氏作。Part12スレより。



僕は逃げていた。

僕を支えてきた全てが崩れ、それに押しつぶされまいと懸命に逃げ続けてきた。
怖くて、振り向くことも、立ち止まることもできず、
泣きながら、怯えながら、それでも、逃げて、逃げて、逃げ続けた。
暗い、何も見えない場所で、独りぼっちだった。
何度も誰かの声が聞こえた気がした。
それでも逃げ続けた。
このまま、何者も僕に触れられない、場所へ、ずっと、ずっと…


でも

貴女があらわれた。



貴女は、気高く、真直ぐで、そして美しかった。
瞳は水のように透きとおり、貴女を通して自分のうつろな瞳が覗けた。
暖かい光の中に包まれたような気がしたんだ。

僕は初めて立ち止まった。
この人はどこに行くんだろう。
僕とは違う方向へ歩んでいる。
自分がどこに向かっているかを、知っている。
僕も貴女がどこに行くのか、知りたい。

興味を持ったんだ。

僕は貴女に付いていくことにした。
貴女は決して振り向かなかったね。
でもそれは、怖かったからじゃなく、前を見続けていたからだった。
自分を信じて歩み続ける貴女を見つめていると、自分が許されていくような気持ちになれた。

もう周りに闇はなかった。



守りたい。

この人を、この人の信じるものを守りたい。
全ての人の信じるものを守りたい。

そう思った時、不意に、僕の後ろにいる、僕を支えてくれる仲間達の存在に気付いた。

貴女が気付かせてくれたんだ。



それなのに
それなのに、貴女は冷たい。
流れる血は、火傷するほど熱いのに、
貴女は冷たくなっていく。




アグリアスさん!』

魔法を唱えながら、必死で彼女に呼びかける。
血が止まらない。腕の中の彼女がどんどん遠ざかっていく。遠ざかっていってしまう。
いやだ、いやだいやだいやだいやだ。

アグリアスさん…お願いです、行かないで…僕を独りにしないで下さい。』

涙が溢れて、言葉がうまく言えない。
けれど、溢れる想いを抑えることもできない。

『愛してます…。僕は貴女を愛してるんです…。駄目なんです。貴女がいないと…、
 貴女がいないと、何の意味もないんです。何の……だから……、
 お願いです、眼を開けて…開けてよ………アグリアス…。』

すがるように彼女の胸に顔をふせる。
それをあざ笑うかのように、空は曇り、雨を降らす。
冷たい雫が、彼女のまぶたを濡らす。


「……ラムザ?」
アグリアス!?気が付いたんだね、よかった!もう大丈夫だよ!』
「………やっと、アグリアス…って呼んでくれたな。」
『しゃべらないで!すぐにみんなも来るから、その傷もふさげるよ。』
「……………」
『…アグリアス?』

「……ラムザ…。」
『どうしたの?』
「………私も、愛してる、よ……。」
『…え、あ、あの…。』
「………………………」
『…アグリアス?………アグリアス!!ダメだよ!死んじゃいけない!アグリアスッ!アグリアスーー!!』

彼女は穏やかに微笑むと、小さく、つぶやき、眼を閉じる。

ーーごめんねーー



彼女の唇に、そっと自分のそれを重ねる。

最初で最後のキスは、甘い血の味がした。





ルカヴィとの戦いから、早くも一年の月日が流れようとしていた。
生き残った英雄達は戦いの終わりを喜びあい、そして再会を約束し、別れた。
しかし、多くの者は帰る場所を無くしていたので、
スタディオの提案で、機工都市ゴ−グを居としている。
そのうえ、他の仲間も、ほとんどがゴ−グの周辺に住んでいるため、
再会を約束しあうどころか、しょっちゅう顔をあわせる毎日である。

ただ一人を除いて…



『おはよう、アグリアスさん。』

釣ってきた魚をさばきながら、寝ている彼女に声をかける。
もちろん返事など返ってこないが、僕の心はそれだけで満たされる。
『今日はまた、冷えるね、ここ。』
喋りながら、おどけるように唇を震わせてみせる。



ここはフィナス河の、誰も知らない氷の洞窟。
零度を下回る、河の水が作り上げた、自然の聖域。
ニ年前、悲しみの癒えないままフィナス河を歩いていた時、誘い込まれるように、ここを見つけた。
そして僕は、アグリアスさんをここに運んだんだ。
彼女を失いたくなくて、何かを信じて…

そして一年前、全てが終わったあの日。
僕はムスタディオ達にアルマを託して、ここに帰って来た。
以来、洞窟の側に小屋を立てて、毎日ここにやってきては、彼女と食を共にする。
時々、別れる時のアルマの言葉が思い出される。

ーー兄さん、アグリアスさんは…死んでしまったのよーー


わかってるさ、そんなこと。

でも、
それでも側にいたいんだ。
もう守る必要の無くなったこの世界で、僕が守りたいのはこの人だけなんだ。



『わぁ、もうほとんど治っちゃったね。もう少しだよ。』

いつものように回復呪文をかける。毎日毎日、少しずつだが、
その甲斐もあって、あの凄惨な幾つもの銃痕は、ほとんど消えていた。



”随分と、御執心のようだな”


不意に声が、聞こえた。
誰もいるはずがない。
不気味な気配の中で、無意識にポケットを手で探る。
ぞっとするほど優しい手触り、そこにはあの忌わしい聖石があった。
仲間と別れる時に、力を分断するために、主だった者たちがそれぞれ保管することにしたんだったな。
そして僕が受け取ったのは、



『…ヴァルゴ、いつの間に…?』

”その女が愛おしいか”

聖石が、僕の心に入り込むように、光をたたえる。

”その女が愛おしいか”
『…………………』
”その女の魂を呼び戻したいか”
『…なんだって…』
”その女と共に生きたいのだろう”
”お前の想う心が我を呼び出した、さぁ、我を胸に抱き、祈るのだ”

僕の脳裏を、リオファネス城で死の淵からマラ−クを救い出した、聖石の奇跡がかすめる。
こいつには、アグリアスさんを蘇らせることができるのだろう。

だが…、


嘘だ。
こいつは嘘を付いている。
こいつは自分の意志でここまで来たんだ。
こいつは何か企んでいるに違いない。
だから、早く、手を放さないと……、
放さないといけないのに!!
アグリアスさんの声が聞こえてくる。
もう一度笑って、もう一度僕の名を呼んで、もう一度僕を見て、もう一度だけ……


”汝の願いを叶えよう”

あたりが、おぞましいほど美しい調べに包まれる。


僕の意識は、ゆっくりと薄らいでいった。






以下、未完。