氏作。Part36スレより。




神殿騎士団との決戦は熾烈を極めた。
戦闘に参加したものは持てる力を遺憾なく発揮しあい、まさに剣技と剣技、魔法と魔法のぶつかり合いとなった。
しかし、戦闘において最も大切なファクターの一つが最後に戦ってからどれだけ時間が経ったかである。
戦いの勘というのは如何に戦いから戦いまでの合間が短いかによってキレが変わる。
そして、その点で言えば常時戦場に身を置いていたといっても良いラムザたちに軍配があがったのは
ある意味当然かもしれない。


結局ルカヴィたちとの決戦は時空の狭間にて古の遺物、飛空挺の上で行われ、聖天使の魔力の暴走により
飛空挺が崩壊、ゆがんだ時空に飲まれた一行はいつの間にかばらばらになってしまった。


ふと冷たい感触を頬に感じたアグリアスが目を開けるとそこはうっそうと茂る木々に覆われた
深い森のような場所だった。
小さな小川がそばにあるのか流水の音が耳に響く。
周囲を見回すが人の気配はなく、遠くで鳥達のさえずりが聞こえるほかは生物の気配はない。
周囲の安全を確認し、身につけているものに注意を向けると最終決戦のときのままであることに気がついた。


そして一行がバラバラになったことを思い出したアグリアスの胸に不安が徐々にではあるが広がり出した。
(もしかしたら・・・ラムザとは違う世界に飛ばされたのかもしれない!!)
そう思った彼女は居ても立ってもいられず、急いで森を抜けようと走り出した。


それから2時間が過ぎ、ようやく森の切れ目が見えたのでこれ幸いと、抜けると目の前には見覚えのある
修道院が建っていた。
否、見覚えどころではない。彼女とその最愛の人と仲間たちが最後の決戦へと訪れたあのオーボンヌ修道院
そのものだった。


呆然とする彼女に気付いたのかどこか見覚えのある人物が声を掛けてきた。
「まぁ、アグリアスさん!無事でしたの!?」
声の主を見てみるとそれはアルマだった。


「ほら、アリシアさん!ラヴィアンさん!アグリアスさんが帰還されましたよ!」
「え、アグリアス様!?ちょっと、ラヴィアン!ラッドといちゃついてないでこっち来なさいよ!
アグリアス様のご生還よ!」
「もう、良いところだったのに・・・ってアグリアス様!!ご無事でしたかっ!!よかった!!」
そういいながら抱きつき、感涙に咽ぶかつての部下達を愛子ながらふと、アグリアスの脳裏にある考えが浮かんだ・・・。
(今はあれからどれくらいの月日がたっているのだろうか・・・?それにラムザはどこに・・・・)
(!?・・・アルマ殿が無事であったということは・・・他の者も無事なのだろうか・・・そういえばラムザ
アルマ殿を助けるように飲まれていた・・・もしかしたら彼女はラムザの行方を知っているかも・・・)


「あ、あの・・・アルマ殿、あれからどれくらいの月日がたったのでしょうか?それにあの人は・・・ラムザ
どこにいるのですか?」
その言葉を聴いたアルマは一瞬ビクリと身をちぢめ、喜びを浮かべていた表情が一気に暗くなってしまった。
「え、えっと・・・その黙られても分からないのですが・・・」
困惑しながらもたずねるアグリアスにアルマの変わりにアリシアが悲痛な面持ちで答えた。
「実は・・・ラムザ様の行方は未だに掴めていないのです。私達がラムザさんを見たのはあの狭間に飲み込まれる直前で・・・それと、あの決戦から5年の月日が流れています。」
「それと、隊長には本当に言い辛い事実をもう一つお伝えしなければなりません。」
そう言葉を続けるラヴィアンの表情もまた悲痛だった。
「ラッドと私がこちらに戻った時、アルマさまとアリシアが先に戻っていました。それから少しずつ
仲間たちが戻り出しました。」
「そうなのか・・・そういえば、おまえはラッドとねんごろだったな。」
「は、話の腰を折らないでください!!」
「あ、すまん・・・続けてくれ。」
「・・・で、ですね・・・私達が戻った翌年、王都で盛大な結婚式と即位式が同時に行われたんです。
それと一つの重大発表が!!」



「なに!?結婚式と即位式が同時に挙式だと?だ、誰とオヴェリア様がご結婚されたのだ!それと発表とは何だ!?」
「そ、それがディリータという若い聖騎士で・・・アルマ様からお伺いしたお話ですとなんでもラムザ隊長の
ご親友だった方だったそうです。」
「そ、そうか・・・あの時の・・・ところでそれはオヴェリア様ご自身のご意思なのだろうか?それで肝心の発表は
何だったのだ?」
「発表に関してはラムザ一行への異端者の烙印を解除し、それぞれが今まで失った名誉を回復させる所存で
あるとのことです。」
「ええ、私達もそう聞いています。それと、去年には早くも皇太子様がご生誕されました。これでご夫婦仲も
ますます円満になりお二人の行く末も安泰と思われました。」
「思われました?ご夫婦仲が円満であるならば問題はないのではないか?」
そう言うアグリアスアリシアが悲痛だった表情を更に暗くして答えた。
「いえ、ところが半月前、王宮をかつての北天騎士団の残党が襲撃し、突然の襲撃により国王一家が倒れた
という悲報をいつも生活用品を届けてくれるドーターの酒場のマスターさんが伝えてくれました。」
「現在は国王のかつての副官である、バルなんとかという方が例のボケ王子を臨時の国王とし、摂政として
政事を執られているとのことです。」
その言葉を聴いた瞬間、アグリアスは一瞬で足元が消え、奈落の底に叩き落される感覚を味わった。


そんな馬鹿な!!・・・オヴェリア様が、あの美しいオヴェリア様がご崩御されたなんて・・・。
生まれてから15年もの間、修道院をたらい回しにされ、様々な政争に巻き込まれ、ようやく・・・ようやく手に入れた人としての幸せを奪われてしまわれた・・・。
不憫な・・・ああ、何と不憫な!!・・・神よ・・・貴方は本当に残酷だ!!私は・・・私は貴方をゆるせない!!絶対にぃっ!!



「まぁ、アリシア、ラヴィアン・・・二人とも困りまるわ!勝手に人を死者みたいに扱って!!」
「まぁまぁ、オヴェリア・・・彼女たちとて親愛なる元隊長閣下をからかいたいがためにやったいたずらだ少しは許してやれ。」
(へ?何でオヴェリア様とディリータ殿・・・いやディリータ様のお声が聞こえるんですか?)
「でもあなた、あの言い方じゃ私達が死んでしまったみたいな言い方じゃなありませんか・・・」
「お前だって相当ノリノリだったじゃないか・・・あまり強く言ってはかわいそうじゃないか?」
(なんでお二人が私の目の前でピンピンしてるんですか?)
「オヴェリエ様、アグリアスさんが固まっていますよ。そろそろネタバレして差し上げなくて
よろしいのですか?」
「アルマ、そういう堅苦しい言い方はよしてと何度言ったら分かるの?ああ、私は親友にも
可愛い近衛騎士たちのも堅苦しい呼ばれ方しなくちゃいけないのね・・・。」
(・・・なんで私は悲しい想いをし、怒りまで覚えたのでしょうか・・・)
「ところで、お前たち、そろそろアグリアスをこちらの世界に連れ戻さなくて良いのか?
馬鹿っ面晒してる上に相当顎が外れているぞ?」
「ああ、良いんですよ、隊長にはこれくらいしないと・・・今まで私達をヤキモキさせたお礼ですから!ねぇ、アリシア〜♪」
「そうね、ラヴィアン。でも、あんたとラッドのイチャイチャぶりをあてつけられる私の身にもなってよね!!」
(・・・なんでこの人たちはニヤニヤと私を見つめるのでしょうか?それとこの頭に溜まってきた
『怒り』ゲージというのを使ってみたくなってきたのは何ででしょうか?)


そんなアグリアスの視界の隅に見覚えのあるくせ毛が特徴の優しい表情の少年を背に乗せた
チョコボ(ボコ)彼女の愛鳥のカトリーヌ(赤チョコボ)が入ってきた。
「お〜い、アリシアさ〜ん!マスターからムスタディオからアリシアさん宛の手紙がたくさん
預かってるんですけど・・・。あと、それとアグリアスが還ってきたって本当ですか!?」
(な、ななななななな!ララララララララララムザ、なんでここに・・・。)
「げ・・・あ、ラムザ隊長!お帰りなさい〜。どうでした、毛皮とかの売り上げは〜?っとすごい荷物ですね、
運びますよ。」
「ありがとう。売り上げはまあまあだね。それととりあえずマスターが今月はぎっくり腰で届けれない
とのことなので今月の前期分を貰ってきたよ。」
「あら、兄さんの帰りなさい、こんなにたくさんですか?じゃあ、アグリアスさんのの帰還祝いに
ご馳走としましょうか」
暢気に戻ってくる兄を見て慌てて荷物を保存庫にしまいに向かうアルマとラッド。(逃げたとも言う)


「ああ、アグリアス!!よかった!!無事で・・・君が無事で本当に良かった!!(以下惚気三昧なので略」
突然ラムザに抱きつかれ、暫く慌てていたが次第に安堵感とともに冷静な思考が脳裏に帰ってくる・・・。
そして何故か途方もない怒りも・・・。
「あれ?アグリアス・・・俯いてどうしたの?どこか痛い所があるの?」
不安げに心配するラムザをそっと横にどけ、
「ふ・・・・フフフフフフフ・・・・キミタチ、カクゴハデキテマスDeathカ?」
っと見た者を魅了してやまないほどの美しいのだがどこか非常に恐ろしい微笑みを浮かべたアグリアスを見て
アリシアとラヴィアンは己の犯したミスに気がついた。
「へ?た、隊長・・・?なんか言葉が不自然なくらい怖いですよ・・・?ちょ、ちょっとしたオチャッピー(死語)
じゃないですか、あはははは」
といいながら、状況に気付いていない(気付こうとしなかったとも言う)ディリータ&オヴェリア夫妻を連れて
脱兎の如く修道院から逃げ出した。
ラムザ、そこで待っててください!すぐに彼らにお仕置きをして戻ってきますから!
それから・・・私の居ない空白の5年間、貴方が貯め続けてきた私への想いを受け止めさせてください!!」
そう伝えるとアグリアスは愛鳥カトリーヌに跨り大量の召喚獣を呼び出しつつ逃げた者たちを追いかけていった・・・
頬をほんのり朱に染めて。
「うん、分かった。でも殺しちゃダメだよ?僕も大切なアグリアスを騙した彼らにちょ〜っとベオルブ家に
伝わる120手のお仕置き術を使いたい気分だからね♪」
そう彼女の後姿に伝えながら、今はこれからどこでどうやって生活しようかと考えるとしよう・・・。


今、僕ら(私達)の後ろには沢山の道が広がっている・・・一つ一つが違う僕ら(私達)の道・・・でもこの道を歩けて僕(私)は幸せです。


Fin


「ところでメリアドール、このS

氏作。Part36スレより。



もうすぐ最後の決戦場となるオーボンヌ修道院への突入に備え、
ラムザは最も近い町、貿易都市ドーターのなじみの酒場でにて英気を養おうと宴を催した。


(もうすぐ長く苦しかった戦いが終わり、自分達の努力が実る!)
そう願ってか思ってか隊員の中からはハメを外しまくるものが続出した。
酒場のマスターの懇意もあって貸しきり状態で宴は夜通し行われ、現在も続けられている。


そんな中、隊公認カップルの者達は最後の夜を過ごすためにあてがわれた部屋に戻り、
あぶれた独り身の隊員は不安と寂しさを酔いと酒とご馳走でごまかす。


アグリアスはそんな彼らを横目にカウンターで一人、エールを仰いでいた。
現在、彼女の恋人であるラムザは宴を抜け出し最後の戦いに備えての準備におわれていた。


隊長が率先して隊の備品管理を行うと言うのは聞こえが良いが、
実際は担当の隊員が各自の欲求を優先してしまった尻拭いである。


ふと宴会の中央を覗いて見れば先ほどまで自慢の腹踊りを(強引に誘った)ムスタディオと一緒に踊っていた
オーランドゥ伯に変わってラファとメリアドールによるマラーク危機一発(誤字ではない)が行われている。


(また、マラークの傷を治療させられるのか・・・)っと一部の回復要員組の不安をよそに次々に刺さっていく
ラファとメリアドールの剣。
まぁ、刺されているマラークの方としてはたまった物ではないのだが・・・・。


そんな彼らを眺めていると視界の隅に待ち望んでいたくせ毛が入ってきた。


アグリアス・・・・さん、お待たせしました。 ってまた、やってるんですか、彼女たちは・・・。」
酒場の入り口から小走りで駆け寄りながらふと最愛の人の視線の先が気になってその惨状を確認したラムザ
ため息をついた。


「仕方あるまい、彼女たちとて人の子だ。ストレスだって溜まるだろうし、このような時だ・・・ハメを
外したいのだろう」
そんなラムザの様子を見てアグリアスは苦笑しながら彼にミルクで満たされたカップを渡した。
「ありがとうございます。っと・・・ここじゃ騒がしいですし・・・その、僕の部屋に行きませんか?」
「あ、ああ・・・そうしようか。 いや、そうしよう。是非そうさせてもらいたい。っと私は何を言っているんだ・・・」
そういって彼女は真っ赤になってうつむいた。
「これでは私が・・・そのふしだらに聞こえてしまうではないか。」
「ははは、良いんじゃないですか、そういうアグリアスさんだから僕も好きになったんですから。」
そういうとラムザアグリアスの腰に手を回し、そのまま抱き上げる。
「こ、こら!なななななななにをっ!!下ろしてくれ!一人で歩ける!!」
「くすくす、良いじゃないですか、折角水入らずの二人っきりになれるんですから・・・それに僕がこうしたいんです。」
「し、しかし!・・・その、他の隊員たちの手前・・・このような格好をするのは・・・・」
慌てるアグリアスの声に気付いたメリアドール達からは
「あら、アグリアスが珍しくお姫様だっこされてるわ」
「いいなぁ〜、ラファもいつか素敵な殿方にしてもらいたいなぁ〜」
「あの戦女神があんな風に慌てるのは見物だな!眼福、眼福」
「おっしゃ!100万回脳内に保存した!決戦が終わって生還できたら絵にして生活の糧にするか」
などとからかわれ、
「こういう時だからこそハメを外しても良いと思いますが・・・それともアグリアスさんは僕にこうされるのは
嫌なんですか?」
 目を潤ませながらジッとアグリアスを見つめるラムザアグリアスは内心、
(ああっ!そんな『捨てられた子犬』のような眼差しで私を見つめないでくれ!!)
っと慌てながらも(自分では)冷静に
「わわ、わかった!!このままで良いから早く連れて行ってくれ!!このままじゃ恥ずかしくて死にそうだ!!」
「はい、畏まりました。我が愛しの美しく可愛らしい姫騎士様。」
っとラムザにからかわれてしまう。
「わ、私とて一人前の大人なんだぞ!からかうんじゃない!!」
そう返しつつ、アグリアスは心の中で(このまま・・・決戦が無事に我々の勝利で終わってもこんな生活が
続けば良い・・・)
と願った。




決戦ヘの出撃前夜、先日の宴も今夜限りということもあってか独り身組の馬鹿騒ぎも普段の数倍は賑やかさである。
カップル組は晩酌をしたり、寝床の上で一戦どころか連戦をしていたりと思い思いの過ごし方を過ごしている。


ラムザアグリアスも例外ではなく先ほどまでは激しく愛し合い、求め合っていた。
今は余韻に浸りつつ決戦後のお互いの身の振り方を夢描いている。


アグリアスさんと幸せ一杯の夫婦生活、いつも楽しげな笑い声がする一軒の家、質素ながら暖かい食事を
囲む二人とその子ども達。
・・・って僕は何を・・・いや、でもアグリアスさんの子供なら可愛くて賢くて強い子に育つだろうな・・・)
(決戦が終わって無事に生き延びれたら、一緒にどこか田舎で一緒に畑仕事をしながら静かに暮らしたい。
子供は男の子と女の子、ラムザに似て両方とも可愛らしく賢くそして何より優しい強い子になるだろう。)
などと殆ど同じことを想像し、
((ここで言っておかないと万が一、途中で僕(私)が戦死してしまったらこの想いはどうなるのだろう・・・))
やはりバカップルのお約束と言うか・・・考えることは二人とも殆ど同じである。
「「あ、あの・・・」」
やはりバカップルのお約束をきっちり守り、同時に声を掛け合い、お互いに赤くなりながらも、
「ら、ラムザの用件の方が大事であろうから先に言ってくれ。」
「いえ、アグリアスの用件の方が大事だから先に言ってください。」
などと譲り合う初々しさもこの二人だからなのだろうか。


暫く譲り合った末、根負けしたアグリアスから用件を伝えることになった。
「その、ラムザ・・・貴方はこの戦いの後、どうするのかと思って。」
赤くなりながらも  . . .
「わ、私としては・・・ あなたと一緒に夫婦として・・・その・・・なんだ、暮らして生きたいと思っている・・
いや、います。」
その言葉にラムザは赤くなりながらも満面の笑みを浮かべ、
アグリアスさんに言おうとしたことを先に言われちゃいましたね。」
(・・・え?ラムザ、今なんて・・・言おうとしたって・・・プロポーズ!?嬉しい!!でも、私なんかが
ラムザとなんて!!(以下延々とプラス思考とマイナス思考がループ))
「勿論、僕もアグリアスさんと一緒に二人で一緒に何時までも幸せに暮らしたいと思っています。
例え何があっても貴方を手離したりしませんから・・・一緒に幸せになりましょう。」
などと無自覚にプロポーズをさらりと吐いた。


その台詞を聞いて一瞬にして溶岩よりも真っ赤になったアグリアスは落ち着かない頭を無理やり
落ち着かせようとして失敗した。
唯一、その沸点を越え、放熱量より発熱量が遥かに上回りオーバーヒートした頭で返せたのは
「・・・ありがとう・・・」
と言う言葉だけだった。


そして恥ずかしさを隠すように布団を被って
「あ、明日は大事な決戦に出撃するんだ!!そ、そろそろ休もう!!うん、そうしよう!!じゃあ、おやすみ!!」
っとそのまま寝てしまった。
ラムザもそんな彼女の仕草に可愛らしさを感じながらも苦笑しつつ、「そうですね、おやすみなさい、
愛しの我が妻、アグリアスさん」
っとトドメを刺したのであった。

氏作。Part36スレより。





 バリアスの谷でアグリアスからもたらされた情報を元に、オヴェリアを救出に向かうための
準備を整える為に、
一旦ウォージリスに戻ったラムザ一行。
 物資の調達を終えて、英気を養う為に各々宿へ向かう者や酒場へ向かう者がいるなかで、
合流を果たしたばかりのアグリアスという騎士が考え事をしたいという理由で行軍に使う幌付きの
台車の中に居残った。
 その人物の状態を考えると、十分に理解できるものだった。
 擦り切れ、泥で汚れた衣類や傷だらけの鎧は脱出の壮絶さが十分に伺えるものだった。
 それでも、吸い込まれそうな瞳で主の心配をする気丈な騎士が、独りでいることがラムザ
気にかかりどうにももどかしい気持ちにさせる。
 だから、ラッドやムスタディオの誘いを中途で外して町外れの車止めの元に向かった。


 鞍を外されたボコがラムザに気づき、鳴き声を上げそうになるも、唇の前に指を持ってくると、
一つ首をかしげて自分の羽を繕う作業に戻った。


アグリアスさん……大丈夫かな?)


「あとはケーキ……。それに水着か……」


(ん? アグリアスさんの声だ……)


「まずは、上着から……。それから、あーん……夜の浜辺……次は耳…いや、ネコが先か……」


(何を言ってるんだろう?)


「そして締めくくりは、やはり『ひざ』か……そうだ、それがいい……」


 確か彼女は独りだったはずだが、なにやらブツブツと喋っているような気配だった。
 ならば、誰かと相談事でもしているのかもしれない。そしてそれは自分が聞いて良い物では
ないのかもしれない。
 ラムザアグリアスに声をかけることなく町へと歩き出した。



 貿易都市ウォージリスは異国のものが所狭しと並んでいて、店先を眺めながら歩くだけでも、
気分転換には十分な町だった。
 ラムザは新しく入荷されたと言う、刀の品定めに没頭していた。
 そんなラムザの姿を見つけ、声をかける人物が居た。


「隊長!」


(これなんか、侍になったラッドにぴったりかな?)


 だが、品定めに没頭していたラムザにはその声は届くことはなかった。


「隊長!!」


(引き出す用に何本か阿修羅も買っておくか……)


「隊長!!!」


「うわ! ア、アグリアスさん……」


「貴公、ラムザ・ルグリアだろう?」


「――実はボクが本物のアグリアスオークスです」


 何を言っているのだろうと、頭の中のもう一人の自分が自分につっこみを入れる。
いきなり声をかけられて慌てているにしては、自分の言動が突飛すぎる。


「む! ジョークか?」


「え、ええ、まぁ……ははは……」


 彼女は目を丸くして驚いていた。
 笑って誤魔化したところで、どうにかなると思えなかった。あぁ、きっと軽蔑されたに違いない。


だが――


「OKだ!」
「OK!?」


 驚愕に目を見開く。見れば目の前の騎士は腕を組んで笑顔を浮かべているではないか。


「ジョークはいい。親睦を深めるのに役立つからな」
「は、はぁ……あの、その一応……ラムザ・ルグリアです……すいません変なこと言ってしまって……」
「ん……気にするな。私も改めて自己紹介をしよう。私の名は、アグリアスオークス
ジョブはホーリーナイトだ。よろしくな」
「はい。よろしくお願いします。アグリアスさん」
「……『アグリアスさん』か……。NGだな……」
「は?」


 今度は不機嫌な表情で顔を逸らしている。何か気に障ったのだろうかと、ラムザは不安になる。


「まぁいい……。ところで先ほどあれだけ呼んだのに、何故無視したのだ?」
「無視?」


 そもそも呼びかけられたことさえ、身に覚えがない。


「『隊長』とあれほど呼んだではないか? 貴公は隊長なのだろう?」


 その声は聞こえて居た。
 だが、隊長という呼ばれ方をしてこなかったラムザには自分への呼びかけだと思わなかったのだ。



「た、隊長!?」
「ラヴィアンとアリシアから聞いている。貴公がこの隊の長(おさ)なのだろう」
「そ、そんな! ただ気心の知れたメンバーの中でちょっと相談を引き受けたり、代表で交渉事をするくらいで…」
「十分に隊長の仕事をしているではないか。そして私はつい先ほどから、貴公にこの身を預けると誓ったのだ」
「そ、そんな事言われても……」


 動揺を隠せないラムザは、必死で言い訳を探す。


「その、年上…じゃない、目上で、しかも近衛騎士でもあるアグリアスさんに対して隊長が務まるかどうか……」
「ふむ……いわゆる『おカタい奴』なのだな?」


 ラムザの言葉にうつむいて考え事を始めるアグリアス。どうにもこの人は考え事をすると内容が
口に出てしまうタイプらしい。
 たしかに、アカデミーの同期からは散々言われてきた事だし、自覚はある。が、指摘されて笑って
流せるほどラムザは年を取っていなかった。


「では、我々の関係をフランクにすることから始めるとしよう」


 軽く唇を尖らせていたラムザに彼女はなんと言った?


「フ、フランクですか?」


 聞き間違い出なければ良いと思い、オウム返しに聞き返す。


「そうだ! フランクだ! とりあえず、お互いの呼称を改めてはどうかと思うのだが?」


「は、はぁ……」
「私は貴公を『ラムザ』と呼ぶことにしよう。貴公は私を『アグリアス』と呼ぶのだ」
「む、無理ですー!!!」


 年上の女性を呼び捨てになど出来ようはずもない。彼はそういう意味でも若かった。


「無理でもやるのだ! さぁ、呼べ!」
「無理ですってばー!」
「だめだ、だめだ! そんな調子では! 今後円滑なコミュニケーションが取れないではないか!
さぁ呼ぶのだ!『ア・グ・リ・ア・ス』と!」


「ア…アグ……アグググ……やっぱり無理だー! 呼び捨てなんて絶対無理ー!!!」
「OKだ! その調子だぞ!」
「は!?」
「今、フランクな口調だったではないか! いいぞ!」


 褒められたとしても、何故か嬉しくなれない。
 むしろ恥ずかしさがこみ上げてくるのが抑えられず、ラムザは黙ってうつむいた。



「いいな? お互いの呼び方は私はラムザ。貴公はアグリアスだ。それではラムザ。重要な用件がある。
一刻後に酒場で落ち合おう」
「……………」
「聞いているのか!?」
「え、えぇっとぉ……い、一刻後に酒場でしたっけ?」
「そうだ、理解しているではないか。いいぞ!」
「は、はい……」
「では、その際に必ず守ってもらいたいことがある……この服だ!」


 言って何処からか取り出された、目にキツイピンク色の上着には、デカデカとハートマークがあり、
さらにそのハートマークの中には彼女のものと思われる似顔絵がデフォルメされて描かれており、ご丁寧に
彼女の名前まで書かれていた。


「この服を必ず着てくるのだ。いいな? 必ずだぞ?」
「は、はい……」
「絶対だからな! 着ていなければ意味がないのだぞ!」
「はい……」
「OKだ! では酒場で!」
「…………」


 やる気に満ちた表情で走り去るアグリアスと、無言で取り残されたラムザ
 彼は後に、この時彼女を呼び止めなかったことを、悔いることになる。


「はぅぅ……」
 

 情けないため息をついてみても、


「くぅ〜……!」


 歯を食いしばって見ても、周囲の視線の刺さる痛みがやわらぐことは無かった。


(な、なんだってこんなド派手なピンクの上着を着なきゃならないんだー! しかも、
アグリアスさんの似顔絵まで刺繍してあるし!!
 ……でも、必ず着て来いって言ってたしなぁ……着てなきゃ意味がないとも言ってたっけ……)


 歯噛みした所で周囲の視線はなくならない。
 これを着てくるように指示した彼女の真意が知りたいと思ったラムザは、早く彼女が現われないかと
酒場の入り口を凝視することをやめられなかった。
 キィと木と木がこすれ合う音と共に、堂々とした足音が聞こえた。


(あ、来た! アグリアスさんだ……ってぇえええーーー!!)


「いらっしゃ……いっ!? ま! せ!?」


 ラムザも給仕の娘も叫ばなかった事が奇跡。


「…………」


 まさに威風堂々としたその立ち振る舞いは騎士として理想の振る舞いだ。
 ド派手なピンクの上着を着てさえいなければ。


「あ、あの、ご注文は〜?」


 無言で酒場を見渡すアグリアス。その彼女に恐る恐る声をかける給仕の娘に周囲から尊敬の眼差しが
注がれるのは当然のことなのかもしれない。


「先ほど連絡したオークスだが……」
「あ! う、承っております。少々お待ちください……」


 目立たないように、酒場の隅っこで身体を小さくしてミルクをちびちびと舐め続けていたラムザ
見つけると、アグリアスは大またで近づく。


「ア、アグ、アグリアスさん!?」
「NGだ! アグリアスと呼べと言っただろう!」
「あう、あう……」
「…………」


 慌てふためくラムザを厳しい目で睨みつけ、無言で行動を促す。


「ア、アグ、アグリ、アグググ……アグリア……あう〜……」


 その眼光に押されて、意を決したラムザが何とか彼女を呼び捨てにしようとするも、眼光による
プレッシャーやら、気恥ずかしさやらがない交ぜになり、上手く呂律が回らない。


 そんなラムザの様子に一つため息をつき、もういいと手で制する。


ラムザの呼びたいように呼ぶがいい」


 その言葉に、露骨にほっとした表情を浮かべるラムザだが、彼の苦難はまだ始まったばかりである。


「そ、その服は一体……?」


 よせばいいのにラムザアグリアスを彩るド派手なピンクの上着を話題にしてしまった。


「この服か? ラムザとおそろいの上着ではないか?」


 確かに、自分の上着と同じ色をしているし、何より――


「ぼ、ぼくの似顔絵が、し、しし刺繍されてますけどぉ……?」


 ラッドが名づけた、自身にとっては不名誉極まりない一房のクセっ毛――通称アホ毛――までもが
再現されている。


「そうだ。ラムザには私の似顔絵が、私のにはラムザの似顔絵は入っている」


(一体いつ作ったんだー!?)


「これでこそ『ぺあるっく』。互いの信頼度も上がるというものだ!」


 得意げに胸をそらせるアグリアス。普段鎧の下に隠れている大き目で形の良い胸がラムザの目の前に
突き出され、またしてもラムザは気恥ずかしさを全身で味わう。


「お待たせしました」


 丁度そのとき給仕の娘が何かを持ってやってきた。
 テーブルが跳ね上がるほどの重さのソレはまさしく『正体不明』そのもの。


「こ、こ、これわー!?」
「特製のあんこケーキだ。先ほど厨房を借りて作った」


 ラムザとて『あんこ』と言うものが刀等と一緒に侍や忍者の居ると言う異国のもとからイヴァリース
入ってきたと言う知識はある。だがその『あんこ』という物がケーキと合体することは彼の想像の範囲外だった。


「あ、あんこですか!?」
「あんこだ」
「ケーキなんですよね!?」
「ケーキだ。本来なら果物で飾り付けるというのだが、私なりにアレンジしてみたのだ。やはり、
こういうものは個性を出さないとな……さぁ、食べるがいい」
「ぼくがですか!?」
「もちろんだ。ラムザのために作ったのだからな」
「え? ぼくのために?」


 自分の為に作った物を目の前にして、これほど微妙な気持ちになれるとは思わなかったに違いない。
ラムザはいま貴重な体験をしている事を悟った。


「一生懸命、丹精込めて作ったのだぞ」
(丹精って言うより、念だな…、これに込められてるのは…)


 冷や汗が全身を支配し、震える手でラムザはフォークを手に取る。


「わ、わかりました。折角作っていただいたんですから。い、いただきます……」
「NGだぁ!!!」
「痛っ!! な、なな何!?」


 赤くはれ上がり、ヒリヒリと痛む手をさすりながら、目の前のアグリアスに目をやる。


「勝手なことをするな!! 手順が狂うではないか!!」


 どうやら、アグリアスは何かが気に食わなかったらしい。
 だからと言って力いっぱい叩かなくてもいいじゃないかと思うのだが、そんなことを言ってはまた何を
言われるか解かったものではない。


「さっき食べろって、言いませんでしたっけ……?」
「自分で食べては意味がないのだ! ちょっと待っていろ……」


 フォークでケーキを一口分に切り分けると、


「よし! あ〜ん…」


 と、フォークを差し出した。


「…………」
「…………」
「…………」
「…………」


 無言で一口大のケーキを挟んで見つめあう――というより、にらみ合う。


「あ、あの、ぼくにどうしろと?」


 たまりかねたラムザが厳しい目をするアグリアスに問いかける。


ラムザが口を開かないと、このケーキを食べさせられないが…?」
「な、なんでぼくがアグリアスさんに食べさせてもらわなければならないのでしょうか!?」
「隊長であるラムザとその部下である私の親睦を深める為だ」
「は、はぁ…」 
「さぁ! あ〜んだ! あ〜ん!!」


 どう考えても深まりそうにない気がするのは気のせいなんだろうと、自分を納得させ、
戦いに赴くようなその眼差しを受け止めるラムザだった。


「あ、あ〜ん!」


 ヤケクソになったラムザが恥ずかしさに目を瞑って大きく口をあける。


「OKだ!」


 口の中一杯を占めるあんこケーキをんぐんぐと咀嚼し、その微妙な味に辟易して傍らに置いてあった
ミルクに手を伸ばそうとするも


「あ〜ん!!!」


 気合の入った声で口をあけろと促される。


「あ、あ〜ん!」
「OKだ! いいぞ!!」


 今度はちょっとばかりあんこの分量が多かったのか、甘ったるさにラムザの顔が歪む。


「あの、アグリアスさ……」
「はい! あ〜ん!!!」


 一時の休憩すら許されなかった。



「ううぅ……」


 絶え間なく口の中を蹂躙するあんこケーキ。拷問とはこういうものなのだろうか等という考えが
終始頭をよぎった。


「よし、最後の一口だ。あ〜ん…」
「あ〜ん…」


 最後の一口を口に含むラムザの目には輝くものが見て取れた。それはあんこケーキを完食した
喜びからくる涙だった。
 ――もう二度と胸が焼けるような甘さを味あわなくて済むという感動から自然と涙が零れたとして
何の不思議があろうか?
 見れば、他の卓の厳つい男達の目にも涙が浮かんでいるではないか。


「さすがだなラムザ! やはり男性は違う……いい食べっぷりだ! これでこそ、作った甲斐があると
いうものだ!」
「ど、どうも……」


 咽に絡みつき、胸全体を支配するあんこの気配をミルクで押し流そうと、一気にコップを煽る。


「そ、それで、そろそろ重要な用件ってのを聞かせて欲しいんですが…」



 口元にできた白いひげを手の甲で拭いながら発せられたラムザのその言葉にキョトンと目を
しばたかせるアグリアス


「ん? ここでの用件なら済んだが?」
「は!?」
「親睦は十分に深まったな……」


 感慨深げにいわれてもラムザにはこれっぽっちも実感がわかない。
 なにせド派手な上着で衆目に晒された挙句に、珍妙不可思議なものを延々と食べさせられただけなのだから。


「ラヴィアン、アリシア一押しシチュエーション『ぺあるっくで”はいあ〜ん♪”』終了……」


 しかもなにか訳のわからない事まで呟いているし。
 だが、終わったのならもう問題はない。これから宿に戻れば疲れた体を久方ぶりのベッドに投げ出して
睡眠を取れるのだから。




「それでは、次のシチュエーションだ」


 ラムザに安息は無かった。                  


                     ――ラムザ・ルグリアの憂鬱 アグリアスと合流 終り。

氏作。Part36スレより。




 緩やかな白銀の軌跡を描く剣が、闇夜を彩る。
「ふ……」
 舞踏を終え、アグリアスは軽く息を吐いた。
「踊ることでさえ剣に頼るわたしは滑稽だろう?」
 アグリアスが苦笑して告げると、広葉樹の陰から、ラムザが拍手をしながら現れた。
「いいえ。綺麗です」
「ふん。世辞はいい」
「本当に、綺麗ですよ」
 微笑んで言ってくるラムザに、アグリアスは頬を染めた。
 右手に持っている剣で虚空を薙ぎ、訊く。
「なぜ、わたしが踊らなければならない?」
「んー」
 悪戯を見つかった子供のような表情をするラムザに、アグリアスは小さく嘆息した。
「わたしは、おまえの母ではないのだぞ……」
「えっ?」
 アグリアスの呟きに、ラムザが首を傾げる。
「わ、わたしが踊らなければならない理由を教えろ!」
 思わず口にした想いを誤魔化す為、アグリアスラムザに詰め寄った。
 アグリアスの剣幕に押され、ラムザが答えてくる。


「ぼくが、アグリアスさんが踊っているのを見たかったんです!」
「なっ……!?」
 絶句するアグリアスに、ラムザは堰を切ったように捲したててくる。
「だってだってアグリアスさんが踊る姿はきっと素敵だし素敵だったし
 剣舞っていうのがアグリアスさんらしくて感じ入りました
 みんな見惚れるだろうけれど有体に言えばぼくだけの為に踊って欲しいんです!」
「こ、こら!?」
 呆気に取られている所をラムザに抱き締められ、混乱したアグリアスは、剣を落として声をあげた。
「…………」
「…………」
 数十秒、静寂が訪れ、互いの息遣いを聞こえた。
「ごめんなさい。でも――」
 ばつが悪そうにするラムザを、アグリアスは、できるだけ優しく諭す。
「おまえの我儘は、冗談では済まないことがある。自重しろ」
「はい……」
「だが――」
 アグリアスは、俯いたラムザの頬を、そっと撫でながら囁く。
「おまえが、わたしに甘えてくれるのは、不思議と嬉しい……」

氏作。Part33スレより。






「すみません、一人にしてください。――半日でいいですから」
 ラムザはそう言うと、宿の自室に篭ってしまった。
 無理もなかった。ルカヴィと化したとはいえ、実兄たるダイスダーグを手にかけて
しまったのだから。
 かてて加えて、ラムザがもっとも信頼していた兄、ザルバッグも行方不明になって
しまった。最愛の妹アルマも杳としてその消息が知れない。
 急転直下、家族は離散。
 幾多の修羅場を潜り抜けてきたラムザにとっても、この展開はこたえたらしい。
(心の整理が必要なのだろう、そっとしておいてやる他ない――)
 オルランドゥがそんなふうに皆を諭した。
(ここのところずっと移動、そして連戦だった。アルマの行方は気になるだろうが、
皆、少し骨休めをしてはどうかな)
 とも。
 そのようなわけで、ラムザ一行は現在イグーロスで足止めとなっている。
 物資調達に行くもの、自室で休息を取るもの、いろいろであったが、隊の副長格で
あるアグリアスとしては、やはり長であるラムザのことが気になった。
 アグリアスも、やはり忠誠を誓った主君オヴェリアを守りきれなかったという苦い
経験がある。彼女にしてみれば、ラムザの感じているであろう喪失感は痛いほど良く
分かったのだ。
 力づけてけてやりたいのはやまやまであったが、当人が他人との接触を拒んでいる
のではいかんともしがたい。
(無理に慰めようとして、かえって傷つけてしまっても仕方がないしな――)
 アグリアスはそんなふうに考えた。


「あ、隊長、どこ行くんです?」
 宿の玄関ホールで、ラヴィアンが声をかけた。
「――ちょっと街へ出て情報でも集めようかと思う。ラムザはああだしな」
 アグリアスは答えた。
「街へ。――気をつけてくださいよ。あたしらお尋ね者なんですから」
「教会が血まなこになっているのはラムザさ。私など連中の眼中にないよ。伯もいて
くださるし、当面問題はなかろう。ちょっと出てくる」
「お気をつけて」
 というわけで、アグリアスはイグーロスの市街に出た。
 獅子戦争は、南天の指揮権を握った新英雄ディリータによって終息に向かっており、
戦時体制が解かれたわけではないとはいえ、イグーロスもそれほど空気が張り詰めて
いるわけではなかった。
 むしろ城主ダイスダーグと副官ザルバッグが失踪したことで――これはラムザたちが
引き起こした事態だが、現場にいたものがみな死亡ないし消滅したため、当局の追及を
受けずにいた――主を失った北天親衛隊は戦争どころではなかったのである。
 またイグーロスは北天の根拠地ではあったが、直接戦場になったわけではないので、
都市機能まで失われたわけでもない。
 ちらほらと、戦場から引き上げてきたらしい兵士の姿なども見受けられた。
(少しずつ、市民のたつきも戻りつつあるか)
 アグリアスはそのように見て取った。
 往々にして、このようなとき最初に活力を取り戻すのは庶民である。
 人々は生きねばならず、生きるためには社会活動を回復させねばならない。機能が
麻痺した為政者などに頼らずとも、市民のバイタリティは失われないのだ。


 アグリアスが驚いたことには、イグーロスの繁華街はすでに部分的にではあるが
通常の商業活動を再開していた。
 けたたましい売り声がこだまし、最盛期に比べれば遥かに及ばなかったであろうが、
それなりに人出もあった。はなはだしきは、お上がうるさいことを言わないうちに
稼いでやれとばかりに繰り出している商売女までもがいた。
(――いや逞しいものだな、市民というのは)
 アグリアスは呆れるともつかず、感心するともつかず商業街を進んでゆく。
(しかしさて、どこで情報を集めたものか)
 情報通が集まる場所といえば酒場と相場は決まっているのだが、騎士団の混乱で
治安があまりよくないいま、酒場に女のアグリアスが一人で入ることは憚られた。
また、見渡したところ営業している酒場もなさそうだった。
(おや……)
 アグリアスの視線が止まった。その先には、一軒の瀟洒なカフェがあった。
(ほう、カフェか)
 紅茶や珈琲を飲みながら軽食を楽しむこのようなカフェは、アトカーシャ朝中期に
隣国オルダーリアより流入し、定着したものである。この頃にはすでに、大都市では
幾つものカフェが軒を連ねていた。
(店を開いているようだな……そこそこ人もいるようだし、あそこにするか)
 アグリアスはその店へと向かった。通りに向けて大きく窓を開け放った、明るく
開放的な店だった。
「いらっしゃいませ」
 いかにもカフェのマスターといった四十がらみの男が応じた。
「一人なんだが、構わないかな?」
「はい、当節、お客様さえあれば有難うございますから。お好きな席へどうぞ」
 愛想のよい笑顔を浮かべて、店主は答えた。


 アグリアスは、通りに面した大きな窓際の席についた。
「紅茶を頂こうか。銘柄は任せる。――ときに店主」
「はい」
「なかなか人が集まっているようだが、戦争の情報などは入ってくるか?」
「はぁ、まあそれなりに。……お客様は傭兵でいらっしゃいますか」
 アグリアスはあまり怪しまれないよう、いかにも戦場帰りの傭兵のようななりで
街に出ていた。店主もそう信じたようだった。
「まぁ、そんなところだ。イグーロス城の警護に雇われたんだが、城主が失踪とかで
暇を出されてしまってな。――なんでも戦争は終結に向かってるらしいじゃないか」
 アグリアスは出任せを言った。店主は疑いもせずに答えた。
「そのようでございますね。ドーターから引き上げてきた傭兵の方の話では、なんとか
いう若い騎士が軍を取りまとめ、北天と南天は和平調停に向かっているとかで」
「ほう。すると本当にいくさは終わりそうなのか。――平和なのはいいのだろうが、
我々のようなものは飯の食い上げだな」
「さようでございますね。私どものような庶民は戦いがないほうがようございますが」
 店主は笑い、女中に持ってこさせたポットで手早く茶を淹れた。
 アグリアスは、なおもいろいろ探りを入れてみたが、大した情報は得られなった。
(それほど状況が動いているというわけでもなさそうだな……ん?)
「店主。この席はサリアスの花が活けてあるな? ほかの席には花などないようだが」
 女だてらに剣を振るうとは言いながらも、アグリアスとて女性である。草花を愛でる
感覚もないわけではない。
 そのいかにも女性らしい感性で、アグリアスは己の座っている席と、他のそれとの
差異を見出した。 
「ああ、これでございますか。これは――」
 店主が答えようとした時、入り口のドアが開き、ぶら下げられたベルがカラランと
快い音を立てた。


 入ってきたのは、数人の隊商であった。
「いらっしゃいませ」
 店主が応じた。
「はい、六人様でございますか。それではあちらのお席へ――おや」
 さらに隊商の後から、一人の老女が姿を現したのだ。
「これはこれは。今日おいででございましたか。しかし、さて――」
 店主は店内を見回し、首をかしげた。隊商六人が席に着けば、席は埋まってしまう。
当然、後から来た老女に席はないはずだったのだが――
「――お客様」
 老女と二言三言言葉を交わした店主は、アグリアスの脇によって口早に声をかけた。
「大変申し訳ございませんが、相席をお願いできますか」
「相席?」
「はい。実はこの席、あのご婦人の……いわば予約席なのでございますが、あの隊商の
方々に席を割り振ると、他の席が埋まってしまいます、そこで――」
「予約席? それにしては私が座った時に何も……」
「いえ、予約と申しましても、確実なそれではなく、あの方がいらした時はこの席に
座るという――ちょっとその、特殊な事情がございまして」
「それなら、私は店を出ても構わないが……」
「いえ、無下にお客様を追い出すような心無いわざも致しかねますし、それに……
相手が女性であれば構わないと、あの方も申しておりますので」
「なんだか分からんが……あの婦人に異存がないのであれば、私は別に」
「有難う存じます、それではちょっと、そのように取り計らいますので――」
 店主は言うと、新来の客達を捌くべく、入り口に取って返した。


「ごめんなさいね、年寄りの我侭で」
「いえ――」
 アグリアスは、失礼にならない程度に、向かい合って座った老女を眺めた。
 年のころは六十前後といったところか。庶民であるらしい、小柄で目立たぬなりを
した、しかし若いころは可愛らしかったであろう、品のいい女性であった。
(なんだか……ずいぶん儚げな感じのするひとだな)
 アグリアスはそんな感想を持った。
 こんな世の中であるから、そうそう明るい人間などいようとも思えないが、それに
してもいやに幸薄そうな、古い悲劇の女主人公でもありそうな翳のある老女だった。
 彼女は腰掛ける際にアグリアスに小さな声で詫びを言ったが、座ってからは殆ど
口をきかなかった。ときたま紅茶を啜っては、ぼんやりと窓の外を見つめている。
(亭主にでも先立たれて、行くところもなくここで時間を潰しているのかな……)
 何しろ乱世であり、大勢の人間が死んでいる。さらにまた老女の薄倖そうな様子
から見て、身近な人でも喪ったのだろうか、とアグリアスは考えたのだ。
(――さっきから、何を見てるんだろう?)
 アグリアスも老女の視線の先に目をやった。
 だが、特に何があるとも思われない。窓の外には広い目抜き通りがあり、すこし
先には噴水広場があり、大きな楡の樹があった。目立つ物といえばそのくらいだ。
(そういえばさっき、店主が予約がどうのと言っていたが……)
 ひっそりと地味でありながら、なぜやらひどく人目を引く老女の悲しげな雰囲気に、
アグリアスの目も引かれたが、そうかといってあれこれ聞きほじるのも憚られた。
 ふと、正面を向き直った老女とアグリアスの目が合った。


「あ……」
 知らず、アグリアスは赤面した。詮索がましい目を向けたことへの愧念もあった。
「し、失礼を――」
 アグリアスは非礼を詫びたが、老女は気にするようでもなく、うっすらと笑った。
「貴女は、兵隊さんかしら?」
 初めて興味を引かれたかのように、老女は言った。
「は、はぁ、傭兵で――」
「そう……とても綺麗なのにね」
 老女は目元をほころばせた。
「私、貴女に謝ったかしら? ご免なさいね、貴女が先に座ってたのに、割り込む
ような真似をしてしまって」
「い、いえ、それはさっき、最初に言って頂きましたし――」
「まぁ、それはご免なさい。歳を取ると、仕方がないわね……」
 自嘲気味に老女は笑った。
「そんなに恐縮しないでね。――予約といっても大したことじゃないのよ。ただ、
ここの先代のマスターと、約束していただいたの」
 問わず語りに、老女は身の上をアグリアスに述べ始めた。アグリアスもいくらか
釣り込まれた。
「――約束?」
「ええ、――遠い昔の、約束」
 老女は遠くを見るような目をした。


「サリアスの花言葉は、ご存知?」
 老女は言った。
花言葉……ええと――確か『思い出』……」
 そんなことを仲間うちで言おうものなら“イメージと違う”とからかわれるのは
目に見えているから黙っているが、アグリアス花言葉だの草花の名前の由来だの、
それにまつわる伝説だのの知識は豊富なのだ。
「よくご存知ね。――そう、『思い出』」
 老女は静かに微笑んで言った。
「思い出。――私はそれのために、ここの先代のご店主に無理を聞いてもらって、
こうして今もこの席にサリアスを活けてもらっているの」
「……?」
「もう、30年も前のこと――」
 老女は遠くを見るような目つきで言葉を継いだ。
「あれは、五十年戦争のさなか、ロマンダがイグーロスやジークデンを占領した時
……ロマンダ兵は、占領地で略奪、暴行をはたらこうとしたわ……」
 五十年戦争中期に畏国西部に進駐したロマンダ軍は、勇猛をもって知られたが、
一面、暴兵でもあり、また当時はどこの国も占領地での略奪暴行は許容していた。
ために、畏国西部では地獄絵図が繰り広げられたのである。
 そのことはアグリアスも聞いたことはある。とはいえ彼女が生まれる前のことでも
あり、そういわれてもぴんと来ないのが実際であった。
「……当然、若い女はすぐさま呂国兵の爪牙にかかったわ。私もそうされかけた。
でも、救ってくれた方がいたの」


「救って……?」
「そう、その方も呂国兵だったのだけれど」
「そ、そんな馬鹿な!」
 アグリアスは反射的に叫んだ。占領軍の兵が、暴行される敵国の女を同胞から
庇うなど、ありそうもない話である。
「でも、本当なのよ」
 老女は悲しげに笑った。
「その方は、勇敢ではあったけれども誇り高い兵士だったわ。私、彼に一目で惹き
つけられた。そしてその方――呂国兵のジェナーロと私は、あの夜、結ばれた……」
「……」
「やがて呂国兵は、本国に黒死病が流行したために引き上げることになったわ。でも、
ジェナーロは言ったの。この先も僕には兵役があるだろうが、何年かかってでも君を
迎えに来る。だから待っていてほしいって……」
「……」
「その再会を誓った場所が、あそこにある楡の木の下だったわ。そして彼は、その
花言葉に『思い出』の意味のあるサリアスを私にくれたの」
「……サリアスを……」
「そう、そして、私は当時店主をしていたこの店の先代に頼んで、この席にいつも
サリアスを活けてもらい、あの楡の木から見えるここにこうして通っているのよ」
「通ってって……三十年以上もですか!」
 アグリアスは声を上げた。
「ええ。――あの方を信じているから」
 そう言った老女の顔は、なにがしか爽美なものがにじみ出ていた。


「あら」
 老女はちょっとはにかんで、くすりと笑った。
「ごめんなさいね、つまらない身の上話を……おかしいでしょ、貴女のような
お若い方から見たら」
「い、いえ、そんなことは――」
 本当のところ、アグリアスは老女の話を額面どおり信じたわけではない。
(いや、話自体は嘘はないのだろうが……)
 問題は、そのジェナーロなる呂国男のほうである。以前のアグリアスであれば、
こういった美談はたやすく信じたかもしれない。だが、反覆常ない乱世にあって、
人間社会の裏を見てきた彼女は、以前よりは疑り深くなっていた。
(どうも、女を篭絡する手管のような気がしてならんのだが……)
 仲間と語らって、女をモノにするため、そのような芝居を打つ男がいるかも
しれないではないか。
(それに、よしんばその男が本気であっても……)
 それならばそれで、何らかの便りがないことはおかしくはないか。
 けだし、その男はこの女性を弄んだか、さもなくば本気であっても、もう畏国
には足を運べない、最悪は死んでいる可能性さえある。まして呂国は、黒死病
大流行した国だし、そもそも先の戦争以来、呂国人の入国は困難であろう。
(だとしたら、この婦人は己が青春を棒に振ってしまったことになるのか……)
 だが、老女の言葉にはきわめて高潔な熱意と確信があるようにも感じられる。
(どうもこれは……いや、私が物事を穿って見すぎなのだろうか?)
 アグリアスは老女の思いを信じたい気持ちと、それを疑ってしまう自分との
板ばさみになっていた。


「……三十年間、毎日ここに通われたのですか?」
 アグリアスは好奇心も手伝って、そうを聞いた。
「若い頃はね。でも、このごろは足も利かなくなったし、今では五日にいっぺん
通えればいいほうだわ」
 老女は答えた。
(それでさっき店主が『今日お見えでしたか』などと言ったのだな)
 アグリアスは当たりをつけた。
「出来れば毎日通いたいのだけれど……あの人と行き違いになってしまうかも
しれないしね。でも最近は戦争で物騒だったでしょう。昨日になって、やっと
戦争が終わるかもしれないと聞いて、こうして出てきたのだけど……」
「そうですか……」
 どこまでも望みの薄そうな話であった。
(ただ、ここまで相手を信じられることは、ある種の美学なのだろうな……)
 アグリアスは黙考した。
(信じることか――私は、何を信じて戦っているのだろうな……正義――そう、
正義といえば正義の戦いだ。……だが、報われることもない、孤独な、絶望的な
戦い――私はラムザに賭けた。それが、ひいてはオヴェリア様のためにもなる
大局的な正義たりうると信じて……)
 その思いは今も変わらない。しかし予想外に長引き、泥沼化した戦いを経て、
さしものアグリアスもやや精神的に参っていた。
 しかし目の前の老女は、おそらくアグリアスより遥かに無力でありながら、
遠い日の愛と約束を糧として、希望を捨てずに生きているのだ。
 さながら、濫荊の荒野に力強く咲くサリアスの花であるかのように。


「――?」
 ふと、アグリアスは顔を上げた。
 老女は窓の外を見ていた。
 その皺ぶかい目が、大きく見開かれている。
 その細い手が、かたかたと小さく震えている。
(まさか――)
 アグリアスもその方向に目をやった。
(――!)
 そこに――
 一人の男が、立っていた。
 白髪白髯、赤銅色の肌をした、もとはかなり頑健であったろうことを窺わせる、
しかし片足が義足であり、長い棕櫚の杖で身を支えた六十がらみの男――
 その男が、楡の樹の下に立ち、こちらを凝視しているのだ。
「あ……あ……」
 老女が喘いだ。
 アグリアスが向き直ると、彼女はその双眸から白く光るものを頬に伝わせ――
(ま、まさか、本当に――?)
 楡の木の下の男も、応えるかのように、白眉のせり出した眼から涙を流していた。
「本当に……本当に!」
 老女が嗚咽した。
 それは、彼女の三十余年の孤独を一気に埋める喜悦の声であった。
「待っていた――待っていたのよ、ジェナーロ!」


「――くれぐれも、お客様によろしく、と言っておられましたよ、あの方が」
 店主が、二杯目の紅茶を淹れながらアグリアスに告げた。
「いや、私など、何もしていないが……」
 アグリアスは、なかば呆然と、寄り添いながら歩き去るジェナーロと老女を
見送っていた。
「それにしても皮肉な話ですね。内戦で港湾警備が緩んだからこそ、呂国の方が
入国できたとは……」
「ああ……」
 ジェナーロ自身の言葉によれば、彼は帰国後、様々な奇禍に遭っていた。
 老女を助けたことにより、兵士仲間から内通罪をでっち上げられ、収容所送りに
なったのだ。皮肉なことに、そうして隔離状況にあったため、黒死病の罹患をこそ
免れたが、過酷な労役により、もとは壮健だった彼もみるみる体力を削られ、つい
には片足を失う羽目になった。さらに、頑として内通罪を否定したため、その労役は
長期にわたり、出獄したのはごく最近であった。
 それでも、ジェナーロも、老女との約束は忘れていなかったのだ。
折しも、畏国は獅子戦争により内乱状態であったが、逆に国境警備は手薄になった。
その隙を衝いて、彼は単身畏国へ上陸したのだった。
(なんと強い思いであることか……)
 アグリアスは、彼らの愛を疑ったことを愧じた。
 同時に、ふたりの強い思いに、見失いかけた信念を強く喚起される思いであった。
(か弱い市井の民とて、己が戦いを貫く。まして戦士たる我々においておや――)
 アグリアスは軒昂として頭を上げた。


「あの方達、どうなるのでしょうかね」
 店主が言う。
「どうということもあるまい。――あの二人なら、大丈夫だろうよ」
 アグリアスは力強く請合った。
「さて! 私もそろそろ失礼するか。店主、勘定を」
 そう言われて、店主は首をかしげた。
「いえ――お代は結構です」
「え?」
「――正直、私も疑っておりました。あのご婦人の約束は、叶えられずじまいでは
ないかと。亡き父の遺言で、こうして予約席も設けてきましたが――」
 店主は、そのテーブルを一瞥し、
「けれど、今日めでたくその約束は果たされました。この良き日に、相席となった
お客様から、お代を頂くような無粋な真似は出来ません」
 アグリアスは目を細めた。
「そうか。――では、お言葉に甘えようか」
「その代わり、お客様。この花をお持ちくださいませんか」
 店主は、活けてあるサリアスを差し出した。
「あの方の約束は果たされ、この花はその役目を終えました。次は、お客様こそが
サリアスの幸運に浴するべきかと思いますので」
「――そうか」
 アグリアスはそれを受け取った。
「有難く頂戴しよう。――店主とこの店の繁栄を願っているぞ」
 言うと、彼女は店を出、ようやく日の沈みかけた美しい黄昏の空を見上げた。
(そう、信じること。それは、時として不可能を可能にもする――)


「あ、隊長、お帰んなさい」
 アグリアスを見送るのもラヴィアンなら、出迎えるのも彼女であった。
「なんか、いい情報めっかりましたか」
「いや、特に。それほど良くも悪くも事態は動いておらんようだ」
「へー。……それにしては隊長、なんだかいやに晴れやかなお顔してません?」
「そうか? ま、悪いことがないだけ良いということだろうさ」
「はぁ」
 ラヴィアンは目を白黒させた。
「ところで、ラムザはどうした?」
「少し伯とお話されてましたよ。お昼ご飯は食べたみたいです」
「そうか」
 アグリアスは、そのままラムザの部屋に向かった。
ラムザ、私だ。アグリアスだ。――入ってもいいか?」
 彼女にしては遠慮がちに声を落とし、ドアの外から声をかける。
「――ああ、どうぞ」
 思ったより元気そうな返事があった。
 ラムザはベッドに座っていた。まだいささか表情は暗いが、今朝見せたほど
悲痛な面持ちでもない。
「少し、落ち着いたか?」
「はい、伯が愚痴を聞いてくださいましたし。だいぶ楽になりました」
「そうか」
 アグリアスはベッドと向かい合った椅子に腰掛け、どう彼を励まそうかと頭を
めぐらせた。


「すいません、皆さんにご心配かけて」
 ラムザは頭を下げる。
「気にするな。――仕方ないさ。あのような羽目になってはな」
 アグリアスは笑い、そしておもむろに懐からサリアスを取り出した。ラムザ
目を丸くする。
「サリアスの花――? そんなもの、どこで?」
「ちょっとな。なぁラムザ、この花の花言葉、知っているか?」
花言葉……いいえ」
 ラムザは首を振った。
「そうか。『思い出』というんだ」
「思い出……」
「そう。――貴公にもザルバッグ殿やアルマ殿との思い出があろう」
 ラムザがそれを悪いほうへ連想せぬよう、柔らかくアグリアスは言った。
「は、はぁ」
「だが、思い出のまま終わらせる気は、私にはない」
「――え?」
「この花のもとの持ち主は、思い出を思い出だけにすまいと、この花に願いを
託した。そして、それは見事にかなった」
「……」
「私も、貴公のザルバッグ殿やアルマ殿の記憶を、思い出のみにするつもりはない。
こののちも思い出を作れるべく、貴公のために全力を尽くそう」
アグリアスさん……」
 ラムザはきょとんとし――それからいくらか眼を潤ませた。
「これまでどんな困難をも我々は乗り越えてきた。今度とて大丈夫だ。アルマ殿も
ザルバッグ殿にもまた逢える。まして――」
 アグリアスは、すいと『それ』をかざし、
「ましてこの、幸運のサリアスがあるのだからな」
「……」
 それは、かつてのアグリアスがよくやった不器用な慰めや、中身のない励ましの
何倍も力強いことばだった。
「有難う、アグリアスさん」
 表情を明るくして、ラムザは言った。
「この身、貴公に預けるとそう言った。言ったからには、貴公のために戦うさ。
――私だけではない。皆もお前に賭けたのだからな。だから――」
 アグリアスはこつん、とラムザの頭を小突き、
「だから、元気を出せ。お前は一人じゃないんだ」
 莞爾として笑い、彼女は言った。
「――有難う」
 心からラムザは言い、そして彼もやっと屈託のない笑顔を見せた。
(それにしてもどうしたんだろう。こんなに自信に満ちて頼もしいアグリアスさん、
ちょっと見たことないな。いいことでもあったのかな?――)
 それについて、彼女の口からラムザが聞くのは、まだ少し後のことであった。


 異端者ラムザ一行の行方について、史書は明確な答えを残していない。しかし、
ラムザの傍らにあった美しい女騎士が、サリアスの花を胸に最後の戦いに赴いた、
という逸話を、幾つかの史書が伝えている。
 ――『思い出』という花言葉とともに。


                        fin

氏作。Part33スレより。




「えーっと、雑貨屋はこっちでいいんだっけか?」
「この街も久しぶりだけど、あんまり変わってないわねー」
 街の喧騒の真ん中で、旅人らしき三人の男女が町並みをきょろきょろと見回している。
「あまりきょろきょろするな二人とも。不審がられるぞ」
「大丈夫よ、あたしたちみたいないかにも他所から来た旅行者、って感じの人間なら、
 むしろきょろきょろしてない方が不自然でしょ?」
 真面目そうな騎士風の女性に、モンクの女性がけらけらと笑いながら振り向いた。
「むしろ不審者ってのはザックみたいな奴のことを言うのよね」
「なっ、俺? 確かに顔が隠れてるけどさあ」
 ザックと呼ばれて反応した黒魔道士の男が、目をパチパチさせながら反論する。
「俺はともかく、ヴァレリーはここ出身なんだろ? お前こそ面が割れてて目立つんじゃねーの?」
「平気よ、すっぴんで出歩くなんて無かったから大丈夫だってば。髪型も服装も昔と全然違うし、
 知ってる顔が今のあたしを見たって、だーれもあたしだなんて思ったりしないわよ」
 自信満々、といった感じに胸を張ってヴァレリーが言い返す。
「あー…そりゃ昔に比べるとそうだよな〜。それにそういう意味ならアグリアスのほうが目立ちそうだし」
「ちょっと、どういう意味よそれ」
「そりゃ勿論その辺の野郎共が放っとかないだろーなって意味で…あ」
 しみじみ言うザックが振り向くと、ヴァレリーがぱきぱきと指を鳴らして凄んでいた。
「…へ〜ぇ、あんた、いい度胸してんじゃない?」
「よせヴァレリー…どういう理由であれ目立つのなら、目立つ前に用事を済ませよう」
 そんな二人のやりとりに、はあ、と呆れた溜息をついた女騎士──アグリアスが歩き出す。
「そーね、日も暮れちゃうし皆もきっと心配するわ。馬鹿は放っておいてさくっと買い物済ませちゃいましょ」
 言うが早いか、アグリアスを追いこしそうな勢いで、ヴァレリーがずんずんと歩き出す。
「ったく、一言多いよなあ…」


 見れば人通りもだいぶまばらになってきているものの、足の速いヴァレリーに追いつくのは困難であろう、
ザックは駆け足をやめてのんびりとしたペースで歩き出した。
「で、ヴァレリー。先頭きって歩くのはいいけど、雑貨屋がどこかってわかってんの?」
「今探してるとこよ」
 あっさりと言ってのけるヴァレリーに、思わずザックが転びそうになる。
「全く…無計画にも程があるぜ。なあアグリアス…ん? あれ? どこ行った? おーい?」
 ふと気が付くと、アグリアスがいない。てっきり前を歩いていたと思ったら、どうやら追い越して
しまったのだろうか、ザックは慌てて周囲を見渡した。
「おいおいヴァレリーアグリアスってば俺たちに呆れてどっか行っちゃったよ」
「ほう。そう言う自覚があるのなら、今少し態度を改めてはどうだ?」
 いきなり背後から聞こえてきたアグリアスの声に、ザックが思わず、うおっ、と声を上げる。
「ふふ、驚いたか?」
「えーえー驚きましたとも。やれやれ、アグリアスに一杯食わされるなんてなあ…」
 ちょっと満足げの笑みを浮かべたアグリアスに、ザックが心底悔しそうな呟きをもらす。
黒魔道士でさえなければ彼の悔しがる顔も見られたであろうに、彼らに自分のペースを狂わされる
事が多いアグリアスとしても、そのチャンスを逃したのは少々残念である。
「私がただの堅物だと思っているのなら、その考えは改めるべきだな。そもそもお前達は緊張感が無さ過ぎる。
 いくらラムザが信頼しているとはいえ、お前たちは今の自分の境遇を本当に理解しているのだろうな?」


 アグリアスが説教を始めるのも無理はない。
 このザックとヴァレリーは、彼らの指揮をとるラムザと同じアカデミーで過ごしたという
仲間なのだが、一緒の時間が多かったせいか、友達感覚が抜けきらず、なあなあで過ごすことが多いのだ。
それはラムザに対してだけでなく、年上のアグリアスに対しても例外ではなかった。
 そこへ行くと逆にアグリアスと彼女の配下だったアリシア、ラヴィアンとは実に統制が取れている。
上下関係もしっかりしているし、言葉遣いから礼儀作法まで何ら問題ないといった具合だ。
もっとも、最近は彼らに感化されて、いささかその分別が疎かになりつつあるという由々しき問題も
あるわけだが。




「今の状況くらい理解してるってば。じゃなきゃ俺もここにはいないさ」
 つばの広いとんがり帽子を直しながら、ばつが悪そうにザックが弁解する。
「ならば、つまらん冗談も程々にすることだ」
「お固てえなあ…」
 得意げにふふん、と鼻を鳴らすアグリアス。打ちのめされたようにザックが呟く一方で、一人で
先に行っていたヴァレリーが怪訝な顔をしながら駆け足で戻ってくる。
「それよりもアグ姉さ、なーんでそんなに遅かったのよ?」
「うむ。戦力不足の今のままでは路銀もいずれ底を付くと思ってな」
 神妙な顔をするアグリアスの視線を辿ると、そこには数枚のちらしが貼られている。
どうやらここは床屋の店頭らしい。
「んー? …『髪、買います』…ってまさか、アグ姉その髪の毛切っちゃうの!?」
「ああ、必要であれば…」
 素っ頓狂な声を上げるヴァレリーに、アグリアスはなだめるように言葉を続け…
「えええ!? 勿体無え! そりゃやめといたほうがいいって!」
 ようとしたら、ザックに遮られてしまった。
「そうよ! そこまでする必要ないわ!」
 ヴァレリーも続けて反論する。
「お、お前達何を言っているんだ? ポーション一つ取っても、物資が多ければそれだけ楽になるだろう?」
 二人の勢いに今度はアグリアスが慌てだす。この二人にここまで反対されるとは思っていなかったからだ。
「楽とかじゃなくて、それとこれとは話が別!」
「そう、役に立つ立たないの問題じゃないのよ!」
 アグリアスは混乱した。
 自分が髪を切ると何か不利益があるのか? それもこの二人がこんなに躍起になるような。
ザックにしてもヴァレリーにしても、その瞳は真剣そのものである。
 アグリアスは考えた。理由は解らないが、髪を切ると仄めかすことで、この二人をコントロール
できるのではないか? と。
「ふうむ…そうだな、お前達がもう少し大人になるのなら、切らないでおこうか…」
「いや、切るか切らねーかで俺変わる自信ねえし」
「むしろ切ったらあたしグレちゃう」
 目論見はあっさり失敗する。


「そうは言うがヴァレリー、お前こそ伸ばしていた髪を切ったというではないか」
「あれはあたしが切りたくて切っただけよ。お金のためにとか言うなら駄目!」
「…ならば何故私の髪にこだわるのだ? 訳が解らん…」
 頭を抱えるアグリアスに、ザックとヴァレリーは口を尖らせた。
「だって…」
「今その髪を結んでる紐、ラムザが使ってたやつだろ?」


 ぴくり、と反応してアグリアスの動きが止まる。
 そうだ。そういえば忘れていた。あれから何気なく使うようになって一週間だろうか。
 捨てるわけにも行かず、買い換えも考えたが踏ん切りがつかず、そのまま使い続けてはや七日。
いつの間にか生活の一部となった髪留めの存在を、アグリアスは反芻しながら思い出していた。


「髪を切ったらそれ使えなくなるじゃんか」
「折角貰ったのに捨てたとか言ったら、あたしたちよりラムザの方が落ち込むんじゃない?」
 将の士気が下がれば隊の士気も下がる。それを意図してのヴァレリーの一言だったが、どうやら
アグリアスは聞いていないようだ。
「おーい、アグリアス。聞いてる?」
 ザックの言葉に、俯いたアグリアスがゆっくりと顔を上げる。アグリアスの顔がほんのり赤いのは
傾いた夕日のせいだろうか?
「お、お前たち…いつから気付いていた?」
「えっと、あたしは一週間くらい前かなあ」
「俺は五日前」
「…そ、そうか…」
 幾らお下がりとはいえ曲がりなりにも異性からの贈り物である、アグリアスは恥ずかしさから
また俯いてしまった。


「まあ、俺たちにとってもちょっと思い出深い品だよな、それってさ」
「そうねぇ。骸旅団と戦ってたころのだっけ?」
「ん…どっちかっつうと、北天騎士団じゃねえ?」
「…そっか…そうかも」
 意味深な会話と共に急にしんみりしたザックとヴァレリーの様子に、アグリアスが顔を上げる。
その顔に訝しむ色が濃く出ていたのか、それを察してザックが口を開いた。
「まあ、アグリアスがどういう経緯でそれを付けてんのか俺は知らねーけどさ。昔はラムザもそいつで髪を
 くくってたんだよな」
 人通りが一層少なくなった通りを、見渡しながらヴァレリーが続く。
「お姫様を攫っていったディリータって騎士、覚えてる? ラムザが髪を切ったのはあいつと別れた後なんだけど、
 そのきっかけが北天騎士団との戦いだったのよね」
「北天騎士団と…何故だ!?」
 ベオルブ家の御曹司が北天騎士団と争うという有り得ない構図に、アグリアスは眉をひそめた。
「そっか、ラムザはそういうこと滅多に喋らねえから、俺たちの昔のこと、知らねえんだな」
 ザックがふう、と一息ついて、続きを話し始める。
「昔、骸旅団って平民上がりの元騎士団が暴れててさ。士官候補生だった俺たちに、お上からそいつらを
 退治しろってお達しが来たのさ。ラムザディリータはそのころから…いや、そのずっと前から友達で、
 貴族と平民なのにえらい仲が良かったんだよな」
「そうそう、一部じゃ白い目で見られてたけど、親友って感じがして、ちょっと羨ましかったなー」
ヴァレリーも実は結構いいとこのお嬢様でさ。昔はひらひらした服を着てごってりとお化粧してて、俺も
 身分の差ってのを感じてたもんさ。確か、立派な魔道士になって欲しい、とか親に言われてたんだっけ?」
 ヴァレリーは苦笑いだけして肯定した。ザックはなおも言葉を続ける。


「ま、ともかく俺たちは当初、その骸旅団の討伐に行ってたわけよ。でも、連中が戦う理由を聞いてみると
 それがまあ、貴族の圧政ってやつ? が原因で、何が正しいのか俺もラムザもわからなくなっちゃってさ。
 間違ってるって思うかもしれないけど、そん時俺はどっちかというと、骸旅団を助けたい気になってたんだ。
 でも…ラムザが幾ら諭しても、貴族には頼らない、絶対に手を取らない、って信用されず、強情張る奴もいて…
 泣く泣く斬ったこともあったっけな」
 声がだんだん小さくなるザックに、ヴァレリーが小さく問い掛けた。
「ミルウーダのこと?」
 その名前に、ザックが天を仰いだ。
「ああ…骸旅団の女騎士。貴族を…いや、俺たちを最後まで拒んでた」
「反貴族を掲げる平民は少なくない。これからもそう言う人間を相手取ることもあるだろう…躊躇は許されんぞ」
「ま、そうなんだろうけどさ…」
 ザックが溜息をついてうなだれる。そんな様子を見ていたヴァレリーが、静かに口を開いた。
「でもさアグ姉、貴族にとって平民って何かな?」
 ヴァレリーの消え入りそうなほど小さな声に、ほんの少しだけアグリアスはたじろいだ。質問の中身も
さることながら、未だかつてヴァレリーから、そんな弱弱しい声を聞いたことが無かったのだから。
 何も答えられずにいたアグリアスに、ヴァレリーはそのままの口調で続ける。
「ある貴族の男が、骸旅団の一人に言ったのよ。面と向かって、お前ら平民は家畜だ、って。悪びれもせずに、
 さもそれが当然だって顔でね。…あたしは吐き気がしたわ。誰かに抑えてもらわなかったら、あたしは
 そいつに飛びかかってたと思う。あの男のようにはなりたくない、あたしはあいつと違うんだ、って」
 穏やかだったヴァレリーの顔にだんだんと嫌悪の色が浮かぶ。ザックはそんな彼女の震える肩を叩いて
なだめながら顔を上げた。
アグリアスはどうよ? やっぱ平民は貴族に従って当然?」
「…ものには言い方がある。貴族は、平民から搾取し、それを国力として還元する。貴族が平民を支配する
 階級であることに間違いはない」
 淡々と、しかし眉根には皺を寄せるアグリアス。彼女の表情から、その言葉が現実とかけ離れた理想論である
ことを見て取るのは容易かった。


「…ディリータは、そのヴァレリーが嫌ってる奴に妹を殺されてる。そいつはそいつでディリータ
 殺されたけど…今、ディリータラムザをどう思ってるかは、俺たちにゃあ解らない」
「それは、ラムザが貴族だからか…?」
 神妙な顔をしたアグリアスに、ザックは視線をそらした。
「まあ、それもあるかもしれないけど…ディリータの妹を誘拐した骸旅団への攻撃命令を指示したのが、
 北天騎士団の、ラムザの兄貴だったから、ってのもあるだろうな」
「…!」
 アグリアスの表情が一層厳しくなる。
「人質とられてるのに攻撃命令出されたら、人質がどうなるかくらい普通はわかるだろ?
 俺たちは、貴族が自分たちを守るためには、たとえ友達であろうと平民は簡単に切り捨てる、って
 現実を見せつけられたわけさ。ラムザもそんな貴族の姓を名乗り続けるのは苦痛だったんだろうな」
「おまけにそこで、成り行きとはいえ北天騎士団と敵対したわけでしょ? 仲間も半分は抜けてっちゃったわ」
「名門の名を捨てることが愚かだとか、怖くてついていけないとか。勿論俺たちと思想が違う奴もいたし、
 そうでなくても将来が約束されてねえわけだし。ばらばらになんのも当然だなって思ったっけな」
「それで残ったのがお前たち…ということか」
 アグリアスの呟くような声に、ヴァレリーが微笑みながら頷いた。
ラムザと一緒なら、すっきりする答えが出てくるかな、って思って。でも、あたしの場合、結局は
 あの男が言った台詞を認めたくなくって、逃げてるだけなのかもね。あとづけでいいから、
 あのときの私が正しかった、あいつが間違っていた、っていう自分の正義の証明が欲しいだけ…」
ヴァレリーはいいさ、そういう追いかけるような目的があんだろ? 俺は後悔の念ばっかり先走ってて、
 今更になって話術士を目指してるんだもんな。ほんと、意味もねえのに今更だよ」
 ザックが自嘲気味にくっくっと笑う。
「俺たちと一緒に来たカーマインも同じさ。あいつはディリータの妹が殺されたときにレイズやらケアルやら、
 フェニックスの尾まで使おうとして必死に助けようとしてたっけな。敵に邪魔されて、どうしても
 助けられなくて、あの後ずっと塞ぎこんでたんだけどさ」


「あたしたちがあたしたちの意志で戦い始めてから結構経つけど、まだ死人が出ていないのはカーマインの
 おかげもあるわよね?」
「ああ、おかげで俺はずっと黒魔道士で魔法修行だよ。隊に白魔道士は二人も必要ねえからな」
 そう言って二人揃って笑いあい、二人揃って、ふう、と溜息をつく。
 そして暫く沈黙。
「…ま、俺たちもそうだけど、ラムザなんかもっともっといろいろ背負っちゃってるからな」
「そうよね…普通なら、自分の身の回りのことだけで手一杯になってるはずなのに、あたしたちのことまで
 管理してるんだから。我儘きいてもらってる部分も結構多いし…もしかして、あたし達は戦力の振りをした
 お荷物だったりしてね…」
「いや…それは違う」
 顔を伏せるヴァレリーに、沈痛な面持ちのアグリアスが首を横に振った。
 考えてみればザックにしてもヴァレリーにしても、悪く言えば楽観的と言えるほど、いままで弱音を吐いた
ところをみたことがない。普段からふざけてばかりいる、良くも悪くも戦争とは縁遠い性格の二人が、
何故ここにいるのか、何故戦っているのか。アグリアスはようやく理解した。
「それを言うのなら私とて同じだ。オヴェリア様にこだわるあまり周囲を見ていなかったきらいも…」
「そんなことないよ! アグ姉はそういう使命があるんだから当然じゃない」
「それも言い方だ。使命などと崇高ぶった言い方をしても、お前達を蔑ろにしていたことは否めない。
 それに私の使命とやらも、貴族から受けたものなのだぞ? 私と違ってお前たちにはお前たちの意思が…」
「ああもう、ここは懺悔室じゃねえし俺は神父様じゃねえぞ。やるんなら教会に行ってくれ、なんなら
 ここで俺が神父に転職してやろうか?」
 見かねたザックが無理矢理に会話に割り込んで、呆れたように明後日の方を指差して言う。
「…ごめんなさい、遠慮するわ。ご加護無さそうだし」
「確かに…ザックの信仰心の無さは神父は言うまでもなく魔道士としても問題視せねばならん」
「そこまで言うかよ」
 アグリアスにまで冗談を言われて大仰にザックが肩をすくめると、三人揃って苦笑いする。


「…っはあ、息が詰まっちゃった。ごめんねアグ姉、こんなときに重たい話聞かせちゃって」
「いや…気にするな。むしろ、私が聞いてよかった話なのか?」
「いいじゃん、髪留め見て懐かしくなったんだし、丁度今が話すときだった、ってことじゃねえの」
 そう言ってザックがアグリアスに目配せをする。目配せを貰ったアグリアスは、どう返したらよいか
わからず、ただザックに困り顔で微笑むだけだった。
「でもラムザの奴、なんで捨ててなかったんだろうな」
「そうねえ…嫌な思い出とはいえ、やっぱり思い出はそうそう捨てられなかったんじゃない?」
 言われてアグリアスが、ラムザに手渡された髪留めに触れ複雑な表情を浮かべる。そんなアグリアスを、
ザックとヴァレリーがくすくすと…いや、どちらかというと、ニヤニヤと笑いながら眺めている。
「…つうかさ。それをアグリアスに託すなんて、結構意味深?」
「かもね〜?」
 アグリアスが二人の含み笑いの意味にようやく気付いて、頬を引きつらせた。
「なっ!? べっ…別にラムザと私はなんともない!」
「へえ? 本当かね?」
「怪しいなあ〜。白状するんなら今のうちだよ〜?」
 重苦しい空気が解けたかと思えば1分とかからず普段のザックとヴァレリーに戻っている。そう、
アグリアスの苦手な、とてもお茶目な『友達』に。まったくこの二人、油断も隙もあったものではない。
「ん? アグリアス、顔が赤くねえ?」
「図星? ねえ、図星?」
「こ、こらっ! 人をからかうのもいいかげんにしろッ!」
 なおもアグリアスを見てニヤニヤ笑うザック達に掴みかからんとする彼女の足元に、影が二つ伸びてきた。
「あ、いたいた。皆ここにいたんだ」


 じゃれあう三人を見つけて駆け寄って来たのは、ラムザとカーマインだった。
 買い物は済んだか、宿はどこだと他愛ない会話の中、アグリアスが笑いあう四人を眺めて安堵の溜息をつく。
 思い起こしてみれば修道院の生活は、アグリアスにとって『仕事場』だった。アグリアスの仕事の相手、
それとも上司と言うべきだろうか、己の主君オヴェリアとは、決して彼らのような『友達』感覚は許されない。
 しかし、今のアグリアスは違う。同じ目的の同士と共に戦う、一介の剣士である。アリシアやラヴィアンとの
上官と部下の関係も、いまやかつての話だ。
 アグリアスはふと思う。気心の知れた仲間同士、笑いあっているその輪の中に、私は入れるのだろうか?


 …何を。


 ふと想像した団欒の絵に、自らの甘さを叱るアグリアス。私は剣に生きるのだ、それはこれからも変わらない。
ゆるんだ口元を手で隠し、元の厳しい顔つきを取り戻す。
「あ、そうだ。アグリアスさん、ちょっといいですか?」
「ん、あ、ああ。なんだ?」
 そんな刹那に不意にラムザに呼び止められ、アグリアスはほんの少しだけ慌ててしまった。
「ちょっと後ろを拝借しますね」
「…後ろ?」
 また不可解なことをラムザは言う、とアグリアスは思った。そんなアグリアスの返答を待たずに、ラムザ
にこにこしながら彼女の背後へと回る。二人のやり取りを眺めているカーマインもラムザと同じ顔をしている。
「じっとしててください」
 ばらっ。
「んな!?」
 言うが早いか、いきなりラムザアグリアスの髪留めをといたのだ。慌てて振り向いたアグリアス
ラムザは笑って正面を向かせた。
「すぐ済みますから。じっとしててくださいねー…」


 ラムザの言葉が聞こえているのかわからないが、アグリアスは前を向かされ硬直したまま動かない。
アグリアスにしてみれば先日髪がほどけた時に無防備な顔を見られたばかり、ラムザに真面目な顔つきで
かわいいだの綺麗だのと言われた時の余韻がまだ残っているせいか、彼女の顔は紅潮し、口は真一文字で
瞬き一つしていない。ラムザといえば、そんな彼女の気も知らず、のんきに鼻歌を歌いながらアグリアス
髪をいじっている。
「はい、いいですよ」
 そうして解けた三つ編みの代わりに出来上がったのは、白いレースをあしらった可愛らしい青いリボンだった。
「きゃ〜、綺麗〜! いいなあアグ姉、あたしも欲しいな〜!」
「そう? ヴァレリーの分も用意する?」
「…っつ、冗談よ、冗談! 気が利かないわね全く…」
 ラムザに悪気はないのだが、それがまた余計にヴァレリーの気に障ったようで、露骨に呆れた顔をして
ラムザに毒づいている。冷やかしがアグリアスに届いていないだけならまだしも、ラムザも言われて
何のことかわからずにきょとんとしているのが、なお憎たらしい。
「まあまあ、ヴァレリーの分は俺が買うからラムザは気にすんな」
「ほんと? やったあ、約束だかんね!」
 今度はザックの顔色が悪くなったような…しかし黒魔道士なのでよく読み取れない。
「はい、アグリアスさん、ご覧になってくださいませ!」
 そういえばここは床屋の店頭、丁度鏡が置いてある。ラムザは想像以上にリボンが似合ったのが余程
嬉しいのだろうか、店員さながらにアグリアスの両肩に手を置いて、鏡の前にアグリアスを立たせた。
三つ編みが解かれ、後ろで束ねただけのシンプルなヘアースタイルに変わった自分が、鏡に映る。
アグリアスの表情は相変わらず固まったままだが、頬の赤みがなお強くなったのは果たして夕日のせいだろうか?
「どうです? いい感じでしょう?」
 にこにこと無邪気に笑うラムザに、アグリアスは相当に恥ずかしいのだろうか、こく、こく、とおそるおそる
頷いている。


「良かった、いつまでも僕のお古を使わせておくのもまずいかなと思ってたんですよ。これでこっちはもう
 必要ないですよね」
 その言葉に一瞬だけ、アグリアスの顔色から赤みが引いた。
「…え?」
 そんなアグリアスの三つ編みを結っていた紐をくるくると手に巻きつけると、ラムザはそのまま歩き出そうとする。
「…ま…待て!! それは…まだ使う…!!」
「はい?」
「い、いつもこん…っ、このような、可愛いものを付けて戦うわけにもいかん! だから…かっ、返せ!」
 そう言って勢い良く右手を突き出すアグリアスに、ラムザは驚いて固まった。
「…いいんですか? こんな古いものでも」
「いいんだ! 早く!」
 間髪入れず即答するアグリアスに、ザックとヴァレリーが揃ってくすくすと吹き出した。
「なあラムザ。そいつがいいんだとさ」
「なんで渋ってるのよ。どうせ使わないんでしょ? あげたら?」
「…うん…」
 渋るラムザが髪留めをアグリアスに手渡す。
「でも、返したら多分そっちしか使わないような気がするんだ。折角リボンを買ったのになあ」
「あはは、それはあるかも」
 手渡した後で、頭をかきながらぼやくラムザにカーマインが頷いた。
「それに…」
 呟くラムザの顔に陰が出来る。それを察してか、辺りに神妙な空気が張りつめる。
「…ラムザ。お前はこの髪留めに過去を引きずっているのか?」


 言い淀むラムザに、アグリアスが問いかけた。
「お前は、この髪留めを使っていたと言っていたな。どんな思いがあって私に渡したのか、そして
 この髪留めにお前のどんな思い出が染み込んでいるか、私は考えたこともなかった」
 髪留めを見つめ、そしてラムザを見据えてアグリアスはなおも語る。
「過去は、捨てようとしても必ずついて回るものだ。お前がなんと名乗ってもベオルブ家の人間と
 見なされるように、そして過去があるからこそ現在の自分が形成されるように。もしお前がそんな過去を、
 或いは今をつらいと思ったのなら、お前には私たちのような仲間がついていることを思い出せ」
 しばしの沈黙の後、
「…はい」
 その言葉に微笑んで頷くラムザを見て、アグリアスもまた笑いながら頷いた。
「それでいい。この髪留めは今後も使わせてもらうぞ」
「あ、でも今日はそのリボンは外しちゃ駄目だからな」
「なっ…!」
 不意のザックの一言にアグリアスは目を見開く。
「何驚いてんだ。折角つけてもらったリボンを外して帰るなんてありえねえだろ」
「うん」
「だね」
 ザックの言葉にヴァレリーとカーマインも同意する。
「…ッ、わ、わかった! 今日だけだぞ」
「いや、今日以外もつけてくれよ」
「…ッ! わかっているッ!」
 言葉尻を掴まれ、なおも狼狽するアグリアスを皆が笑う。
「ね、アグ姉」
 アグリアスが視線を泳がせていると、不意に目があったヴァレリーが彼女を見つめてこう言った。
「私たちも、アグ姉のこと信じてるからね」
「…任せておけ」
 いつのまにか姿を消した夕日の代わりに、彼女たちを包んでいた優しい月明かり。
彼女の言葉と皆の笑顔に照れ笑いを浮かべるアグリアスの顔の赤みは、少しだけ和らいでいた。









(※このお話には前作があります。千夜一夜さんの方に保管されてありますので、そちらでご参照を)

氏作。Part33スレより。




彼女はまさしくあの女(ひと)の再来であった。
容貌や声のことをいっているのではない。魂が同質だった。
尤も、あのひとにしろ彼女にしろ、
誰にもよりかからず凛と一人立つ女性ゆえそのような言われ方は好まれまいが。




今にいたるまでオヴェリア様の護衛担当は数年単位で次々入れ替わった。
元老院からの命、近衛の任務とはいえ生涯宮廷とは無縁の王女付きなど、
危険もないかわり騎士としての栄達も得られないことを知っているからだろう。
たとい戦場で無残に散るにしろ、
生きているのか半分は死んでいるのかもわからない
あまりに静か過ぎるここの日々よりましだということだろう。
だが私は己の直感を大いに信頼している。
次に来る騎士こそは、オヴェリア様に生涯の忠誠を誓う信頼すべき人物であるとその直感が告げる。
アグリアスオークスという名前の響きも耳にうるわしく、佳き知らせであるように感じられた。
学僧には忍耐も必要だがふとしたひらめきが素晴らしい研究成果を生むこともある。
何とはなしに手に取った一冊の本から新たな世界が開けることも少なくない。
肉体的な美と健康、社交性などを持って生まれなかったかわり私にはそれがあった。
家系だという。
武家のはずの我が家でごくたまに、虚弱なかわりにこのような人間が出るのだと今は亡い父が教えてくれた。
神を信じなくなった今も私自身のこの直感は頼るに足るもので、
つまりは魔法をあやつるものにとっての広義の信仰心、
「精霊や魔法など科学では説明のつかない不思議な力や現象を信じる心」とやらはさして失われてはいない。
ここで使う必要のある魔法といえば回復魔法一辺倒ながら、
異端者を断罪するのに魔力を行使した時となんら変わりも支障もない。
地下書庫での密かな愉しみと探索にも大いに役立っている。


アグリアスオークスです。
 元老院の命によりオヴェリア様の護衛にあたることとなりました」
その髪も瞳もあのひとのものとは全く違う色合いだというのに、顔立ちも全く違うのに、
快活な笑みや涼やかな声が示す彼女の内面の美しさにしばし恍惚の境地にいた。
彼女のなにもかもが、私が永遠に失ってしまった女性の血を汲むあかしのように思えて仕方なかった。
「もしやおばあ様のお名前はマチルダ・エインズワースと、あ、いや嫁ぐ前の旧姓がエインズワースでは
ないでしょうかとお聞きしたほうがよいでしょうか。
 オークスのお家自体は私も昔から名前だけなら聞き及んでいますがなにぶんこのような隠居の身のうえ
嫁いだ女性の消息というものはなかなか、
 あ、誤解をされないでいただきたいのですが私とマティ…マチルダさんはなにもやましい関係などでは
なく母同士が友人で幼馴染でして」
私の口は何を口走っているのだ。
私の耳は私の口が垂れ流す言葉をまるで他人事の調子で拾う。
「え、あ…。いいえ、そのような名前の女性は身内にはおりませんが、その方と私が似ているのでしょうか?」
きりりとした佇まいが崩れ、少し慌てたときについ覗かせるかわいらしさすら彼のひとを想起させる。
「先生?シモンせんせい?私の騎士殿がおこまりですよ?」
私にとって娘ともいうべきオヴェリア様のまっすぐで邪念のない瞳が私を正気に引き戻す。


妹がいた。だから、オーボンヌに篭ってからの生活にも戸惑いはなかったはずだった。
女性との肉の交わりを禁じられた聖職者として生きてきたなりに、
妹を思いだして娘や孫よりも若い修道女たちと接すればよいと考えていた。
事実それで問題なくやってこれた。
私の第一の関心ごとがいまも昔も知識欲に尽きたからだろう。
ライオネルではなにやら素行に問題のある聖職者もいると聞き及んだが私には無縁ときめてかかっていた。
否、あのひとを失ったからそうしていられたのかもしれない。
あるいは、あのひとをほかの男に奪われたのを認めるのが怖かったのか。
チルダ武家のものとして凛々しく戦場に赴き、そこで恋に落ちたこと、
親の決めたいいなずけとは別の男性との人生をみずからの力で勝ち取ったことが母を介して伝わった。
婚礼のあかつきには私に縁結びを頼みたいとのことだったが、異端審問官になるための勉強を口実に断った。
弱く情けない自分をごまかしたくて本の世界に逃げ込んだだけなのかもしれない。
チルダと出会ったときはとっくに聖職者として生きることを決めていたから?
聖職者は妻を娶ることなど禁じられているものだから?
異端審問官の役を拝命してこのかた実に多くの人々を炎の彼方に消し去った。
なかには親や孤児院の意向で聖職者の道を歩まざるを得なかったもと聖職者もいた。
処刑台までずっと冤罪だと泣き叫ぶものもいたなか笑っていたものもいた。
神に捧げない人生を選び取ったことに後悔はないと胸を張っていた。
淫乱で邪悪な異端者よ、一度は神に捧げた身でありながら肉慾に溺れた、汚らわしい、堕落しきった邪教徒よ。
あのころは私も信じていたはりぼての教えに反逆した、惧れを知らぬ傲慢なものたちよ。
そうだ、私はお前たちがうらやましかったのだ。
身分にも神にも他人に押し付けられた道にもとらわれることなく高らかに愛をうたうお前たちが。 


私の脳裏を昏い悦びが支配している。
剣の稽古で生き生きと立ち回るアグリアスの肢体は健康美にあふれている。
その光景はマチルダがふざけ半分に私に剣の相手をしてくれた遠い日に酷似していた。
「あははっ、シモンったら勉強はできるのにこういう事はさっぱりだよね!だらしないなあ!」
私を男として見てくれないかわりに自身が女であることへの意識もなかった、
少女時代のマチルダの声が耳の奥で鮮やかによみがえる。
紅で淡く染めたあえかな唇から気迫のこもった叫びと荒い息が吐き出される。
修道女ではない彼女は宮仕えの身、貴婦人のたしなみとしてごく薄く化粧する習慣がある。
あくまで身だしなみの範疇で引かれるだけの紅の緋色がどんなに男を惹きつけているかすら知らない。
とうに衰えて脱ぎ捨てるときも近づいたこの肉体は
いまさらこの手に女性を抱き、男女の交わりを欲することもない。
いつわりの信仰に捧げた青春であれ、私の肉体は若い時分から美しさに恵まれていたとも言い難い。
己の選択した人生についての後悔はもはやない。
そのかわり、あの若く美しいアグリアスも生涯肉の悦びを知ることもないだろうと秘かに期待している。
生涯修道院で独身を貫くべしと強要されるであろうオヴェリア様にならい、
彼女がどこかへ嫁いだりどこぞの男と恋仲になることもないだろうと。
そうしてくれ、アグリアスよ。私のかわいい娘とおなじくその身に男を迎えないでくれ。
いつまでもその魂も肉体も誰かに与えることなく清らかでいてくれ。
いずれ死が訪れたあかつきにはアジョラの御許でで永遠にともに過ごそう。
つい習慣で信じてもいないグレバドスの教えにのっとた言い回しを使い
心の中から彼女に呼びかけてしまっては苦笑する。
アグリアスが剣を構えなおす。「神に祈りを捧げて行使する」聖剣技だ。
チルダも聖剣技を身に着けようといつも稽古を欠かさなかったが、
きみは結局どうだったのだろうな、マチルダ
「鬼神の居りて乱るる心、されば人かくも小さな者なり! 乱命割殺打! 」
彼女が信ずる教えは空虚なのにその刃からは実に清らかで力強い光が放たれる。
ああ、本当にそうだな。人間は、私という人間は実にちっぽけな存在だ。
チルダアグリアス、マチルダアグリアスアグリアスアグリアス


私のかわいい娘は哀れなことに、はりぼての祭壇に何時間も熱心な祈りを捧げている。
己の体に流れている王家の血が彼女の唯一の矜持の拠りどころであるが、
それすら実のところ虚構なのだということなどもやはり知るよしもない。
護衛に雇った礼儀知らずのガフガリオンが文句をつけた。
「無礼であろう、ガフガリオン殿。王女の御前ぞ」
傭兵の不躾な物言いにアグリアスがやり返す。
気の強さもその高貴な魂もまったくもってあのひとと同じだ。
私は気の強い女性が好みだったのだとこの齢になって初めて知る。
「これでいいかい、アグリアスさんよ」
いらつきながら部下たちにも礼を糺すよう促したところで、
アグリアスと彼の部下のひとりの視線が交差した。
老いさらばえた私とは、いや、かつての少年時代の私とも比べるべくもない、
瑞々しく涼やかな佇まいの少年だった。
顔立ちは違うもののそのまなこはどこかかの天騎士バルバネス様を思わせた。
そのとき彼らは何を感じたろうか。
神を信じるという意味での信仰心はとうに失せたもののなんら変わりなく魔法を行使できる。
それはひとえに、理性や理屈を超えた己の直感が真実を言い当てた経験がしばしあったからだろう。
神はもはやいないことを知ったがそれ以外にも目に見えないものはある。
傲慢だといわれようと私はそれらを信じている。傲慢と裁く存在としてのアジョラはただの人間だった。
この邂逅はやがて私にとっては面白くない結果をなすだろうと、最初に気付いたのも私だけだったはずだ。
オヴェリア様が騎士らしい男にさらわれていったあの日とおなじ日、おなじ場所。
彼が私の修道院から、私の世界からアグリアスを連れ出していってしまった。


ライオネルの枢機卿倪下が「ラムザ・ベオルブと名乗る邪教徒」によって殺された。
ついでにあの素行不良で悪名高いブレモンダも死んだらしい。
生臭坊主ががくだらない理由で騎士団長を追い出したせいでライオネル聖印騎士団では相手にならず、
倪下が雇われた百戦錬磨のガフガリオンすらその手にかかった。
ラムザはかつて彼の傭兵団にいたとのこと、傭兵の世界で頭領ごろしは重罪だとのこと。
俗界から切り離されているはずのここにまで聞きたくないことばかりは伝わってくる。
アルマ様の兄、バルバネス様の三番目のご子息が出奔したとは聞いていた。
あの日アグリアスと視線を交わした若者は、もしや。
誘拐事件以来消息の知れなかったオヴェリア様は政争の具としてゴルターナ公の手に落ちた。
オヴェリア様から短い文面の手紙を戴いた。
「先生、オーボンヌの花々は今の季節いかがですか。蝶はまだ戻ってきませんか」
アグリアスの安否を問う符牒であることにすぐ気付いた。アグリアスの行方は杳として知れない。
手紙はこう続く。
「ルグリア氏には大変お世話になりました。
 もしオーボンヌに立ち寄られたら私からもよろしくとおつたえください。
 ルグリア氏なら蝶の行方についてもお詳しいかもしれないので、
 ルグリア氏なり蝶のことなり、何かわかればお返事を下されば幸いです」
ガフガリオンに護衛を依頼したときの記録はまだ手元にある。
ガフガリオン以下部下数名の名前が記され、ラムザ・ルグリアという名前は果たしてそこにあった。
アグリアスラムザと共にいるよ、私の脳裏であの日一瞬見詰め合ったふたりの姿がそう教える。
ラムザドラクロワ倪下がおもちだった聖石を奪い、ライオネル城を壊滅させた。
さらには異端審問官をも手にかけた。
ここの修道女たちの口にまで怖れと共に彼の名がのぼる。
教会の権力に真っ向から反逆したと宣言したもおなじだ。
私がゲルモニーク聖典を開示すれば、いつわりの神を後ろ盾に保ってきた教会の権威も地に墜ちる。
ラムザの名誉も回復するかもしれない。
だが、書庫をとりあげられたくなかった。
アグリアスが彼と想いを通じ合わせたか否かを知りたくもなかった。


血が流れてゆく。私の命も流れゆく。
命よりなにより執着した私の書庫もならず者たちに蹂躙されつくした。
それでもいい。それでかまわない。
ほら、アグリアスがもどって来てくれた。忘れられるわけがない。この声は彼女だ。
私の死を嘆いてくれている。ラムザ・ベオルブも一緒だ。
ラムザは本当に父君に似ている。
まっすぐすぎて損な役回りも多い、だけどどこまでも暖かい人間らしい人間。
うすぐらい書庫から一歩も踏み出せなかった私とは違う。
ゲルモニーク聖典を託した自らの血塗れの手が邪魔だ。
下げようとしても凍りついて言うことをきいてくれない。
アグリアスはどんな顔をしている?
ラムザ、少しよけて彼女を見せてはくれないかな。
一瞬だけ彼女の姿が視界に入る。悲嘆にくれてなお美しい。
出会ったころよりなお。
もうどこぞの男の手で女になったのかもしれない。ラムザか?
まあいい。彼にならアグリアスを任せてもいい。
アグリアスはマチルダの代用品でもなんでもない。
私もようやく初恋を卒業できたのだと思うと何だかおかしくなる。
満ち足りた私の世界はゆっくりと暗転する。