氏作。Part15スレより。



 高い空に、さざなみのように片々たる白雲が浮いている。秋が、日ごとに
深まってゆく。
 ルンベリスの宿場町は、グローグの丘のふもと、三筋にわかれた街道のひとつが
西へ伸びてゆく、その少し先にある。
 ここからヤードーへは健脚の者なら一日かからぬ道のりゆえ、素通りする旅人も
多い。こぢんまりとした家並みが行儀よく軒を連ね、街道はこの先しだいに
フォボハムの海岸へ近づいてゆく。風に、かすかな潮の匂いが混ざりはじめる
あたりである。


 その日、夕刻。ルンベリスの宿、「早瀬」亭のあるじが軒先を掃いていたところへ、
剣士がひとり、悠然と入ってきた。
「部屋はあるか」
「へえ」
 女の剣士だ。声に、凛とした張りがある。顔を上げたあるじが、思わず、
(ほう……)
と内心に息をもらした。
 それほどの、美人である。腰まで届く金色の髪を、ていねいに編んで、すらりと背が
高い。一見すれば、美青年とも見違えそうな出で立ちだ。旅塵に汚れていても、
身なりや立ち居がどことなく上品で、ことに目元がきりっと引き締まり、えもいわれぬ
力があった。
(これは、きっと、身分のある……)
 どこぞの騎士様であろうと、あるじはあたりをつけて、いっそう腰を低く、低くして、
「どうぞ、どうぞ。ちょうど暖めた部屋が空いてございます。ルザリアへおいでになるので」
「うむ」
 差し出された宿帳に、女騎士は飾り気のない筆致で、
アグリアス
とだけ書いた。





 オークス家、というのは、いわゆる名家、名門の類ではない。名を言えば誰でも知って
いるというものではないが、歴史は深いだけに、思わぬところで名が知られていたりする。
ましてルザリアにほど近いこのあたりまで来れば、まさかに本名をそのまま名乗る
わけにはいかぬ。かといって生来の気性から、偽名を使うのも、
(気にくわぬ……)
 アグリアスは、折衷案として、こうした宿帳などには名前だけを書くことにしている。
 平民のうちには、まだ名字を持たぬものも珍しくない時代である。彼女のような、
見るからに人品賤しからぬ人物がそれを真似れば、わけは向こうの方で勝手に
想像する。わざわざ偽名を使うよりも、その名を考え出す一手間がかからない分、
上手い方法であるとは、アグリアス自身の弁である。


 さておき、旅装を解いて落ち着くと、アグリアスは酒を少しと、食事を求めた。
「ここは、何がうまいのかな」
「ちょうど今頃は、鴨の味がようございますよ」
「では、それにしよう。少し別にとって、弁当をこしらえてほしい。明日は早く発つ」
「明日、お発ちになるので」
 あるじが顔を曇らせたので、アグリアスは眉を片方だけ上げた。待っていたように
あるじは身を乗り出し、
「異端が出ましたのです」
 低い声で、すごみをきかせた。
 異端とは、グレバドス教会の統治のしくみからはみ出した者のことである。ルンベリスの
ような素朴な宿場町で、その言葉はそのまま、この世界のしくみからはみ出したことを
意味する。



 たとえば、教区簿冊というものがある。教会ごとに、そこで洗礼を受けた者の成人、
結婚、出産、死亡を記録したもので、現代でいう戸籍に相当する。この教区簿冊が
なければ税を集めることもままならぬほどのものだが、これを教会が管理している。
教会に認められない者は、公民になることができぬ。
 信仰というものが、今では想像もつかないほど、人の心にふとく根を下ろしていた
時代なのである。
「少し前からどうも、この近くをうろついているらしいのですよ」
 言ってからあるじは、身震いをして厚いくちびるをぬぐった。アグリアスの眼差しが、
ほんのわずかに動いたが、あるじは気付かない。
「それは、大変だな」
「まったくで。こないだ内から男衆が殺気だっていけません」
 あるじは大げさに眉をしかめてみせ、
「ヤードーからも神殿騎士団の方々がわざわざ見えて、先日からご滞在なんでござい
ますよ。明日、山狩りをするとかで。町中総出になりますので、何かと騒がしゅう
ございましょう」
 だから、明日は部屋でおとなしくしていた方がよい、ということらしい。アグリアス
にやり、と笑って、
「そのようなことを言って、私がその異端だと思っているのではないか?」
 滅相もございません、と、あるじはたるんだ首の皮がぶるぶると揺れるほどに、
首を振った。
「騎士様のような立派な方が、まさかそんな。だいいち、その異端は男だといいます」
「ほう。素性がわかっているのか」
「それがです」口元に手をあてて、眉をしかめる。とっておきの秘密、という顔をして、
「北天のベオルブ家の若様で、ラムザというのだそうですよ」




 鴨が、あたたかい南の国へ渡りに立つ直前のこの時期に捕まえたのを出鼻の鴨と
よんで、このあたりの名物である。長い旅にそなえて肉をつけ、力をたくわえた鴨は、
冬の盛りのあぶらの乗りきったものとはまた別の、濃い味をもっている。
 秘伝のソースを塗って、皮がぱりぱりとしてくるまで炙ったもも肉と、こがね色に
煮込んだスープ、肝臓のパテを、アグリアスは、
「うまい、うまい」
 と、瞬く間にたいらげた。酌にきた女給にもこころづけをはずみ、
「疲れたので、もう休む。やはり、明日発たせてもらうよ」
 言い置いて二階に上がったアグリアスは、しかし、言うとおりには休まぬ。



ラムザが、ここに来ている……?)
 そのような、はずはない。
 ラムザは本隊と共に、ルザリアで自分の帰りを待っているはずである。出稼ぎに
出たアリシア達を迎え、また物資を買いととのえるために、どうしても一度、総出で
ヤードーに入らねばならぬ。近衛騎士団に配属される前、短期間だがヤードーの
警備隊に派遣されたことのあるアグリアスには土地勘がある。一足先に偵察に赴き、
教会の動向、隠れ家の所在などを一通り調べた上で、ルザリア郊外に潜伏する
仲間の元へ戻る途中のアグリアスなのだ。
 ヤードーの神殿騎士団の動きも、ある程度はつかんでいただけに、
(偽物……)
 であろうと、アグリアスは見当をつけた。
 とはいえ、関わり合いにならないに越したことはない。何しろこちらは本物の
異端者なのだから、思わぬところを叩かれて、埃が出ぬものでもない。裏窓から
身を乗り出し、いざとなったらひさしを伝って隣家の屋根まで飛び移れることを
確かめてから、枕辺に剣と荷物を置いて、鎧下を着たままベッドに入った。





 未明に起き出すつもりであったが、それよりも早く、アグリアスの眠りは
人声によって妨げられた。
「露地へ入ったぞ──」
「逃がすな──」
 跳ね起きて剣をつかんだアグリアスは、騒ぎの気配が窓に面した裏手の通りから
することを確かめると、素早く窓辺に身を寄せて外をのぞく。折しも男が一人、
せまい路地をこじあけるようにして通りに駆け込んできたところだった。
 こんな田舎町にしては、品のいい身なりをしている。その品のいい服が埃に
まみれ、ものに引っかけて鉤裂きを作るのも気にとまらないほど、必死に逃げて
いるらしい。
「異端者だっ──」
「賞金首だぞお……」
 追っ手の声が風上から迫ってくる。小さな町でも、裏路地はそれなりに入り
組んでおり、アグリアスの見下ろす窓のすぐ先で、ちょうど行き止まりになっている。
 逃げる男もそれに気付き、凝然と立ちすくんだ。が、それは一瞬のことで、
すぐに男は顔を上げると、アグリアスが覗いているまさにその窓をしっかと見据え、
猛然と石塀に手をかけた。



 それからいくらかの時をおいて、「早瀬」亭の二階に物々しい足音が立った。
神殿騎士団である。異端捜索のため、宿をあらためる!」
 身震いをするあるじを押しのけて、鎧兜に身をかためた一団の長らしき壮年の
男が、アグリアスの泊まっている部屋の扉を開ける。と、その足が一時とまった。
「何事ですか」
 粗末なベッドに、アグリアスが身を起こしている。毛布で胸元をかくし、こちらを
見返す瞳のするどさに、男がたじろいだものである。が、そこはさすがにすぐ威儀を正し、
「我々はヤードー神殿騎士団である。この町に逃げ込んだ異端者ラムザ・ベオルブを
追っている。この宿の裏手に追い込んだのだが、何か見聞きしてはおられぬか」
「生憎ながら、つい今まで眠っておりましたゆえ」
 眉間にふかい皺をよせた男は黙って、部屋の中を見回している。宿のあるじが
鎧の間をくぐり抜けてきて、口添えをしてくれた。
「このお客様は昨晩ご到着になったばかりで。へえ、宿帳がここにございます。
お探しの者とは、よもや関わりがないかと存じますが」
 それで、男の眉間がややゆるんだ機をとらえて、
「お疑いとあれば、部屋をあらためていただいても結構。なれど騎士団の方々、
女の寝所に、いつまでおいでのおつもりか」
 りん、と通る声でアグリアスが言い放った。
 ベッドの上のアグリアスは、何も着けていないように見える。毛布を身にまきつけ、
鎖骨の前できつく押さえて、なまめかしく白い肩と首すじの肌があらわになっている。
神殿騎士団と名乗った男達のうちの幾人かが、目を凝らして覗き込みそうになって
いるのを手で制し、
「失礼した。不審な男を見かけたら、我々まで報せていただきたい」
 かるく一礼をして出ていった。



 足音が階段を下り、宿の外に出たのを聞き届けてから、アグリアスは毛布をはずす。
あらわなのは肩と首だけで、毛布で隠した下には、しっかりと鎧下を着込んでいた。
はだけた首もとを直してから、今まで自分がいたベッドに向かって声をかける。
「もう大丈夫です。出ておいでなさい」
 すると、粗末な木のベッドの側板が内側から外され、中から人間が現れた。
 歳は四十にまだ届かぬあたりだろうか。細面の上品な顔立ちが、見る影もないほど
憔悴し、幽鬼のような相貌となっている。はやりのガリオンヌ型に整えられていたので
あろう口髭は乱れ、泥がこびりついていた。男はベッドの下から這い出すと、折り目
正しい仕草でアグリアスに深く頭を下げた。
「ご厚情、かたじけなく……」
 言うまでもなく、この男はさっき窓の下を追われていた人物である。無論のこと、
ラムザではない。
「お気遣いは無用です。先ほどうかがった言葉が、真実ならばの話ですが」
「そ、それは間違いなく」



 先ほど、アグリアスの眼下で袋小路に追いつめられた男は、死にものぐるいで塀を
よじ登り、隣家の屋根からこの「早瀬」亭の二階のひさしにとりついて、アグリアス
いるその部屋の窓を目がけて飛び込んできたのである。
 すぐさま抜剣したアグリアスに相対した男は、おのれの腰の剣には手も触れず、
いきなり両膝を床に突くや、
「そ、それがしは、ラーゴリス家の騎士にして、五十騎長を務める者。神に誓って、
天道に背くものではない。どうか義によって、わずかの間、部屋をお預け願いたいッ」
 血を吐くように、それだけ言ったものである。
 その眼差しのただならぬ覚悟を見て取ったアグリアスはうなずき、咄嗟に彼をかくまう
芝居をうったのであった。




 この男、名をラムザ・ベフォルズという。異端者のラムザとは、なるほど名が同じ
上に、名字の響きもどことなく似ている。
 ラーゴリス家とは、ヤードー近郊に領地をもつ北天の一家門である。大貴族とは
いえないが、かつては北の蛮族の襲来を身でもって防いできた弓矢の一門だけに、
ゆるがせにできぬ歴史と風格がある。アグリアスの生まれたオークス家よりも、
家格は高い。
 そこの五十騎長といえば、名の通りラーゴリス五十余騎の騎士をたばねる隊長で
ある。大貴族ともなればその上に百騎長、五百騎長がいることも珍しくないが、
ラーゴリス家程度の規模では五十騎長が武官の長であって、軍務官僚のような
立場でもって子爵家全体の運営に口も出す。重鎮、といってよいお役目である。
 それほどの人物が、
「なぜ、異端などと……?」
 訊くと、ベフォルズ卿はじっと目を伏せた。口の端が、ひくひくと震えている。
容易ならぬ事情があると見て取ったアグリアスは、
「差し支えなければ、話をお聞かせ願えませんか」
 しずかに、申し出てみた。ベフォルズ卿はしばらく無言だったが、やがてこらえかねた
ように、ぽつり、ぽつりと語り始めた。





 それから一刻ちかくも過ぎ、陽もすっかり昇った頃になって、アグリアスはようやく
「早瀬」亭を発った。腰には、宿でこしらえてもらった鴨肉の弁当を提げている。あるじは
アグリアスの人柄に好感をもったらしく、神殿騎士団の男達の闖入をしきりに詫び、
宿代までまけてくれた。
 宿を出たアグリアスは、途中の店で簡素な着替えを買い込み、まっすぐ東へ進む。
しかし宿場町の家並みを過ぎ、人影も見えないあたりまで来ると、おもむろに道から
飛び下り、草むらの中を今度は逆へ向かって引き返した。そのままルンベリスまで戻って、
町の裏手をとりまく小さな森に入り、さきほど買った着替えを適当な木の枝にくくりつけて、
森を出てしばらく待つ。やがて、こざっぱりとした旅装に着替えたベフォルズ卿が
茂みをこいで出てきた。


「それならば、ルザリアまで同道させていただきましょう」
 先刻、ベフォルズ卿の語る事情を聞き終えたアグリアスは、そう申し出たのである。
卿一人で道中をゆかせるのは危険だ、と判断したためであった。
 五十騎長をつとめるほどだから、武芸の腕も相当に立つのかと思ったら、なんとこの
人物、そちらの方はまるで駄目なのだという。
「人脈と、帳面をさばくのが得意でこの役にえらばれたようなもので……」
 どうりで、さっきから腰に下げた剣がさまになっていないわけだ、と、アグリアス
苦笑した。時代が進み、腕っぷしで人を従える時代ではなくなっているから、そのような
人物が武官の長になることもできるのだろう。また、五十騎長にふさわしいだけの武勇を
そなえた人物であれば、この時勢下に戦線にもやられず、このようなところを出歩いて
いられるわけはない。
 ともあれ、よし彼一人で道中をゆき、次にあの男たちに追いつかれれば手も足も出まい。
先ほどわずかにまみえただけだが、何人か手練れらしい者もいた。しきりに恐縮する
ベフォルズ卿に、アグリアスは「トード」の呪文をかけて町から逃がし、身なりを変えさせた
上で、こうしてふたたび、町外れで合流したのである。



「何から何まで、かたじけない」
 ていねいに頭を下げるベフォルズ卿に、どうせ行く先は同じなのですから、とアグリアス
穏やかに返し、
「それよりも、ルザリアに着いたなら高等判事院に出頭するというお言葉、よもやお違えは
ありますまいな」
「無論です。そのためにゆくのです」
 文士じみた気弱そうな目が、この時ばかりは鋭く重い、決意の光をおびた。


 ベフォルズ卿が先をゆき、数歩はなれてアグリアスが、四囲に目を配りながら進む。
山並みを右手に見つつ、グローグの丘まで道はゆるやかに上っている。早足に進んだ
せいで、昼過ぎにはグローグの神殿遺跡群を抜けることができた。待ち伏せがあるとすれば
もっとも危ない場所だっただけに、二人ともほっと息を抜く。
「それにしても、よく、信じていただけたものと思います」
 安堵で口がゆるんだものと見え、ベフォルズ卿がふいに話しかけてきた。「早瀬」亭の
二階の窓に飛び込んできた時のことを言っているらしい。あの場でアグリアスが彼の言を
信じず、神殿騎士団に引き渡していたらすべては終わっていたのだから、卿にとってはまさしく
運命の分かれ目だったのである。
「私が異端者ラムザではないと、どうして信じて下さったのですか?」
「それは……ベオルブ家の三男ラムザどのは、私よりも若い青年と聞いたことがありました
ゆえ。失礼ながら貴殿がそうとは、とても」
 まさかに、本当のことは言えぬ。アグリアスがあいまいに笑ってみせると、ベフォルズ卿も
納得したようで、しわの刻まれた目元を、気恥ずかしげに掻いた。





 陽も大分にかたむいたころ、二人はザス河にさしかかった。短い橋をわたれば、もう
ルザリアは目と鼻の先である。
 急ぎ足に橋までゆこうとしたベフォルズ卿の背後で、アグリアスがきゅうに顔を引き締めた。
「卿。待たれよ」
 ぎくり、と卿が足をとめる。
 橋のたもとに、目の高さほどの大岩があり、その岩を抱きかかえるようにして、松の樹が
ふとい根をめぐらせている。かつては川の神として祀られていた奇岩であるが、その陰から今、
騎士が二人、すっと歩み出た。
 それを合図に、橋の下や草むらの陰からばらばらと、軽装のよろいに身を固めた男達が
現れる。その中の何人かは、今朝方宿で見た顔だと、アグリアスは思い出した。
ベフォルズ卿を背にかばい、一歩前に進み出る。
「ルンベリスでは失礼をした」
 岩の陰から現れた男のうちの一人、今朝は騎士団の長のようにしていた壮年の男が、
これも一歩前へ出た。かるく一礼をしたので、アグリアスも礼をかえす。
「その男をこちらに、引き渡していただきたい」
「それは、できませぬ」
 アグリアスが簡潔に答えると、岩陰から出てきた男のもう一人、まだ年若い騎士が
剣のつかに手をかけた。
「その者は異端者だということをご存知の上か。かばいだてするならば、貴公も異端と
なるぞ」
「名がラムザだからといって、異端とはかぎりますまい。私が聞いたところでは、この
ラムザ殿はラーゴリス子爵家の五十騎長という立場にかくれて、呂国との密貿易で
巨利を得ていたとか」
 ざわり……
 と、四囲をかこむ男達の気配が動揺した。
 正面にいつ二人のうち、先ほど抜剣しかけた年若い騎士が年配の方へ、戸惑った
ような目をむける。



「その前非を悔い、ルザリアの判事院へ赴く道中だという。悪行はそこで裁かれよう
ものを、何ゆえもってこのように追い回す必要がおありか」
「……」
 男達は、だれも答えぬ。
「思うに密貿易には、子爵ご自身がかかわっておられたのではないか。ラムザどのが
調べを受ければ子爵家にまで咎が及ぶゆえ、名が同じことをもって異端と呼ばわり、
神殿騎士団の名を騙りまでして、隠密のうちにことを始末しようとのお考えではあるまいか」
「うぬ!」
「言わせておけば!」
 たちまちに鞘音がいくつも走り、男達がいっせいに抜剣する。重い刃先のひらめきに
囲まれて、いささかもたじろがぬアグリアスに、年配の男がまずは一歩進み出、
「どうあっても、邪魔をなさるおつもりか」
「邪魔は、そちらがしている」
 凛然と言い放った一言が、殺気の堰を切った。
「鋭!」
「おう!!」
 細剣をかまえた右手の男が真っ先に打ちかかったと見るや、そのままの勢いで
どうと地に倒れる。いつの間にか抜き放たれたアグリアスのルーンブレイドが、
男の肩口を深々と切り割っていた。
「下がっていなさい。もし私がやられたらすぐ逃げるように」
 その男が倒れて空いた囲みの穴へベフォルズ卿を押しやるようにして逃がし、
身をひるがえしてまた一人を切り倒す。左右からの二人がかりの斬り込みを、
風に乗る羽のように舞い上がってかわし、地に下りた時にはもう二人の腕を
断ち落としていた。
 四人をまたたく間に斃され、手強いとみた神殿騎士……否、神殿騎士を名乗る
ラーゴリス家の刺客たちが遠巻きに囲むのへ、今度はアグリアスから斬ってかかる。



「ぬうっ!」
「破!!」
 聖剣技の爆風があたりを薙ぎ払い、刺客たちをたじろがせる。その隙をついて、
長とおぼしき壮年の男へといっさんに斬りかかるアグリアスの前に、先ほどから
脇に控えていた若い騎士が躍り出た。
(む……)
 アグリアスの、足がとまる。若い騎士の剣気は、それだけのものを持っていた。
 おそらく、一団の男たちの中では技量も気迫も随一であろう。青光りのする
刃の厚い剣を軽々と高く構え、アグリアスへにじり寄ってくる。アグリアス
それに対し、剣を正面に構えたまま間合いをとる。
 ゆっくりと、両者の距離が縮まってゆく。わずかでも隙があれば打ち伏せん、という
若い騎士の構えだが、そのわずかな隙が、アグリアスに見いだせない。
 とうとう、しびれを切らした若い騎士が思い切って打ち込んできた時に、勝敗は決した。
 落ち着いて半歩退がり、剣先をかわしたアグリアスが、体勢のくずれた若者の
眉間へ必殺の一撃を放つ。断末魔の声も上げず、若者は顔から地面に倒れた。
 返す刃で壮年の騎士の方も切り伏せると、半数以下に減った刺客たちにもはや
戦う力は残っていなかった。
「ぐ……戻るぞっ」
 風に引きさらわれるように、すばやく男達の姿が消えていく。傷を負わされた者達も
必死に逃げ去り、あとには数人のむくろだけが残った。
 先ほどの、手練れの若い騎士の亡骸のかたわらに、ベフォルズ卿が立ちつくして
いる。剣の血をぬぐい、アグリアスが肩にふれると、卿は震える指で、胸に十字を切った。
「息子です」
 それだけ言って、ベフォルズ卿は膝を折ってかがみ込み、眉間を真っ二つに断ち割られた
若者の両のまぶたを、そっと閉じてやった。






「判事院の門をくぐる時に、卿は何度も何度もこちらへ頭を下げられてな。ありがたいの
だが、目立ってしまっていささか困った」
 ルザリアの市壁の外側にむらがるように寄せ集まった安宿の一件で、アグリアスラムザ
……これは本物のラムザ・ベオルブにそう言って、エールのジョッキのふちを指ではじいた。
「父を討ちにくる息子……ですか」
「そういうこともあろうさ。主家の命というものは、お前の思う以上に重いものだ」
 妾腹の子であり、まして成人する前に父親を失ったラムザには、その桎梏はわからぬ。
「ラーゴリス家は、どうなるでしょうか」
「本来なら当主が斬首の上、取り潰しだろうがな。この時勢では、どう転ぶかわからん。
判事院とて、十全に機能しているわけではないだろう」
 しかし、
(なろうことなら、正しい裁きを……)
 と、思う。
 家族を捨ててまで、おのれとおのが主の罪を裁こうとした、ベフォルズ卿の決意を
見ているからである。
「それにしても、な」
「何か?」
「名が同じなのをいいことに、異端としてごまかそうなどと、奴らが思わねば、私も助けたりは
しなかったかもしれん。小賢しいことをして、かえっておのれの首をしめることになったのだな」
「何がどう巡り合わせるか、わからないものですよ……」



 ラムザのジョッキにも、エールがなみなみと注がれている。アグリアスの酒の供をできる
ていどには、飲めるようになった。
「ヤードーには、明日発つのか?」
「未明に。アグリアスさんには、とんぼ返りになってしまいますが」
「なに、それは構わんさ」
 冷気が、ほそく開けた窓から吹き込んできた。窓外にひろがるヒースの原がすっかり
枯れて、乾いた風を寒々とその上に渡らせている。
「冬が、来るな……」
 アグリアスは呟いて、また、エールを口に含んだ。




End