氏作。Part16スレより。


カティロア地方、セレス家の記録。重要事項は旧文体で書かれていて判別不能。三人の娘の物語が語られている。

(注、いわゆるアンソロジー物であり、実際の人物関係とは異なります。ご了承下さい)

カティロア地方、セレス家の記録から


『プロローグ』


第4章

第3代当主 ロベルト・セレスと
その家族の肖像

第7節

ここは地方貴族、セレス家の庭園。
それぞれの授業を終えて、当主ロベルトの三人娘が庭に集まる。

長女・セリアは17歳。
「疲れたわ。アイントール先生の授業は実習続きなんだもの。私はもっと
 ワコクの文化の勉強をしたいのに」

次女・メリアドールは16歳。
「まぁまぁ。それが先生の方針なんでしょ? だったら仕方ないと思うわ」

末っ子のアグリアスはまだ13歳。
「やはり先生には先生なりのお考えがあってのことでしょうし…」

セレス家は地方の貴族である。代々当主はその子ども達を入念に教育し、由緒ある家に嫁がせたり
領主の騎士団に入団させたりして家名を上げていくのが慣わしであった。


この三人の娘も例外ではなく、幼い頃から優秀な家庭教師に囲まれて
みっちりと教育され、今に至る。
治安が悪く、強盗や殺人が頻発し、治安維持と暴動鎮圧のために騎士団は
ひっきりなしに出撃している。もうそんな状態が10年余り続いたであろうか。
良家に娘を嫁がせるよりも騎士として名を上げたほうが時代の要求にも合っており
家の名も良く上がる、というのが娘を持つ貴族の一般的な考えであった。
実際騎士団に入団するには厳しい関門があるものの、入団してしまえば
多大な名声と莫大な恩賞が家に転がり込んでくるのである。
セレス家でもこうしたことから、三姉妹を騎士団に入隊させようと早くから
騎士にする方針で彼女たちを教育してきた。
長女のセリアはワコクという国に早くから興味を持ち始め、ワコクの戦闘員である
忍者の技術を習得しようとしていた。騎士といえば剣と盾と鎧、というイメージを
持つだろうが、軽装で身軽、刀を二本操って敵を翻弄する忍者は近年その有効性が
認められ始め、騎士団には入れなくとも要人の用心棒としての需要が高まっていたのだった。
王族の側近になれれば、騎士団にいるよりも遥かに名が上がる。
セリアの生まれついての類稀な運動神経もあって、ロベルトは彼女が側近になるよう努力する
という条件の下、忍者を志す道を許したのである。
次女のメリアドールはオーソドックスな騎士を志している。
『剛剣』と呼ばれる剣技は、自らの闘気と魔力をドッキングさせ、相手の装備品を破壊すると共に
大ダメージを与える。武器や鎧を失った剣士など、剣を持つ剣士にとっては赤子に等しい。
攻防一体の強力な秘剣である。これの習得を目指し、彼女は日々鍛錬を積んでいる。
特殊能力を備えた騎士ともなれば、騎士団に入団できる可能性は飛躍的に高まる。
末っ子のアグリアスは『聖騎士』と呼ばれる騎士を志していた。
聖騎士は神の洗礼を受け、神の御力を身に受け、聖なる剣気で敵を倒す剣技である。
習得は困難なものの、遠距離から相手を攻撃でき、しかもその威力は絶大である。
使い手は滅多にいないものの、その威力と有効性から騎士団からは引っ張りだこであり、
また国民の実に7割以上が敬虔なサーティアン教(国教に指定されている)信者という事実の


前で、『神に仕える騎士』の二つ名を持つ聖騎士は国民、教会、国王への
「受け」は抜群であった。
生来の純潔な心と真面目さを持ったアグリアスは聖騎士になる適正を認められ、
幼い頃から聖騎士になるべく訓練をしていたのだった。
「ねぇねぇ、この間うちに挨拶に来たカリア家の長男…なかなかいいと思わない?」
セリアが話題を振る。三人とも年頃の娘である。この手の話題には事欠かない。
「私好みではなかったわね。第一顔は良くても仕草が下品だったわ。
あれじゃあカリア家の底も知れるってものね」微笑を交えながら返すメリアドール。
「………」俯いて何も話さないアグリアス
「あなたはどう思うの? アグ」セリアがアグリアスに話しかける。
「わ、私は…その、そういった事には興味がありませんので…」顔を赤らめて俯くアグリアス
つまらなそうな顔をするセリアとメリア。
「あなたももう13歳でしょ? 恋の一つもしておかなきゃねぇ」
「アグはそっちのほうはてんでダメねぇ」からからと笑う二人。
アグリアスにとっては最も苦手な話題の一つである。セリアとメリアドールは
この手の話題には開放的であるものの、アグリアスは非常に真面目な為に
とてもついていけない。ただ顔を俯けて、はやく別の話題に切り替わるのを待つのみである。
…しかし。彼女にも意中にときめく異性がいるのである。
『初めまして。今日からセレス家で働かせて頂くラムザです。何とぞよろしくお願いします』
アグリアスラムザが出会ったのは、彼女が庭園で剣の素振りをしていた時のことである。
ラムザは庭師としてセレス家に仕える事になった農家の長男である。
歳はアグリアスとそう変わらない。亜麻色の髪をし、顔立ちは整って品がある。
年齢相応のあどけない顔をしていながらも、その瞳にはしっかりとした意思の強さを感じる。
別段彼女は異性が苦手な訳ではなかった。幼い頃から社交パーティで
色々な男性と接している。あくまでセレス家の子どもとしてだが。
そんな彼女だったが、なぜかこの庭師には胸が高まってしまう。彼を正視できず、
目を逸らして「よ、よろしく....」と一言呟く事しか出来なかった。
普段新しい従者がやって来た時は、簡単な自己紹介と家の説明を丁寧にする彼女がである。


自分でも得体の知れない感情に戸惑い、思わずさっとその場から
駆け出してしまった。
後に本で調べたことや、セリアとメリアドールの対談の内容から、
自分が恋をしてしまったと自覚するアグリアス。聖騎士を志す者として
何ということだ、と自己嫌悪に陥ったものだが、日に日に気持ちは高まっていく。
彼を想うと何ともいえない幸福感に包まれ、他の事に身が入らなくなってしまう。
普段潔白、真面目で周りに通っている彼女が相談など出来るはずも無く、
周りに知られることがないよう密かに胸の内に秘めているのである。
ラムザは淡々と庭の手入れをしている。その様子をこっそりと遠くから見つめるアグリアス
直に彼に話しかけたいという気持ちはあっても、彼の前に立っただけで
赤面して身動きが取れなくなってしまう。よって、彼女は遠くから彼を見つめるほかにない。
身分の違いという壁もあるが、聖騎士を志す者として恋愛にうつつを抜かすというような
事を、彼女は善しとしなかった。彼と恋愛をする。そんな幻想を胸に抱くだけで
どうにも動けないアグリアス
ラムザの正面からセリアが歩いてくる。ハッとするアグリアス。セリアに気づくラムザ
「おはようございます。セリア様」
「おはようラムザ。仕事頑張ってね」何ということも無く返事をしてそのまま歩いていくセリア。
その様子を見てアグリアスは胸を締め付ける。
なぜ私もセリア姉さんのように自然に振舞えないのか、ラムザは姉さんのことをどう思っているのか、
私は彼にあいさつもろくにできない。セリア姉さんは私よりも綺麗だ。ラムザはきっと…
コンプレックスとジレンマで彼女は悶々とし、いつも否定的な考えに至って悩み続けてしまう。



『あいさつ』


…彼とあいさつするくらいなら構わないだろう。彼は従者で私はこの家の娘。
これくらいは当然である。悩んだ末に出した結論がこれであった。
何か彼と接点を持ちたい、私の存在に気づいて欲しい、という彼女の切なる
願いからのものである。あいさつするくらいなら誰も私の気持ちに気付きはしない。
気付きようもない(はずである)
彼は毎朝この時間に作業道具を出すためにこの小屋にやってくる。
彼女は物陰に隠れて彼が来るのを待っている。
【「あら、ラムザ、おはよう」軽い笑顔であいさつするアグリアス
「あっ、おはようございます。アグリアス様」会釈するラムザ
たったこれだけの行動、光景をどれだけ昨日からイメージしてきたことか。
大丈夫、やれる。きっとやれる!そう自分に言い聞かせるアグリアス
……コツ、コツ、コツ、コツ……。時間通り、予想通りの足音。
―――来た――。一気に胸が高鳴るアグリアス
行けっ、行けっ、行けっ、踏み出せっ……。懸命に自分に命令する。
しかし体は動かない。動いてくれない。まるで自分の足でないかのように動かない。
――どうして? あれだけイメージトレーニングしたっていうのに……。
後悔と自責の念でいっそう小さくなるアグリアス。もうラムザは行ってしまっただろう。
自分の不甲斐無さが情けなくて涙が出そうだ。
アグリアス様、どうなさいました?」突然背後からのラムザの声。
ラムザが彼女を見つけて話しかけたのである。予想外の事態にパニックに陥るアグリアス
「えっ、あっ!? その、何でもありませんっ」思わず駆け出してしまうアグリアス
頭が真っ白になってしまって、庭園の端までやって来るまで足を止めることすら忘れていた。
すぐさま彼女に襲い掛かる猛烈な羞恥心と後悔の渦。
彼は私を変な女と思っただろうか、いや思ったに違いない。どうしよう、もう彼に顔向けなんて…。
俯いて涙をこぼすアグリアスだった。



『勝負』


メリアドール姉さんの木刀が顔に迫る。私はそれを寸前で打ち払って
急所を木刀で狙う。手の中の物は木刀だろうと、これはれっきとした勝負である。
同じ騎士を目指すものとして、私と姉さんは互いに対抗意識を燃やしていた。
セリア姉さんは忍者を志しているから騎士流の決闘はしようとしないけど、
私とメリア姉さんはこうして頻繁に木刀での決闘をしていた。
メリア姉さんの方が歳が上な分、力も強く経験を積んでいて強い。
だからといって私も甘んじて負け続けるわけにはいけない。
私は騎士になるのだから。困難に立ち向かって人々を救わなければならないのだから。
「最近急に太刀筋が良くなったわね。何かあったのかしら?」再び木刀を胴を狙って
振りかざすメリアドール。それを食い止めるアグリアス。しかし力強い太刀筋は
アグリアスの手を痺れさせる。すかさずもう一撃を加えて木刀を弾くメリアドール。
アグリアスの木刀が宙を舞う。「あっ……」小さな声を無意識的に出して回転する
木刀を見つめるアグリアス。………また負けてしまった。
「ふふ、強くなったわねアグ。でもまだまだ私の敵じゃないわ」優しい瞳で笑いながら
話すメリアドール。それを黙って聴くアグリアス
勝負には負けたものの、確かな手ごたえを感じた。姉さんの動きが見えるようになってきた。
アグリアスは密かに授業以外にも個人的な訓練を最近するようになった。
父上の為に、家の為に、護られるべき虐げられている全ての人の為に。
そう思って今まで歩んできた剣の道。しかしその道の目的に一人の護ってあげたい異性が加わった。
それだけで彼女は今まで以上に頑張れた。



『剣の道』


私は今剣術の授業を受けている。とは言っても室内で講義を受けているのだけれど。
先生の名はオルランドゥ。諸国を放浪して武者修行をしているそうだ。
若いのに聖剣技と剛剣が使えるその腕を買われて、ここしばらくセレス家に滞在し、
剣の稽古をつけてもらっている。
アグリアス。君はどうして騎士になろうと思ったのかね」そう問うオルランドゥ
「私が決めたことではありません。全ては父上の采配です」そう答えるアグリアス
「ふむ、では自分の意思としてはどうなのかね」
「私はこの道を歩んできたことは間違っていないと思います。弱きを助け
強きをくじくのは、人の上に立つ貴族としての役目だと思っていますから」
ハハ、と笑うオルランドゥ。「随分模範的な答えだね」
「先生は…先生はどうして剣士になられたのですか?」彼は優秀な剣士だ。その問いの答えが
自分が強くなるための鍵になるかもしれない。アグリアスの瞳は真剣である。
「ん? 私かね?」一瞬考え込んで答えを言うオルランドゥ
「君は民を護るためだと言ったね。大いに結構な動機だ。私のはもっと不純なものでね。
私は知りたいのだよ。剣を極めた先に何があるのかを。剣の上達で、他の者の上に立つ。
上達の実感とはどんな美酒にも勝る恍惚の瞬間だ。しかし私はその酔いで本質が見えなくなってしまった。
今は己に酔わず、ただただ先を目指す。その先にあるものが気になってしょうがなくてね」
ハハハ、と笑うオルランドゥ。……先生の話は抽象的で、私にはよく分からない。
「私の道が正しかったかどうかは、私が結末に至った後に私自身が判定するものだ。
君は君自身の道を行くといい。必ずしも私と同じである必要はない」
……ただ何となく凄いなぁ、としか感想を抱けないアグリアス
「君は『人々を護りたい』という目的で剣の道を進むのだが、誰か一人、本当に
護りたい人が出てきたならば、君の剣は一層鋭さと強さを増すだろう。
君の今の剣は、誰かの為の剣かね?」そう問いかけるオルランドゥ
「ちっ、違います! 民を護るための剣ですからっ……」赤面して俯くアグリアス
「そうかね」ふふ、と微笑するオルランドゥ



『おとしもの』


私は今さっき来た道筋を逆にたどって探し物をしている。
ケビン先生の授業に使うノートをどこかに落としてしまったのだ。
確かに部屋に出る前に手に取ったのに、教室で荷物を広げると無くしていることに
気がついた。どうしよう、授業はもうすぐ始まるし、あれがないと困るし、雨が降りそうだし…
焦りながら探していると、そこにラムザが通りかかる。
「何かお探し物ですか?」「!!」……これだ。ラムザと少し話すだけで、舞い上がってしまって
何も出来なくなってしまう。ラムザが近くにいるのにもじもじするだけでどうすることもできない。
「何をお探しですか? 僕も手伝いますよ」そう問いてくるラムザ。彼の目は普段通り。
憧れのラムザに見据えられている。何か言わなくてはならない。そう思って懸命に言葉を紡ぐ。
「……ノ、ノートを…です…」「ああ、ノートですね。分かりました」何とか彼に通じた。
ラムザもしゃがんで周囲を探索する。アグリアスは赤い顔でさっきから同じ場所を
行ったり来たりしているだけである。ああ、ラムザが近くにいる、私の為にノートを探してくれている!
そう思うだけで的確な行動はおろかまともな考えすら浮かばなくなるアグリアス
――ほどなくして向こう側から聞こえてくるラムザの声。
アグリアス様ーーーっ、見つかりましたよーーっ」そう叫びながら駆けてくるラムザ
「はいっ、これですよね」にっこり笑いながら手渡すラムザ
コクッコクッコクッと首を三回多大きく振るアグリアス。顔が自分でも分かるくらいに熱い。
「それでは僕は仕事がありますので。雨が降るみたいです。お気をつけて―――」
そう言って歩いていくラムザ。彼女はただ呆然自失としている。彼が私に優しくしてくれた。
私に、私に、私に…。そう思うと多幸感と気恥ずかしさで身動きが取れなくなる。
しとしとと雨が降り始める。全身が火照っている彼女にはむしろ熱冷ましになって気持ちいい。
しばらくそうして立ち尽くすアグリアスだった。



『花壇』


アグリアスは花を育てるのが好きである。普段勉強と剣の稽古ばかりの
彼女だが、女の子らしさを保ち、情操教育にもなるとして、当主のロベルトは
彼女が専用の花壇を持つことを許可したのだった。
最初は試行錯誤で折角ある程度育った草花を環境設定を誤って全滅させて
しまう、ということもあったが、最近は手馴れてきて立派な花壇が維持されている。
今日も剣の稽古の帰り際に花壇への水やりと世話をするために花壇に寄るアグリアス
花壇に到着したと同時に何とラムザに出くわしてしまうアグリアス
花壇は通路の曲がり角のすぐ傍にあるため、まさに予期せぬ対面である。
「あっ……」予想だにしなかった事に俯いて何も出来なくなるアグリアス
「あっ、アグリアス様。こんにちは」普段通り明るいラムザのあいさつ。
「聞きましたよ。この花壇はアグリアス様の持ち物なんですってね」
「えっ……は、はい。そうです…」何とか返事をするアグリアス
「見事なものですね。庭師である僕が言うのですから間違いない」ハハハ、と明るく笑うラムザ
ラムザが私を褒めてくれた――? それを思うだけで彼女は…。
「へぇ、このカイトスの花は飼うのが難しいんですよ。その土地の地質に近い状態に
土を保たないとすぐにしおれてしまいますし…」
次々と花壇の花の性質と育て方を話し出すラムザ。…ラムザと話しかけてくれていることは嬉しい。
しかし、ここは私の花壇だ。私だって少しくらいは花に詳しいつもりだ。負けてられない。
生来の負けず嫌いな性格もあって、彼女はいつの間にか普段の調子に戻り、ペラペラと
ラムザと花について話していた。彼の自然全般に渡る知識は豊富で、彼女はただ感心するのみであった。
ラムザが去った後、今まで自分がラムザとお喋りしていた事実に驚き、そして恥ずかしさと嬉しさで
ただ自慢の花壇を一人眺め続けるばかりであった。



『家族』


今日も剣術の授業。また室内での講義だけど……。
今日の先生の名はガフガリオン。傭兵暮らしをしているという。
傭兵としてはかなり名の通った男なのだそうで、彼の名を聞けば逃げ出す
兵士は数知れず、と彼は言う(本当なのかな?)
しかし彼は暗黒剣という相手の生気を自分の体力に吸い上げる剣技を使えるのである。
彼の言動やその剣の凶暴性からセレス家に家庭教師として招くのに異論を挟むものはいたが
当主の鶴の一声で期間限定の採用が決定した。
神に仕える聖騎士が闇の剣など習得できようはずもないが、彼の長年の経験や培ってきた戦術などは
戦場で生き残るために役に立つのだろうというロベルトの考えの下に。
しかし彼の教える作戦は待ち伏せや変装、誤情報での相手の戦陣の撹乱といったものばかりで
よく言えば狡猾、悪く言えば汚いというものにアグリアスは感じられた。
「で、こういった場所に誘い込んで谷の上から岩でも何でも落とせば、谷の下にいる敵軍の
やつらは全滅ってわけだ」 …騎士はそんな卑怯な真似はしません。
彼はどうして教会からも人々からも疎まれる暗黒の剣の習得を志したのだろうか。気になって訊いて見るアグリアス
「それはお前、自分の身を守りつつ敵の体力を減らせるンだぜ? 攻撃だけの聖剣技よりも強力だろうよ」
ムッとするアグリアス。「それにな…」言葉を続けるガフガリオン。
「俺は昔、敬虔な信徒だったんだが、俺が留守の間に家に野盗が押し入ってな。娘と女房が殺されちまったのさ」
いきなりの発言に息を呑むアグリアス。「もうそれ以来俺には神なンて者は信用できなくなっちまったのさ。
俺の手はもう血にまみれてる。考え付く限りの汚いことを続けてきた。俺は地獄に堕ちるだろうが、そこで
娘と女房に遭わないことを願うのみだな」ワハハ、と笑うガフガリオン。
「さんざん人を殺して、今となっては酒と名声と金くらいしか楽しみがない俺だがよ、家族ってものは金じゃ
買えねえンだ。お前もいざって時に家族や大切な男を護れるように、今からきっちり鍛えて強くなっとけよ」
彼の言葉は乱暴だけど、伝えたいことは彼の瞳を見れば伝わってくる。
護りたい男の人が家族になってくれればもっと強くなれるのかな…?
そんな事を考えていると不意にラムザの顔が浮かんできてしまう彼女であった。



『看病』


…風邪を引いてしまった。ここのところ寒いのに無理して深夜に
剣の素振りを続けたことがたたったのだろうか。頭はズキズキしてめまいがする。
一日中ベッドで横になっている。私がのんびり寝ている間にも、セリア姉さんと
メリア姉さんは着々と鍛錬を積んでいることだろう。こうしてられない、体は動かなくても
頭は働く! そう思って剣術の型を頭の中でシュミレートしてみるアグリアス
しかし沸騰したような頭で何を考えても大してまとまらない。仮想の敵に斬りかかる理想の
私を思い浮かべても、頭の中の私までへばってしまっている。
……意味がないな。そう思って彼女は大人しく治療に専念する。曇った空を窓越しに見上げるアグリアス
コンコン、ドアをノックする音が部屋に響く。「どうぞ」入室を許可するアグリアス
「失礼します」入ってきたのはラムザだった。意外な来訪者に目を丸くするアグリアス
「最近寒くなって、僕の仕事も減ったので、アグリアス様の看病に回らせていただきました」
ラムザが!? 私の看病を!? 嬉しさと恥ずかしさで頭がさらに収拾のつかない状態になる。
幸いにも今日は元々顔が赤いので、顔に色が出ていることは知られないのだけれど。
見れば、ラムザも同年代の異性の部屋に入ったとあって、多少なりとも顔を赤らめている。
自分が異性として意識されていることを知って、一層恥ずかしくなってしまうアグリアス
「失礼します」そう言って彼女の額の濡れタオルを取り上げるラムザ。彼の手と顔が迫って
思わず目を閉じてしまうアグリアス。そうして新しい濡れタオルに差し替えてくれる。
ひんやりと冷たくて気持ちがいい。しかし彼女は今まで以上に発熱しているのでプラスマイナスゼロといったところである。
アグリアス様はお花がお好きなようですし、植物のお話でもいたしましょうか」
彼は色々なことを話し出す。彼女はただあいずちを打つだけで精一杯である。
この狭い部屋で、私とラムザの二人きり。彼は私のためだけに話をしてくれている。
彼女のぼんやりとした(正確には恍惚とした)状態から、自分の話が気に入られなかったと思ったラムザ
「すみません。体調不良のところにつまらないお話を聞かせてしまいまして。失礼しました」
そう言って話をやめようとするラムザ。ハッと我に返るアグリアス
「待って!」自分でも驚く大きな声。ラムザも驚いている。しまった…後悔するアグリアス
「その、い、いいから。面白いから。お話を、つ、続けて下さい…」語尾に続くにしたがって
小さくなる彼女の声。恥ずかしさで死にそうだ…。
「…わかりました。続けさせて頂きます」微笑を交えて話を続けるラムザ
ほんの少し自分の気持ちをラムザに伝えられたアグリアスだった。



「ピンチ」


オルランドゥ先生の授業の帰り際、庭園を通っているとラムザの悲鳴ともとれる
叫び声が耳に届いた。頭が引き止める前に、体は既に駆け出していた。
叫び声の元に駆けつけると、ラムザの傍に一匹のゴブリンが立っていた。
時々山からはぐれモンスターがセレス家の庭園に迷い込んでくることがある。
このゴブリンもそんなモンスターの一匹だろう。見たところ、ラムザに外傷は無い。
庭の手入れをしていて迷い込んだゴブリンと遭遇したのだろう。
しかしただゴブリンといえども、ちいさな子どもくらいなら殺されてしまうケースが多分にある。油断できない。
ゴブリンはラムザを見ている。ラムザは蛇に睨まれた蛙のように身動きがとれない。
それもそのはずだ。彼はただの庭師。モンスターなどめったに見ないだろう。
ガッ、手元の石を投げつけてゴブリンの注意を引くアグリアス
「来い! お前の相手はこの私だ!」稽古用の剣を抜いて構えるアグリアス
剣を抜いたものの、これは稽古用の剣で刃は磨り潰してある。斬りかかっても打撃にしかならない。
しかし彼女には奥の手がある。自分を取り巻く全身の気が剣に集中していく様子をイメージする。
彼女の剣がうっすら発光しているのは、ラムザの素人目にも簡単に見て取れる。
「ハッ!」掛け声と共に剣をゴブリンに思い切り振るアグリアス。次の瞬間、ゴブリンが吹き飛んでゴロゴロと転がる。
聖剣技を操る者にとって、自らの闘気の操作と開放は初歩的な技術である。
まだ聖剣技を使えない彼女でも、闘気剣の初歩はマスターしていた。
見えない衝撃に恐れをなし、山に逃げ帰っていくゴブリン。
「大丈夫?」少しかっこいい自分に酔って手を貸し、座り込んでいたラムザを立ち上がらせる。
「あっ、ありがとうございます! 一時はどうなることかと…。お強いんですね!」アグリアスを褒め称えるラムザ
しかし彼女は俯いてただ黙っている。……何ということ。彼の手を握ってしまった。私から…。
自分に酔っていて相手がラムザだと忘れていた。気恥ずかしさで動けないアグリアス
「……その、どういたしまして。騎士の務めですから…」そう言って駆け出してしまうアグリアス
『あなたを護ってあげたくて』凛々しく答えるアグリアス。そんな光景を夢想して一人赤くなるベッドの中のアグリアスでした。



『ワコクから来た人』


今日の授業は一風変わっている。私たち騎士団への入団を志す者は、
剣が使えても頭はさっぱりというのでは話にならない。文武両道な騎士が求められているのだ。
父上はそういうこともあって、私たちに異国の文化や歴史、魔法の勉強もしっかりとさせていた。
今日の授業の先生はモトベという名前である。ワコクからこの国にやって来たとのことで
「サムライ」というワコク風の騎士をしている。セリア姉さんが忍者(ワコクの戦闘員)を志していることもあって
いい勉強になる、と授業の講師及び剣術(主にセリア姉さんの専任)指導者としてスカウトされて
セレス家に滞在していた。彼のワコクに関する知識は深遠で、ワコクのみならず魔法や薬学にも精通していた。
今日は「ジュウジュツ」と呼ばれるワコクの戦闘技術の訓練である。私たち騎士を志す者は、
戦場で何らかの理由で武器を失った場合を想定して、体術の訓練も積んでいる。
「ジュウジュツ」は相手の力を利して相手を投げ飛ばしたり押さえつけたりする技で、この国にはない技術と発想であった。
「相手の力の流れを視る。そしてその流れを己の意図する方向に流すように手や足を差し伸べる。それだけのことだ」
…よく分からない。でも私がいくら殴りかかっても、彼は大した動作もせずに私を遠くに投げ飛ばしてしまう。
ジュウジュツ…凄い技だ。これがあれば戦場で剣を弾かれても闘える!
「大変ですモトベ先生! 山からはぐれオーガが降りてきて町を荒らしてるんだ! 他の先生方は出払っていて
どうしようもないんです! どうかお力を!!」二人の前に血相を変えて飛び出してくる使用人のアートス。
「…ふむ。分かった。私に任せておくがいい」そういってきびすを返すモトベ先生。



後日、セレス家、庭園。三人娘が話しをしている。
「モトベ先生…あっさりオーガにやられちゃったんですって。今魔法院で治療を受けてるそうよ。
 姉さん、ワコクから足を洗った方がいいんじゃなくって?」意地悪な笑みを浮かべるメリア姉さん。
むすっとした表情でただ紅茶をすするセリア姉さん。そしてただ黙っている私。
父上…モトベ先生を解任してしまわれるのかなぁ…。



『死霊の棲む森』


今日の私の授業は実地訓練です。セレス家から少し離れたこのウーシャの森にやって来ています。
治安の悪化で盗賊が頻出し、この森を抜けようとする旅人が襲われて殺される事件が後を絶たなかった。
森の至るところに死体が放置され、白骨化しているものもたくさんある。
そんな訳で森には死者の怨念が渦巻き、たびたび死霊の目撃が報告されている。
死者の霊魂は放置しておくと複数が融合しあって死霊系のモンスターに転生してしまう。
本来ならば司祭などが浄化するべきなのだが、殺された人の霊は説得と浄化に時間がかかり、とても
手が回らないというのが現状である。死者の霊で満ちているのは何もウーシャの森ばかりではない。
国中の至る平原、草原、合戦場跡地でも同様なのである。
死者の霊が結集する前に魔法や闘気を操れる者が死者の霊を予め滅ぼしておく必要があった。
アグリアスも微力ながら闘気剣が扱える剣士。格好の訓練場としてウーシャの森にやってきているのである。
アドバイスと万が一の事態に備えてオルランドゥ先生とガフガリオン先生が後ろで見守ってくれている。
「…あンな鼻ったれに死霊の退散が務まるのかねぇ…」あくびをしながらぼやくガフガリオン。
「最近の彼女の闘気はちょっとしたものなんですよ。まぁ御覧なさい」暖かく見守るオルランドゥ
……目を閉じて意識を集中する。モンスター化する前の死霊のエネルギー密度は低すぎて
目を凝らしても見えるものではない。目で見るのではなく、空間を移動するエネルギーを感知する。
この訓練は闘気剣の訓練だけでなく心眼の養成も兼ねていた。非物理的な力の剣技の操作には
エネルギーの移動を感じ取れる感性も必要だからである。
――いた。前方、約3トータンの距離。この距離ならば踏み込まなくても闘気が当たる。剣に闘気を
込めて勢いよく剣を振る。飛び出した闘気は空中の透明な「何か」に当たって霧散する。
確認の為にもう一度意識を集中する。いままでそこにあったエネルギーが消えている。成功だ!
へぇ…と片目を開けるガフガリオン。「よくやった」と褒めてやるオルランドゥ
基本的には今の作業の繰り返し。今日のノルマは15体だった。9体退治したところで事件は起こった。


闘気を連続して放ったので少し休憩していたアグリアスの背中に死霊が潜り込んだのだ。
「!!?」冷たい何かがアグリアスの背中の上を這っている。その感触は冷たい粘液のついた何十本もの
指で背中をまさぐられているような感覚である。一言で言ってしまえばおぞましい。
予期せぬ事態と感触に瞬時にパニック状態に陥るアグリアス。無理も無い。騎士を目指しているとは
いえ彼女は年端もいかない女の子である。
「キャ〜〜〜〜ッ!! 出てってっ出てってよ〜〜〜っ!!」服の背中側をはたきながらピョンピョン跳びはねる
アグリアス。「……なぁにやってんだかあのガキは…」別に何をするわけでもなくぼけっと様子を眺める
ガフガリオン。「落ち着きなさいアグリアス!教えただろう? そういう時は…」何とかなだめようとする
オルランドゥ。彼女は相変わらずキャーキャー叫びながらグルグル走り回っている。
まだまだ心の修行が行き届かないアグリアスであった。



『嫉妬』


セレス家、庭園。三人娘が談話をしている。話題は恋愛話。アグリアスにとっては苦痛の時間である。
「でね、私がカルト家の長男に言ってあげたのよ」もったいぶるセリア姉さん。
「何を何を?」堪らず身を乗り出して訊くメリア姉さん。じっと紅茶を飲んでいる私。
最近この手の話題ばかりで嫌になる。だからといってセリア姉さんにワコクを語らせたら
いつまでたっても放してくれないしなぁ…。ぼんやりとそんなことを考えるアグリアス
「ところで庭師のラムザだけどさぁ…」セリア姉さんがラムザの名を口にした!? 一瞬で神経が研ぎ澄まされる
アグリアス。「あの子農家の出身だけど、品があるよね。顔立ちも整っていてかわいいわ」
「うんうん、私もそう思う」クスクス笑う二人。アグリアスは固まっている。
「この前彼女いるかどうか訊いてみたんだけど、顔を赤くして『いません』だって。ふふ」
「えー本当? 私が頂いちゃおっかなー」クスクス笑うセリア姉さんとメリア姉さん。
……いつの間にセリア姉さんはそこまでラムザと親しくなっていたのか? ちっとも気付かなかった。
彼と恋愛絡みの話をする!? 私は草花の話で精一杯だっていうのに…。
「で、次の話なんだけど…」セリア姉さんが次の話題に切り替える。しかしアグリアスの頭は切り替わらない。
疑問や悲しみ、嫉妬、後悔が胸中に渦巻いて悶々としている。しかしそれらの感情は
ある一つの意識に収束する。「対抗意識」である。ラムザは私が先に目をつけた(はずな)のだ。
セリア姉さん達に渡してなるものか! 猛烈なやる気に満ち溢れ、さっと席を立つアグリアス
「どうしたのよアグ、急に」きょとんとした様子でメリア姉さんが問いかける。
「私、用事を思い出したので失礼いたします」そういってつかつか自室に歩いていくアグリアス
まずは自己アピールだ! 手紙を綴って彼に渡そう! そう思ってペンと紙を取り出すアグリアス
そこまでしてやっと冷静になる。ごみ箱に目をやる。そこには山ほどの書きかけの手紙。
―――そうだった。ラムザ宛ての手紙など普段から書いている。彼に手渡す勇気が出ないから
こんなにも手紙の山が溜まってしまったのだ。
バカバカバカ…私のバカ…。さっきまでのやる気と熱気はどこへやら。
彼女はすっかり落ち込んで自己嫌悪に陥るのだった。



『殺し屋』


セリア姉さんは忍者を志している。忍者とはワコクの戦闘員で、身軽で俊敏、刀を二本操って
敵を倒すという戦士である。モトベ先生が剣術の指導員から外されて(室内講義は続行しているのだけれど)
セリア姉さん用の戦闘指導員が必要になった。そんな折、どこからともなく現れた一人の美しい女性。
名をレディという。暗殺と諜報を生業としているプロの殺し屋である。セレス家の忍者用指導員の公募を
見て家庭教師に志願してきたのだという。
国内に浸透してきた忍者はただの戦闘員・用心棒というイメージが一般的だが、本来のワコクでの忍者は
暗殺と諜報という闇の仕事を請け負うものである。それはワコクマニアのセリア姉さんが一番良く分かっていた。
ロベルトは、娘にそんな汚い仕事をさせるつもりはないと志願を拒否したが、「本物」に是非触れたいというセリア
姉さんの熱望もあってレディの家庭教師入りが決定した。
―――レディさんの授業は、一言で言えば恐ろしいものであった。当然といえば当然だが、レディさんに
相手を生かすことを前提に戦闘を進めるつもりは全く無かった。全ての行動は相手をいかに上手く殺すか。
その一点に収束されていた。
「影縫い。特殊な針に自らの魔力を帯びさせて対象の影に打ち込む。すると相手は動けなくなる。
相手から知りたい情報を聞き出すときは爪を剥ぐといい。指を切り落とすのはダメだ。相手が混乱状態に
陥って使い物にならなくなるからな。殺す場合は返り血を浴びないよう、この角度からすばやく首の表面を
狙う。首を落としたり胸を狙ってはいけない。血のりで刀が斬れなくなるからな」
――こんな内容の話を永延と聞かされる。私はとても耐えられない。私は人々を護るために剣を修めている。
たとえ悪人でも、話し合いで済めば殺さないことに越したことは無い。
今まで二刀流の訓練や瞬発力の養成、ナイフの投擲などが主な実習だったセリア姉さんだが、
さすがにこの話には面食らったのだろう。顔が青くなっている様子がはっきりと見て取れる。
「どうした? まだ序の口だぞ。次は拷問の講義に移る」セリア姉さんかわいそう…。
私もセリア姉さんも、武を生業とする以上、いつか人を実際に斬る日がやって来るだろう。
忘れてはいけない。私たちが習っている技術は平たく言えば殺人術なのだ―――。



『幻の石』


セレス家三姉妹は今裏山のドール山に登っていた。町に流れる噂で、
「ドール山に願いの叶う石がある」というものが流れていた。何でもその石は緑白色に輝いているらしい。
レディ先生の授業で半ばノイローゼ気味のセリア姉さんの気分転換も兼ねて、彼女達は面白半分に
その石を目指して、こうして登山しているのである。山の新鮮な空気に触れて、目的地の炭坑跡地に
着く頃にはげっそりとしていたセリア姉さんも幾分ましになっていた。
昼食を済ました後、彼女達は石を探して炭坑内をうろうろとする。
しかしいくら探せど見渡す限り一面ただの石。そもそも情報が少なすぎたのだ。探す方法くらい
訊いてくれば良かった。「あ〜ぁ、さっきからかがみっぱなしで腰が痛くなっちゃったわ」そういって
炭坑の外に飛び出すセリア姉さん。「私も疲れちゃった。やっぱり噂は所詮噂だったのかしら」
メリア姉さんも後に続く。二人はもう飽きているようである。しかしアグリアスは懸命に探し続ける。
願いの叶う石と聞いた瞬間から、きっと見つけ出す! と、もう既に彼女は燃えていたのだから。
しかし探せど探せどただの石の山。正直もう見つからないかと諦めかけていた。
しかしそんな彼女にある一つの閃きがよぎる。
――願いを叶えるというならば、その石は何らかの力を帯びているのでは――?
そう仮定づけて目を閉じ、意識を集中してみる。この草一本無い死の炭坑内で、どこかに
エネルギーがないかを探る。そうすること10分、5トータン程離れた岩の山の下にかすかな
力の乱れを感じた。急いで掘り起こしてみる。かすかに緑がかったこぶし大の石を見つけた。
緑白色ではないものの、それはかすかだが何かの力を発している。
姉さん達に自慢したい気持ちを抑えて懐にしまうアグリアス。姉さん達に見せびらかしたりでもしたら
上手いことを言われて取り上げられてしまうだろう。多分…この石に人の願いを叶える力などありは
しないだろう。彼女の発する気に何の呼応も示さず、ただ気付かないくらいの小さな力を放っているだけ。
でもいいんだ。これは私の願いを叶えてくれる石なんだ。私がそう決めたんだ。
ああ願いの石よ、願わくば愛しいあの人を私の気持ちに気付かせたまえ……。



『境界』


それは、ある雨の日のことだった。彼女の剣も随分上達したので、真剣を持つことを
先生達から許可されていた。真剣を持つということは、一つの覚悟を持つということである。
すなわち、真剣を用いて人を殺す場合も受け入れるという覚悟。
しかし彼女はまだそんな考えには至らず、ただ先生方に認められて嬉しい位にしか考えていなかった。
雨がパラパラと降っていたので、急いで庭園を抜けようとする走るアグリアス
しかし、妙な音に足が止まった。誰かが地面に叩きつけられる音。そしてうめき声。
叩きつけられているのはラムザ。そしてそれを行っているのは一人の野盗と思しき男だった。
「さっさと金庫の鍵のある場所に案内しねぇかこのガキ!」「…し、知らない」
それもそのはずである。彼はただの庭師。金庫の鍵を預かるような身分ではない。
飛び出したくてもうかつに飛び出せば何が起こるか分からない。そう思ってじっと期をうかがうアグリアス
しかし、野盗が腰の剣を引き抜いてラムザの顔に突きつけた瞬間頭が白熱した。
叫び声を上げて剣を右手に構えつつ野盗に突進するアグリアス
大丈夫、剣を首筋に当てればラムザは助かる――!ただラムザを助けたい一心で渾身の当身を入れるアグリアス
「(やった…!)」ラムザを助けた安心感で気が抜けるアグリアス
血の噴水。勢いよく野盗の首から赤い液体が噴出す。返り血を浴びて赤黒く染まるアグリアスの服、顔、肢体。
「(――――え?)」見れば周り一面が赤く染まっている。野盗はうつ伏せになってもう動かない。
自分の手を見る。血の染みでいっぱいだ。自分の剣を見る。血が滴り落ちている。
野盗を見る。死んでいる。ラムザを見る。ガチガチと歯を鳴らしている。
私を見る。私は人殺し。
………。
自分の持っていた剣が真剣であったことにようやく気がつき、ああ、私は間抜けだなぁ、とどこか上の空で考える。
雨が降り続ける。真っ赤な少女と震える少年を濡らし続ける。
―――私は境界を越えた。
―――私は境界を作った。



アグリアス・セレス』


アグリアスは正当防衛として罪には問われなかった。雨の中でただ立ち尽くしている
彼女を、ラムザの通報によってセレス家の人間に発見、保護された。
ラムザの証言から死んだ男は、セレス家の金を盗むためにラムザを脅していたという。
呆然自失としていたアグリアスは部屋に閉じこもってもう二日も出てこない。
事が事だけに無闇に刺激しないほうがいい、と三食の食事だけをドアの前に置いて
もう二日になる。セリアもメリアドールも先生達も当主・ロベルトの指示で部屋に立ち入ることを許されなかった。
アグリアスは真っ暗な部屋で、ただ赤い目で虚空を見つめ続けていた。
――最初に浮かんできたのはあの真っ赤な場面。赤く染まった私が剣を片手にただたたずんでいる。
――次に思い浮かんだのは私が殺した野盗の人生。
――その次に思い浮かんだのは私が人を初めて殺したということ。
――その次に思い浮かべたのはラムザの怯えた表情。
――最後はただ広がっていく闇――。
最初は涙もこぼれたものだが、今は逆に落ち着いてしまっている。代わりに残ったのは冷え切った心。
剣士である以上、人をいつか必ず殺す時がやってくるだろう。予想もしていなかった始めての人殺しで
最初は動揺してしまっていたが、よくよく考えれば遅かれ早かれ人は殺す。
ならばそう気に病む必要は無い。むしろラムザを救えて幸運だっただろう。
しかしその初めての殺しがよりにもよってラムザの前でとは。あまりの不運に逆に笑えてくる。
私はこれ以上無いと言える形で彼と一線を画した。事実、ラムザの私を見る目は殺人犯をさげすみ、
次殺されるのは自分の番ではないか?とおののき震える侮蔑と恐怖の入り混じった目だったのだから。
彼のあの目をここで思い出すたび、どんどん今まで胸に蓄えてきた熱が失われていくのが自覚できた。
今までの自分の気持ち、行動が愚かしく思えてならない。
私は貴族で彼は平民。私は騎士になって彼は庭師を続ける。住む世界がそもそも違うではないか。
なぜ共存が不可能という自明の理に今まで気付かなかったのか。
「恋は盲目」という言葉の通り、私は今までまるで現実が見えていなかったようだ。
今回の一件でそれがはっきりした。無駄な感情に振り回されなくて済む分、むしろ


今回の事件に感謝すべきかも知れない。そんな考えまで頭に浮かぶようになった。
コンコン、ドアを叩く音。そろそろ出て行く頃合いかな。ぼんやりと考えるアグリアス
「……アグリアス様。ラムザです」ドア越しに聞こえるラムザの沈んだ声。
「…入らないで」即答するアグリアス。折角真理を得たばかりだというのに、この男は
また私の心を乱そうとする。何か言いたそうだから、私はドアに背をつけて彼の言葉に耳を傾ける。
「…どうもありがとうござました。貴女は僕の命の恩人です。僕が間抜けなばかりに、
あんなことになってしまって…」ラムザは次々と言葉を紡ぐ。私は悪くない、悪いのは自分だ、という
趣旨の話を延々と続ける。
どうしてだろう。きっちりけじめをつけたはずなのに、もう見切りをつけたはずなのに
彼の話を聞いていて涙が止まらない。鈍った頭と心は温かみを取り戻し始め、
私は懸命にそれを否定し続ける。彼がくれる温かみ、それを潰す私。
一通りのいいたい事はいい終わったのか、「失礼しました」とその場を離れようとするラムザ
口が勝手に叫んでいた。
「私と友達でいてください」
と。



その後、アグリアスラムザがどうなったのかは文献の痛みと旧文体での
記述のため判読不能
他に判る事といえば、アグリアスとメリアドールは騎士団への入団を果たし、
セリアは国王の側近として、華やかな人生を送ったということぐらいである。


                            〜カティロア記〜

                                     Fin