氏作。Part20スレより。


 ──午前中、隊長ラムザを先頭に、一同は海岸線を歩いていた。
朝の爽涼な空気がじわじわと熱気にとって代わり、強い日差しの下を皆が進む。
長い金色の髪が潮風にそよぐ。時折運ばれる海の風が火照った身体に心地良い。
望む水平線からは大きな入道雲が立ち並び、白と青の景観が美しい。
「(きれいな眺めだなぁ…)」
脚を蝕む疲労も忘れ、アグリアスは歩きながら、しばしその景色に見入る。
砂浜に打ち寄せる波は永遠に止まらない。昼も夜も、ただ同じことを繰り返す。
遠目なのではっきりとは判らないが、見慣れないモノがたくさん渚に打ち上げられている。
この国のものでない、異国からの贈り物。この大海原をはるばる旅して、
この国の、この海岸線にやってきた旅人たち。
「(…今度機会があったら、浜辺を散歩するのもいいかもな)」
潮騒と、潮風と、旅人たちを後にして。アグリアスは遅れないように皆の背を追っていく。
 海岸を通り過ぎ、野を越え、一行は見晴らしのいい開けた場所へやってきた。
時間は昼を少し過ぎている。太陽は天高くに上り、燦々とした陽光が皆に等しく叩きつけられる。
ラムザの提案と、隊の大多数の賛同により、ここでしばらく休憩することとなった。
食事の支度をするために、各自が持ち場へと散っていく。
アグリアスも気だるい身体を引き起こし、森の中へと歩いていく。
手ごろな枯れ枝はどこだろう、足元に注意を払いながら歩みを進めていくと、
どこからともなく水の流れる音が聞こえてきた。その音に誘われるがままに進むと、
アグリアスは眼前に広がる清流にしばし呆然とする。
深さはせいぜい膝ほどまでだろう。水は澄み、浅いせいか川底まではっきりと見て取れる。
時おり視界にふっと現れては消える小魚が、この川の美しさを示していた。
脇に抱えていた数本の枯れ枝を川原に置き、アグリアスはそばの大きな岩に腰を下ろした。
「(涼しくて気持ちのいい場所…)」
水の流れる音は心を落ち着かせる。遠くの岩にとまる羽が黒い蜻蛉を眺めながら、
アグリアスはただ漫然と時を過ごす。上流の方から流れては過ぎ去る浮葉を眺めていると、
ふとある言葉がアグリアスの心に思い浮かんだ。


「ゆく河の流れは…」
川の流れは絶えることなく、流れる水は同じ水ではない。
流れのよどみに浮かぶ水のあわは、消えては生まれ、生まれては消えていく。
決して水のあわが永遠に留まることはない。
ずっと昔に読んだ異国の訓辞。記憶が薄れ、原文は冒頭しか口ずさむことが
できなかったが、確かそんな意味の言葉だったように思う。
「ふふ…」
我知らず微笑むと、アグリアスはふたたび川の流れに目をやる。
穏やかに時を過ごす自分を思い、先ほどの教示の句に共感する。
自分は変わった。最近特にそう思う。
この川の流れのように。この私が身をおく世界のように。
私という人間も…少しずつ…変わっていくのだろう。
今の私の考えも…思いも…少し時間が流れれば…ほかのものに変わっていくのだろう。
移ろいゆく自分と今が急に惜しくなり、アグリアスは靴を脱いで浅瀬を歩いてみることにした。
 

 昼食を済ませ、アグリアスは木陰で身を休める。
皆は戦闘訓練や作業などで暑い中を奔走しているが、彼女は何も仕事が
なかったので、こうして一人静かに涼をとっている。
時々運ばれる風に柔らかな髪を揺らしながら、アグリアスは日ごろの疲れのために
まどろんでいた。夢うつつとしていた時に、アグリアスの午睡はある大声に妨げられた。
「今日こそは目に物見せてくれるわ!覚悟なさいレーゼ!」
食器を運んでいたレーゼを仰々しい物言いで呼び止めた女…メリアドールだ。
露骨にうんざりとした顔で足元に食器を下ろし、レーゼが受け答える。
「…また?いい加減勝ち目なんて無いことが分からないのかしら…?」
深々とため息をつくレーゼに対し、メリアドールは一向にその態度を崩さない。
「ふっふっふ!わたしを今までのわたしと思ってるのなら大間違いよ!」
「…?」
「古来より秘伝の筋力増強剤…。長期間の研究の末に、遂にわたしは
 その薬物の製造法を解読したのだわ!秘伝のクスリに薬草を独自に
 数種類配合し…その結果効果を元の3.5倍(理論値)にまで高めることに成功した!
 今のわたしに…死角はない!!」


びしっ、と勢いよくレーゼのそばの大木を指差す。
「あ、あの…それ木なんですけど…」
腫れ物に触るがごとく、そわそわとラヴィアンがメリアドールに指摘する。
「ッッ!? な、なんでレーゼが二人に…!?」
視線が定まらず、明らかに挙動不審なメリアドールにラヴィアンが問う。
「メリアドールさん、その薬に何か変なもの入れませんでした…?」
「け、景気付けに昨日見つけたきれいなキノコを少々…」
「ただラリってるだけじゃない…。ばかばかしいわ…」
ため息交じりに食器を持ち上げるレーゼに、慌ててメリアドールが
おぼつかない足取りで駆け寄る。
「に、逃げる気なのかしら…!? 腕相撲チャンピオンが聞いて呆れるわねぇ!
 さあさあ、いさぎよく勝負、しょうぶぅ!」
「…止めて置いた方がいいと思うけどなぁ…。
 顔が土気色だし、なんか小刻みにプルプル震えてるし…」
「うるさいわね!か、体がどうなろうと知ったこっちゃないわ!
 薬物と滅びゆく肉体のせめぎあいの果てに、わたしは勝利をこの手にするのよ!」
ふたたび鋭く指をさすメリアドールだったが、その対象は木陰に座るアグリアスだった。
「私はレーゼじゃない。アグリアスだ」
苦笑交じりで答えるアグリアスに、メリアドールは慌ててレーゼの方へ向き直った。
「そ、そうだったわね!今のは…そう、アレよ!
 相手の油断を誘うための作戦よ!さ、作戦失敗!」
「はいはい、もう分かったからさっさと始めましょう」
やれやれといった面持ちでレーゼが腕相撲の体勢を造る。
やけに鼻息を荒げて寝そべるメリアドールとその相手をするレーゼを見て、アグリアスはくすくすと笑う。
「ふふっ…ふふふ…。バカだなぁ…」
少し昔ならば、無意味な奮闘だと鼻で笑い、見向きもしなかっただろう。
しかし今は…こういう出来事の一つ一つがとても楽しく…とても大切に思う。
大切な仲間たちと思い出を分かち合えることが、とても嬉しい。
「ふふふ!ずいぶんと苦しそうね!あと一押しでわたしがチャンピオンよ!」
「まだ始まってないけどね」


みつくろった審判を脇に座らせ、掛け声と共に腕相撲勝負が始まった。
「うりゃああ゛っああ阿あぁAああ」
調子はずれな声を上げるメリアドールは全力を腕に掛けるが、
レーゼの細い腕は文字通りビクともしない。
「あれ?ほんとだ、いつもよりけっこう力が増してる(笑)」
別にお世辞でもなんでもなく、怪しげなクスリで確かにメリアドールの
腕力は飛躍的に増大していたが、それでもレーゼの怪力にはまだまだ遠く及ばない。
「うっ、ううう…うぐぐぐっ…」
額に汗を浮かべ、懸命に粘るが、傍から見てもメリアドールに勝ち目がないのは
明らかだった。瞬殺するのも可哀相だと腕相撲をしばし続けていたレーゼも
そろそろ勝負を終わらせようと思っていた時に…強風が二人を襲った。
勢いよくレーゼの長い髪がはためき、そのうちの数本がレーゼの鼻元をよぎる。
「!? …は…は…くしゅん!」
…ぽきん。
レーゼがくしゃみで身体を上下させたのと同時に…そんな音が二人の耳に届いた。
確信に近い予感を胸に、そろそろと視線をメリアドールの腕に下ろすと…
──案の定、彼女の腕はあらぬ方向に曲がっている。
「は、ううわ、わわわたしの腕が〜〜〜〜〜!!?」
腕を押さえてのた打ち回るメリアドールを見下ろして、レーゼはあくまで冷静だった。
「あ、あははは…。ご、ごめんメリー(あだ名)、またヤッちゃった…。勘弁…ね?」
頭をぺこぺこと下げるレーゼをよそに、相変わらずメリアドールは地べたでじたばたとしている。
骨折者が出たというのに、周囲の反応も至って平静としたものであり、
「またか」「懲りないねぇ」「やっぱレーゼさんは最強だな(笑)」と
苦笑交じりのコメントがちらほらと囁かれ合う。
木陰で様子を眺めていたアグリアスも、別段急ぐこともなくのそのそと
悶絶するメリアドールの傍へと歩み寄り、抱き起こして肩を貸した。
「ほら。向こうへ行くぞ。治してやるから」
「う、ううう…。す、すいません親方…」
「い、いや、別にいいんだが…」
少し離れた場所でメリアドールを落ち着かせ、回復呪文を施してやる。
上位の白魔法ともなれば、こうした重度の負傷も短時間で完治させることができるのだ。



「バカだなぁ…。これで腕を折られるのは5度目だろう…。
 レーゼはあれで力の三分も出してないよ。挑むだけ無駄だろうに」
「ううう…。勝ちたかった…。勝ちたかった…ただそれだけだったんだよぉ…」
治療の最中に話しかけられた内容の半数以上は訳が分からないものだったが…
「か、かたきを…かたきを討って…わたしはもう長くないから…」
「なんで腕を折られただけで寿命が縮むんだ…」
メリアドールが仇討ちを望んでいるらしいことはアグリアスに伝わった。
腕の骨を完全に復元させ、これ以上何かしでかされても困るので魔法で彼女を眠らせた後、
アグリアスは眠り際(メリアドールにとっては死に際だと思ったらしい)に交わした
約束を果たすため、荷物の整理をしているレーゼの下へ歩いていった。
「仕事中にすまない。私もついでに試してくれないか?
 最後にやったのが二ヶ月前だ。けっこう時間が経っているからな」
「ん?いいよ。私も仕事少しサボれるし」
言うが早いが二人はその場に寝そべって手を繋ぎあう。
元よりアグリアスに勝ち目など無い事は本人が十分に承知している。
これはただの力の測定に過ぎない。よって勝負などといった大層なものではなく、
二人が気張る理由などあり得なかった。
アグリアス自身の掛け声と共に腕相撲が始まる。
アグリアスはただ無言で全力を腕に込める。レーゼもただ無言でそれに応えた。
開始数秒…力の増加を感じ取れなくなったレーゼがアグリアスに問う。
「…どう?そろそろ限界でしょう?」
「あ、ああ」
的確に力の限界を見抜かれ、アグリアスは力を抜いて、腕を倒される。
「…ふぅ。二ヶ月前と比べてどうだった?」
「けっこう力は強くなってるわ。前の…そうね、三割増しってとこかしら?」
「そうか。ありがとう。参考になったよ」
立ち去るアグリアスに、レーゼが一言を贈る。
「あなた…努力家だね」
アグリアスは振り返ることなくぱたぱたを掌を振ってそれに応えた。


 それから二時間後、辺りも涼しくなってきた頃を見計らって、
一同はその場を後にした。



足場が不安定な岩が連なる場所を、隊の皆が滞りなく歩いていく。
下の方から川のせせらぎが運ばれてくる。進む道は舗装などされた上等なものではなく、
岩は苔むしていかにも滑りやすい。慎重に歩を進めるアグリアス
傍にはラムザが歩き、時おりとりとめもない内容の会話が交わされる。
細心の注意を払って足場を選んでいたはずだが…
「あっ…」
足を滑らせて倒れかかるアグリアスを、ラムザが慌てて抱きかかえた。
「だ、大丈夫ですか…!?アグリアスさん…」
「………」
分厚い胸板に顔を押し付け、危うきを逃れたアグリアスは一瞬ラムザの鼓動に聞き入っていた。
とても速く脈打つ心臓に、アグリアスは少しだけ…思うところがあった。
「ふふっ。すまないラムザ。迷惑をかけた」
「い、いえいえ!そんなこと…ッ!」
顔は紅潮し、動揺しているのは第三者の目にもはっきりと見て取れる。
「(わかりやすい男だ…)」
私はラムザに想われている。いかにニブい私だろうと…これはもう確信の域を出ない。
一昔前までただの世間知らずの甘ちゃんだと思っていた男が…
世界を滅ぼさんと画策する悪人たちを次々と打ち倒し…国中から仲間を引き連れ…
皆の信頼と期待を一身に受け…今、私はその胸に助けられた。
「(…この私が…男の胸にその顔を寄せる…か)」
世話のかかる不肖の弟子が…師であった私を超えて…どんどん先へと歩いていく…。
それは誇らしくもあり…どこか寂しげで…アグリアスはむずがゆい想いにかられた。
私も変わっていく。彼も変わっていく。みんな…みんな…変わっていく。
「(強くなったね。ラムザ。私は…弱くなった。
 もう…お前に追いつけないよ)」
頼もしい広い背中をしばし見つめ…アグリアスは歩み始めた。



 空に浮かぶ下弦の月のもたらす仄明り…月下で。
一人の女が剣を振るっていた。剣は月光を吸って蒼く光り…主に振るわれて光の軌跡を紡ぐ。
その光景は蒼白い光が宙に現れては消え…消えては現れる…夜光虫が灯る夜の海を思わせた。
女の剣裁き…素人のそれとは思えないが、それでも大したものではない。
あくまで凡夫の剣術と評するのが妥当である。
「剣士に戻る決心がついたのかしら?ホーリーナイト殿」
暗闇から音も無く現れたのは…メリアドールだった。
「わざわざ気配を消して近づくな。気色悪い」
「ふふ…。お邪魔してごめんなさい。伝えたいことがあってね」
アグリアスは剣を傍に置き、メリアドールの傍へと向かって座る。
「昼間…またお世話になったらしいわね。何だか記憶が飛んでて憶えてないの」
「ああ。お前は何だか知らないが幻覚に囚われていたようだったからな。
 憶えていなくても無理はない」
「…あ〜あ。今度こそ勝てると思ったのになぁ…。
 やっぱりトッピングで混ぜたキノコがまずかったのかしら」
「野山に生えているキノコを無闇に食したりするからだ。
 でもレーゼは確かに力は強くなっていたと言っていたよ。
 クスリに頼るのはどうかと思うが…改良を重ねればいつか勝てるかもな」
ころころと笑うアグリアスをしげしげと見つめると、メリアドールは黙り込む。
「でもどうしていつまでもレーゼとの対決にこだわるんだ?
 私たちとアイツは種族が違う。生まれつきの力が全く違うんだ。
 アイツは力。お前は剣術。それぞれの得意な分野で持ち味を生かせばいいじゃないか」
「………。
 さっきの剣…。あれは…?」
「はは…。昔が懐かしくてね。ほんの気まぐれだよ」
「…やっぱり…もう剣士には…戻らないのね…」
「……ああ。今更私が剣士に戻ろうと…今の私は三流剣士だ。
 今の隊には伯やベイオウーフ、ラムザ…それにお前がいる。
 もう私の出る幕じゃないよ」



「………。
 わたしは憶えていないけど…わたしのせいで貴女がレーゼと腕相撲したみたいね。
 皆に聴いたわ。
 その…ごめんなさい…」
「…ばか。そんなことで気にするな。私は私で腕の力を試す必要があったんだよ」
「今でも…左腕のトレーニングは続けてるの…?」
「当たり前だ。利き腕じゃないんだから力がないと色々困るんだよ」
「…その…右腕のことは…」
「いつまでも気に掛けるなよ。私はもう気にしてないんだから」
──私は半年前に…右腕を失った。
一瞬の油断で敵の高位攻撃魔法を避け損ね…肩から先を一瞬で吹き飛ばされた。
現代の白魔法は改良に改良が重ねられ…初期のものとは比較にならないほど
その性能と魔力の行使効率を向上させた。
しかし…現存する白魔法では怪我の"治癒"はできても肉体の"再生"はできない。
ある程度の原型が残っている負傷部分を修復はできても…失われた器官を再生はできない。
右腕が残っていれば接合は出来たかもしれないが、灰にされてしまってはどうしようもない。
せいぜいできる事といえば断面部分の止血と消毒、白魔法による治癒くらいのものだった。
己の全てを注ぎ…高め続けてきた剣の技が失われたという事は…
アグリアスオークスという女の存在意義が消失したことだと思った。
世界が一度に暗転した。生きる意味を見失い、何度も何度も死のうと思った。
しかし…ラムザ…伯…レーゼ…メリアドール…隊の皆に数え切れないほどに励まされ続け…。
私は思い直した。死は逃避だ。辛い現実だろうと…死んでしまっては何も出来ない。
オヴェリア様との約束を果たすことも…腑抜け同然となってしまった私を支え続けてくれた
皆の思いにも応えることができない。
必死で…とにかく必死で勉強した。利き手でない左手で剣を振るっても高が知れていると
早々に見切りをつけ…隊に回復呪文の使い手が不足していることを知り…
何の予備知識もない状態から朝も昼も夜も…がむしゃらで白魔術の勉強を続けた。
まずは基礎から…自分でも呆れるほどの魔法の基礎からの勉強。
隊の魔法使いに何度も何度も頭を下げてコツと要領を教わり…半年をかけて磨き続けてきた。
その甲斐あって、今では隊の怪我人の担当の一番手は私になっている。



実戦に立つ事はもうないが…片腕を失っても…剣の道が絶たれても…私はこうして歩む道を見つけた。
「聖騎士転じて聖天使アグリアス…か…。ふふ…何だか出来すぎてるわね」
「バカ言え」
二人のささやかな笑い声が、冴える月夜にすいこまれて消える。
「わたしがレーゼに勝ちたいのはね…貴女が剣士でなくなったからよ」
「………」
「わたしの生涯で…わたしと並ぶ女剣士は…アグリアスオークス
 貴女独りだけだったわ」
「………」
「同年代…いえ、年上の同性の剣士でも…私以上の剣士に出会ったことが無かった。
 心底…聖騎士アグリアスを凄いと思ったわ。
 手合わせは何度もしたけど…僅差でいつも貴女が上だったわね」
「……そうだったな」
夢見るような顔で、メリアドールは星々が瞬く夜空を眺める。
「貴女の振るう剣の迅さ…重さ…技術…願い…。
 それに追いつこうと…毎日必死に特訓を続けた…」
「…ふふ。お前がいつまでもしつこく追いつこうとするから…
 私もあのころは毎日ずいぶん苦労したよ」
「…そしてわたしは負けっぱなし。一度だって勝てなかった。
 悔しい反面…剣士でいて良かったって…思ってたわ」
「………」
「そして剣士アグリアスは姿を消し…わたしは一生勝つことができなくなった。
 …ずるいよ。勝ち逃げ…なんてさ」
「………」
「剣士アグリアスは死に…白魔道士アグリアスとして蘇った。
 でもね…剣士としての貴女は…まだわたしの心と共にある。
 誇るべき稀代の天才剣士アグリアスオークスは…わたしの目標であり…
 女剣士の鑑として…今でもわたしの心の中で…生き続けているわ」
「………」
「女剣士として隊の頂点に立つわたしは…もう同性には誰にも負けたくなかった。
 たとえ相手があのレーゼでもね。剣術と格闘術で争っても…ダメなのよ。
 あの娘の力に力で勝たなくちゃ…本当にレーゼに勝ったとは言えない」



「……バカ」
「何度敗北しようと…腕を折られようと…
 その都度あの頃の貴女が思い浮かぶのよね。
 人を見下した目で…"お前はこんなものか"って…
 あのムカつく顔で挑発してくるのよね。ふふっ…ふふふ」
「………」
「今回は魔が差してクスリなんか使ったけど…
 いつか自力でレーゼに勝って見せるわ」
「…私は…迷惑だ」
「………」
「私はお前にいつまでも指図できるような大した剣士ではなかった。
 強さに固執し…偏屈で…まるで世界が見えていない小物だった。
 右腕を失って…戦いから退いてから色々なものが見えるようになった」
「………」
「お前のやっていることは徒労だ。いつまでも私の幻影などに囚われるな。
 私の幻など振り切って…お前はお前の道を好きに進んだらいい」
「………。
 ふふふ…。やっぱり…かなわないなぁ。アグリアスオークスには…。
 腕を折られるのは痛いし嫌だし…レーゼへの挑戦はもう諦めるわ。
 代わりに…女剣士世界一でも目指そうかしら」
「最初からそうしろよ。バカだなぁ…」
「人のことが言えるのかしら?
 わかってると思うけど…ラムザは貴女を…」
「わかってるよ、そんな事は」
この手の話題にはからっきし弱いと踏んでいたメリアドールだったが、
意外なまでの即答に驚いてアグリアスに目を遣る。
「ああまで隠し事がヘタで…よく今まで世を渡ってこれたものだ。
 あいつは剣の腕も立つし隊の皆の信頼も厚いが…心の修養はまだまだだな」
屈託無く笑うアグリアスに、メリアドールは堪らず本題を切り出した。
「貴女は…彼の事をどう思っているの…?」



「私はあいつの恋慕には応えられない」
「………。
 わたしは似合ってると思うけどな。
 あいつはドジで間抜けな面もあるけど真摯だし…」
「好みの問題じゃ…ないんだ。
 私は私であいつを十分認めている。ラムザは凄い奴だ。
 度重なる不幸にも屈せずに…隊の皆を統率して…日々自己を高め続けている」
「…じゃあ…なんで…?」
「今の私はな…とても彼につり合わないんだよ」
「……そんなこと…」
「私は隻腕となって剣士としての道を諦め…魔道士に甘んじている。
 今こうして歩む道に後悔が全く無いといえば嘘になる。剣に対する未練も若干はある。
 片や妥協して白魔法しか使えない片腕の女…。
 片や隊の信頼をその身に受け、世界の明日を守ろうとする日進月歩の剣豪。
 もうあいつは遠いところへいってしまった。
 私のような女が連れ添って…それでどうなる? あいつの足かせになるだけだろう。
 あいつはあいつに相応しい女性を見つければいい。
 私は私に合った道を進むよ」
気のせいか…一瞬アグリアスの微笑みがひどく寂しげで悲しいものに見えた。
「…新しい世界が開けたとか…過去の自分は振り切ったとか…。
 偉そうなこと言って…。肝心な短所はまるでそのままなんだね。
 …頑固でバカなひと…」
「…そう思うのはお互い様だろう」
…どうしてだろう。久しぶりに剣を振ったためだろうか。
それとも…こんな話をしたためだろうか。
久しくこなかった幻影肢。失ったはずの…幻の右手がうずく。
存在しないおまえが…もしも…もう一度…。
「……馬鹿らしい」
誰に聞かせるわけも無く独り言つと、アグリアスはメリアドールを尻目に仰向けになる。
時の流れとともに…移ろいゆく人の想い…早く…私も…あいつも…こんな気もち…消えていけばいいのに。



                                            fin