氏作。Part22スレより。


 聖誕祭。
 グレバドス教が崇める最高の聖人、聖アジョラがこの世に生を授かった日を讃える祝祭。
 国中のあらゆる場所で灯の明かりが溢れかえり、イヴァリース全土がきらびやかな宝石を
ちりばめたように輝く。その明るさときたら、夜空に踊る星々だって瞬きをするほどだ。
 この盛大な祭りは、磨羯の月の初頭、季節はもうすっかり冬に入り込んだ頃に催される。
街路に立ち並ぶ樹々はその葉を残らず落とし、流れる川の水すら凍りついてしまう、そんな
寒風吹きすさぶ寒さのなかで祭りは開かれるのだ。それにも関わらず、人々は服を着込んで
こぞって家の外に繰り出してゆく。イヴァリースに生きる彼らにとって、それだけこの日は
大切な意味あいを持つのだ。
 グレバドス教は、古より質実剛健を旨として厳格な戒律を重んじてきた宗派であるから、
彼らには祝日などという概念がほとんどない。しかしながら、この日はイヴァリースの建国
記念日とも重なり、流石に教会もこれを軽んじることは出来ない。そうして許された、年に
一度かぎりの国を挙げての祝日、それだけに人々は誰彼となくこの催しに心躍らせるのだ。
 また、欲望が服を着て歩いているような統治者たちも、この日だけは、領民に鞭を打って
労働を強いるようなことはしない。そんなことをすれば、たちまち激しい暴動にあってその
身を追われてしまうのが目に見えている。
 このように言うと、気位の高い貴族連中などは顔をしかめているのではないかと思うかも
しれないが、ぐるりと祭りの顔ぶれを見回してみると、もちろんそれなりの風体に身を窶し
てはいるものの、どこか格式ぶったお上品な顔がちらほらとまぎれこんでいたりするのだ。
 ことによると、この陽気に当てられて、魔物たちすら賑わっていることかもしれない。




 畏国の誰もが平等に喜びに浸れるこの日。
 かけがえのない、神聖なる日。
 それゆえに、この日を汚すような真似をするものを、人々は決して許しはしない。
 もしも人混みに紛れて盗みを働こうなどとする輩がいたら、それこそ通りに溢れる街中の
人間に袋だたきにされることだろう。
 でも、今日という日に限っては、そんなことをする人間などどこにもいやしない。通りの
孤児たちは駆け回り、孤児たちを売り飛ばす商人はその様子に微笑み、商人からかすめ取る
悪党どもはポケットにしまいこんだ手を出そうとしない。嘘だと思うなら、あなたもここを
訪れてみればいい。いつのまにか顔じゅう笑顔を浮かべている自分に気づくことだろう。


 だから。
 アジョラの存在を信じようが信じまいが、この日の輝きはちっとも色褪せはしない。
 もちろん、アジョラがただの人間だという真実を知っている人々にとっても。



 夜空が気を利かせてくれたらしい。
 真っ白な雪が、ちらちらと舞い降りだしていた。






 *



 曇った窓から星空を見上げていたアグリアスは、窓辺に雪が積もっているのを見つけて、
そっと窓を開けた。途端に震えるような澄みきった冷気が忍び込んでくる。慌てて雪をひと
かきすくいとり、彼女は窓を閉めた。掌の上の雪はひんやりとしてて、さらさらとしてて、
なんだか触っているだけでも嬉しくなってしまう。彼女はそれをこねくりまわすと、小さな
小さな雪だるまをこさえて、窓辺にちょこんと座らせてやった。その出来上がりに満足して
クスクスと笑い、それから冷えで赤くなってしまった手に息を吐きかけた。
 アグリアスは部屋の中を振り返る。そして、今度は正真正銘の溜息をついた。
「まだ終わらないのか、ラムザ
 すらすらと机の上の書面に筆を走らせていたラムザが顔を上げる。
「すみません、もう少し」
 悪びれた苦笑を浮かべて、彼はまたすぐに目を机に落とした。
 このやり取りも何度目だろう。アグリアスは首を振り、また窓の外を見やった。
 窓から見える景色は楽しそうだった。街のところどころに小さな出店が並び、その灯りと
人々の楽しげな声がアグリアスを強く誘う。
(外はあんなににぎやかだというのに……)
 アグリアスはまた、恨めしげな目をチラリと向けた。
 もうかれこれ二時間近く、ラムザは切迫した隊の資金をやりくりすべく頭を抱えていた。
その間、ときどき今のように声をかけながら、アグリアスもずっとそれに付き合っていた。
 仲間はとっくに街に出ていってる。宿に残っているのはラムザアグリアスの二人だけ。
宿主すら、店をほったらかして出ていってしまった。アグリアスだって、今すぐ飛び出して
行きたいところだ。
 それなのに………。



 はぁ、とわざわざ聞こえやすいように溜息をしてみせる。大事な仕事であったし、それを
隊の長たるラムザが自ら引き受けているということもあって、アグリアスも大人しく待って
いたが、流石にこうも長々待たされると苛立ってくる。こんなことをしていたら、聖誕祭が
終わってしまうではないか。
 そんな彼女を見かねて、ラムザが申し訳なさそうにけれど明るい調子で声をかける。


アグリアスさん。僕のことは気にしないで、出かけて下さって構わないんですよ」


 その言葉で、外を見つめていたアグリアスの背がぴくりと震えたのだが、俯きながら声を
かけたラムザには当然分からなかった。
 次にラムザの目に映ったのは、だしぬけに机の書類をひったくるアグリアスの手だった。
「あっ、ちょっと……!」


 ビリリリッ!


「あぁぁぁぁーーーーーッッ!!!」
 驚いて口が塞がらないラムザをよそに、アグリアスは細切れにしてしまった書類を今度は
ランプに綺麗さっぱり焼べてしまうと、パンパンと手をはたきながら清々した顔で言った。
「行くぞ。今日という日に、宿に籠って折角の祭りを楽しまないなど罰が当たる」
「……あぁ………、三時間もかけて……書いたのに……」
「行くぞ!!」
 未練がましそうに燃えカスにすがりつくラムザに、アグリアスは乱暴に外套を投げつけ、
返事も待たずに戸を飛び出した。
「ひどいなぁ……もう…」
 半ば呆然気味にぶつくさいいながら、ラムザも慌ててその後を追って出て行く。


 戸が閉まったときには、窓辺の雪だるまはもうほとんど溶けてしまっていた。







 **



 遠くから見ても街の楽しかった街の光景は、中に入るとその何倍も楽しい。雪が降り注ぐ
戸外にも関わらず、楽を鳴らす陽気な男たちや、目を丸くするような曲芸を披露してくれる
芸人たち。ごった返す人々のざわめき声。それらの音色と交じりあって、通りに並ぶ店から
食欲をそそる香ばしい匂いが漂い、アグリアスは夢心地にそれらを見渡した。色とりどりの
菓子類や、唾を飲むような様々な料理、そしてもちろん酒も欠かせない。豪勢な品揃えに、
通りの人々は圧倒される。こんな大盤振る舞いをして、商売が成り立つのかと思うほど。
 いいや、もちろん成り立つわけがないのだ。
 彼らははなから利益など求めていない。これは競争なのだ。どれだけ通行人の目を惹き、
お客を楽しませられるか。彼らの目的はそれだけに尽きる。例え明日無一文になろうとも、
それさえ叶うなら悔いることなど何一つない。実際、祭りが終わった後に店を畳んでしまう
連中が毎年後を絶たないくらいだ。
 だから行き交う人々も、立ち並ぶ店の一つ一つをじっくりと眺める。それが店を開いてく
れている人間たちへの最大の誠意であり、義務でもあった。彼らもまたこの日に財布をすっ
からかんにさせてしまおうが、意にも介さない。
 誰もが全身全霊をこめて、この日の喜びを味わうのだ。
 それを「畏国民の楽観主義」と嘲る国もある。アグリアスは鼻先で笑い飛ばす。何とでも
言うがいい。これこそが生きるという喜びではないか。人生の醍醐味ではないか。
 アグリアスイヴァリース人のそんな豪快な気質が大好きだったし、自分がまぎれもなく
その一員に属していることが彼女をいっそう喜ばせるのだった。




 さて、アグリアスの方はかくも上機嫌なのだが。


「見ろラムザ、お前の好物のミートパイがあるぞ」
「おいしそうですね」
「あそこで売ってるもの知ってるか? 綿菓子というんだぞ」
「へえ」
「何だあれは。あんな大きなケーキをつくって、誰も買うわけがないだろうに」
「ほんとですね……」
「………」


 どうにも淡白な反応しか返してこないラムザ
 楽しそうどころか、なんだか申しわけなさそうな面をしている。
 それでもって、たまに口を開いたかと思えば、
「あ、アグリアスさん、あそこ」
「えっ、どれだ。何かあったか!」
「あの小屋、チョコボの厩舎みたいですよ。ボコの飼い葉をわけてもらえるかも」
「………」
 まだしつこく隊費のことを気にかけていたりする。
 アグリアスは苛立つ。周りを見ると、睦まじげな恋人たちの姿が目障りなぐらいちらちら
目に入ってくる。誰も彼も、お互いのパートナーを周囲に見せつけるように振る舞って。
 対してアグリアスの隣にいるのは、変装用に深々と帽子をかぶった、上の空のラムザ



「……ラムザ、帽子をとれ」
「へ?」
「いいからよこせ!」
「ちょちょ、ちょっと」
 止める間もなくラムザの帽子をひっつかむアグリアス
 素顔が露になって、ラムザは慌てだした。
「まずいですよ……! 見つかったら」
「心配するな。祭りの最中に密告する人間などいない」
「そう言いましても……」
「うるさい! 少しは隣の私にも気を遣え!」
 がなり立てながら、アグリアスはかっかと顔を火照らす。
 要はこれがアグリアスの本心だった。別に彼女はラムザに気を遣っているわけではない。
 むしろ、彼に要求しているのだ。


 年に一度の聖誕祭。
 もう二度と訪れないような機会だからこそ。
 わざわざ二時間以上も待っててやったのだから。
 お前を選んでやったのだから。


 少しは私を喜ばせてくれたっていいじゃないか。


 尤も、この愚鈍なまでに謙虚な男は、そんなアグリアスの気など露ほども知らず、彼女は
自分に気を遣わせまいとして、わざとこんなことを言っているのだろう、などとひねくれた
考えに落ち着いてしまうのだが。






 ***



 街の中心に近づくにつれ、並んで歩く二人の目に巨大な影が見えてきだした。
 周りの建物を突き抜けてそびえ立つ、とてつもなく雄大な大樹。
「今年のスウィージはまた立派だな」
「スウィージ?」
 感嘆しているアグリアスに、ラムザは尋ねる。
「あの大樹の名前だ。スウィージの森の奥深くには、樹齢千年以上を超える大樹林がある。
あれはそこからとってきたものだ」
「あぁ、それでスウィージの森なんですか」
「あれが見れるのは畏国の中でもここだけでな。だからドーターの聖誕祭は名物なんだ」
「なるほど」
「尤も森から一番近いこの街まででも運んでくるのは必死だ。森の中には魔物もいるしな。
何しろもともとスウィージというのは『巨大な樹』という意味で、イヴァリースで一番……
ラムザ、お前、学校で何を聞いていたんだ」
「………」
 呆れ顔の彼女にラムザは恐縮して俯きながらも、内心でそっと抗弁する。
 別に決して自分が不真面目なわけじゃない、教官があのダーラボンだから悪いのだ。
「もっと近くにいこう。真下からみると、きっと驚くぞ」
 アグリアスはそう言って悪戯っぽく笑いながら、ラムザをうながした。
 



 
 スウィージの根元には、他にも増して大勢の人がいた。そして誰もがその大樹の姿を首が
痛くなるまで見上げていた。ラムザもその中に加わった。
 確かにアグリアスの言う通りだった。冬風に緑の衣装を奪われたスウィージは、今は葉の
代わりに雪の衣を纏っていた。降り積もる雪はその重みによって下の方から少しずつ溶けて
ゆき、輝く氷の塊となる。樹の真下から見ると、その巨大な氷を通して、夜空がうっすらと
突き抜けて見えた。張り巡らされた無数の枝が独特の網模様を描いて、まるで天然のステン
ドグラスを見上げているような気分になる。
 言葉を失って見上げているラムザに満足して、アグリアスも同じように顔を上げた。
(相変わらず綺麗だな……)
 アグリアスは心の中で呟く。
 彼女はこの眺めを見るのは初めてではない。以前にも一度、ここに来たことがあるのだ。
 アグリアスは見上げながら思いを馳せた。
 あまり美しいものを目にするとしばしば多くの人がそうなるように、彼女も些か哲学的な
気分になっていた。
 季節というのは、子供のようなものかもしれない。変わりゆく容姿は決してこちらの目を
飽かせることはなく、例え私が関わらなくとも変わらず生き続けて、またこのように美しい
姿を見せてくれる。そして、少し淋しいけれど、恐らくそれは私が死んだ後も変わらない。
 子供、という言葉が自分の頭から出てきたことにアグリアスは苦笑した。
 そんな母親のようなことを考えつくなんて、自分は女を意識しだしているのだろうか。
 だとしたら、それは多分、誰かさんのせいなのだろうな。


アグリアスさん」
 ふいに声をかけてきたラムザは、なにやらほくそ笑んでいた。
 そうしてラムザは向こうの方を指差している。その先にあるものを認めて、アグリアス
にやついた。
 笑いながら二人は良からぬことを思いついて、足下の雪をすくい出す。
 そしてよく固めた雪玉を、前方の人影に向かって投げつけた。アグリアスは石を混ぜた。
 投石で鍛えた腕前は、正確に標的を捉える。




「いでっ!?」
「なっ、なにすんのよ!!」
 だしぬけに後頭部にぶつけられた雪玉に激怒した二人組の男女は、しかし振り返ると威を
そがれた表情になった。
「なんだ、お前らかよ」
「やあムスタディオ」
アグリアス、来ないかと思ってたわよ」
「危うくそうなるところだったがな。メリアドール」
 軽く挨拶を交して、彼らはそのまま立ち話に耽りこむ。


「もうだいたい回ったの?」とラムザ
「まさか」ムスタディオが一笑する。
「ドーターの祭りは盛大だから、一晩かけても回りきれないわよ」とメリアドール。
ラムザはまったくものを知らないな」極めつけに、アグリアスにまで笑われてしまう。
 些か顔をむくれさせながら、ラムザは話を逸らした。
「他のみんなはどうしたんだい」
「他の連中かぁ、アリシアはラッドと一緒だろ?」
「ラヴィアンの方はダメもとでクラウドを誘ってみるとか言ってたわね」
「無理無理、あいつボコの餌やりにいってたぞ」
「あと、ラファは確かエレーヌと一緒にお菓子を食べて回るって張り切ってたわ」
「マラークが置いてかれて、電源入ってない労働八号に愚痴ってたな」
「それからベイオウーフさんとレーゼのお二人は言うまでもないでしょ」
「そうだそうだ、ギルとローゼンは女を口説きまくってくるとか豪語してたっけ」
「サンドラなんか、宿で別れたときにはもう知らない男がくっついてたわよ」
「あとは伯か。なんかモトベとややこしい話してたな」
「あれは完全にオルランドゥ様の方が絡まれてたわね、お気の毒に」



 ぺらぺらと息の合った調子で説明する二人に、アグリアスが告げる。
「なるほど、そしてお前たちは二人仲良く楽しんでいるというわけか」
 すると二人は揃って首を横に振り、
「ちがうちがう、こいつが売れ残ってたから哀れでさ……」
「そうじゃないわよ、ムスタディオが誘って欲しそうな顔してたから…」
 揃って同じようなことを言って、じろりと睨み合う。
 絶妙な夫婦漫才にアグリアスたちが笑っていると、
「へ、お前らこそ、仕事があるからお先にどうぞ、なあんてうまいこと言っておいてよぉ」
「ねえ、そんなこそこそしないでも、私たち誰も邪魔しないわよ?」
 今度はこちら側に好奇の矛先が向けられる。
 これにラムザは実に屈託のない笑みで答えた。
「いやあ、そうじゃないよ。僕一人だけ宿に残ってるのを見かねて、アグリアスさんが気を
遣ってくれたんだよ。ね、アグリアスさん?」
「………そうだ」
 アグリアスはどっと疲れた様子で頷く。
 いかなる揶揄や挑発も、ラムザの持つこの鈍感という名の鉄壁には何の意味も為さない。
 毎度のことではあるが二人も呆れ果て、それからアグリアスに同情の視線を送った。
「……じゃ、まあそろそろいくか」
「そうね。二人の邪魔しちゃ悪いしね」
「じゃあ、またあとでね」
「お前たちも楽しむといい」
 人混みに溶けていく二人の背中を見送りながら、ラムザは嬉しそうにささやく。
「似合いの二人ですよね」
「確かにな」
「喧嘩ばかりしてますけど、二人とも実は他人にお互いのことばっかり話してるんですよ」
「よく観察してるんだな」




 アグリアスはひそかに皮肉った。
 もっと近くも見ればいいのに。


 遠ざかっていくムスタディオたちを見つめていると、急に不安な気持ちが彼女を襲った。
 ラムザのこのあまりに平然とした素振り。
 もちろん確かめたことなどないから、決めつけたりはしないけど。
 それでも、自分の想いは通じてると思っていた。
 自分が感じる想いは、錯覚などではないと信じていた。
 しかし、ラムザはどこまでも鈍感なばかりで。
 いや、それが鈍いのならまだいい。
 もしも、全部がアグリアスの淡い思い込みだったら。


 遠ざけようとすれば、想いはいっそう膨れ上がる。
 駆け巡る不安は、やがて彼女の頭に一計をはじき出す。
 アグリアスは起伏のない声を作り、言った。


「思い出すな」
「何をです?」
「私は前にもここの祭りに来たことがあってな」
「そう言ってましたね」
「あいつらみたいに、二人で仲良く見て回ったものさ」
「えっ」
 ラムザが小さな声を上げる。
 アグリアスは素知らぬ顔で歩き出した。





 ****



 二人はまた並んで街路をあるく。響き渡る楽の音は尽きないし、街のにぎわいはますます
熱を帯びて、祭りは栄えるばかりだった。ところが、二人の様子はがらりと一変していた。


「あ、アグリアスさん、あそこミートパイが売ってますよ」
「おいしそうだな」
「さっきまた綿菓子が売ってましたね。一つ買ってみますか?」
「あぁ」
「あっ、見てくださいよあの人。片手でリュートを」
「そうだな」
「………」


 熱心に話しかけるラムザを、アグリアスはぼんやりと受け流す。先程までとはまるっきり
立場が逆である。
 ただ、さっきのラムザとは違って、アグリアスは実際はぼんやりとなどしていなかった。
 それどころか、すこぶる上機嫌だった。
 それでも彼女は退屈そうな仮面を顔にかぶり、こんなことを言ったりする。
「……ラムザ、あの芸人を見ろ。きっとこれから剣を飲み込むぞ」
「え……あっ、すごい。どうしてわかったんです?」
「あの人と来たときにも、ここで同じ芸をしていたんだ」
「へえ…」
 あの人、という言葉をかすかに強調させるアグリアス
 ラムザはなんだか溜息のような相づちを返した。
 そのしょぼくれた様子に、アグリアスは顔には出さないが、ますます気を良くする。
 もちろん彼女のこの態度は、わざとやっていることなのだ。
 けれど、『鈍感』なラムザはもちろんそんなことには気付かない。



「……あの、アグリアスさん」
 やがて、ラムザは決意めいた声を出す。
 ふいに離れたところから聞こえてきた騒ぎがそれを遮った。
 祭りの場に相応しくない争い声。
「なあ! おっさん、頼むよ!」
「だめだだめだ。坊主、諦めな」
 近づいて見ると、なにやら男と子供がもめている。
「これしかないんだ、これでそのオルゴール譲ってくれよ!」
「悪いがな、こいつはそんなに安い代物じゃないんだ」
 少年は手に握ったわずかな銅貨を押し付けながら懇願する。
 察するに、少年は男の持っている小綺麗な箱を欲しているようだった。
「家で母さんが待ってるんだ! なにか持って帰ってあげて、喜ばせたいんだよ!」
「すまねえけどな、俺も娘の土産にわざわざ探して仕入れて来たんだよ、坊主」
「貸してくれるだけでもいいよ! 嘘じゃない、ちゃんと返すから!」
「………今日っていう日にお前を疑いやしないけどよ、けどなあ、そろそろ放してくれよ。
俺ももう家に戻らなくちゃならねえんだ。家族が待ってるからな」
「頼むよ……頼むよ……!」
 少年は病の母親のためか、それでもなお必死でかじりつく。
 男は性根の悪い人間ではないらしく、懸命な少年をあしらいかねているようだった。
 それでも、あまり彼がしつこいので、男も流石に痺れを切らしてきた。
 人々の好奇の視線を受けながら、やがて男は少年を荒っぽく振り払った。
 少年に同情の目が注がれるが、男を咎めるような声は出ない。状況を考えれば、当然の、
むしろ辛抱していた点で紳士的な態度と言えた。アグリアスも複雑な心情でその状況を見届
けていたが、ふと隣にラムザがいない事に気がついた。



「待ってくれ」
「あん?」
 去りかける男の前に、ラムザがいた。
「これでそのオルゴール、売ってくれないか?」
「えっ……」
「なんだいだしぬけに。誰だか知らねえが、こいつはちょっとやそっとの金じゃ」
 言葉の続きを遮って、ラムザは懐から出した袋を彼に押し付ける。
「一万以上入ってる。これだけあれば、もっといいものが買えるだろう?」
「……あんた、本気か?」
「売ってくれるかい?」
「まあ、そりゃあ……こんだけもらえりゃ俺も娘も文句はねえよ」
「ありがとう」
「あんた………いや、なんでもねえ。じゃあな。坊主、悪かったな」


 男はしばし気まずそうな視線を漂わせてから、そそくさとその場を去っていった。
 後に残された少年が、おずおずとラムザに話しかける。
「あの……」
「ほら、これだろ。持っていくといい」
「ありがとう。でも……俺………もらえない…」
 彼はそう言って、悲痛な面持ちで、箱を差し出すラムザの手を突き返した。
 少年は、貧しいけれど、乞食ではなかった。
 幼いけれど、尊厳というものをもっていた。
 そして、さっきラムザが男に手渡した大金を見た以上、自分の手のなかのわずかな銅貨と
引き換えにそれを受け取ることなどできなかった。
 けれど、ラムザもその手を引っ込めようとはしなかった。



 ラムザはうなだれる彼の肩に手を添え、優しく言葉を続けた。
「『かささぎ亭』って宿屋がどこにあるかわかるかい?」
「え? う、うん」
「僕はそこに泊ってる、名前はルグリアだ」
「え?」
「そして君は明日の朝一番にそこに来るんだ」
「……?」
「それは君にあげたんじゃない、貸してあげるんだ。だから何も遠慮することはない」
「あ……」
「どうしたんだ、お母さんが待ってるんじゃなかったっけ?」
「……ありがとう、ありがとうお兄さん!」
「落とさないでくれよ、それは僕のなんだから」
 最後に付け足した言葉は、どうやら聞こえなかったらしい。
 顔いっぱいに満面の笑みを浮かべて、少年はとっくに雪の彼方に消え去っていた。
 満足げに彼を見送るラムザに、アグリアスは歩み寄った。
「随分と気前のいいことをしたな」
「あげたわけじゃないです。あとで返してもらいますよ」
「……甘かったんじゃないか?」
「そうかもしれません。でも、あの子が自分のお菓子や玩具を欲しがっていたら、僕だって
お金なんか出しませんでしたよ」
「そうだな……、そうだろうな」
「それに、彼にも言ったように貸しただけですから」
「母親が喜んでくれるといいがな」
アグリアスさん、言ってたじゃないですか」
「ん?」
「今日という日に祭りを楽しまない人間がいるなんて、罰が当たるって」
 そう言って得意げな目配せをしてくるラムザの顔に、アグリアスは思わず見とれた。
 他人の幸せを実感することが出来たときにだけ見せる、慈愛に満ちた笑顔。
 アグリアスが、この世のなによりも好きな顔。
 スウィージの木陰で覚えた不安が、静かに消えてゆく。



「…それにしても、一万ギルは些か奮発し過ぎだ」
「なんとかしますよ。どのみち帳面は書き直さなくちゃいけませんでしたし」
「私への当てつけか、それは。悪かったな」
「いえ、いえ、そんなこと。やっぱり外に出て来てよかったです。とっても楽しかった」
「馬鹿を言え。これまでは序の口。祭りの見どころはまだたくさんあるんだから」
「……それも、前に来たその彼と回った場所ですか?」
 また顔を曇らせだすラムザ
 アグリアスはくっと笑い出してしまいそうなのを堪えながら、首をかしげてみせた。
 もうそろそろ、意地悪をするのはおしまいにしてやろう。
「彼? ラムザ、いったい何の話をしてるんだ」
「ですから……アグリアスさんが以前ここに一緒に来た」
「そう、オヴェリア様と来たんだ。いけないと言ったんだが、どうしてもと聞かなくてな。
シモン先生の目を盗んで修道院をこっそり抜け出して、お連れしたんだ」
 懐かしそうに話すアグリアス
 ラムザの方は目をぱちくりさせている。
 にっこり笑って、アグリアスはまたもや白々しい声を出す。
「どうかしたのかラムザ?」
「……え、いえ、別に。別になんでも……あの、何だかお腹空きませんか?」
「そうだな、何か店のものをつまもうか」
「じゃあさっき見つけたミートパイを」
「そればっかりだなお前は。私はチョコボエッグが食べたい」
「そんなもの売ってましたっけ?」
「探そう、街は広い」
「えぇー、とりあえず先に何か食べましょうよ」
「じゃあミートパイ以外だ。私も好物を我慢するから、お前も我慢しろ」
「そんな無茶な」



 笑い声が溢れる。
 もうすっかりいつもの調子で、仲睦まじい二人に戻っていた。
 楽しそうな言葉は尽きない。
 ラムザアグリアスも、気のむくまま、競うあうように言葉を交わした。



 夜はこれから。
 ずいぶん長い遠回りだったけれど、二人はようやく祭りを楽しみだしていた。




「あ、さっきのチョコボの厩舎にも寄ってみたいんですが」
「それはだめだ」





 *****



 しんしんと雪は積もり、夜はいっそう更けた。
 街を一回りして、二人の視界にまた巨大なスウィージが見えてきだした。
 樹の根元に人だかりができていた。近づくと、西部訛の強い胴間声が聞こえてくる。
「おぉい、みんなちっと聞いてくれ! 俺ンとこにガキが出来たんだ。双子だぁ!!」
 泥臭い顔の男が人々の注目を浴びていた。
 ピューゥと誰かが口笛を鳴らし、一斉に笑いと喝采が弾ける。
「ありがとよありがとよぅ。そいでよ、図々しい話なんだけどよぅ、もしよけりゃあ、この
場を借りてよぉ、お前さん方に俺のガキめらを、なんだ、そのよぉ、祝福してもらいてえん
だぁ。寝込んでる女房にも聞こえるようにさぁ、アジョラ様のほんのついででいいからよ、
なぁひとつよろしく頼むわぁ。そんじゃあ、フォーラム!」
 馬鹿野郎、ファーラムだ。野次が飛んでまた周りが笑いにざわめいた。
 それでもその場の誰もが身を縮ませて照れている男とその家族へ、心からのフォーラムを
贈った。街中に幾百幾千ものフォーラムが広がり、男の話など聞こえていない者たちにまで
それは伝染していく。暖かい祈りの中でアグリアスはふっと空を見上げた。
 黒一色の天井では、星たちがところ狭しとひしめき合い、下界の明るさに負けまいと争う
ように光っている。点々と散らばる星の軌跡は、彼女に様々な顔を思わせてくれた。それは
大切な友人の顔であり、懐かしい両親の顔であり、それから彼女自身の顔であったかもしれ
ない。やがてその光はアグリアスの瞳の中で、ひとつの顔を結ぶ。



 ────────オヴェリア様。






 貴方もこの空を見ておられるのでしょうか。
 不思議ですね。貴方と遠く別れてしまった今、なぜか貴方がとても身近に感じられます。


 オヴェリア様。
 貴方はあの日のことを覚えておいででしょうか。
 手袋を落としてしまった私に、寒くないようにと手を繋いでくださいましたね。
 私の持ち合わせが少なくてろくにお菓子も買って差し上げられなかったのに、
 見ているだけで満足だと、お腹の音をならしながら言ってくださいましたね。 
 それから、あの樹の下で、二人寄り添って空を見ましたね。


 オヴェリア様。
 ごらんください。この星空は、あの日私たちが共に見上げた時のままです。
 貴方はこの星空の下、何を思われているのでしょうか。
 笑っておられますか。それともまた、泣いておられるのですか。


 貴方の側には、誰か共に手を取って星を見上げてくれる方がおいでですか?



 私は────




 そっと手に触れる暖かい感触に、アグリアスは視線を戻した。
 いつのまにか、左手にラムザの手が寄せられていた。彼は手袋をはずしていた。
「フォーラム、アグリアスさん」


 ちょっと目を丸くしたアグリアスは、けれどすぐに微笑んで左の手袋を脱いだ。
 それから優しい手をしっかりと握る。
「フォーラム、ラムザ
 それから、そっとその手の主へと顔を近づけた。




 季節は巡る。
 それでは、季節を回しているはいったい誰なのだろうか。
 その人はひょっとして、この雪を降らせている人なのではないか。




 はるか頭上に広がる真っ黒な空、それよりも、もっとずうっと遠く。


 誰かが笑ったような気がした。






 終