらんことを」
「……有難う」


 ミルウーダが引き上げたあと、アグリアスはしばし仏頂面であった。彼女は気高い気性であったが、
病的に嫉妬深い部分もあった。先ほどのミルウーダの告白を、ラムザがどのように受け取ったのか、
それが気になって仕方がなかったのである。そうかといってそれを直接聞くのも、嫉妬していますと
白状するようで気が進まない。
 ミルウーダ自身に対して嫌な奴だとか、そういった感情はないものの、どうにも歯痒かった。
「……ラムザ
「はい?」
「ミルウーダ……彼女、美人だったな」
「え? ……ええ、そうですね。というか、あんなに美人だったかな……」
 そんなラムザの反応に、アグリアスは余計苛立った。
「き、貴公、先ほどの、その、ミルウーダの話、どう、受け止めたのだ……?」
「どう、とは?」
「だから、ミルウーダが、その、貴公を、す、好いていたという……それを聞いてだな、その……」
「そうですね……」
 ラムザは悪戯っぽく笑って、
「少し、クラっと来た……かもしれません」
「き、貴様ッ!!」
 反射的にアグリアスラムザに掴み掛かり、その勢いで二人は後ろのソファに倒れこんだ。
「忘れろ! ……彼女のことは忘れると誓え!!」
 アグリアスラムザを組み伏せて、叫んだ。しかしラムザはしれっとして、
「じゃあ、忘れさせてくれますか……アグリアスさん?」
 甘えるような声でそんなことを言ったのである。
「お前という奴は……」
 アグリアスは真っ赤になったが満更でもなく、そのままラムザの唇に唇を重ねる。
「……まだ、日が高いですよ?」
「構わん。貴公にはお仕置きが必要なようだからな────」



ラムザ邸から数百メートルというところに、一人の女騎士が立っていた。
そこへ、先ほどラムザのもとを辞したミルウーダがやってきた。
「異常はない?」
 ミルウーダがそう聞くと、
「ございません、ミルウーダ大尉」
 女騎士はそう答えた。
「そう。ディリータ陛下の密命だからね。あの家の者を教会の暗殺者から守れ、と。気を抜かないでね」
「承知しております。……で、結局、傭兵の身分で会いに行かれたんですか?」
「もちろんよ。新王直属の特務騎士団、なんて言ったら身構えるわ、向こうだって。それに、なるべく
政治的に彼らを巻き込むな、という陛下のお達しだし」
「そうですね……で、その、先程お預かりしたものですが……」
「……ああ、私の辞職願い? もう必要ないわ。後で焼き捨ててくれる?」
「はい。……ということは、その……」
「────フラれたわ。見事に」
 ミルウーダは自嘲的に笑った。
「守るべき対象のもとに告白なんかしに行くなんて、不謹慎よね。罰が当たったのかもね」
「……大尉の、初恋の相手、でしたか?」
「ええ。正直、ちょっと怖かったわ。手ひどく拒絶されるんじゃないか、もしかしたら覚えてくれて
いないんじゃないかとか。でも、彼は覚えていてくれた。そして相変わらず優しかったわ────
でも悔しいわね。奥さん、あんなに美人なんだもの。あれはちょっと反則よね」
「それで諦められたわけですか?」
「まさか! それだけじゃ諦めないわよ。────そうじゃなくてね、あの二人、ものすごく愛し合ってる、
お互いをものすごく求めてる、ってのが凄くよく分かるのよ。本人は意識してないでしょうけど、もう、
はたから見てるとあからさまにね。腹立たしいくらい!」
「それはまた……」
「はっきり言葉で拒絶されたわけじゃない……でも、戦う前から勝負あったって感じね。私の付け入る
隙なんてこれっぽっちも無さそうだったわ。少し揺さぶってみたけど、焼け石に水ってなもんよ。
なんていうか、お前はお呼びじゃないんだよ、って態度で示された感じ」
「私としても骸旅団時代から上司である大尉にはお幸せになってほしかったですけど……」
「有難う。まぁ、そう言ってくれる人間が一人でもいるってのは幸福なことよね……」
 そこまで言うとミルウーダは言葉を切って、眼下に広がる景色を眺めた。
 雲ひとつない青空、澄んだ海原、そして青々とした草原が広がっている。ゴーグ周辺は、それほど
戦乱の影響を受けていない。手付かずの美しい自然がそのまま存在している。
「美しいですね……」
 感に堪えたように女騎士は言った。ミルウーダも頷く。
「……そうね。平和な眺め……この光景が少しでも長く続くように、……私達も働かなくては
ならないわね……」
 爽やかな風が吹いている。その風は、丘の上に立つ瀟洒な一軒家も包んでゆく。
 そこには、騎士ミルウーダが愛した男がいる。
(もう二度と、会うこともないかしらね)
 ミルウーダはそんなことを考えていた。
(さよなら、ラムザ。────私の初恋の人。幸せにね)


 丘の上に、風が吹く────