氏作。Part22スレより。



それなりに流れの速い河というのは、水音も相当のものである。
だがフィナス河の水音は、人々の賑わいにかき消されていた。
河の両岸を人と屋台が埋め尽くし、かけられた橋の上から急流を見下ろす子供。
高々と造られた来賓席には王侯貴族が集まっている。


標高6千ドーマのゼアラ山脈より流れ込む水は、夏でも氷点下まで下がることがあるまで言われており、
真冬の今、フィナス河に飛び込むのは自殺行為にも思えた。
だからこそ意義がある! だからこそやる価値があるのだと人は言う!
これは、運命という大河に巻き込まれる前の数奇なめぐり合いを描いた物語ではなくただのコメディである!


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 ドキッ!
   真冬のフィナス河寒中水泳大会。
     ポロリ(とチョコメテオ)もあるよ
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主催者:アグスーレ・ニジュイ・クササン男爵
協力 :北天騎士団団長ザルバッグ・ベオルブ聖将軍
    :南天騎士団団長シドルファス・オルランドゥ


優勝賞金
1位……50万ギル
2位……20万ギル
3位……10万ギル
審査員特別賞……エクスカリパーオルランドゥ伯からのご提供)



五十年戦争の傷がまだ微妙に残ってたりするイヴァリースを活気づけるため、何かイベントやろう。
そんな感じで始まったこのイベント、寒中水泳大会。
古来より伝わる『寒中水泳』とは、寒い中わざわざ冷た〜い水に入って心身を鍛えるとかいう嫌な修行らしい。
騎士の熱き魂が煮え滾って天の願いを胸に刻んで心頭滅却すれば寒くないとか言い伝えられてるが、
そんな言い伝えを信じている人間などこの世のどこを探しても多分いないと思う。
というかそんな言い伝えを知っていたのは南天騎士団団長シドルファス・オルランドゥ伯だけであり、
もしかしてオルランドゥ伯の捏造なんじゃないかと考えてる参加者もいっぱいいる訳です。


「ーーで、そのオルランドゥ伯は?」
「病欠だそうです」
「やはり歳のせいでしょうかね」
来賓席の片隅、どこかの貴族の娘を警護している3人の女騎士が呆れ顔で主催者席を見つめていた。
距離があるせいで顔まではよく分からないが、
3つの席の2つにアグスーレ・ニジュイ・クササンとザルバッグ・ベオルブが座り、
空いた3つ目の席に座るはずのシドルファス・オルランドゥ伯の姿は無い。
一応、義理の息子であるオーラン・デュライは来ているが、大会の警護のためこの場にはいない。
「まあ、心配だわ……お見舞いに行けないかしら?」
「なりません。教会を抜け出した事が知れたら……」
「分かってるわアグリアス。でも……」
「お嬢様、あなたおお優しい心……きっと伯に届くでしょう」
正体を隠すため主をお嬢様と呼ぶ女騎士こそ、アトカーシャ王家直属のルザリア聖近衛騎士団所属、
アグリアスオークスその人である。
同行しているのはラヴィアンとアリシアアグリアスほどではないが腕の立つ騎士だ。
「……そろそろ選手は説明会に行かねば。ラヴィアン、アリシア、頼んだぞ」
「お任せあれ。隊長も寒中水泳がんばってくださいね〜」
「ここで応援してますから」
「…………やけに楽しそうに見送るのだな」



アグリアスオークスはこの寒中水泳大会の参加選手だ。
なぜ彼女が参加するのか、それにはまずどう参加者が選ばれたかを説明せねばなるまい。


参加者1 騎士
オルランドゥ伯曰く、寒中水泳は騎士の魂で耐えるものらしいので、北天騎士団も南天騎士団も、
神殿騎士団までもがこの大会のために騎士を参加させている。
王侯貴族も参加すべきだとオルランドゥ伯は熱弁したが、
身分ある者にそんな危険な真似をさせる訳にはいかないという正論に残念がりながらもアッサリ納得した。
そしてアグリアスオークスはアトカーシャ王直属ルザリア聖近衛騎士団という重い看板を背負っての参加だ。
様々な騎士団から集められた騎士の合計は男女合わせて20名だ。


参加者2 一般人
これはせっかくの一大イベントだから民衆も参加させようというオルランドゥ伯の提案だ。
騎士は名誉のために参加するが、民衆は優勝賞金目当てで参加する。
厳選な予選試合の結果、実に30名もの参加者が選ばれた。


ついでに寒中水泳大会についていくつか説明しておこう。
レースは対岸から対岸へと泳ぎ切ればゴールとなるが、下流には溺れた選手を回収するための網が張られており、
そこまで流されてしまった者は失格となってしまう。
前ばかりに気をやっていると下流に流されてしまうため注意が必要だ。


また、レースは男女別に行われる。参加者50名中、女性は20名だ。
1レースに10人参加し、レースは合計5回行われる。
男、女、男、女、男と交互にやり、タイムを計って最終的な順位が決まるのだ。
アグリアスは第4レース目に参加予定で、控え室に行くのは遅くとも第3レース終了直後でなくてはならない。
が、開会式の前に出場選手全員を集めた説明会がある。
どんな説明かというと、前記の通りの説明だ。対岸から対岸へ、下流には網、失格の条件だ。


という訳で説明会を終えたアグリアスは、これから競い合う他の選手を見回してみた。
河からやや離れた位置に設置されたテントの中を、50人の選手と運営委員会の数名が埋めている。
筋肉の鎧に包まれた熊のような男、ガラが悪そうだがどことなく貴族っぽく見える少年、
何事かを話している兄妹らしき男女、何か元気そうなご老体など、様々な選手がいた。



「……負けられん」
アグリアスは力拳を握り、意志を燃やした。
説明会は順調に進み、すべての説明が終わった後、なぜか第1レース以外の男性選手も残るよう言われ、
20名の女性選手は首を傾げながらもテントを後にした。
その後はレースが始まるまで好き勝手していいようだ。
アグリアスは当然、主の元に戻った。すると部下のラヴィアンとアリシアが困り顔で出迎える。
「どうした?」
「オヴェ……お嬢様が、屋台に行ってみたいと」
「たこ焼きが食べたいそうです」
「たこ焼き? お嬢様、そんな下々の物よりチョコバナナなどいかがでしょう。
 ここなら頼めばすぐ持ってきてもらえます」
甘いお菓子のチョコレートを、果物のバナナにかけたチョコバナナは、
来賓席に座る貴族や富豪達しか食べられぬ高級品だ。正確には一般客も食べられるのだが、代金が高いのだ。
大会運営費を出資している者は来賓席に座れるため、頼めば無料でもらえるのだが。
──ちなみにオヴェリア自身は出資していないものの、ルーヴェリア王妃が金を出しているので問題ない──
たこ焼きはというと、タコを小麦粉で包んで焼いただけという、栄養バランスの悪い大衆料理だ。
しかも青海苔が歯につく。女の食べるものではない。
だがオヴェリアは子犬のような眼差しでアグリアスに頼んだ。
「お願い……。お友達のアルマから聞いた事があるの、たこ焼きはすごく美味しいって」
「アルマ様から?」
ほんの数ヶ月前、教会から実家へと帰ってしまったアルマ・ベオルブを思い出し、アグリアスはなるほどと思った。
あのベオルブ家のご令嬢でありながら、母が平民であったため、たこ焼きを作ってもらった事があったらしい。
「しかし……畏国中から貴族が集まっているのです、それを狙った暗殺者もいないとは……。
 そのための来賓席、ここに座っているだけで警備を務める精鋭の騎士団が安全を約束しております」
「でも、もしかしたらアルマもこの大会を見物に来ているかも」
「……かしこまりました。ただし開会式が始まるまでですよ?
 レースが始まれば騒がしくなり危険ですし、第3レースが終わりましたら私も着替えのため控え室へ行かねば……」
アグリアス! ありがとう……」




「わぁ、たこ焼きだ。懐かしいわね」
「みんなで食べようか、1箱8個か……どうする?」
「2箱でいいだろ。すいません、2つください」
平民出のせいだろうか、こういう所で頼りになるのは親友のディリータだ。
屋台が初めてのラムザ、アルマに代わり、率先して屋台で注文をする。
焼き立て熱々のたこ焼き、2箱で合計16個で1人4個の計算になり、
多すぎず少なすぎず間食としても適度な量だった。
「アカデミーじゃこういう庶民の物ってのを食えないから懐かしいや」
「来賓席の方ならリンゴ飴やチョコバナナを無料で食べられたのに、よかったのかい?」
「せっかく冬休みの帰省を利用してるのに、堅苦しいのは嫌だ」
ディリータはたこ焼きを美味そうに頬張りながら、近くにあった橋の方へと行ってみた。
レースが始まるまで適当にブラブラしようと決めているので、橋を渡るのに特に理由は無かった。
あえて言えば橋の上から河の急流を見下ろし、冷たい飛沫を少しだけ浴びる事だろうか。


アルマは食いしん坊なのか、もうたこ焼きを4つ食べてしまい、ラムザの分をねだってきた。
長い間離れて暮らしていた妹に甘えられるのが嬉しくて、ラムザは気前よくたこ焼きをゆずる。
ディリータもまだ食べている最中だったので、アルマはディリータの持っている箱からたこ焼きをつまむ。
微笑ましくアルマを見守りながら、ふと振り向き、ラムザは橋の手すりにしがみついて河を見下ろしている少女を見た。
「魚でもいるかい?」
「あっ、いえ、凄い流れだなって。本当に泳ぐんでしょうか? 飛沫でさえこんなに冷たい……」
「だからこそ泳ぐんだろう、寒中水泳ってそういうものらしいし」
ラムザも少女の隣に立って河を見下ろした。ザアザアと音を立てて白い飛沫を上げている。
飛沫がラムザの頬を冷たくした。顔をそむけると、少女の分のたこ焼きがまだ2つ残っているのが見えた。



「……あの、ラムザさんは……」
「何だい?」
「チョコバナナ、食べた事ありますか?」
「食べたい?」
「……その……」
「主催者席にはザルバッグ兄さんがいるから声をかければ来賓席に入れるよ。
 そこならお金を払わなくても頼めばすぐ持ってきてもらえる、行ってこようか?」
少女がパッと顔を輝かせるのを見て、ラムザも微笑み返した。
この優しくもやや内向的な少女は、久々に自由を満喫するディリータを見て言い出せなかったのだろう。
「あっ……でも、ラムザさん一人じゃ……」
「久々にディリータに会えたんだろ? 僕一人で行ってくるから、ディリータと一緒にいれば……」
と、ラムザディリータを見ようとして、どこを見回しても人ごみしか見えない事に気づいた。
「……ディリーター! アルマー……!」
「わ、私のせい?」
「たこ焼きに夢中になって身内を忘れる彼らも少しだけ悪い」
ラムザはため息をついてから、少女の手を握った。
「僕達ははぐれないようにしよう」
「……はい」
突然手を引かれて、少女は少し頬を染めた。
そしてうっかりたこ焼き2つの残った箱を、手すりの上に置き忘れてしまった。
「ふふっ。運営委員会に頼んで『迷子のお知らせ』で2人を呼び出してみようか?」
「それは……ちょっと恥ずかしいんじゃ」
「それもそうだね。それにアルマを呼び出したらザルバッグ兄さんに怒られそう……。
 ザルバッグ兄さんに会っても、アルマ達とはぐれたって言わず、どこかで待ち合わせしてる事にしてくれないかな?」
「いいですよ。その代わり、私、リンゴ飴も食べたいです」
「アルマが意外と食いしん坊だって思ったけど、ティータもなかなか……」
ラムザの言葉に、ティータは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。




「あっ……」
「いかがなされました?」
「今、アルマがいたような」
オヴェリアの視線の先をアグリアス達も見た。
金髪を後ろで縛った若者の姿が見えたが、服装から男性と分かった。
それに長い黒髪の女の子を連れている、多分恋仲なのだろう。
「でも、さっきの人、男の方だったみたいだし……他人の空似だったみたい」
「アルマ様に似た殿方ですか」
小さく笑いながら、アグリアスは気を取り直して周囲を見た。オヴェリア様を狙うような怪しい人影は無い。
「さあ、たこ焼き屋はこの橋の向こうです」
「ええ、楽しみ……あら? あんな所にたこ焼きが……」
たこ焼き屋なら向こうですよ」
「違うの、ほら、手すりの上。置きっぱなしになってる……もったいないわ」
「まったくです」


仮にも王女であるオヴェリアが、置きっぱなしのたこ焼きに手を出すはずもなく、
ちゃんと橋を渡った先にあるたこ焼きの屋台で一人前を注文した。
ついでにとアグリアスはジュースも購入し、
歯に青海苔がついていた場合は多少はしたなくともジュースでゆすぐように言った。


「……ティータ……? まさか迷子に!?」
ラムザ兄さんもいないわ……いつはぐれたのかしら?」
たこ焼きを食べ終わったディリータとアルマは、対岸にあった射的屋をやろうと盛り上がったところで、
ようやくラムザ達とはぐれた事に気づいた。
ラムザと一緒ならそう心配する事も無いだろうけど……ティータ……」
「それよりディリータさん、あれを見てあれを、射的屋のあれ」
射的屋はおもちゃの弓矢で賞品を棚から落とし、その賞品をもらえるというルールだ。
そしてその射的屋には、おもちゃの弓で落とせそうにない大きな熊のぬいぐるみがあった。
まさに運命の出会い。アルマは一目惚れというものが確かにこの世に存在するのだと知った。




アグリアスはぼんやりと思う、いっそ王女などにお生まれにならず、
町娘として生きておられた方がオヴェリア様は幸せなのではないかと。
たこ焼きを食べ終え、ジュースで口を流しても、まだ歯に青海苔がついていたため、
ハンカチで拭って差し上げたら、お母さんに甘える子供のようにじっと身を任せていたオヴェリア。
王族としての気品はある、しかしオヴェリア様が生来持っているのは、
飾り立てる薔薇の美しさではなく、見る者の心をなごませる春のタンポポではないか。


「さあ、たこ焼きは食べましたでしょう? 来賓席に戻りますよ」
「えー? もう少し見て回りたいわ」
「……………………下々の者の生活を知るのも王族の務め、もう少しだけですよ。開会式には戻りますから」


アグリアスはオヴェリアの右手を握った。
「人が多いです、くれぐれもおはぐれにならぬよう……」
「心得てます」
「ラヴィアンは左側へ、アリシアは後ろ」
「お任せあれ」
「了解しました」


遠くーー上流側にあるちょっとした小丘の上から、獲物を見つけて喜ぶ蒼の双眸が、獲物を見つめていた。
獲物は4人の美女達。狩人はニヤリと微笑んだ。






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