氏作。Part17スレより。


 とんとん。


「どなたか」
 アグリアスが見向きもせず無愛想に答えると、なんの挨拶もなしにドアが開いた。
「はぁい」
 とある宿屋の一室。酒も入り夜もふけて、いよいよ就寝だというそのときに、自分の部屋に現れた思わぬ珍客。
冷静を装うアグリアスだったが、その彼女の頭では今しきりにハテナマークが生産されている。
「…いかがしました、レーゼ殿」
 そんなアグリアスの意を解さず──いや、十分解しているのかもしれないけれど──、レーゼは自分の部屋で
あるかのようにごくごく自然に部屋に入り、そして寝る支度を始めながらアグリアスに微笑んだ。
「今日はよろしくね、アグリアス
「…は?」
 意味がわからない。
 鎧を外しかけてそのまま停止しているアグリアスに、レーゼはほんのちょっぴりあきれた素振りを見せる。
「どうしたのアグリアス。なんか変なことでもあったのかしら?」
「いえ! 決してそのようなことは」
「あら、そんなにかしこまらなくていいのよ?」
 顔が固まっているアグリアスを見て、ころころと笑うレーゼ。アグリアスはただただ戸惑うだけであった。




 ほんの少し前の出来事だ。
「部屋割りを変えて欲しい?」
「ああ」
 怪訝そうな顔をしながらぽりぽりと頭をかくラムザに相対するのはベイオウーフである。
「僕は、ベイオウーフさんとレーゼさんはご一緒のほうがいいと思うんですけど」
「そりゃ勿論さ。俺は一時たりともレーゼの元を離れたくないと思ってるよ」
 臆面も無くのたまうベイオウーフ。その横からレーゼが顔を出す。
「でもねラムザ君、私は『友達』も欲しいのよ?」
「そういうこと。俺も伯からいろいろ面白い話を聞けたからね」
 そう言われると、確かに就寝寸前になって会話が弾むときも多い。
 ラムザがふと思い出す。ムスタディオは寝言が面白いんだっけ。で、そこにマラークがいると、
その寝言ですぐ目が覚めて眠れないって言ってたな。眠りが浅いらしいけど…あれは職業病っていうのかな?
「うーん…解りました、考えておきましょう」
「そう? ありがとう! それじゃ、希望ついでにもう一つ…」


「というわけで、今日は私と一緒なの」
「…いえ、何が『というわけで』なのか解りませんが」
 にこにこと微笑むレーゼに、アグリアスは表情が固まったまま聞こえるように呟いた。
 いつもなら三人部屋でアリシアとラヴィアンと寝ている筈なのだが、そういえばここは二人部屋。
違和感を感じなかったのはいつもよりも酒が入っていたせいだろうか? 確かに隣に座ったベイオウーフに、
随分酒を勧められた気もするが…。
「もう、そんな怖い顔しないの! 幾らドラゴンだったからって取って食べようとか考えてないから、ね?」
「え、ええ…」
 そんなレーゼのジョークにもアグリアスの表情は硬いままだった。



 正直なところ、アグリアスはレーゼが苦手である。
 こういった日常会話において、常日頃から真面目一直線のアグリアスは、レーゼやラファのような柔軟とも
奔放とも言える性格の二人からなかなかイニシアチブを奪えない立場におり、結果いつもからかわれているのだ。
それでも、ラファの場合は年下であるがゆえに一喝すれば大人しくなってくれるが、レーゼに対しては
そうはいかない。出来ないわけではないのだろうが、そんなことをすればまるで顰蹙を起こした子供のように
思えて、アグリアスのプライドがそれを許せないのだ。


 そういった理由もあって神妙な面持ちを崩さないアグリアスに、レーゼは顔を近づける。
「どうしたの? 押し黙っちゃって」
「は! いえ! なんでもありません!」
 …カタい。なんだか良くわからないけど、緊張しているのかしら。それとも普通にガードが固いだけ?
「しょうがないわね…」
 しばらくの後、レーゼがあきれたように、はぁ、と軽く溜息をついて、くるりと後ろを向く。それを見た
アグリアスも、レーゼの好奇の瞳から解放されたような気がして、ほんの少しだけ安堵の溜息をついた。
密室に二人きり、この雰囲気は流石に気まずいといえばそのとおりだが、一夜限りのことだ。
早く寝てしまおう…そんなことを考えながら、アグリアスはレーゼに背を向けて服を脱ぎだした。
 しかし。




 ごとごとごと。


 レーゼとベッドのほうからなにやら物音がする。
 不審に思って振り返るアグリアスが目にしたのは、大きなベッドを軽々と持ち上げるレーゼの姿であった。
「…な、な、なっ!?」
 目を丸くするアグリアスを尻目に、ずん、とベッドをゆっくり置くレーゼ。二つ離れて置いてあったベッドは、
あっという間に大きなベッド一つに変わってしまった。
「ふう、結構重たかったわね、このベッド」
 そう満足そうに呟きながら、レーゼは鼻歌混じりにベッドメークをはじめている。
「あ、あの、レーゼ殿?」
 アグリアスが恐る恐るレーゼに話し掛ける。
「なあに?」
 にっこり微笑むレーゼに、アグリアスは返す言葉が見当たらない。別にレーゼが凄みを帯びた笑みを
浮かべているわけではない。本当に彼女は楽しそうなのだ。多分ここで彼女を責めたら、おもちゃを
取り上げられた子供のような顔をするに違いない。
「いえ、なんでもありません…」
「そう? いい子ね」
 ようやく観念したアグリアスに、レーゼが嬉しそうに微笑んだ。



「ねえ、アグリアス?」
「はい」
 部屋の明かりが消えた室内で、レーゼが囁いた。それにアグリアスは静かに答える。
「あなた、いつもそんな調子なの?」
「…昔からです。私にはこれが当たり前ですから」
 しばしの沈黙。
「レーゼ殿」
 今度は逆にアグリアスが呟いた。
「なに?」



「何故、今日は私と?」
 アグリアスが単刀直入に問う。さすがにレーゼもほんの少したじろいだ。
「駄目、かしら?」
「…いえ、そんなことは」
 アグリアスの声がわずかに上ずったように聞こえる。
「ただ…」
「ただ?」
「私と一緒に居ても面白くないだろうと思っただけです」
 寂しげな声。
「…どうして?」
 アグリアスは答えない。が、理由はいろいろある。おしゃべりが苦手だとか、そもそも共通の話題が無いとか、
あればあったでからかわれて終わるので話を出したくないとか…。いずれにしろ自分の社交性が問われるような
不名誉な答えしか思い浮かばない。
「話すのが…苦手なだけです」
 そして、それを誤魔化そうにも不器用ときている。ようやく出した答えの無遠慮さに、アグリアスは顔をそむけた。
「レーゼ殿…私はおかしいでしょうか?」
 暫くの沈黙の後、アグリアスはレーゼの方に向き直り、言葉を続ける。
「私は、騎士を志したときから騎士たるべく、剣に全てを捧げてきました。それでその他の全てを犠牲にした
つもりもありません。弱者を守るため、悪を退けるため、それは当然のことだと思っていました。私は、
今の私自身に後悔していません。今こうしてあの化物たちと対峙できるのも、今までの私があるからこそ…」
 レーゼは黙って耳を傾けた。
「かつての同僚や知り合いの女性は、ことあるごとにやれ誰の顔がいいだの、やれ誰と誰が付き合っているだの…
どうでもいい他人の外見や噂話や色恋沙汰に夢中でした。そして、それらが解らない私を、彼女らは哀れだとか、
それじゃ駄目だとか言うのです。
 …私には理解できませんでした。騎士でも魔術士でも、そんな浮ついた気持ちで、戦場で力を振るうことが
出来るのか…? そう疑問を持ってしまった私は、彼女らとは疎遠になりました。風の噂に聞けば、
その同僚の多くは騎士以外の職に就き、剣を振るう術など必要の無い生活を送っているそうです…」



 そこまで言い終えてアグリアスは、レーゼを見据えて、そして意を決したように次の言葉を紡いだ。
「無礼を承知で申し上げますが、私はレーゼ殿は戦場に不向きだと思っています。おこがましいのは存じて
おりますが、この戦いは、いや、戦うのは民を守るべき立場にある私の役目。レーゼ殿は、ベイオウーフ殿と
ともに隊を離れて暮らすのが一番ではないでしょうか」
 真剣なアグリアスの眼差しを受けながら、少しの沈黙の後、レーゼは静かに語りだした。
「…あなたは私たちの身を案じて言ってくれたんだろうけど…その言葉通りにしたとしても、きっと私たちは
みんなのことが心配で、逆に悩んで、迷って、困ってしまうと思うわ」
「し、しかし、折角元の姿に戻れたというのですから、これ以上危険な目にあわせるわけには…」
「折角元の姿に戻れたのに、お礼の一つもさせずに、はいさよなら、なの?」
「いえ、ですが…」
「もうっ!」
 申し訳なさそうに押し問答を繰り返すアグリアスについにこらえきれなくなったのか、レーゼが頬を膨らませ、掴みかからんとする勢いでアグリアスの毛布の中にずんずんと入り込んだ。戸惑うアグリアスが気付いた
ときには既に自分の鼻先にまで顔が近づいている。
「いい? アグリアス?」
 レーゼの語気と鼻息が明らかに荒い。普段怒った顔を見せたことのないレーゼだけに、アグリアスは思わず
尻込みする。
「……は、はい」
「まず! 誰が戦わなくちゃいけないとか、そういうことはあなたが決めるべきじゃないと思うんだけど?」
「う…っ」
 確かに、部隊の取りまとめをしているのはアグリアスではなく、ラムザである。
「それに、そんなに私って弱かったかしら?」
 レーゼは悪戯っぽくにやりと笑うと、ふうっとアグリアスの首筋に、ほんのちょっとだけ冷気のこもった
息を吹きかける。



「ひぃ…っ!?」
 必要以上にうろたえるアグリアス。ごくごく弱い加減したアイスブレスだが、戦場でその真の威力を知り、
そして剣も無ければ鎧も盾も無い、これ以上無いほどの無防備な今のアグリアスにとっては、まさしく
身が凍るかと思うほどの恐怖だったであろう。必死に身をよじっても、レーゼの細い指がアグリアスの両腕を
しっかりと掴んでびくともしない。
「戦争じゃ、騎士も平民も関係ないわ。あなたは良く知ってるはずよ」
 レーゼは再び語り始める。
アグリアス、確かにあなたは騎士だけど、なんだかそれを理由になんでもかんでも自分ひとりで全部
背負い込もうとしてるように見えるわ。まるでひとりで戦ってるみたい…あなたは苦しくないの?」
 真剣な、そしてどこか寂しげな眼差しでアグリアスを見つめるレーゼ。気が付けば、レーゼの手はアグリアス
手を握っていた。
 呪いをかけられてから、ずっと孤独と戦ってきた彼女。誰かを頼ることも出来ず、たとえ恋人に出会えたと
しても、聖石がなければ元に戻れたかすらわからなかった彼女。今思えば、こうして彼女がいることは
奇跡である。
「そうですね…私も、私だけの力で戦ってきたわけじゃなかった」
 長い沈黙の後、アグリアスが呟く。
「まさか私が心配されているなんて、思いもしませんでした」
 そう言うアグリアスの顔には、緊張が解けたのか、優しい笑みがこぼれていた。
「そうそう、たまには肩の力を抜いて、実の姉だと思って私に甘えてもいいのよ?」
「フフ…、ありがとうございます、姉上…」
 その言葉に嬉しくなったレーゼがアグリアスを抱き寄せると、彼女はいつのまにかすうすうと寝息を立てていた。
レーゼは、いとおしそうにアグリアスの頭の撫でて、自らも静かに瞳を閉じた。





 かちゃりかちゃり、と金具のぶつかる音。
 窓の外には朝日が昇り、その光はアグリアスの鎧に乱反射して、部屋の中をきらきらと輝かせる。
「ん…アグリアス、起きてたの?」
「おはようございます、レーゼ殿」
 堅苦しいいつものアグリアス。けれど、今朝はほんの少しだけ雰囲気が違う。
「あら、もう姉上って呼んでくれないの?」
「ほどほどにしませんと義兄上にやきもちを焼かれかねません」
「大丈夫よ、ちょっとくらい見せ付けてもあの人は変わらないわ」
「だと良いのですが」
 そう言って二人はくすくすと笑いあった。
 やがてレーゼが着替え終えると、とんとんとん、と不意にドアがノックされる。
「はーい?」
アグリアスさん、レーゼさん、おはようございます。朝食の準備が出来ましたよ」
 声の主はラムザだった。
「わかった、すぐ向かう」
「…ねえ、アグリアス?」
 レーゼが、アグリアスの耳元で囁く。
「…はい?」
「また、おままごとしましょうね?」
 ウインクするレーゼに、アグリアスが小さく微笑んだ。


 部屋の外ではラムザとベイオウーフが、揃って二人を出迎えた。
「じゃ、行きましょうか?」
「楽しそうだねレーゼ。なにかいいことがあったのかい?」
「秘密よ、ね、アグリアス?」
「ええ、秘密です」



 とんとんと遠ざかる足音と笑い声。
 部屋に残ったのは、微かに香る爽やかなシャンタージュの香りだった。