氏作。Part19スレより。


「大丈夫よアグリアス、私が見守っていてあげるから」
 少女は微笑を浮かべて言った。


アグリアスオークス殿。閣下がお目通りになります。どうぞお入りください」
「はっ」
案内をした侍女に丁重に頭を下げ、金髪を短く纏めた男装の麗人は館の主の待つ執務室の扉に向かった。
士官学校を優秀な成績を収めて卒業後、アグリアスミュラー伯爵家に仕えることになった。
ミュラー伯爵は先の大戦で「鉄壁ミュラー」と讃えられた戦の巧者で、そんな武人に仕えることが出来る
ことがアグリアスには光栄だった。
アグリアスはドアノブを掴むと一つ深呼吸をし、
「失礼いたします」
と声を掛けて扉を開いた。
まず驚いたのは部屋の壁に敷き詰められた本の数々。そして貴族の住まう部屋にしては驚くほど飾り気が
無く、質素とも言えた。
しかしながら全体的な雰囲気にどこかどこか温かみがあり、それは大きな机越しに温かくこちらを見守る
人物の心を映しているようだった。
アグリアスは手足が同時に出ようとするのを押さえつけながら、ゆっくりと歩み寄る。
近づいてみると思った以上に若々しいことが分かった。
まだ三十代半ばの伯爵は精悍で気品のある顔立ちで、ロマンスグレーの豊かな髪を軽く流しており、
それが実に似合っている。
アグリアスはこの人が本当に「鉄壁ミュラー」などと厳しい二つ名を持つ武人なのだろうかと少し疑問に
思ったほどだった。
とにかく挨拶をと、アグリアスが口を開きかけると、
「君がアグリアス君かい?」
と先手を打たれ、アグリアスはあわてて跪く。


「ハッ! 本日より配属されました、アグリアスオークスでございます。この度は高名な子爵様の元に
 仕えさせていただくという光栄な任に与り、」
そこまで聞いてミュラーは、
「ああ、そういう堅苦しい挨拶は抜きでいいよ。どうも苦手でね」
と遮った。その目が少し困ったように笑っていたので本心であることが分かり、アグリアスはやむなく、
「はっ」
と応えた。
「今更紹介する必要もないが、私がミュラーだ。今後ともよろしく」
そこまで聞いてアグリアスは納得した。相手の出鼻をくじく感覚、主導権の取り方、そして間髪入れぬ止め。
この短い会話のうちに既にアグリアスミュラーに完敗していたのだった。
(これが名将というものか)
アグリアスミュラーに対して一層の畏怖と尊敬の念を持った。
「成績は見させてもらったよ。優秀、それも極めてと冠が付くほどに、ね」
ミュラーの本心からであろう率直な褒め言葉にアグリアス
「いえ、私などまだまだ未熟者です」
と返答した。
実際自分ではまだまだだと思う。現に今ミュラーの前で自分は圧倒されているではないか。
「謙遜は必ずしも人にいい印象を与えない。自信があるなら胸を張ることだ。それとも自信が無いのかな?」
ミュラーの意地悪な質問にアグリアスは慌てて、
「いえ! そのようなことは!」
と応える。ミュラーはクスリと笑って、
「すまない、冗談だよ。君はとても素直な人のようだね、アグリアス君。うん、君なら大丈夫かな」
(全く気が抜けないな、この人は)
アグリアスはあぶら汗を感じながらゆっくりと椅子から立ち上がったミュラーを見守った。
「付いて来なさい、アグリアス君」
扉の傍まで来るとミュラーはそう促した。


館の廊下や階段をミュラーアグリアスを伴ってしばらく歩いた。
その間もミュラーは何度か話しかけてきたが、元来口の重いアグリアスには何とか返事を返すだけで精一杯
だった。
それをミュラーが楽しんでいるのはアグリアスの目にも明らかだったが。
やがて一つの部屋の前でミュラーは足を止め、アグリアスに向き直った。
「さて、君はミュラー家に仕える身だが、実質的にはこの部屋の主に仕えてもらう」
アグリアスはやや身を硬くしてその言葉を聞き、目だけで「どなたです?」と尋ねた。
「私の娘だ」
その瞬間ミュラーに父親の優しさが宿った。アグリアスは改めてこの人は好人物だと思った。
ミュラーが扉をコンコンとノックする。
「どうぞお入りください」
少女の透き通った綺麗な声がドア越しに聞こえてきた。ミュラーはドアを開ける。
ざっと見渡して部屋の中は非常に真新しいという印象があった。日に焼けた後も見当たらず調度品もどれも
新品。
そうしてアグリアスは大きなベッドの方に目をやった。
コーデリア
ミュラーはそう声を掛ける。
「はい、お父様」
部屋の主はベッドの上で半身だけ起こして読んでいた本から目を上げて応えた。
十五歳位かなとアグリアスは思った。
父親譲りだろう、ロマンスグレーの美しい髪を長く伸ばし、後ろで編み、白いリボンで結んでいる。
それが人形のように白くそして整った顔立ちと相まって非常に儚い美しさをアグリアスに印象付けた。
少女は父親に向けていた目線を後ろに立つアグリアスに向け、興味深そうに眺めていた。
ミュラーはその目線に気付き微笑んだ。それは本当に優しい、父親の目だった。


コーデリア、彼女は今日からお前に仕えてもらうアグリアス君だ」
「まあ」
父親の言葉にコーデリアと呼ばれた少女は破顔してもう一度アグリアスを見た。
「さあ、アグリアス君」
「はっ、はい」
ミュラーに促されアグリアスは一歩前に出た。
するとコーデリアは膝の上においていた本を脇にどけ、ベッドから降りた。
コーデリアが毛布を持ち上げた時に、その下に数冊の本が置いてあるのが一瞬だけ見えた。
「さっ、ご挨拶しなさい」
コーデリアアグリアスの前に進み出る。アグリアスは慌てて跪いてコーデリアを迎えた。
コーデリアミュラーです。よろしくお願いしますね、アグリアスさん」
両手でスカートを摘み、軽く広げて会釈をする。それがとても絵になっていたのでアグリアスは見惚れて
しまった。
アグリアスさん?」
コーデリアが小首を傾げて声を掛けてきたのでようやくハッと我に返り、
「はっ、はい。誠心誠意尽くす所存でございますゆえ何卒よろしくお願い致します」
と慌てて返事を返した。
アグリアスの慌て振りが面白かったか、親子はクスクスと笑った。
アグリアスは耳まで赤くしてジッと俯いた。


コーデリアへの顔通しが済むと、ミュラーアグリアスを再び執務室に連れて行った。
跪こうとするアグリアスに「そのまま」と言い、自身の机に座った。
「私から言っておくことはこの位だが、何か質問はあるかね?」
ミュラーは机の上で肘を突き、両手を組んでその上に顎を乗せてが穏やかな調子で尋ねると、アグリアス
それでは、と質問した。
コーデリア様はお体があまり思わしく無いようですね」
ミュラーは僅かに身を強張らせたがそれも一瞬、直ぐに穏やかな空気を身に纏った。しかしその顔は少し
悲しげだった。
「そう、娘は生まれつき病弱なんだよ」
ミュラーは目を伏せ、アグリアスに向き直る。アグリアスミュラーに向けた目をそらさない。
「後で妻から説明があると思うが、コーデリアは一日の殆どをベッドの上で過ごす。動き回ったり長時間
外に出たりすることは体に良く無いらしくてね。だから外に出るのはお昼過ぎの一時間だけにして欲しい」
「分かりました」
アグリアスの返事に満足し、ミュラーは少し安心したようだった。
「うん。よろしくお願いするよ。じゃあ後の細かいことはさっきも言ったけど妻に聞いてくれるかい?
侍女に案内させるから」
「はっ」
アグリアスは深々と会釈をして執務室を出ようとし、立ち止まった。
「もう一つだけ」
アグリアスミュラーに向き直って尋ねる。ミュラーは書類を取ろうとした手を戻して不思議そうな目で
アグリアスを見返した。
「このお館に住まうことを希望されたのはどなたなのですか?」


アグリアスはあえて核心のみを突いた。頭のいいミュラーにはそれだけで通じる。実際ミュラーは固まった
ようだった。
綺麗過ぎる部屋、新しい物ばかりの調度品、そして配属された自分。
コーデリアが最近、どこかの療養施設からこの館に移ったのは明らかだった。
理由は恐らく、先が短いのだろう。
問題はそれがミュラー夫妻の希望なのか、それともコーデリアの希望なのか。
前者なら夫妻だけがそれを知っており、後者ならコーデリア自身それを悟っている。
だがアグリアスはもう確信していた。ミュラーは先ほどから沈痛な顔を浮かべている。それだけで答えは
分かった。
「分かりました。それでは失礼します」
アグリアスはもう一度会釈をしてドアノブに手を掛けた。
アグリアス君」
その背に声が掛かる。アグリアスは敢えて振り返らず背を向けたまま次の言葉を待った。それがミュラーには
快かった。
アグリアスの直視に耐えられそうも無かったからだ。
「娘を、頼む」
それは歴戦の名将ではなく、一人の父親の願いだった。
「剣に誓って」
そう応えてアグリアスは執務室を後にした。
(名将といえどやはり人の子、か)
口中でそう呟いたアグリアスは、しかしミュラーの心中を察するに余りあった。


翌日からアグリアスコーデリアの近辺警護、というよりはコーデリアの話し相手になった。
病の上療養施設から戻ったばかりで友人の居ないコーデリアにとってはアグリアスの存在は何よりも得がたい
ものだった。
コーデリアは直ぐにアグリアスに懐き、アグリアスも素直で頭のいいコーデアリアがとても好きになった。
母親のリーゼロッテにも会った。
美しく聡明そうな女性で非常に優しい人だったが、コーデリアの前以外ではその目がいつも悲しげで、
そして本人もその事を知っているらしくあまり姿を見せることはなかった。
コーデリアは多弁だった。それに自身が病弱で外に出ることがままならぬゆえ好奇心も旺盛でアグリアス
圧倒されがちだった。
アグリアスは騎士なのよね?」
コーデリアの不意の質問にアグリアスは即座に、
「はい、そうです」
と答える。
「騎士ってどういうものなの?」
アグリアスはしばらく考え、
「弱きを護り悪を挫く、約束は必ず守る義の人、と私は思います」
「そうなんだ」
アグリアスの答えにコーデリアは満足したようだった。


それからしばらく日が過ぎ、本を読んでいたコーデリアが不意に尋ねた。
「ねえアグリアス。うりぼうの丸焼きってどんなものなの?」
コーデリアの質問にアグリアスはぽかんとしてしまった。
「はっ?う、うりぼうの丸焼きですか?」
「ええ。この本に書いてあるのだけれどイメージできないの。アグリアスは見たことある?」
コーデリアの期待に輝く無垢な目に、まさかただ「知りません」とは答えられず、切羽詰ったアグリアスは、
「しょ、少々お待ちください。三十分でお答えしますゆえ」
「あっ、ちょっとアグリアス!」
そう言ってアグリアスチョコボ小屋に繋いだ自らの愛鳥に跨り、疾風怒濤の勢いで走り去った。
コーデリアは二階の部屋の窓からそれを目を丸くして見守っていた。


そしてきっかり十四分四十三秒後。
コーデリアアグリアスの帰りを待ち望んでいると、彼方から凄まじい土埃を纏ってこちらに向かってくる
アグリアスの姿が見えた。
アグリアス!」
ただ行く前には持っていなかった丸太のようなものを担ぎ、またそれは大きな動物のようなものに刺さって
いた。
アグリアスは玄関前で動物が突き刺さった丸太を投げて華麗に下鳥すると、埃まみれの鎧と剣を玄関脇に
置いて屋敷の中に駆け込んだ。
一分後アグリアスは謎の器具と料理長と黒魔導師を引き連れて再び玄関に姿を現した。
料理長は手馴れた手つきで丸太から取り外した動物の皮を剥がしていき、その間アグリアスは謎の器具を組み
立てていた。
動物の皮を剥ぐのは近場で見るとなかなかにグロテスクだが、二階から遠巻きにみるコーデリアにはそれほど
ではなく(何をやってるんだろう)という好奇心のほうが強かった。
料理長は二分ほどで全ての皮を剥ぎ、アグリアスはよくよく見ればかなり重そうな皮を剥いだ動物を容易く
持ち上げて、謎の器具にそれを取り付けた。
そしてアグリアスはその器具の脇にある取っ手に取り付き、何か言うと黒魔導師が頷いてファイアの魔法を
唱えた。
炎は微妙に調節され、動物をじっくりと焼き、アグリアスはその取っ手を回して満遍なく焼こうとしている
ようだった。
その間料理長は二人にいろいろと指示を出しているらしく、その度に二人は少し変化を見せた。
料理長は何事かと表に出てきた二人の侍女に何事か言うと侍女達は慌てて中に入っていった。
十分後。
料理長がまた何か言うと黒魔導師が炎を止めた。アグリアスと料理長はお互い器具の端を持ち、先ほどの侍女が
二人掛かりで持ってきた大きな皿の上に置いた。
アグリアスはそれをひょい、と持ち上げ、皆を伴って屋敷の中に入っていった。
しばらくしてコンコンとドアがノックされた。ドア越しに香ばしい香がする。
コーデリアは立ち上がってドアに向かい、自ら開けた。
「お待たせしましたコーデリア様。これがうりぼうの丸焼きです」
アグリアスは息を切らせながら満面の笑みでそう言った。コーデリアは本当に幸せそうな笑顔でアグリアス
後ろに並ぶ人たちを出迎えた。
時計の針はアグリアスが部屋から駆け出してきっかり三十分が来ようとしていた。


アグリアス、どうして髪をそんなに短くしているの?」
「えっ?」
アグリアスミュラー家に仕え始めて半年ほど経ったある日、コーデリアと一緒に食事を摂っているとそんな
ことを唐突に言われてアグリアスはちょっと驚いた。
「髪、ですか」
「うん。女性にしては短いでしょう、アグリアスって」
実際アグリアスは金髪をショートカットで纏め、飾り気無く流している。長身と相まって後ろから見れば男性
と間違えられてしまうかもしれない。
もっとも前から見ればそのようなことはありえないが。アグリアスの美しく整った顔立ちと切れ長の目は一種
神秘的な美しさがある。
アグリアスは半年の間ずっとこの髪型で通した。
「長い髪は剣を振るうのに邪魔になることはあっても利は一つもありません。ですからこのように短くして・・・・」
「駄目!」
コーデリアがその小さな体のどこから発しているのだろうと思うほどに大きな声を出した。アグリアスはびっ
くりして身をすくめた。
それからコーデリアはふう、と息を吐いて穏やかに言った。
「ねえ、アグリアスは結婚しているの?」
アグリアスは思わず噴出し、
「いえ、とんでもない!」
と慌てて答えた。
「あら、そうなの? じゃあ恋人は?」


「わ、私は剣を振るうことに励んでおりますゆえそういった色恋沙汰に関わっている暇はございません!」
「でも好きな男性くらいは」
「そのような者は私には今まで一人としておりません!」
必死に言った弁解だったが、コーデリアは突然顔を暗くして、
「そう、なの」
と言った。
コーデリア様?」
アグリアスは突然様子が変わったコーデリアを不思議に思い尋ねと、
「ごめんなさいアグリアス、今日はもう引き取ってもらえる?」
ベッドに横になりながらコーデリアが思いもよらぬ返事をした。
「えっ? お、お加減が悪いのですか? それでしたら直ぐに侍医を」
「そうじゃないの。少し、そう眠くなったの。本当にごめんなさい」
コーデリアの答えは納得させうるものでは無かったが、
「はっ、分かりました」
アグリアスはそう言って二人分の昼食をトレーに乗せて退室した。
扉が閉まるとコーデリアは一つため息をついて呟いた。
「ごめんなさいアグリアス。あなたが悪い訳じゃないのだけれど」


その翌日、コーデリアの容態は急変した。



その夜もアグリアスコーデリアの傍で彼女の容態を見守っていた。
コーデリアの病が悪化して以降、ミュラー伯爵は時間を見ては彼女を見舞ったが、リーゼリッテ夫人は一人自室に篭る
時間のほうが増えた。しかし彼女の弱さを誰が責める事が出来るだろうか。
「星が綺麗ねアグリアス
コーデリアは窓から夜空を見上げて囁く様に言った。
「そうですねコーデリア様」
コーデリアは日に日に目に見えて衰弱していった。肌は今や透き通るかの如くまで色を失い、髪も心なしか色あせて見える。
それでも彼女の美しさは変わらず、しかしそれだけにアグリアスには辛かった。
コーデリアは窓の外に向けていた目をアグリアスに向け、少し微笑んで口を開いた。
アグリアス、私あなたに言っておきたいことがあるの」
コーデリアが少し上体を起こしたのでアグリアスは慌てて手を貸そうとしたが、コーデリアは軽く首を振った。
ベッドの背もたれに寄りかかったコーデリアはそれだけでも疲れてしまい、少し息をついてからアグリアスの方を向く。
「私ね、アグリアス。あなたが羨ましかったの。美人で、正直者で、真面目で、そして健康なあなたが」
コーデリア様・・・・」
「私、好きな人がいるの」
「・・・・・・・・」
アグリアスはどう答えていいか分からず若干下を向く。コーデリアは特に気にすることなく続けた。
「見たことがあるかしら?ベオルブ家の三男なのだけれど」
「いえ、ザルバック殿は先日お見かけしましたが・・・・」
ザルバック・ベオルブ。ミュラー同様先の大戦で武勲を立てた聖騎士の名を冠する猛将。威風堂々としたその風貌は流石に名将を
輩出する武門の棟梁、ベオルブの家の人間とアグリアスは納得したものだった。
「ふふ、じゃあ見たらきっと驚くわ」
「?」
「だってちっとも似てないんですもの。」
「あっ、確かお母様が違うということで」
「うーん、それもあるかもしれないけれど。でも何て言うのかしら?もっとこう、そう、ベオルブの人間らしくないのね」
そう言われてもアグリアスはいまいち想像できず、アグリアスは首を捻る。コーデリアは可笑しげに笑った。


「外見が女の子みたいなの」
「は!?」
あまりに予想外の答えにアグリアスは大口を開けて驚いた。女の子?
「しかもとっても可愛いのよ」
アグリアスは今や混乱し、頭の中ではいろんな想像が渦を巻き、時に女装したザルバックの姿がちらついたりもした。
「ふふっ、驚くでしょう?」
「そ、それは」
驚く。いくらなんでも女の子とは。そんな人間が武門の棟梁、ベオルブの人間というのはアグリアスの中では結びつか
なかった。
そんな考えが顔に出たのかコーデリアはクスクスと笑ったが、少し笑顔を残したまま遠い目で言葉を紡ぐ。
「でもね、あの人はやっぱりベオルブの人間なの。女の子みたいでも芯がとても強くて、正義感に溢れていて」
「・・・・・・・・」
「だからこそ苦悩する時はきっと来る。自分の正義が守れなくなった時、あの人はきっと苦しむわ。私はねアグリアス
 その時にあの人のそばにいたい、あの人を支えてあげたいの。」
それがコーデリアの心からの願いだということはアグリアスには痛いほどに伝わった。
「でもね、無理なの。それは絶対に叶わない」
コーデリアの目は今や悲しげに濡れている。
「どうして・・・・ですか・・・・?」
アグリアスは分かっていても聞かずには居られない。沈黙が耐え難かった。コーデリアは少し笑って言う。
「あなたは分かっているはずよ、アグリアス
「・・・・・・・・」
アグリアスは何も答えることは出来なかった。


「だからあなたが羨ましい。あなたは好きな人とずっと一緒にいることが出来る、支えることが出来るから。」
そこでコーデリアは目を細めてアグリアスに笑いかける。アグリアスはもう彼女の顔を見ていられず床に目を落とした。
「この前のこと覚えてる? あなたは剣に生きると言ったでしょう。あの時、私とても怒っていたの。健康な体を持って
 いるのに好きな人を作ろうともしていないあなたに。私が望んでも叶わないことを出来るのに、あなたは自らそれを放棄
 しているから」
「・・・・・・・・」
それはアグリアスにとって生涯で最も辛い時間だった。気付かぬ内に彼女を傷つけた軽率。救うことも出来ない無力。
ほのかな恋も叶えてやれぬ愚鈍。アグリアスはいまや悔しさから涙を目に浮かべていた。
「こんなこと考えるなんて、私悪い子ね。だからなのかしら? 神様が私を幸せに導いてくれないのは」
コーデリアの声もまた今や震えていた。シーツを掴む手に力が入る。
「そんなこと!」
アグリアスは涙声で叫ぶ。彼女の自嘲をとても黙って聞いてられなかった。
アグリアス、私、悪い子? だから死んじゃうの? だからあの人と一緒にいられないの?」
涙が一滴、コーデリアの頬を伝った。
コーデリア様!」
アグリアスコーデリアを抱きしめた。アグリアスは今や涙で顔をグシャグシャにしていた。コーデリアアグリアスに抱き
しめられたことで感情が溢れ、アグリアスの胸で泣いた。
アグリアス! 死にたくない、死にたくないよ! 私やりたいこと一杯あるよ? 好きな物を一杯食べたい! いろんな所に
 行ってみたい! ラムザとずっと、ずっと一緒にいたい! 私、何一つやってないよ!」
コーデリア様・・・・・・!」
「もっと、生きていたい・・・・」
静かな夜、二人はお互いを涙で濡らした。


そしてその日が訪れる。
「今晩一杯でしょう・・・・」
「そう、ですか」
侍女長が医師の言葉に沈痛な顔で答えるとアグリアスが悲痛な声を上げて医師に詰め寄る。
「どうしても!どうしても駄目なのですか!?」
アグリアスさん・・・・」
侍女長が悲しげに顔を歪ませアグリアスの肩に手を置く。医師もまた同じように顔で首を振る。
「申し訳ありません、ですが薬も魔法も効かないのです。後は奇跡を信じるしか・・・・」
「そんな・・・・」
アグリアスは下を俯き、悔しげに唇をかんで涙を零す。後ろに控える侍女たちも顔に手を当てて泣いている。
そんな中コーデリアの部屋の扉が開き、ミュラーが姿を現した。部屋に入る前よりは少し元気そうに見えたが、それも娘を思って
の事だと誰の目にも明らかだった。
アグリアス君」
ミュラーは努めていつも通りに声を出した。
「はっ・・・・」
コーデリアが君と話したいそうだ」
「はい」
アグリアスは涙を拭う。コーデリアを不安にさせたくなかったから。


コーデリア様、お加減のほうは?」
アグリアスは微笑みを浮かべてコーデリアを気遣う。コーデリアもまた微笑んでそれに応えた。
「ええ、少し楽になったわ」
実際コーデリアは暗い影が落ちたような少し晴れやかな顔をしている。しかしそれは死を迎える人間の最期の輝きだ。
今、コーデリアは生涯で最も美しい。アグリアスはそう思った。
「そうですか。でもまだ気は抜けませんからね、しっかり食べて力をつけないと。病は気で吹き飛ぶものです」
「ふふっ。アグリアスが居てくれると力強いわ。病気のほうがアグリアスを怖がって逃げていきそう」
「うん、アグリアス君はいつも壮健だからね。彼女が居る限りはコーデリアは安心だ」
ミュラーコーデリアに続いて笑いながら言った。アグリアスはニコッと笑い胸を叩く。
「お任せください。このアグリアス、全身全霊でお守りいたします」
コーデリアはクスクス笑った。透明な手が嫌に目に付く。
「じゃあ、折角だから何かいただくわ。アグリアス、エミリーに何かお願いして来てくれる?」
「何が食べたい?コーデリア、今日は久しぶりに私が作るわ」
コーデリアのお願いにリーゼリッテ夫人が応えた。コーデリアは目を輝かして、
「まあ、お母様の手料理ですか?それは楽しみですわ。お母様の手料理なら何でも結構です」
そう応えた。
「分かったわ。じゃあ腕によりをかけて作るから少しだけ待っててね。アグリアスさん」
「はい」
リーゼロッテはアグリアスに微笑みかけ、しかし目だけはいつもよりも悲しげに、
「よろしくお願いいたしますね」
そう言った。
「お任せください」


リーゼロッテが出て行った後、三人はしばし談笑した。他愛の無い話だったが貴重な時間だった。
アグリアス
しばらしてコーデリアアグリアスを呼んだ。
「なんでしょう、コーデリア様?」
「私、少し喉が渇いたわ。お水を頂戴」
「分かりました」
アグリアスは枕元に置いてある水差しを手に取る。
「あっ、切れてしまってますね。少しお待ちください。汲んで来ますから」
「いいよ、アグリアス君。私が汲んで来る」
アグリアスが出ようとするとミュラーが立ち上がってそう言った。
「はっ、しかし・・・・」
アグリアスは少し躊躇したが、ミュラー
「なに、直ぐ戻るよ。その間コーデリアを頼むよ」
そういうとアグリアスの手から水差しを受け取る。その目がアグリアスの中でリーゼロッテと重なった。
「分かりました。お任せください」
アグリアスはそう応えざるを得なかった。


部屋にはアグリアスコーデリアの二人きり。娘の最期を見取るのが辛いのだろうか、とアグリアスは知らず歯噛みをした。
アグリアスが思っているのとは少し違うわ、きっと」
コーデリアは天井を見つめたまま口を開いた。
コーデリア様?」
「お父様もお母様も最期に自分の手で私に何かしたいだけ。自分は精一杯やったと自分を弁護したいのよ」
「最期などと言わないでくださいコーデリア様・・・・」
コーデリアアグリアスにはかまわず続ける。
「もちろん二人とも本当に私の面倒を良く見てくれたわ。でも結局私を救うことが出来なかった。だから最期まで力を尽くした
 という証拠が欲しいのね」
そこで少し間を置き、コーデリアアグリアスに微笑みかけて続ける。
「でも実を言うとホッとしているの。お母様は気弱だしお父様もああ見えて脆い人だから、きっと最期は取り乱してしまう。
 私、二人のそんな姿は見たくないの。お父様とお母様はいつも気高くあってもらいたいもの」
コーデリアの答えにアグリアスは聞かざるを得ない。
「私なら・・・・大丈夫ですか?」
コーデリアは少しだけ睨むようにキッとアグリアスを見、
アグリアス。あなたが剣の道を歩むならきっとこの先親しい人の死に目に一杯遭うわ。そんなあなたが私一人に取り乱すよう
 では駄目」
そう諭し、そして目をジッと見つめるながら、
「剣の道を歩むならこのまま居て。普通の生涯を歩むなら二人を呼んできて」
静かに、しかしはっきりと言った。
アグリアスはしばし躊躇ったが、くっと歯を噛んで弱音を振り払った。
コーデリアはそれを見て嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうアグリアス。もしあなたが二人を呼びに行っていたら私、あなたを軽蔑していたわ。そう、あなたは強くあって欲
 しい。私の分までね」
そう言ってコーデリアは再び天井を向き枕に頭を預けた。


「ねえアグリアス。今でも恋をする気は無い?」
コーデリアの質問にアグリアスはゆっくりと考えて答える。
「・・・・正直なところ分かりません。今の私は剣一筋ですが、実はそういった相手に巡り会わなかっただけかも知れません。もしも
 剣より好きな人が出来たら私も・・・・」
コーデリアは目を瞑って微笑む。
「それだけ聞けたら十分ね。きっとアグリアスには素敵な人が見付かるわ」
「そうでしょうか・・・・」
「そうよ。あっ、アグリアスだったらいいかな? あの人を任せても。うん、きっと大丈夫」
コーデリアはクスクス笑って一人で納得した。
「?」
アグリアスはさっぱり分からないと不審な顔をした。
「一人心当たりがあるわ。でも教えない。こう見えて私は嫉妬深いんだから。ふふっ、恋がしたくなったら自分で探してね」
アグリアスは苦笑いをせざるを得なかった。そして軽く首を振り呟く。
「しかし、やはり自信がありません私に恋などは・・・・」
「もう、アグリアスったら変なところで気弱なんだから!」
コーデリアはガバッと起き上がり、慌てるアグリアスに自分の髪を結んでいた白いリボンを解いて渡した。
「これをあげるわね。私の一番のお気に入り。好きな人が出来たらそれを付けてね。あと、髪は伸ばしなさい。その方が似合うわ、
 リボンもアグリアスも」
アグリアスはリボンを手に取りって頷き、キュッと胸に抱いた。アグリアスの態度にコーデリアは満足して、ゆっくりとベッドに
身を沈めた。
そして、
「大丈夫よアグリアス、私が見守っていてあげるから」
コーデリアは微笑んでそう言い、そして静かに目を閉じた。
そうして、少女は時を刻むのを止めた。
それは静かで美しい、さながら一枚の名画の如く。
アグリアスはうな垂れ、口を真一文字に引き結んだ。口を開くと感情が爆発する事を知っているから。
泣き顔は見せられない。少女に誓ったから。強くある、と。
コツコツと、ミュラー伯爵が廊下を歩く音がやけに高く響いた。


コーデリアの死後間も無く、アグリアスはアトカーシャ王家に仕えることになった。
ミュラーの推薦が無ければ如何に優秀なアグリアスといえどそう簡単には王家に仕えることなど出来なかっただろう。
ミュラーコーデリアの死後無口になった。アグリアスに話しかけてくることも無くなり、アグリアスが見ていた限りでは仕事の
話以外では相槌しか打たなくなった。そしてどうやらワインを嗜む時間が増えたようだった。
もしかしたらそれがミュラー本来の姿なのかも知れない。病弱の娘の為に明るく振舞っていただけかも知れない。だが所詮は想像
の域を出ない。
奥方は完全に姿を見せなくなった。部屋に引きこもってしまったようだった。退任の挨拶にも姿を見せなかった。
心残りではあったが結局転属の形で立ち入ることを拒絶されたアグリアスにはもはや何も出来ない。
ずっと一緒だったアグリアスの顔を見ると、どうしてもコーデリアを思い出してしまうのだろう。
二人はそれに耐えられなかった。コーデリアの言った通り、脆い人たちだったのだ。
アグリアスコーデリアの死後、髪を伸ばすようになったまだ肩ほどしか無いがいずれはコーデリアのように長くしようと思って
いた。
白いリボンは子袋に入れて肌身離さず持ち歩いている。そうすればずっと一緒に居られる気がしたから。
「隊長、修道院が見えてきました」
先を行く部下のラヴィアンが言う。
「はあ〜、やっと着きましたね〜隊長」
彼女の十年来の相棒アリシアが間延びした声で言う。
「そうだな、少々長かった。しかし到着してもだらけてはいかんぞ」
アグリアスがそう言うと、アリシアは「ああ〜」と納得したように手を叩き、
「家に着くまでが修学旅行みたいなもんですね〜」
アリシア・・・・・・」
ラヴィアンが頭痛を堪えるように頭に手をやった。


「よくおいでなさいましたアグリアス殿、アリシア殿、ラヴィアン殿。早速オヴェリア様にお引き会わせいたしましょう」
シモンはそう言うと奥に導く。三人は汚れた防具を外して一箇所に纏め、剣だけは携えて奥に進んだ。
「オヴェリア様、失礼します」
「はい」
美しく透き通った声のあと、豪華な衣装に身を包んだ少女が現れた。
背格好年齢もさることながら、気品のある顔がどこかコーデリアに似ているとアグリアスは思った。
オヴェリアは跪くアグリアスの前に立つとスカートを軽く広げて膝を曲げ、
「オヴェリア・アトカーシャです。よろしくお願いいたしますわね、アグリアス
と挨拶をした。
アグリアスオークスでございます。この剣に懸けてあなたをお守りいたします」
剣を押し抱いてアグリアスは誓う。今度こそ守り抜いてみせると。
自分が守ることのできなかったコーデリアの代わりなのかも知れない。オヴェリアにコーデリアの影を重ねているだけかもしれ
ない。
それでも。
剣に生きると誓った身なれば主は護り抜いてみせる。
彼女が恋をし、その思いを遂げることが出来る日までは。
コーデリアが出来なかったことを成し遂げるまでは。
(私の出番が在るなら、恐らくその後、かな?)
アグリアスは静かに微笑む。彼女が笑った気がしたから。
その意味を知るものは誰も居ない。
アグリアスは服の上から胸に仕舞った白いリボンを軽く握った。
剣とリボンに懸けた誓い。
剣の誓いは終に守られることは無かったが、リボンの誓いは・・・・・・。




 終