氏作。Part16スレより。


「最後の願い」


目の前には胸から矢が飛び出て倒れている女。顔は白く、虚ろな目はただアグリアス
ぼんやりと見つめている。
――矢の先端は胸側、つまりこの女は後ろから射殺された事になる。戦いで殺されたのか、
はたまた野盗にでも不意打ちを受けたのか。今となっては分からない。死人は口が利けないのだから。
見たところ、20台の若い女魔道士。彼女は何を思って最後の時を迎えたのか。
アグリアスは仲間の宿泊地の周囲を見回りしている最中に、この哀れな亡がらを見つけた。
アグリアスは死体に魔法を施し、肉体をクリスタルに変化させる。このまま野ざらしでは
あまりに不憫だと思ったからだ。肉体は少しずつ輪郭を消し始め、死体の上に輝く結晶が
形成され始める。このクリスタルの正体が何であるのかは学会でもはっきりした結論に至っていない。
死者の魂であるとか、記憶の結晶であるとか、生命エネルギーの凝縮体といった諸説が入り乱れている。
正体は不明だが、ある種の呪文を死者に施すことにより死後の肉体はクリスタルへと姿を変える。
美しくも冷たく、蒼く輝く結晶はくるくると女の体のあった場所で回転を続ける。
このまま捨て置いても構わないのだが、このクリスタルはあの女魔道士なのだ。自分がクリスタルに
変えた。ならば自分には責任がある、としてアグリアスはクリスタルを胸の内側にしまう。
クリスタルは生者に触れると少しずつ消えていき、正者の体に溶け込んでいく。
クリスタルは時には生前に修めた技を継承者に伝え、時には継承者の傷と疲れを癒す。
しかし何も起こらない。不思議だな、と思ったアグリアスだが、今は戦闘中ではない。急いで疲れを
癒す必要はないし、何も技が欲しくてクリスタルを継承したわけではない。純粋に哀れみの気持ちから
アグリアスはクリスタルを胸の内にしまおうと思ったのだ。女がもといた場所で軽く黙祷をし、
アグリアスはその場を去る。





どこか暗い場所。私は裸で歩いている。行き先も、なぜ自分がこうしているのかも
判らないのに、私の足は止まらない。ただ黙々と先を目指して歩いていく。
しばらく歩いていると、道の真ん中に裸の女性が一人で立っている。
お互いが裸というのに、私は微塵の羞恥心も感じない。私は立ち止まり、彼女が
何かを話しかけてくる。私には理解できない言葉で。彼女が微笑みながら歩み寄り、
私の口に口付けを――――。



妙な夢だった。あの女は誰だったのか。どこかで見たような、見ていないような、そんな顔だった。
しかし夢とは大抵が意味を成さない場面の連続である。アグリアスは気にも留めず、
剣を取って朝の素振りをしに表へ出て行く。



異変を感じたのはその日の夕方。
考えがまとまらないのだ。相手がこういった手で斬り込んで来た場合、どう対処するか。
いつも行っているイメージトレーニング。しかしまるで集中できない。懸命に考えても
いつまで経っても対処方法が思い浮かばない。私は疲れているのだろうか…。
夜になって、事態はさらに悪化していた。誰かの声が聞こえる。最初は仲間の誰かが
私に話しかけたのだろうと聞いてみたが、誰も話しかけていないという。
ラムザ達は無意味な嘘をつくような連中ではない。自分以外の誰もいない場所で、
誰かの声が聞こえる。ボソボソとした声で、何を言っているのか判別できない。
妖精の類にからかわれているのか。物の怪にとり憑かれているのか。
それとも単に私の頭が狂っただけなのか。原因不明の怪奇現象に私は恐ろしくなり、
寝て覚めれば解決していることを願って、私は早目に床に就いた。




――朝になって。事態は最悪のものとなった―――。
『あら、おはよう。目が覚めた?』私の頭に響く聞いたことの無い女の声。
アリシアを初めとする他3人の女達はテントの中でまだぐっすりと眠っている。
私は枕元の剣を引き抜いて周囲をきょろきょろとする。
『私を探したって見つからないわ。私の体はもう無いんだし…』
私は堪らずテントを飛び出し、手近な木の幹に頭突きを繰り返す。
寝ぼけた頭に活を入れ、存在しない声をかき消すために。
『ちょっ、ちょっと! 落ち着きなさいってば!』 ……しかし、声は一向に消えない。
私は意を決して亡霊に尋ねてみる。「…何が望みだ? 私を取り殺す気か?」
重い声のアグリアスに反して、亡霊のものと思しき声は妙に明るい。
『そんなつもりは無いわよ。だいたい貴女が私の「遺志」を取り込んだのが事の始まりでしょう?』
これが夢だったらどんなに幸せだろうか。しかし、夢だと片付けるには、私の意識と思考はあまりに明確だ。
観念した私は、森の奥に進んで適当な岩に腰をかけ、この妙に陽気な亡霊の声に耳を傾けることにした。
この女の名はサティスだという。生前、死後自分の意識と記憶を遺す魔術的な研究を
していたそうで、普段から実験段階の魔術を己の身に施して効果を研究していたという。
離れた街の図書館へ古文書の研究をするために向かっている最中に、不運にも野盗に襲われ、背後から一撃で
胸を射抜かれ、殺されてしまったのだという。魔術の効果で死体になった後も明確な意思は保持していたものの、
通りかかったアグリアスが遺志を肉体ごとクリスタル化して継承してしまったために、こうしてアグリアス
心の中に同居することになってしまったと彼女は言う。
死んだというのになぜそんなにも明るいのかアグリアスが尋ねてみたが、サティスにとっては知りたかった
死後の世界を曲がりなのにも体験していることと、自分の魔術がうまくいったことのほうが死んだことより
嬉しいのだという。
それから、サティスとアグリアスの奇妙な同居生活が始まった。
別段彼女はアグリアスの邪魔にはならなかった。自分はもう死んでいるのだから、という理由で
必要以上にアグリアスに干渉しようとはしなかった。ただ、サティスが物事を考え出すと
アグリアス自身の思考が鈍ってしまうのが悩みの種であった。


自分と同等の剣士との立ち合いを想定し、剣を振り、飛び回る。
しかしその最中にサティスが魔術と死について深く考察を始めてしまったため、
アグリアスの頭は回らなくなり、近くの池に飛び込んでしまったこともあった。
また、アグリアスの独り言も仲間の間で不可解なものとして考えられていた。
アグリアスはサティスと話しているのだが、サティスの声はアグリアス以外には聞こえない
ため、詰まるところ彼女らの対話はアグリアスの独り言になる。
俯いていつまでも一人ブツブツと話すアグリアスを見て、幾度と無く仲間達は相談に乗ろうとしたが
「何でもない」とその度に断られてしまう。
アグリアスにとってすれば、こんな下らない事で仲間に余計な心配をかけたくないのである。
仲間内では最近のぼんやりとした様子や独り言から、彼女が精神病にかかったのではないかと
まことしやかに噂されていた。
そんな状態が大体一週間ほど続いたのだが、少しずつサティスの声が小さくなっていくのをアグリアス
は感じた。サティスによれば、未完の魔術だったので、仕方の無いことだという。このまま
サティスの意識と記憶が消えてなくなるのも時間の問題だった。
そんな折、文字通り最後の頼みとして、サティスがアグリアスにあることを願った。
『私…ずっと研究ずくめで男の人と恋したことがないの。異性の手を握ったこともないのよ…』
嫌な予感がアグリアスに走る。恐る恐る何が言いたいのか訊いてみる。
『最後に男の人に抱きしめられたいの!! その逆でもいいわ。それが私の最後の望み!』
……やっぱりだ。ひとえに剣の道に生きてきたアグリアスとて男に縁が無いのは同じこと。
たとえ最後の望みだろうとそんな恥ずかしい真似はできないと拒否するアグリアス
『貴女…私が消えるってのに悲しくないのー!?』『人でなしーー!!』と散々わめくサティス。
しばらくして、突然黙り込むサティス。諦めてくれたのか、と胸をなでおろすアグリアス
『…そう。分かったわよ。今まで悪いと思ってたから使わなかったけど、最後の手段を使わせて貰うからね』
「!!?」突然脚の感覚が無くなるアグリアス。しかも意思とは無関係に脚が仲間達の方に歩いていく。
「なっ、なんなんだこれは!?」『一時的に体を乗っ取らせて貰ったわ。さぁ、皆の前に行きましょう』



やめろ、解放しろ、と叫び散らすアグリアスをよそにサティスが操るアグリアスの体はラムザ達の前に進んでいく。
脚は規則正しく歩いているのに上半身を左右にスイングさせ、こら、やめないか、と叫びながら近づいてくるアグリアス
仲間達は明らかに動揺している。「ア、アグリアスさん…?」とラムザが辛うじて話しかける。しかし反応は無い。
「皆さーーん、今からこのアグリアスが服を脱ぎますよーーっ!」口が勝手に喋りだす。今度は腕の自由が
利かなくなるアグリアスアグリアス自身の意思とは関係なく、腕が上着をまくろうとする。
『さぁ、ここで全裸になりたくなかったら男の人に抱擁されると約束なさい!!』頭の中でどやすサティス。
「ぐぐぐ…だ、誰が…」懸命に腕が動くのを抑えつけるアグリアス
仲間達は周囲でオロオロとしているだけである。もはやこの窮地から救い出してくれるのは一人しかいない。
「伯ーーーっ!! オルランドゥ伯ーーーっ!!」懸命に声を上げるアグリアス。ポカンとした様子で事態を眺めていた
オルランドゥがハッと我に返る。「私にっ、私に聖剣技を放ってくださいーーーっ!!」腕を懸命に抑えながら叫ぶアグリアス
「なっ…!? 何を言ってるんだね…? と、とにかく落ち着くんだアグリアス!」事態が飲め込めず(無理も無いが)おたおたする
だけのオルランドゥ。「はっ、早くっ…。聖剣技でも剛剣でも暗黒剣でも何でもいいからとにかく私を気絶させてーーっ!」
もはやサティスを黙らせるにはアグリアス自身が気絶する以外に手がない。しかしオルランドゥはいつまで経っても
剣技を放とうとしない。それもそのはずだ。彼の剣技の威力は半端ではない。
業を煮やしたアグリアスは最後の手段を使うことにした。
「みんな聞けーーーっ!! そこにいるオルランドゥ伯はこの間ドーターの裏路地でっ…」
「ぬぅっ!? この…不忠義者がーーっ!!」オルランドゥは秘密を守る為に、反射的に聖光爆裂波をアグリアスに放っていた。
凄まじい衝撃に、一瞬でアグリアスの意識は吹き飛んだ…。




パーティの重鎮オルランドゥだけあって誰も彼がアグリアスに聖剣技を
放った理由は詳しく訊けなかったが、アグリアスの発言と彼の慌てようを見れば
オルランドゥが何か良からぬことをしていたのをアグリアスが目撃し、それを秘密にするよう
約束していたことは明白だった。



アグリアスは素直に要求を呑むことにした。このままでは、朝気がついたら裸で見知らぬ
男の横に一緒にいた、ということにすらなりかねない。
「抱きつくだけだからな! その先は絶対になしだぞ!」顔を赤らめて怒鳴るアグリアス
『分かってるって。しつこいなぁもう。で、その男の人なんだけど、実はもう決めてあるのよ』
先を聞くのが恐ろしいが、聞かないことには解決のしようがない。
「だ、誰なんだ…?」『ラムザよ』一瞬で硬直するアグリアス
『私も彼が気に入ったわ。貴女だって彼が好きでしょ? 心を共有してるんだから誤魔化しても無駄よ』
「うっ…うう…」耳まで赤くして俯くアグリアス
『決まりね。明日決行するからそのつもりで。おやすみなさい』返事も聞かずに勝手に交信を途絶えるサティス。
暗い森の中で、顔を赤くしてただ佇むアグリアス



「話ってなんですか? アグリアスさん」この間の彼女の奇行もあってか、多少警戒気味のラムザ
ただ顔を赤らめて俯くことしかできないアグリアス。それもそのはずだ。
剣ばかり振ってきて男を振るどころか男性と付き合った事も無い彼女が
「抱きつかせて下さい」などと言える訳がない。それでは丸っきり変態ではないか。
『ほらっ何してるの! 昨日ちゃんと約束したじゃないのよっ!?』サティスが頭の中でわめく。
そうは言われてもどうしようもない。ただ顔を赤らめてもじもじするしかないアグリアス
『ああもう! じれったい!』「あっ……!?」アグリアスの意識と体を乗っ取るサティス。
意識と体の制御は魔力を多分に使う。サティスにとって、残された魔力で出来る最後の賭けだった。


突然がくっと膝を落とすアグリアス。驚いたラムザアグリアスに駆け寄る。
膝を着いているアグリアスが近寄ってきたラムザの手を握り締める。
「!?」「私…あなたが好きです!!」そう叫んでひしっとラムザを抱きしめる
アグリアス。突然の事態にどうしていいか分からず、ただ顔を赤らめて立ち尽くすラムザ
もはや残り少なかったサティスの魔力と意識はそこで途絶えた。意識がアグリアスのそれと交代する。
ハッと我に返るアグリアス。見れば両腕をラムザの胴に回して抱きしめ、顔をラムザの胸に
うずめている。ボッと顔が一層赤くなり、心臓は狂ったかのような勢いで拍動する。
堪らず一目散に駆け出してしまうアグリアス。その様子を赤らむ顔で眺めるラムザ




最終的には、今までの彼女の奇行は「戦いに疲れて少々おかしくなっていた」と彼女が
告白(実際にはサティスのせいなのだが)したことで片付けられた。サティスという女魔道士が
アグリアスの心に同居していたことは、彼女以外知る者はいなかったという。
サティスのせいだろうと、心の病のせいだろうと、アグリアスラムザを抱きしめたという
事実は、二人の心にしっかりと刻まれていた――――。


Fin