氏作。Part14スレより。

「武士道は一朝夕で修めるような類のものではない。どうも西方の国の人間は性急らしい」
大分草臥れた一振りを横の小岩に立て掛け、振り返る。
「実戦には事欠かない現世では、と少々高を括っていたのですが」
夕暮れの平原。逆光で顔は見えない。然し声と立振舞いから、誰かは判別できた。
「時間をかければ良いものでも無いが。如何にせよ時間が無さ過ぎる」
侍特有の技術の抜刀術は有用だが、習得に相当難がある。
国中を見渡しても、武士道を解しこの技術を持つ人物は老師とエルムドア伯爵他、
数人程度しか知らない。
拳術も元来抜刀術の基礎だ。あれは弓使いや戦士の単純な技術より、魔法寄りのものだ。
気を鍛錬によって昇華させ、具現化させる点に於いて魔法と性質を同じくする。
唯、自分の気では無く、刀の念を解き、放つだけだ」
ナイトを騎士ではなく、戦士と呼ぶ。自分とは無縁のもののように呟く。
「この国の人間に功が成すという境地は中々解し難いだろうな。
それがこの国に秀でた侍が殆ど居らず、力任せな蛮勇を奮う戦士が国軍の中枢を担っている所以だ」
陽が目に見えて動いている。所在無さそうに揺れている。
「そういうものですか」
「そういうものだ。貴公は魔法の方はえらく得意であるのに」
この老師は蔑むと言うよりは、哀れむように、謂う。
自分の無能さが浮き彫りになるような気持ちになる。
「強くならないと」
「解っている」
陽が弱まっていく。
「時間が無いんです」
「解っている。強くならぬと己の正義は貫けん。聖職者のような現実逃避をするつもりもない」
「解っています。然し、唯、時間が無い」
陽が、逃げていく。


気付くと、夜を見ていた。夜の美しさを知っている人は、何人いるというのか。
大事なものは、既に無い。あの瞬間から毎日、毎刻、毎秒失い続けている。
「貴公が貴公の依る処を失えば私達は貴公から離れてゆくぞ」
不図少し上を見ると、月の在ろう其処には女性が一人此方を見下ろしている。
「貴公の大切なものの為に、皆は大切なものを犠牲に汚名を被り戦場へ赴く。
何故か思い返してみろ」
切れ長の瞳が暗がりの為か少し開いている。長い真直な睫。清らかに伸びた鬢。色の薄い唇。
月光に因って髪を銀に冷やかに艶し、紺碧の瞳を此方に向けている。例えるなら、月夜の雫だ。
「正義だ。造られた病的な偽善に繕われたものではない。心の底から魂が哭く声だ」
「そんな立派で仰々しい物ではありませんよ」
月が煌いている。
「貴公は唯実感が無いだけだ。外の世界に呑まれない様、心身ともに鍛えられよ。
そして忘れるな。皆は大切なものを犠牲に戦っているが、同時に大切なものを賭けていることを」
少し雫が丸みを帯びたように見えた。
「僕は聖人君子ではないですよ」
「わからんか。貴公は自覚している通り甘い。私のような者が持ちたくても持ち得ない物を
自然と持っている。それを失いさえしなければ良いのだ。貴公が魂となれ。私が貴公の剣となる」
そう謂うと、彼女は踵を返し、歩き出した。と、直ぐに止まり空を見た。
「何人が星の美しさを知っているのかな」
「星の美しさを知らせる為に戦っているんでしょう」
「そういうことだ」
月が朗らかに揺れている。


早朝の湿った空気が頬を撫ぜる。
「驚いたな」
腕を組んだ老師が岩に寄り掛かって謂う。
「魂を解き放てば良かったんですね。もう迷いません」
「ほう」
「現実逃避の罪悪感への免罪符は無いんです」
老師は少しぼんやりと此方を眺めていたが、やがて小さく笑った。
「そういうことだ」
陽が強く照っている。



終わり