氏作。Part16スレより。


「奪う女」


私はルザリアの街を歩いていた。相次ぐ激戦で私の剣は刃こぼれを起こし続け、
もはやいつへし折れてもおかしくない状態だったのだ。剣を鍛えなおす必要があった。
私は剣を刀鍛冶屋に預け、別段目的も無くぶらぶらと街を歩いていた。
仲間の疲労はピークに達し、コンディションを整える為にラムザは一週間の自由休暇を
仲間達に与えた。今頃、他の仲間達もこの街のどこかで遊んでいるはずである。
「…ここにするか」適当な酒場に入ってカウンターに座り、安い酒を飲む。
飲むのは安酒でも、普段野宿続きのアグリアスにとっては、この酒と今の平穏は格別に感じられた。
「隣、いいかしら? 空いてる席が他にないものでね」誰かがアグリアスの隣に座ろうとする。
「え…? ああ、別に構わんが…」特に気にも留める様子も無く受け入れるアグリアス
「お久しぶりね。お仲間は元気かしら?」平坦な声で問いかける女。
「(この女…私を知っているのか…?)」何気なく横に目を遣るアグリアス。その瞬間、彼女に戦慄が走る。
リオファネス城の屋上、エルムドア侯爵との戦いのときに傍にいた暗殺者達の片割れだ。
二本の忍刀を駆使し、月明かりで出来た影を縫いつけて動きを封じ、一瞬で対象を戦闘不能
おとしめる異国の技を使う冷徹な殺し屋。あの時の恐怖は今でもはっきりと思い出せる。
弾かれたように席を飛び出すアグリアス
「何をしにきた! エルムドアの命で私を消しに来たのか!?」客の視線が一斉に彼女に注がれる。
武器は鍛冶屋に預けて持っていない。剣を持っていない剣士など、本来の実力を発揮できようはずがない。
だからといって背を向けて逃げればその隙を突かれて殺されるだろう。
いきり立つアグリアスに対して、暗殺者は少しも動じず、ただ悠然とグラスを傾けるだけ。
「静かになさい。みんなの迷惑だわ」そう言うだけで何の動きもとらない。こうなると逆に不気味だ。


何を考えているのか理解できず、警戒の構えを解けないアグリアス
「安心なさい。別に今あなたとやるつもりはないから」 …本気か嘘か判断がつかない。
「大体殺す気なら声を掛ける前にいくらでもチャンスがあったわ。私はここにお酒を飲みに来た。
ただそれだけよ」 …一応彼女の言うことは筋が通っている。
「私の所属する組織の命令でエルムドア侯爵の護衛をしていたけど、私は
 別段彼に忠誠心があるわけじゃないわ。ただ仕事だからあなた達と戦っただけ。
 私、仕事とプライベートは切り離して考えてるの」
「…本当に戦いを始めるつもりはないんだな…?」確認を取るアグリアス
「…見たところ。自慢の剣を持っていないようだけど? それでもあなたは戦いたいの?」
痛いところを突く女だ。くっ、と小さな声を漏らし、隣に座りなおすアグリアス
このまま立ち去っても良かったのだが、彼女がここに現れた目的を聞かないことには始まらない。
「…目的は何だ?」低く抑えた声で問うアグリアス。暗殺者は興味の無い目で彼女を見ずに答える。
「だから言ったでしょう? ただここにお酒を飲みに来ただけだって。報復なんてせこい事は考えてないわ。
仕事の最中につけられた傷は自分の責任だもの。こちらも相手を殺すつもりなんだから、
こちらが殺されても文句は言えないわ」淡々と話し、グラスを傾ける。
彼女の名はセリア。ある暗殺組織に所属している殺し屋だという。今は仕事が無くフリーなので、
休暇を取って街をぶらぶらとしているらしい。
「別にあなたとあなたの仲間をどうしようというつもりも無いから安心なさい。
私、ただ働きはしない主義だから」そう言って緊張するアグリアスをよそにただ酒を飲み進めるセリア。
アグリアスの隣に座ったのも、本当に席が空いていなかったからたまたま空いていたアグリアス
隣に腰をかけただけだそうだ。他に空いてる席があれば、アグリアスを無視して座るつもりだったという。
仮にアグリアスに見つかって戦いになったとしても、セリアは余裕で逃げ切るだろう。
セリアはそれだけの俊敏さは持っているのだから。
…別段、二人の間に会話らしい会話は無かった。セリアはアグリアスに全く興味を持っていなかったし、
アグリアスは一度刃を交えた相手と親しげに世間話をするようなくだけた女ではなかったからだ。


セリアを更生させるような説教話もする気にはなれない。アグリアスは騎士で
セリアは殺し屋。どちらも仕事で人を殺める似たもの同士である。非難はできない。
ただ黙って酒を進める二人。セリアは一向に酔った気配を見せず、ただ虚ろな目で
壁を眺めているだけである。一方アグリアスは酔いが回っていた。
隣のセリアにふと目を遣る。彼女は人を殺すことを生業としているというのに
顔立ちは整って仕草にはどこか品が漂う。胸は大きく、腰も引き締まって文句の無い
プロポーションだ。総じて言って美人端麗といったところである。しかし当の本人は
そんなことを誇る様子も無くぼうとした表情で酒をただ飲み進めるだけである。
こんな華奢な体躯でアグリアス達を恐怖に陥れたとは信じがたい。
…正直言って、タイマンで勝てる相手ではないとアグリアスは思った。
彼女の操る暗殺術の威力は筆舌にしがたいものである。
実力はアグリアスよりも上。そのことは受け入れるしかなかった。
――私は。武に生き、主君を護る為に今まで剣に生きてきた身だ。来る日も来る日も
剣術の稽古。結果、色恋沙汰とは無縁となって今に至る。聖剣技の使い手アグリアスの名は
それなりに上がったが、もはや私には恋愛をすることなど不可能に思える。
年頃の女が当然備えるべき「女らしさ」が主観的にも客観的に見ても全く欠如している。
しかし、それでも仕方ないと思っていた。何かを極めるということは、他の高める要素を切り捨てること。
剣に生きる以上、女らしさが失われるのは仕方ないと思った。
……しかし。この隣に座るセリアは…実力はアグリアスを凌ぎつつ女らしさと色気は人並み以上である。
――何なのだこの差は。先ほどからセリアの隣に座ろうと男達が次々に押しかける。
セリアは素っ気ない態度で断り続けている。…私には誰の声もかからない。
(顔やプロポーションではアグリアスもセリアに引けをとらないのだが、両者の着ているものが
アグリアスは鎧、セリアは露出度の高い民族衣装のようなもの、ということが原因の一つでもあるのだが)
リオファネス城屋上でのある光景がアグリアスの脳裏に蘇る。
戦況は押されている。暗殺者の二人組みが屋上を、まるで蜘蛛のように縦横無尽に奔走し、


訳の分からない術を仕掛けては仲間が大怪我を負わされる。それに加えてエルムドアの刀魂放気による
猛攻。もはや一瞬の油断も許されない状況だった。しかしそんな中、ラムザ
暗殺者の片割れ(セリア)の色仕掛けにあっさり誘惑されて仲間に引き込まれてしまったのだ。
私がいくら大声で正気を取り戻すように叫んでも、ラムザの耳には届かなかった。
…私はあの時、戦況が更に悪化したことに対する焦りよりも、見ず知らずの女にラムザ
あっさりたぶらかされてしまった事のほうが悔しくてならなかった。そして私の声が彼に届かなかった事も。
彼女の地の色気か、特別な呪術でラムザが誘惑されたのかは判らない。
後者であることを願いたいが、アグリアスは「女」として敗北を喫した。
他にも、彼女の女らしさが欠けていることを示す場面が次々と脳裏に浮かんでくる。
……お世辞にも、アグリアスの誘惑(シーフのハートを盗む)の成功確率は高いとは言えない。
思い切って誘惑してみるアグリアスだが、大概の反応が「はぁ?」とか「ぷぷっ」といったもので、ろくに
上手くいったためしがない。それもそのはずだ。彼女の誘惑する決まり文句は
「戦況が悪いのだ。ぜひ貴公に見方になって貰いたい!」というものなのだから。
色気があって私より強いセリア。色気がなくてセリアより弱い私。現実をまざまざと見せ付けられて
一層私は落ち込んでしまう。酔いが回って感情がむき出しとなり、私は涙をこぼす。
「…どうして。どうしてお前はそんなにも女らしいのだ…。殺し屋のくせに…」誰に聞かせるのでもなく
自然と口から漏れてしまう愚痴。「さぁね」目線は変えずに素っ気なく答えるセリア。
酔いの勢いもあって、私は気がつくと心中を洗いざらいセリアにぶちまけてしまっていた。
何をどう言ったのかは思い出せないが、セリアは「そう」とか「へぇ」とかそんな返事ばかりしていたように思う。
言いたいことを言い終わってうなだれていると、セリアがさらさらと紙に何かを書いて、それをアグリアスによこす。
「そんなに女らしくなりたいのならここを訪ねるといいかもしれないわ。私の知り合いの演出家の住所よ」
酔いで赤くなった顔でぼうと紙を見つめるアグリアス。「フェイの紹介だと言えば取り合ってくれるはずだから」
「フェイ…?」セリアのはずでは?と思い、聞きなおすアグリアス


「セリアは組織でのコードネーム。表の世界では私はフェイで通っているのよ。
じゃあ私はそろそろ帰るわ」そう言って席を立つセリア。
「もし仕事でまたあなた達と戦うことになっても、手心や手加減はしないほうがいいわ。
私、仕事では一切妥協しないことにしているから」そう言い残して店を出るセリア。
アグリアスはセリアがよこした紙を片手にただ店の出口を眺め続けるだけであった。



翌日。アグリアスはセリアに教えて貰った住所の家にやってきていた。
女らしくなるための指南を受けに。ここで奮い立たなければもう彼女に後はなかった。
「し、失礼」意を決してドアをノックするアグリアス。程なくして中年の男性が
姿を現す。「あの、ここにラスという演出家の方はいらっしゃらないだろうか…?」
「私がそうだが…?」この中年の男性がラスだったのだ。自分がフェイ(セリア)の紹介で
やってきたことを告げると、ラスは快くアグリアスを室内に招いてくれた。
ここを尋ねて来たいきさつを顔を赤らめながら相談するアグリアス
大体の彼女の人間関係、素行、言動を把握したラスは内心熱い思いを感じずにはいられない。
言動や素行はがさつだが、アグリアスの内側からにじみ出る気品、覇気。そして美貌。
彼女は素晴らしい素質を持っている。その素質が言動や素行に邪魔されて埋まっているだけだ。
役者の新人の育成も兼ねているラスは、道端に転がっているダイヤモンドの原石を
偶然発見したような感覚を覚えた。磨けば光るものは、育成者の心をこの上なくくすぐるものである。
「…つまり。君は色仕掛けが全く通じないから、どうにかして色気を身につけたい、と言うんだな?」
「は、はい…。恥ずかしながら…」俯いてぼそっと答えるアグリアス
「いいだろう。私が見たところ、君はダイヤの原石だ。今はくすんでしまっているが、
その内側にはこの上ない輝きを秘めている!」声を大きくするラスに動揺するアグリアス
「まずはテストだ。今の君が出来る精一杯の「かわいい」と思う顔をしてみたまえ」
最早後戻りはできない状況になってしまった。仕方なく、ぎこちないながらも精一杯の笑顔を作る。
普段あまり笑わないアグリアスがにっこり笑った顔はかわいい。しかし、演出家の前では通用しない。


「ダメだダメだ!嫌々取り繕ったのが見え見えじゃないか!?」
的確な指摘に黙り込むしかないアグリアス。「はっきり言おう。君を根本的に女らしく
するのはもう無理だ」きっぱりと言い放つラス。「えっ…」小さな声を発するアグリアス
「君の何年にも渡って身に付いた振る舞いと言葉使いは今更消し去ることはできない。
うわべだけを女らしく取り繕ったところで、そんなものは贋作! いつかはボロが出るに
決まっているんだ」ショックを受けて呆然とするアグリアス
「しかし…。君のがさつさが、逆に強力な武器になってくれるんだ」
「どっ、どういうことですか先生!?」声を荒げてたずねるアグリアス
「男が女に惚れる際に重要なファクターを占めるもの。それが『意外性』だ。
普段素っ気ない娘がふとした場面で見せる意外な女らしさ、かわいらしさ。
男はこれに弱いのさ。主観ではなく、これはれっきとした科学的調査・統計に基づいた真実だ」
色恋沙汰には無縁なアグリアスは、ただ「はぁ…」とつぶやくことしか出来ない。
「そして、その意外性は普段の状態と特殊な状態との振り幅が大きければ大きいほどに
印象度・破壊力を増すんだ。君が周囲に与えているアグリアスという名の女の印象は
『堅い・がさつ』というものだろう? そんな堅くてがさつな君が私の指示通りにかわいらしく
振舞えば、さぞかし素晴らしい色仕掛けとなるに違いない」 …けなされてるのか褒められているのか
いまいち判らない…。しかし言っていることは筋が通っている。
「私が君に伝授しよう。究極の色気というものを!!」両手を使ってアグリアスの右手を強く握り締めるラス。
ラスの気迫・熱意にすっかりアグリアスもあてられてしまった。
私のような女が色気を…!? そんな期待に胸を膨らませ「よろしくお願いします!」と高らかに声を上げる。
――そうして特訓が始まった――。
「ばか者! 何度言えば分かるんだ! 首の角度は右斜め下45°! 指はももの前で組み合わせる! 肩をすぼめて!!」
「はいっ、先生!」


「右足と左足の位置はここ! この場所以外では効果はまるで発揮できないんだ!」
「分かりました、先生!」


「君が騎士で、恋愛に疎いながらも胸の内に秘めた抑えきれなくなった気持ちを懸命に告白するという
状況が最も大切なんだ! 告白する際はその意を相手に必ず伝えること!」
「はい、先生!」


「もっと目に情熱を! 顔に赤らみを! 君という存在の全てを賭けた壮大な駆け引きなんだよ!! これは!!」
「はいっ」


「上手くいくかどうか分からないことなどしてはいけないんだ。やるからにはある水準以上の勝算と高い
 成功確率を予め用意しておくことが重要なんだ。当たって砕けるんじゃない! 当たって相手を砕くんだ!
そう! 奪うんだ! 相手の心を奪うんだよっ! 告白の極意とは…告白とは…ううっ」
「せ、先生…? どうしたんですか? 泣いたりして…」
「私のことなどどうでもいい! 特訓を続けるぞ!」
「は、はいっ!」


「このフレーズはここに挿入しよう。そうしたほうが文章の整合性がとれる。ここは…カットだな。
あいまいで誤解を招きかねない表現だ。よし…この言葉は使えるぞ。ここにこうして代入して…」
「先生、ここはこうした方がいいと思います」


「先生…私、こんな恥ずかしいことできません…」
「何を言うんだ!? 見返してやるんだろう? 君を無視し続けた男達を!!」
「で、でも…」




特訓は一日十時間、四日にも及ぶ大変なものになった。


――特訓終了。朝日をラス邸の前で受けるアグリアスとラス。
「よく頑張った。よく耐えた。やはり私の目は曇っていなかった。
君は原石の研磨工程を経て、光輝く宝石に生まれ変わったのだ」
今まで厳しかったラスの労いの言葉に、思わず目頭が熱くなるアグリアス
「私の理想とする演技の型を忠実に体得し、ここにこうして立つ君を、私は誇りに思う」
「あっ、ありがとうございます…」辛かった四日間の思い出とラスの言葉がアグリアス
心に染み渡り、涙となって頬を伝う。
「自信を持て! 今の君なら勝てる!!」「はいっ」熱い握手を交わした後、アグリアスはラス邸を後にする。



何度も何度もラスに教わった事を頭の中で復習する。
完璧に上手くいった光景を想像し、士気を高めるとともに演技の型を確認し直す。
何も特別なことではない。幼少の頃よりずっと続けてきた剣のイメージトレーニングの要領である。
目の前には男の剣士。――決戦の時、来たる――。
男剣士に運は無かった。今眼前に立つのはその名も知れた聖騎士アグリアス
王家直属騎士団に属する彼女の顔と名は、剣の世界ではかなりの知名度を誇る。
曰く、戦の達人。曰く、百戦錬磨。曰く、神の遣わす処刑人。曰く、聖なる死神。
野盗に身を堕としているとはいえ、彼も剣士の端くれ。アグリアスの評判はかねがね聞いていた。
そんなとんでもない女騎士が、今剣を携えて自分を見据えている。
ただの噂だと自分を誤魔化すには、あまりに現実は非情だ。
女の剣の型、闘気、そして眼。全てが恐ろしい威圧感を放っている。
次の瞬間、瞬きする間に首が胴から飛んでいても何の不思議も無い。男は自分の不幸を呪い、死を覚悟した。
――次の瞬間、彼女は剣を捨てた――。
「!?」予想もしていなかった事態に戸惑う男剣士。しかも顔を赤らめて何やらもじもじとしている。
「(一体何だ!? これも剣の型の一つなのか…!?)」うかつに動けば何をされるか分からない。じっと様子をうかがう男剣士。
アグリアスと男剣士の様子を見ていたラムザ達は、アグリアスの異変に気がついた。
「(おい…アグリアスの様子がおかしくないか…?)」ラムザに耳打ちする侍・モトベ。
「(確かに…。何をするつもりだろう…?)」返すラムザ。傍でアグリアス達の様子を見るムスタディオとオルランドゥ



「あの…その…大切なお話があるんです…」
顔を俯け、とぎれとぎれ話すアグリアス。両手の指をももの前で組み、指をせわしなく動かす。
「あなたに…わたしの仲間になって欲しいんです…。いくらわたしが騎士だといっても
所詮わたしは女なんです…。男の人の力には敵いません。でも…あなたがいてくれれば
わたし、もっと頑張れると思うんです!」懸命に赤い顔で声を張り上げるアグリアス
「わたし…わたし…剣しか知らない馬鹿な女ですから…。お料理もできません。
お掃除も下手なんです。女の子らしいことなんてほとんどできません…」
ふるふると小刻みに震えて目じりに涙を浮かべるアグリアス
「でも…あなたが傍にいてくれれば…わたし、そういうこと頑張って覚えられると思うんです!
 剣だって…今まで以上に頑張ります! あなたを守ってあげたいから…」
まっすぐな瞳で男を見つめるアグリアス。自分の発言が恥ずかしくて顔を背けたい。
背けたくても懸命に目と目を合わせる。
「剣に生きる女が…こんなことを言うなんて…何てはしたなくて愚かなことだとは分かってます…!
でも…わたし、もう自分の気持ちに嘘つけません…」ぼろぼろと涙をこぼすアグリアス
「お願いします…! あなたを死なせたくありません…! 仲間になってくださいっ…」
精一杯言葉を搾り出すアグリアス。真っ赤な顔を俯けてただじっと応えを待つ。
「(再現度…89%といったところか。チッ、やはりリハーサルをあと30回ほど余分にしておくべきだった…。
 しかし…まぁ概ね成功と言って良いだろう)」顔には出さず、ほくそ笑むアグリアス
ただぽかんとした顔で眺めることしかできない男剣士。一方、ラムザ達は各々が驚愕と衝撃の渦の中にいた。
ラム 「(あれが…あれがアグリアスさん…!? 普段とは全くの別物じゃないか!? 一体何が起こった? 僕は
    夢でも見ているのか…!? しかしこれは…)」
ムス 「(あの騎士道精神の塊みたいだったがさつで堅いアグリアスが…。一体何がどうなってんだ!?
    頭でも打ったのか? …何なんだこの直接心を揺さぶられるような強烈な魅力は…)」
オル 「(見たところ…シーフの魅惑の術を使った様だが…。あの体勢、あの表情、あの台詞!
    全てが計算されつくしている。 安易に素肌を晒す性的で低俗な誘惑とは全く違う。
    あたかも初恋をした内気な少女が抑えきれなくなった恋心を懸命に告白するような
    愛の告白の一種の理想的な型を忠実に再現している。剣に生きる者が恋などできない…。
    分かる、分かるぞ! その考え、その気持ち! なんと甘美で胸がくすぐられる光景か…)」
モト 「(あの型、あの表情、あの台詞…決して一朝一夕で身に付くものではない。ましてや即興でなど
    不可能。一体何が…。…そうか! アグリアスめ、かの有名なルザリアの演出家ラス・デルセルトの元に
    通っていたな! あの動きと一連の台詞はラスの流儀に通じるものがある。そもそも彼のモットーは
    『予想は裏切り期待は裏切らない』。意外性を重視し、意外性の使い方、生かし方の上手さにおいて、
    古今東西彼の右に出るものはいないだろう。アグリアスのがさつさを逆手に取った戦法か。実に上手い。
    そもそもラスは師であったキース・グレイマンの思考・流儀を独自に改良、進化させ意外性を主軸とした…)」
アグリアスはただ黙って男の返事を待つ。しかしいくら待っても男は喋らない。
業を煮やして「あ、あの…?」と返事を促すアグリアス。男も何か言わなくてはならないと思ったのだろう。
当然のことを口にする。「いや…俺達、初対面でしょ…?」ボソッとつぶやく男剣士。
「(――しまった――)」そうなのである。ラスのアグリアスに伝授した「色仕掛け」とは、相手がアグリアスの言動・行動・性質を
予め知っていることを前提にし、彼女の意外な一面を垣間見せることによって落とす、というものであった。
アグリアス自身もラスに戦いで使う色仕掛けを教えて欲しい、などとは一言も伝えていない。
ただ色仕掛けが通じないからコツを教えて欲しい、と言っただけである。となれば、こういう結果になるのは
必然であった。何しろ相手の男剣士はアグリアスと初対面なのだ。噂で間接的に彼女のことを知っていたとしても、
女らしさを演じたところで効果は期待できない。
懸命に身に付けた演技が不発だったことに対して、アグリアスは猛烈な悔恨と羞恥心に襲われる。
今度は演技ではなく、地で顔が赤くなり、涙が勝手に流れ出てしまう。
「……いけ」ボソッとつぶやくアグリアスアグリアスの態度の豹変に、またしても混乱する男剣士。
「いけと言ってるのが聞こえんのか…!」顔を俯けて怒声を張り上げるアグリアス。わけがわからない男剣士。
「見逃してやると言っているんだ…! この場に留まるようならば、刀の錆にしてくれるぞ!!」
アグリアスの目に見まごうことなき殺気が宿っていることを確認した男剣士は、恐怖のあまり一目散に逃げ出した。
なんていうことだ…あれほど特訓したというのにこんな初歩的なミスで…。
もう私は女として終わった…。そんな思いに囚われてその場を動けないアグリアス
うなだれてただ立ち尽くすアグリアスの肩にポンと手が乗せられる。ラムザだった。「…?」
「僕…感動しちゃいました。アグリアスさんの女性らしい一面に、思わずクラッと来ちゃいましたよ」ラムザの目は真剣である。
アグリアスにあんなカワイイ事が言えるなんてなぁ。驚いたよ。一体どうしちまったんだい?」ほくほくした笑顔で話すムスタディオ。
「いやいや…感服したよ。アグリアス。この老いぼれの心にもじんと温かみが伝わってきたのを感じたよ」そういって軽く拍手するオルランドゥ
「ふふ…。ラス流の神髄…しかとこの目で拝ませて貰ったよ」笑いかけるモトベ。
ラムザ達はアグリアスの事を十分知っている。男剣士には伝わらなくても、色仕掛けを見ていた
ラムザ達は、すっかりアグリアスに魅了されてしまっていたのだ。これはアグリアスにも予想だにしなかったことだった。
嬉しさと驚きで、つい慌てて弁解してしまうアグリアス
「たっ、ただの演技なんだ! わ、私は騎士なのだ。あのようなことを本心からできようはずがなかろうっ…」
赤面して声を上げるアグリアスだった。